連弾Re:スタート

 タン、タン、タタン。タン、タン、タタン。タタン、タン。
 隣から足で刻むリズムを感じ取った遥斗はゆっくりと目を開ける。そのリズムは遥斗が今聴いている曲のリズムと重なっていたから。それが何を意味しているかと言えば、「イヤフォンから音が漏れてますよ」という合図である。要は指摘、もしくは文句を言う代わりにこれ見よがしにリズムを刻んでみせているのであろう。
 「チッ、どんな奴だよ」と遥斗は満員電車の隣に立つ輩に目を向けた。すると清涼飲料水のCMが似合いそうな爽やかな笑みが遥斗の喧嘩腰の視線を受け止める。「ゲッ」思わず遥斗は心の中で悪態を漏らす。よりによって隣人が遥斗と同じ紺色の学生服を着ていたから。おまけに遥斗より頭半分背が高いから恐らく上級生。こんな爽やかで見るからに好青年が言う台詞は容易に想像がついた。「イヤフォンから音が漏れているよ。音楽を楽しむのは良いけど、公共の場では音量に配慮しなくちゃね」とその口から四角四面な優等生的発言が飛び出すのは目に見えている。指摘されなくても分かっていることを敢えて言われると感情を逆なでされるお年頃である。なので、遥斗は爽やか好青年が口を開く前に、満員電車の人込みを縫うようにして、その場から移動し始めた。タイミング良く電車は速度を落とし、遥斗の学校の最寄り駅へと到着しようとしている。ぐいぐいと人の隙間に身体を滑り込ませながら遥斗はドア付近へと進行し続けた。

「おはっよう!」
 遥斗が教室に入り、席に着くなり隣に座る本橋が声を掛けてきた。
「ねえねえ、考えてくれた?部活!!」
 椅子に横座りし、前のめりになって遥斗に問い掛けてくる。
「ああっ?だからさ、『ない』って言ってるだろう、漫研は」
 そう、入学以来、本橋は自分が所属する『漫画研究会』への勧誘を毎日繰り返している。背が低く、頭が大きく分厚いびん底眼鏡を掛けた、いかにも進学校にいそうなステレオタイプキャラ本橋。漫画研究会という部活も余りに似合いすぎていて、笑うしかない。
「ないことないよ!!だってね、三沢は『ブラックホールに吸い込まれたら奴隷生活が待っていた』に出てくる『ギャザリナ姫』にそっくりなんだよ。だから、漫研に来たら絶対人気者になるからさ、だから」
 開け放たれた窓から爽やかな5月の風が吹き込む中、本橋が熱く語るオタク主張を毎度のことながら遥斗が聞き流す、そんなときだった。
「見つけた!!」
 弾けるような声と共に遥斗の席のすぐ横、窓枠を軽々と飛び越えて目の前に何かが飛び込んできた。
「!!」
 その顔を見て、遥斗は目を見開く。電車の中、隣でリズムを刻んでいたあの爽やか好青年ではないか!?
「軽音部に入らないか!!」
 遥斗の顔と二十センチと言った至近距離でいきなりの勧誘。突如、パーソナルスペースに侵入してきたものだから、条件反射でのけ反り、遥斗は危うく椅子から落っこちそうになった。
「な、な、な、何なんだ、お前は!?」
 「軽音部に入らないか」とほざいているので部活の勧誘をしていることは頭では分かる。ただ余りに唐突な出現にそう詰問せずにはいられなかったのだ。
「あっ、ごめん、ごめん。見つけたのが余りに嬉しくて先走っちゃった。一年五組の夏八木仁(なつやぎ じん)です。軽音部でギターやってます。軽音部に入って下さい」
 打って変わって今度は長身を折り曲げ、恭しく頭を下げて懇願してくる夏八木仁とやら。その姿を観察できる冷静さを何とか遥斗は取り戻していた。
「ヤダ」
 極めて端的で的確な返事をする遥斗。
「何で?電車で聴いてたのロックだったでしょ。音楽好きじゃないの?」
「・・・」
 やはりイヤフォンから漏れ出ていた音をこいつはしっかり聴いていたのだ。しかし、まさかそれに反応して部活の勧誘に来られるとは想像もしていなかった。
「・・・音楽を聴くのは好きだけど、聴くだけで十分。自分でしようとは思わない」
 反論しながら、遥斗の頭にカズポン、ケースケ、モリゾーの顔が頭に浮かぶ。もう、主体的に音楽をするのは嫌だ。客観的に聴くだけで良い。遥斗は自分の心の内を改めて見つめ直す。
「・・・楽しいよ、自分で音楽を発信するの」
 言葉とは裏腹にどこか淋しそうな表情になる夏八木。その意外なリアクションに遥斗は言葉に詰まる。
「残念でした!!三沢は漫画研究会に入るから」
 遥斗と夏八木のやり取りを隣で見ていた本橋が突如、割り込んできた。
「えっ?そうなの?」
 夏八木が驚いた顔で遥斗に確認してくる。
「違う、違う!軽音部にも入らないが、漫研にも入らん」
 ここで肯定したら話は早いのかもしれないが、本当に漫研に入部させられる危険があるので遥斗は全力で否定する。
「大体、うちみたいな進学校に『軽音部』なんて不良の部活があること自体おかしいんだよ。ロックなんて勉強のできない社会不適合者が身勝手な不平不満を叫ぶ音楽じゃないか。うちの学校にはそぐわない」
 本橋が青年の主張とばかりに朗々と言い放つ。いわゆる進学校にありがちな見た目だと思っていたが、まさか思想までステレオタイプだとは思わなかった。余りに古臭いその発想に遥斗はぽかんと本橋を見つめる。
「じゃあ、こういうのはどうかな?今度の中間試験、俺が学年一位を取ったら三沢君は軽音部に入るっていうのは」
「ええっ!?」
 遥斗と本橋の驚嘆の声が重なる。
「『ロックをする奴は馬鹿じゃない』って証明してみせようじゃないか」
 にっこりと電車中でも見せた爽やかな笑みで宣言する夏八木。思ってもみなかった提案に遥斗も本橋も返す言葉が見つからない。
「じゃあ、そういうことで」
 軽やかな足取りで今度はちゃんと教室のドアから出ていく夏八木。やっとこさ我に返った遥斗は取り敢えずその背中を追う。
「おい、本気かよ」
 自分の教室へ向かう夏八木の背中に投げ掛ける。
「本気だよ。何だか売られたケンカを買ったみたいになっちゃったけど、俺の本気を証明するいい機会だと思うから」
 堂堂と言って退ける夏八木。
「『俺の本気』って・・・」
「『三沢君と一緒にバンドをしたい』って言う俺の本気」
 射抜くような眼差しで遥斗を真っ直ぐに見てくる。
「何でそこまで・・・」
 夏八木の視線を真っ向から受け止めて、その真意を探ろうとする遥斗。そこには嘘偽りは全く感じられず、ただただ揺るぎない意志だけが伝わってくる。
「・・・『運命』って奴かな」
 ふわりと表情を和らげると、遥斗に軽く手を振って廊下を歩いて行く夏八木。そのすらりとした背中を解せない思いで遥斗は見送るしかなかった。