梅雨の晴れ間って奴だな~と遥斗は眠気を誘う古典の授業から窓の外へと視線を移す。空には久々の青空、そしてグラウンドではどこかのクラスが長距離走をしている。
「御苦労なこった」と物見遊山気分でその走る生徒達を眺めているとそこに見知った顔が。ナツこと夏八木仁の姿を見つけた遥斗。そして意外にもナツは最後尾を走っていた。
その光景に遥斗は思わずニヤリとしてしまう。学内でも名高いイケメンで、一年生にして一八〇センチに届きそうな長身。そして遥斗を軽音部に勧誘するためと言って易々と学年一位を取ってしまう頭脳の持ち主。おまけにギターも初めてまだ一年にならないという割になかなかの腕前で、本人には口が裂けても言わないが、内心驚かされたのも事実。我ながら子供じみてるなと思いつつも、そんな非の打ちどころのないナツに何かしら弱点はないものかと常日頃から探っていた遥斗。ひょんなことからナツの弱点を発見して遥斗は嬉しくなる。これは良いからかい材料を見つけたと遥斗は放課後が待ち遠しくなった。
「お待たせ!」
遥斗が軽音部に入部してからもなぜか毎日教室にお迎えに来るナツ。「何で来るんだよ?」と聞いてみたら、「逃亡されたら困るからね」と真顔で返された。「オレは犯罪者か!?」と言い返したくなったが、釣った魚にエサをやらないと入部した途端、扱いが粗末になるより良いかと好きにさせている。
「待った、待った」
遥斗は鞄を手に席から立ち上がると、ナツと並んで教室を出る。
「五時間目体育だったんだな。この暑いのに長距離走なんて地獄だな」
「えっ?何で知ってんの?」
ナツが黒目がちの目を大きく見開く。
「窓から見えたんだよ。ナツが走ってんのが」
「へえ~、光栄だな。大勢の中から遥斗に見つけてもらえたなんて」
にっこりとこれ見よがしの笑顔をしてみせるナツ。
「ナツ、走んのおせえんだな。ドンジリだったじゃねえか」
してやったりといった勝ち誇った顔で遥斗は言い放つ。その遥斗の一言にナツはフッと軽く息を漏らす。
「そうだよ、見事ドンジリだったあ~。眉目秀麗、才色兼備の夏八木君にも苦手なものがあるんだな、これが。でも、ほら、そう言う弱点が一個ぐらいある方が親しみやすさを感じてもらえるだろ」
いけしゃあしゃあと言い返してくるナツ。反対に遥斗の方が一瞬グッと押し黙る。
「お前なあ~、それを自分で言うか!?感じワルッ、最悪、絶対友達になりたくないタイプやわ」
ぎゃふんと言わせてやろうと思ったのに見事に返されて立場のない遥斗。思い付く限りの毒を吐いてみるものの、暖簾に腕押しといった感じでナツは余裕の表情。
「へえ~、遥斗、俺のこと友達だと思ってくれてたんだ~、嬉しいなっ」
これ見よがしに胸の前で手を組んで目をウルウルさせてみせるナツ。ダメだ、完敗だ、今日こそはこの完全無欠のナツの優位に立ってやろうと試みたのに、見事に蹴散らされた。
「友達なんかじゃねえしっ!!た、た、単なる部活が一緒ってだけで、同じバンドメンバーってだけで、あくまでそれだけだからなっ」
自分でも負け犬の遠吠えとしか思えない大人気ない反論を口にしながら、ナツを振り切るように足を速め、軽音部の部室のドアを勢いよく開けた。
「ういっす」
ドアを開けると、アキが一人でベースをつま弾いていた。
「熱いなあ~、熱いなあ~」
パタパタと顔を手で仰いでみせるアキ。
「確かに今日、暑いな。俺なんか体育で長距離走だったんだぞ」
遥斗の後に続いて部室に入ってきたナツが答える。
「ちげえよ、お前ら二人のことだよ。本日も同伴出勤ってか」
アキが含み笑いを浮かべて遥斗とナツを交互に見る。
「なっ、何いってんだよ。それは、それは、こいつが迎えに来るからしょうがなく一緒に来てるだけで、べ、別にオレは、」
「はいはい、わかりましたよお~」
全く分かってないといった口調でアキが軽く往なす。
「そもそもこんな狭い部屋で毎日、毎日、四人が顔付き合わせて練習してんのが暑苦しいんだよ!!オレはステージに立ちたい!ライブがしたい!!客の前で歌いたい!」
アキの小馬鹿にしたような態度に腹が立って、ここ最近の鬱憤が思わぬ形で遥斗の口から飛び出した。一旦口火を切ると加速度がついて胸の内が次から次へと飛び出していく。
「『オータムフェス』が目標なのはいいけど、それまでライブを我慢することはないだろう。オレはライブがしたい!ステージに立ちたい!こんなせまっちいところでモンモンと歌ってるのはもうイヤだ!!」
こないだまで「バンド何かもう二度とやるか!」と思っていた人間の言葉とは思えない、自分でも何て変わり身の早いとは思うのだが、始めてしまうと願望はどんどん生まれてくる。
「よしっ、分かったぞ、遥斗!!ならば、『4―SON』初ライブと行こうじゃないか!!総合プロデューサーの私が許可しよう!!」
背後でドアが開いたかと思ったら、決めポーズの木崎部長の姿が。その後ろには柊吾も。
「えっ、あっ、聞いてたんですか?」
木崎部長の賛同に慌てる遥斗。
「外まで丸聞こえだったよ」
柊吾が笑いながら指摘する。
「遥斗がそこまでやる気になってくれたのは、勧誘した俺としても嬉しいけどね」
遥斗の隣でナツがニヤニヤと意味深な笑顔を見せてくる。
「いや、そのやる気っていうか・・・」
単にアキにからかわれたのが癪に障って愚痴をぶちまけただだけであったが、話が思いがけない方向へと転がっていく。
「私も『4―SON』のライブが観たいと思っていたんだ!!すばらしい、まさしく私の願望を感じ取ってくれたのだな、遥斗!!」
「いや、そう言う訳じゃ・・・」
「けど、ライブってどこでやるの?」
柊吾がきょとんとした顔で初歩的な質問を口にする。
「それはライブハウスに決まってんだろ」
経験値の違いを見せつけるべく、すかさず答える遥斗。
「ライブハウスって言っても、色々あるし、どんなとこ選べばいいとか・・・」
アキが思案顔で首を傾げてみせる。
「それなら大丈夫。オレ、つてのあるライブハウスあるから」
前のバンドで出演していた馴染みのライブハウスが頭に浮かんだ遥斗はちょっと優越感を覚えながら即答した。
「完全復活だな、坊主」
ニヤリと片唇を上げてみせたのは、ライブハウス『黒鍵』の店主ジャック。いつも黒ずくめの格好をしているので『ブラックジャック』からとか、『切り裂きジャック』からとか名前の由来はよく分からないが、出演するバンドから『ジャックさん』と呼ばれて慕われている兄貴分的存在である。前のバンドで世話になっていたライブハウス『黒鍵』での初ライブを無事終えての楽屋。今日の出演者でごった返す楽屋に顔を出したジャックが遥斗に向かって声を掛けて来たのだ。
「ありがとうございますっ!!オレらのステージどうでした?」
遥斗の質問に他の三人も緊張した面持ちでジャックの言葉を待つ。
「俺から感想もらおうなんて百年早えよ。まずはお前らが楽しかったらそれで充分だろ」
ジャックの答えに四人は顔を見合す。そこには示し合わせたように揃い揃って同じ表情が浮かんでいた。「楽しかった」と。お互いの思いを確認し合ったことで、改めて無事ライブを終えた安心感と充実感が胸に広がっていく。
「おう、初ライブとは思えないほど良かったぞ。俺らにはない初々しさが羨ましかったわ」
「ヒロさん!!」
遥斗はその人物の姿に歓喜の声を上げる。前のバンドの頃から何度も対バンしたことのあるバンド『Cold Ruby』のボーカリスト、ヒロだったから。
「久し振りだな。元気そうで何より」
ヒロがにこやかな笑顔で近づいて来る。
「はい!ヒロさんも元気そうで」
「ははは~、そう見えるか?もうな、こっちはあっちこっちガタがきてんだよ、この年になると」
『Cold Ruby』は近所の大学の軽音部に所属するバンドで『黒鍵』では古株であった。何かと前のバンドのときから目を掛けてくれて、本人には言わないまでも遥斗が密かに『師匠』と仰いでいる存在である。
「高校の同級生か?」
ヒロが興味深げに4―SONのメンバーを見回す。ヒロが関心を持ってくれたことが嬉しくて、遥斗はメンバーを紹介する。
「あの、何かアドバイスをもらえれば」
熱のこもった口調で口を開いたのはナツ。こんなところでも勉強熱心な一面が垣間見えた。
「えっ?アドバイス?いや~、そんな偉そうなとこ言える分際じゃないし」
照れ臭そうにヒロが頭を掻いて、横で面白そうに成り行きを見守っているジャックの顔を見る。
「してやれよ。若い後生の才能のために」
口調はからかいを含んでいたが、意外にもジャックの目は真剣であった。
「ええっ!?じゃあ僭越ながら、言わせてもらうとだな~ゴホンッ」
居住まいを正して、ヒロがまず柊吾に顔を向ける。
「ドラムッ、もっと自信を持って叩け。バンドのリズムはドラムが引っ張るんだからおっかなびっくり叩くな」
「はいっ」
柊吾が背筋をぴんと伸ばして、切れ味のいい返事をする。
「ええ~、ベース。テクニックがあるのは分かる。でも、もっとバンドならではの音楽を楽しめ」
アキが息を呑む。そして、噛みしめるようにゆっくりと頷く。
「次、ギター。頭で考えながら弾くな。もっと自分の感情を音にしろ」
「は、はいっ、ありがとうございます」
ナツが驚いたように目を見開き、勢いよく頭を下げる。
「そんで、遥斗。調子にのんな。突っ走りすぎ。全然、バンドの音を聞いてない。バンドは歌と演奏じゃない。全部のパートで作る音が合わさってバンドだ」
グッと遥斗は押し黙る。オレだけ厳しくないか、でも、ヒロの言葉はストンと遥斗の腑に落ちた。オレだけライブハウスのステージ経験があるから「オレが引っ張らないと」と前のめりになっていたのは事実。見事にその姿勢が見透かされていたことが、恥ずかしい。
「う、ういっす」
素直に認めるのは何だか癪に障るので、口を尖らして小さく頭を上下させる。
「良かったな、ヒロ。最後に可愛いひよっ子達に教えを説くことができて」
ジャックが隣のヒロの様子を伺いながら、ぽつりと呟く。
「えっ?『最後に』ってどういうこと?」
聞き逃すことなく遥斗はヒロに問い掛ける。
「ああ、遥斗知らなかったのか。ほら、俺ら大学四年だろ。秋の学園祭のライブを最後に解散するんだ」
『解散』の一言が遥斗の胸を揺るがす。
「えっ?何で?メンバーみんな上手くて、プロ級の腕じゃん!!この『黒鍵』の看板バンドだし、このまま続けて、メジャー目指さないの?」
急き立てられるように遥斗は言葉を投げ掛ける。
「ははははは~、褒めてもらえたのは嬉しいけど、俺らぐらいのレベルなんてゴロゴロいるし、もう、メンバーみんな卒業後の就職先も決まってんだよ」
切羽詰まった表情で詰め寄る遥斗に宥めるような優しい口調で答えるヒロ。
「おっと、そろそろスタンバイしないといけないから行くな。残りわずかな俺らのライブ、しっかり目に焼き付けとけとよ、ひよっ子達」
ニカッとこれ見よがしの決め顔をしてみせて、楽屋を後にするヒロ。その頼もしい背中を遥斗は見えなくなるまでずっと目で追いかけた。
「あれ?今日は王子様のお迎えを待たないの?」
遥斗が慌ただしく帰り支度をしていると隣の本橋が目敏く指摘してくる。
「・・・いいんだよ。今日はあいつが来る前にとっとと帰んだよ」
「何?何?何?王子様と喧嘩でもしたの?」
好奇心むき出しと言った面持ちで、身を乗り出してくる本橋。
「ってか、『王子様』って何だよ?その呼び方?」
「だってさ、もろ『ブラックホールに吸い込まれたら奴隷生活が待っていた』に出てくる王子そっくりなんだよ、夏八木は!!現国王の双子の兄弟なんだけど、子供のときに訳あって城から出て、今は奴隷として身を隠してるんだけどね、事あるごとにその類まれな頭脳と行動力で奴隷たちに一目置かれる存在になっていくんだ」
本橋はよくぞ聞いてくれましたとばかりに遠い目をして熱く語り出す。こんなオタクと付き合ってられないとばかりに遥斗が忙しなく教科書やノートを鞄に詰め込んでいると、その王子様が颯爽とやってきた。
「おっと王子登場~、仲直りしなよ」
似合わないウインクをして、席を立つ本橋。シマッタ、オタクに付き合っていたせいで出遅れたと胸の中で舌打ちする遥斗。
「どしたの?何?『仲直り』って?」
遥斗の前に立ち、小首を傾げてみせるナツ。
「・・・いいんだよ、お前に関係ないことだし」
ぼそりと吐き捨てるようにつぶやく。
「支度出来た?」
そんな遥斗にお構いなく、いつものように涼やかな笑みを向けてくるナツ。
「・・・今日は、帰る」
「えっ?体調でも悪いの?送っていこうか?」
「・・・いい。要らない」
遥斗は座ったまま、ナツに表情を見られないように俯く。
「どうしたの?やっぱ、何かあった?」
遥斗の前の席に座り、ナツが顔を覗き込んでくる。
「・・・オレ、部活辞めるわ」
「・・・何で?昨日のライブ、すっげえ楽しそうだったじゃん」
ナツの一言に昨日のライブが遥斗の頭に思い出される。その言葉通り、楽しかった。楽しくて、楽しくて、終わらないでくれと思ったぐらい楽しかった。
「・・・だって、どう頑張ってもメジャーとか行けないなって思ったから」
口にした途端、遥斗の胸の中に苦いものが広がっていく。いつの間にかクラスメイトはいなくなっていて、教室には遥斗とナツ二人。息苦しいような沈黙が二人の間に流れる。
「・・・何で、遥斗はメジャー、メジャーって言うの?」
「えっ?そりゃ、メジャーに行けば・・・」
思いがけないナツの問い掛けに遥斗は返事に窮し、顔を上げる。
「メジャーに行けばたくさんの人に音楽を聴いてもらえるから?それならSNSで音源を発信したらいい。それともお金をたくさん稼げるから?メジャーに行ったからって売れるとは限らないだろ。メジャーに行って、契約を打ち切られるミュージシャンだっていっぱいいる。何で、そんなにメジャーにこだわるの?」
射るような強い眼差しを遥斗に向けてくるナツ。
「俺が音楽を始めたのはたくさんの人に聴いてもらいたいからじゃない。まして、お金を儲けたいからでもない。ただ、誰かの人生を変えるような音楽を作りたいと思ったからなんだ」
静かな口調だけれど、揺るぎない想いのこもったナツの言葉が遥斗の中の何かを揺るがす。見ないように、気付かないようにしていた感情が浮き上がってくる。そうだ、オレがメジャーにこだわるのも、たくさんの人に聴いてもらいたい訳でも、お金持ちになりたい訳でもない。
ただ、ただ楽しい仲間と一緒にいたかっただけなんだ。カズポンやケースケ、モリゾーと音楽をするのが楽しくて、楽しくて、メジャーを目指せばずっと一緒に居られると思ってた。高校生になっても、大学生になっても、その後もずっと、ずっと、おとぎ話の『めでたしめでたし』のようにメジャーがハッピーエンドに思えてたから。
だから解散して、もうバンドなんかやりたくないと思った。こんな結末が、こんな別れが、こんな淋しい想いをするならもうバンドなんか組みたくないと。だから、ナツが誘ってきたとき拒絶したんだ。でも、本当は本当は嬉しかったんだ、誘ってくれて。もう一度、今度こそ、ずっと一緒に居られる仲間になればと思ってた。
でも、違う。傍から見ていてどんなに仲良くても、どんなに才能があると思ってもいつか別れのときが来るんだって、昨日憧れてた『Cold Ruby』の解散を聞いて思い知らされた。楽しければ、楽しいほど、別れのときがくるのが怖いと思ったんだ。誘われるまま、何となく入部するに至った軽音部が気付くと遥斗の中で大事な居場所になっていたから。昨日のライブ、楽しくて、でも、これをいつか失うと思ったら、怖くなった。部室に行って、メンバーの顔を見るのが『辛い』と思ったんだ。次々と自分の感情がむき出しになっていくと共に遥斗の頬に温かいものが流れていく。
「ご、ごめんっ。きついこと言った。全然、遥斗を責めるつもりじゃなくて、その、ただ遥斗の本心が聞きたかっただけで、泣かすつもりなんてこれっぽっちもなくて・・・」
目の前に座るナツが途端、慌て出す。いつも悠然と構えているこいつでもこんなパニくることがあんだなと遥斗はポロポロと涙をこぼしながら何だか笑いたくなった。
「ね、ね、泣かないで、」
オロオロとどうしていいか分からないといった面持ちで、慌てふためいているナツ。
その困りっぷりが人間臭くて、これまでナツに感じていた見えない壁のようなものが取っ払われた気がした。
「どうしよう、どうしたら泣きやんでくれる?ねえ、土下座でもしたら泣きやんでくれる?腹踊りでもしたら泣きやんでくれる?」
「ブッ」
ナツが腹踊りしてるところを想像して遥斗は思わず吹き出す。その遥斗のリアクションにナツの表情がぱっと明るくなる。
「笑った!良かった、良かった、本当に良かった。ごめん、本当にごめん、責めるようなこといって」
こんこんと机に頭を打ち付けて、謝り続けるナツ。頭ぶつけて、ちょっと馬鹿になればいいのにと遥斗はしょうもないことを考える心の余裕が出来た。
「・・・迎えに来いよ」
「えっ?」
顔を上げたナツが意味を探るように遥斗を見つめてくる。
「だから、迎えに来いよ、明日も明後日も」
「もちろん毎日、毎日迎えに来るよ」
いつもの涼やかな笑顔ではっきりと断言して見せるナツ。「二年になっても、三年になっても、大学生になっても、その先もずっとずっと迎えに来て欲しい」と遥斗は心の中で願掛けのように呟いた。
「御苦労なこった」と物見遊山気分でその走る生徒達を眺めているとそこに見知った顔が。ナツこと夏八木仁の姿を見つけた遥斗。そして意外にもナツは最後尾を走っていた。
その光景に遥斗は思わずニヤリとしてしまう。学内でも名高いイケメンで、一年生にして一八〇センチに届きそうな長身。そして遥斗を軽音部に勧誘するためと言って易々と学年一位を取ってしまう頭脳の持ち主。おまけにギターも初めてまだ一年にならないという割になかなかの腕前で、本人には口が裂けても言わないが、内心驚かされたのも事実。我ながら子供じみてるなと思いつつも、そんな非の打ちどころのないナツに何かしら弱点はないものかと常日頃から探っていた遥斗。ひょんなことからナツの弱点を発見して遥斗は嬉しくなる。これは良いからかい材料を見つけたと遥斗は放課後が待ち遠しくなった。
「お待たせ!」
遥斗が軽音部に入部してからもなぜか毎日教室にお迎えに来るナツ。「何で来るんだよ?」と聞いてみたら、「逃亡されたら困るからね」と真顔で返された。「オレは犯罪者か!?」と言い返したくなったが、釣った魚にエサをやらないと入部した途端、扱いが粗末になるより良いかと好きにさせている。
「待った、待った」
遥斗は鞄を手に席から立ち上がると、ナツと並んで教室を出る。
「五時間目体育だったんだな。この暑いのに長距離走なんて地獄だな」
「えっ?何で知ってんの?」
ナツが黒目がちの目を大きく見開く。
「窓から見えたんだよ。ナツが走ってんのが」
「へえ~、光栄だな。大勢の中から遥斗に見つけてもらえたなんて」
にっこりとこれ見よがしの笑顔をしてみせるナツ。
「ナツ、走んのおせえんだな。ドンジリだったじゃねえか」
してやったりといった勝ち誇った顔で遥斗は言い放つ。その遥斗の一言にナツはフッと軽く息を漏らす。
「そうだよ、見事ドンジリだったあ~。眉目秀麗、才色兼備の夏八木君にも苦手なものがあるんだな、これが。でも、ほら、そう言う弱点が一個ぐらいある方が親しみやすさを感じてもらえるだろ」
いけしゃあしゃあと言い返してくるナツ。反対に遥斗の方が一瞬グッと押し黙る。
「お前なあ~、それを自分で言うか!?感じワルッ、最悪、絶対友達になりたくないタイプやわ」
ぎゃふんと言わせてやろうと思ったのに見事に返されて立場のない遥斗。思い付く限りの毒を吐いてみるものの、暖簾に腕押しといった感じでナツは余裕の表情。
「へえ~、遥斗、俺のこと友達だと思ってくれてたんだ~、嬉しいなっ」
これ見よがしに胸の前で手を組んで目をウルウルさせてみせるナツ。ダメだ、完敗だ、今日こそはこの完全無欠のナツの優位に立ってやろうと試みたのに、見事に蹴散らされた。
「友達なんかじゃねえしっ!!た、た、単なる部活が一緒ってだけで、同じバンドメンバーってだけで、あくまでそれだけだからなっ」
自分でも負け犬の遠吠えとしか思えない大人気ない反論を口にしながら、ナツを振り切るように足を速め、軽音部の部室のドアを勢いよく開けた。
「ういっす」
ドアを開けると、アキが一人でベースをつま弾いていた。
「熱いなあ~、熱いなあ~」
パタパタと顔を手で仰いでみせるアキ。
「確かに今日、暑いな。俺なんか体育で長距離走だったんだぞ」
遥斗の後に続いて部室に入ってきたナツが答える。
「ちげえよ、お前ら二人のことだよ。本日も同伴出勤ってか」
アキが含み笑いを浮かべて遥斗とナツを交互に見る。
「なっ、何いってんだよ。それは、それは、こいつが迎えに来るからしょうがなく一緒に来てるだけで、べ、別にオレは、」
「はいはい、わかりましたよお~」
全く分かってないといった口調でアキが軽く往なす。
「そもそもこんな狭い部屋で毎日、毎日、四人が顔付き合わせて練習してんのが暑苦しいんだよ!!オレはステージに立ちたい!ライブがしたい!!客の前で歌いたい!」
アキの小馬鹿にしたような態度に腹が立って、ここ最近の鬱憤が思わぬ形で遥斗の口から飛び出した。一旦口火を切ると加速度がついて胸の内が次から次へと飛び出していく。
「『オータムフェス』が目標なのはいいけど、それまでライブを我慢することはないだろう。オレはライブがしたい!ステージに立ちたい!こんなせまっちいところでモンモンと歌ってるのはもうイヤだ!!」
こないだまで「バンド何かもう二度とやるか!」と思っていた人間の言葉とは思えない、自分でも何て変わり身の早いとは思うのだが、始めてしまうと願望はどんどん生まれてくる。
「よしっ、分かったぞ、遥斗!!ならば、『4―SON』初ライブと行こうじゃないか!!総合プロデューサーの私が許可しよう!!」
背後でドアが開いたかと思ったら、決めポーズの木崎部長の姿が。その後ろには柊吾も。
「えっ、あっ、聞いてたんですか?」
木崎部長の賛同に慌てる遥斗。
「外まで丸聞こえだったよ」
柊吾が笑いながら指摘する。
「遥斗がそこまでやる気になってくれたのは、勧誘した俺としても嬉しいけどね」
遥斗の隣でナツがニヤニヤと意味深な笑顔を見せてくる。
「いや、そのやる気っていうか・・・」
単にアキにからかわれたのが癪に障って愚痴をぶちまけただだけであったが、話が思いがけない方向へと転がっていく。
「私も『4―SON』のライブが観たいと思っていたんだ!!すばらしい、まさしく私の願望を感じ取ってくれたのだな、遥斗!!」
「いや、そう言う訳じゃ・・・」
「けど、ライブってどこでやるの?」
柊吾がきょとんとした顔で初歩的な質問を口にする。
「それはライブハウスに決まってんだろ」
経験値の違いを見せつけるべく、すかさず答える遥斗。
「ライブハウスって言っても、色々あるし、どんなとこ選べばいいとか・・・」
アキが思案顔で首を傾げてみせる。
「それなら大丈夫。オレ、つてのあるライブハウスあるから」
前のバンドで出演していた馴染みのライブハウスが頭に浮かんだ遥斗はちょっと優越感を覚えながら即答した。
「完全復活だな、坊主」
ニヤリと片唇を上げてみせたのは、ライブハウス『黒鍵』の店主ジャック。いつも黒ずくめの格好をしているので『ブラックジャック』からとか、『切り裂きジャック』からとか名前の由来はよく分からないが、出演するバンドから『ジャックさん』と呼ばれて慕われている兄貴分的存在である。前のバンドで世話になっていたライブハウス『黒鍵』での初ライブを無事終えての楽屋。今日の出演者でごった返す楽屋に顔を出したジャックが遥斗に向かって声を掛けて来たのだ。
「ありがとうございますっ!!オレらのステージどうでした?」
遥斗の質問に他の三人も緊張した面持ちでジャックの言葉を待つ。
「俺から感想もらおうなんて百年早えよ。まずはお前らが楽しかったらそれで充分だろ」
ジャックの答えに四人は顔を見合す。そこには示し合わせたように揃い揃って同じ表情が浮かんでいた。「楽しかった」と。お互いの思いを確認し合ったことで、改めて無事ライブを終えた安心感と充実感が胸に広がっていく。
「おう、初ライブとは思えないほど良かったぞ。俺らにはない初々しさが羨ましかったわ」
「ヒロさん!!」
遥斗はその人物の姿に歓喜の声を上げる。前のバンドの頃から何度も対バンしたことのあるバンド『Cold Ruby』のボーカリスト、ヒロだったから。
「久し振りだな。元気そうで何より」
ヒロがにこやかな笑顔で近づいて来る。
「はい!ヒロさんも元気そうで」
「ははは~、そう見えるか?もうな、こっちはあっちこっちガタがきてんだよ、この年になると」
『Cold Ruby』は近所の大学の軽音部に所属するバンドで『黒鍵』では古株であった。何かと前のバンドのときから目を掛けてくれて、本人には言わないまでも遥斗が密かに『師匠』と仰いでいる存在である。
「高校の同級生か?」
ヒロが興味深げに4―SONのメンバーを見回す。ヒロが関心を持ってくれたことが嬉しくて、遥斗はメンバーを紹介する。
「あの、何かアドバイスをもらえれば」
熱のこもった口調で口を開いたのはナツ。こんなところでも勉強熱心な一面が垣間見えた。
「えっ?アドバイス?いや~、そんな偉そうなとこ言える分際じゃないし」
照れ臭そうにヒロが頭を掻いて、横で面白そうに成り行きを見守っているジャックの顔を見る。
「してやれよ。若い後生の才能のために」
口調はからかいを含んでいたが、意外にもジャックの目は真剣であった。
「ええっ!?じゃあ僭越ながら、言わせてもらうとだな~ゴホンッ」
居住まいを正して、ヒロがまず柊吾に顔を向ける。
「ドラムッ、もっと自信を持って叩け。バンドのリズムはドラムが引っ張るんだからおっかなびっくり叩くな」
「はいっ」
柊吾が背筋をぴんと伸ばして、切れ味のいい返事をする。
「ええ~、ベース。テクニックがあるのは分かる。でも、もっとバンドならではの音楽を楽しめ」
アキが息を呑む。そして、噛みしめるようにゆっくりと頷く。
「次、ギター。頭で考えながら弾くな。もっと自分の感情を音にしろ」
「は、はいっ、ありがとうございます」
ナツが驚いたように目を見開き、勢いよく頭を下げる。
「そんで、遥斗。調子にのんな。突っ走りすぎ。全然、バンドの音を聞いてない。バンドは歌と演奏じゃない。全部のパートで作る音が合わさってバンドだ」
グッと遥斗は押し黙る。オレだけ厳しくないか、でも、ヒロの言葉はストンと遥斗の腑に落ちた。オレだけライブハウスのステージ経験があるから「オレが引っ張らないと」と前のめりになっていたのは事実。見事にその姿勢が見透かされていたことが、恥ずかしい。
「う、ういっす」
素直に認めるのは何だか癪に障るので、口を尖らして小さく頭を上下させる。
「良かったな、ヒロ。最後に可愛いひよっ子達に教えを説くことができて」
ジャックが隣のヒロの様子を伺いながら、ぽつりと呟く。
「えっ?『最後に』ってどういうこと?」
聞き逃すことなく遥斗はヒロに問い掛ける。
「ああ、遥斗知らなかったのか。ほら、俺ら大学四年だろ。秋の学園祭のライブを最後に解散するんだ」
『解散』の一言が遥斗の胸を揺るがす。
「えっ?何で?メンバーみんな上手くて、プロ級の腕じゃん!!この『黒鍵』の看板バンドだし、このまま続けて、メジャー目指さないの?」
急き立てられるように遥斗は言葉を投げ掛ける。
「ははははは~、褒めてもらえたのは嬉しいけど、俺らぐらいのレベルなんてゴロゴロいるし、もう、メンバーみんな卒業後の就職先も決まってんだよ」
切羽詰まった表情で詰め寄る遥斗に宥めるような優しい口調で答えるヒロ。
「おっと、そろそろスタンバイしないといけないから行くな。残りわずかな俺らのライブ、しっかり目に焼き付けとけとよ、ひよっ子達」
ニカッとこれ見よがしの決め顔をしてみせて、楽屋を後にするヒロ。その頼もしい背中を遥斗は見えなくなるまでずっと目で追いかけた。
「あれ?今日は王子様のお迎えを待たないの?」
遥斗が慌ただしく帰り支度をしていると隣の本橋が目敏く指摘してくる。
「・・・いいんだよ。今日はあいつが来る前にとっとと帰んだよ」
「何?何?何?王子様と喧嘩でもしたの?」
好奇心むき出しと言った面持ちで、身を乗り出してくる本橋。
「ってか、『王子様』って何だよ?その呼び方?」
「だってさ、もろ『ブラックホールに吸い込まれたら奴隷生活が待っていた』に出てくる王子そっくりなんだよ、夏八木は!!現国王の双子の兄弟なんだけど、子供のときに訳あって城から出て、今は奴隷として身を隠してるんだけどね、事あるごとにその類まれな頭脳と行動力で奴隷たちに一目置かれる存在になっていくんだ」
本橋はよくぞ聞いてくれましたとばかりに遠い目をして熱く語り出す。こんなオタクと付き合ってられないとばかりに遥斗が忙しなく教科書やノートを鞄に詰め込んでいると、その王子様が颯爽とやってきた。
「おっと王子登場~、仲直りしなよ」
似合わないウインクをして、席を立つ本橋。シマッタ、オタクに付き合っていたせいで出遅れたと胸の中で舌打ちする遥斗。
「どしたの?何?『仲直り』って?」
遥斗の前に立ち、小首を傾げてみせるナツ。
「・・・いいんだよ、お前に関係ないことだし」
ぼそりと吐き捨てるようにつぶやく。
「支度出来た?」
そんな遥斗にお構いなく、いつものように涼やかな笑みを向けてくるナツ。
「・・・今日は、帰る」
「えっ?体調でも悪いの?送っていこうか?」
「・・・いい。要らない」
遥斗は座ったまま、ナツに表情を見られないように俯く。
「どうしたの?やっぱ、何かあった?」
遥斗の前の席に座り、ナツが顔を覗き込んでくる。
「・・・オレ、部活辞めるわ」
「・・・何で?昨日のライブ、すっげえ楽しそうだったじゃん」
ナツの一言に昨日のライブが遥斗の頭に思い出される。その言葉通り、楽しかった。楽しくて、楽しくて、終わらないでくれと思ったぐらい楽しかった。
「・・・だって、どう頑張ってもメジャーとか行けないなって思ったから」
口にした途端、遥斗の胸の中に苦いものが広がっていく。いつの間にかクラスメイトはいなくなっていて、教室には遥斗とナツ二人。息苦しいような沈黙が二人の間に流れる。
「・・・何で、遥斗はメジャー、メジャーって言うの?」
「えっ?そりゃ、メジャーに行けば・・・」
思いがけないナツの問い掛けに遥斗は返事に窮し、顔を上げる。
「メジャーに行けばたくさんの人に音楽を聴いてもらえるから?それならSNSで音源を発信したらいい。それともお金をたくさん稼げるから?メジャーに行ったからって売れるとは限らないだろ。メジャーに行って、契約を打ち切られるミュージシャンだっていっぱいいる。何で、そんなにメジャーにこだわるの?」
射るような強い眼差しを遥斗に向けてくるナツ。
「俺が音楽を始めたのはたくさんの人に聴いてもらいたいからじゃない。まして、お金を儲けたいからでもない。ただ、誰かの人生を変えるような音楽を作りたいと思ったからなんだ」
静かな口調だけれど、揺るぎない想いのこもったナツの言葉が遥斗の中の何かを揺るがす。見ないように、気付かないようにしていた感情が浮き上がってくる。そうだ、オレがメジャーにこだわるのも、たくさんの人に聴いてもらいたい訳でも、お金持ちになりたい訳でもない。
ただ、ただ楽しい仲間と一緒にいたかっただけなんだ。カズポンやケースケ、モリゾーと音楽をするのが楽しくて、楽しくて、メジャーを目指せばずっと一緒に居られると思ってた。高校生になっても、大学生になっても、その後もずっと、ずっと、おとぎ話の『めでたしめでたし』のようにメジャーがハッピーエンドに思えてたから。
だから解散して、もうバンドなんかやりたくないと思った。こんな結末が、こんな別れが、こんな淋しい想いをするならもうバンドなんか組みたくないと。だから、ナツが誘ってきたとき拒絶したんだ。でも、本当は本当は嬉しかったんだ、誘ってくれて。もう一度、今度こそ、ずっと一緒に居られる仲間になればと思ってた。
でも、違う。傍から見ていてどんなに仲良くても、どんなに才能があると思ってもいつか別れのときが来るんだって、昨日憧れてた『Cold Ruby』の解散を聞いて思い知らされた。楽しければ、楽しいほど、別れのときがくるのが怖いと思ったんだ。誘われるまま、何となく入部するに至った軽音部が気付くと遥斗の中で大事な居場所になっていたから。昨日のライブ、楽しくて、でも、これをいつか失うと思ったら、怖くなった。部室に行って、メンバーの顔を見るのが『辛い』と思ったんだ。次々と自分の感情がむき出しになっていくと共に遥斗の頬に温かいものが流れていく。
「ご、ごめんっ。きついこと言った。全然、遥斗を責めるつもりじゃなくて、その、ただ遥斗の本心が聞きたかっただけで、泣かすつもりなんてこれっぽっちもなくて・・・」
目の前に座るナツが途端、慌て出す。いつも悠然と構えているこいつでもこんなパニくることがあんだなと遥斗はポロポロと涙をこぼしながら何だか笑いたくなった。
「ね、ね、泣かないで、」
オロオロとどうしていいか分からないといった面持ちで、慌てふためいているナツ。
その困りっぷりが人間臭くて、これまでナツに感じていた見えない壁のようなものが取っ払われた気がした。
「どうしよう、どうしたら泣きやんでくれる?ねえ、土下座でもしたら泣きやんでくれる?腹踊りでもしたら泣きやんでくれる?」
「ブッ」
ナツが腹踊りしてるところを想像して遥斗は思わず吹き出す。その遥斗のリアクションにナツの表情がぱっと明るくなる。
「笑った!良かった、良かった、本当に良かった。ごめん、本当にごめん、責めるようなこといって」
こんこんと机に頭を打ち付けて、謝り続けるナツ。頭ぶつけて、ちょっと馬鹿になればいいのにと遥斗はしょうもないことを考える心の余裕が出来た。
「・・・迎えに来いよ」
「えっ?」
顔を上げたナツが意味を探るように遥斗を見つめてくる。
「だから、迎えに来いよ、明日も明後日も」
「もちろん毎日、毎日迎えに来るよ」
いつもの涼やかな笑顔ではっきりと断言して見せるナツ。「二年になっても、三年になっても、大学生になっても、その先もずっとずっと迎えに来て欲しい」と遥斗は心の中で願掛けのように呟いた。

