ファンとして顔向けができない。
そうやって涼原くんを避け始めた。
お昼は、先生に呼び出された、とか、部活でやることがあって、とかいろいろ理由をつけて、放送室に逃げ込んだ。
練習は観に行かなくなったし、最終下校時間も放送していない。
避け始めてから1週間が経ったとき。
放課後、教室を出ようとした俺は、後ろから腕を掴まれた。
振り向くと、涼原くんが眉間に皺を寄せて、俺の腕を掴んでいた。
「…話がある。」
俺は頷いた。
教室から誰もいなくなるまで、涼原くんは、口を開かなかった。
部活に遅らせてしまっているな。
ファンとして失格をまたひとつ増やした俺は、ため息をついた。
俺のため息が思いのほか響いて、涼原くんは顔を上げる。
「なんで俺のこと避けてるんだ?」
直球で聞かれた。
言うことは決まっている。
俺は、アドリブは苦手だけど、原稿があればすらすら読めるのだから。
「…俺は、もうファンじゃないんだ。」
「なんで、急に…」
「涼原くんのせいじゃないよ。俺のせいだから。…ごめん。」
それだけ言って、逃げるように立ち上がる。
背を向けると、また腕を掴まれた。
今度は振り向かない。
「…俺、なんかした?」
「違う。…迷惑だから。」
俺の気持ちも、俺自身も、涼原くんにとって迷惑になる。
ファン失格になったとしても、涼原くんを困らせるなんてことは避けたかった。
そっと腕が離される。
俺は一度も振り向くことなく、走って家に帰った。
******
「まだ避けてんの?」
長い喧嘩だな。呆れたように花房が言う。
「…避けてるわけじゃ」
俺は一応反論を試みるがそこから言葉が続かない。
だって避けてる。
避け始めてから既に一ヶ月経った。
もうすっかり冬だ。
俯く俺の姿を見て、花房はプロテインを一口飲んだ。
「まあ、別にいいけど。…長くは続かねえと思うけどな。」
最後の言葉はプロテインと共に花房の口の中に吸い込まれて、よく聞こえなかった。
陸上部の練習を観にいかない。最終下校時間の放送もしないとなると、俺の人生は、とてつもなく暇になった。
でも、涼原くんのことを知る前はこれが普通だったのだ。
放送室で少し自習して、暗くなり始めたら帰る。
もう5時にもなると暗くなり始める。
涼原くんのことは、できるだけ、目にも耳に入れないようにしていた。
だから、何もわからない。
どんなに練習を頑張っているのかも。
…彼女ができたのかも。
一度だけ、だいぶ寒くなってから、帰り際に校庭をちらりと見たとき、陸上部はいなかった。
「冬になったらオフシーズン」
涼原くんがそう言っていたのを思い出す。
「柊木と出掛けたいんだ。」
約束、破っちゃったな。
「…俺も出掛けたかった」
自分勝手な言葉が、冬の風に紛れて消えた。
******
暗くなってきたから帰ろうと廊下を歩いていると、前から山野先生が走ってきた。
「おう!柊木!今帰りか!」
「はい。先生は…なにか急ぎの用事ですか?」
「いや、涼原が脚を痛めたみたいでな…病院に付き添うんだ。じゃあ、先生は行くから。気をつけて帰れよ!」
「…え、」
あっという間に、山野先生の背中が小さくなる。
俺はしばらくその場を動けなかった。
家に帰って、涼原くんのメッセージを開く。
『大丈夫?』
『怪我したって、山野先生から』
そんなことを打っては消すのを繰り返す。
俺の勝手で避けておいて、送れるわけない。
最悪だ。俺。
勝手に好きになったせいで、涼原くんが苦しい時に何もできない。
枕に顔を埋める。
枕がじんわりと湿ってきた気がした時、「ただいまー!」と母の声が聞こえてきた。
少し息を吐く。そして少し吸う。
「おかえりなさい!」
声は震えなかった。
次の日学校に行くと、涼原くんの姿はまだなかった。
でも、教室のあちこちから涼原くんの名前が聞こえてくる。
「涼原軽い肉離れだってよ。ハムストリングの。」
「軽いならすぐ治るの?」
「軽いって言ったってそんなに簡単じゃねえよ。陸上部の脚だぞ。」
「涼原なんて、中学からやってきて一度も怪我してないんだろ?今回が初めてだから、どれほど影響があるか…」
「少なくとも2週間くらいは練習できねえんだぞ?あいつ毎日欠かさず練習してたのにさ。」
「最近、何かに取り憑かれてるみたいにより練習してたって言ってたしな。オフシーズンなのに。」
「オーバーワークじゃね?」
聞こえてくる言葉の一つ一つが刺さるような心地がして、指先までどんどん冷えていく。
「ー寒い?」
上から降ってきた声に顔を上げると、そこには花房がいた。
「震えてるぞ。」
そう言われて、自分の体が小刻みに震えていたことに気づく。
「ちょっとだけ。冬だから。」
「風邪ひかないようにな。」
そう言って席に座る。
花房は前を向かず、俺をじっと見てくる。
途中までは、下を向いて気がつかないふりをしていたけど、限界がきた。
「何かついてる?俺の顔。」
「涼原、来てたぞ。」
思わず顔を上げる。
「下で会った。あいつ松葉杖ついてて、階段登れないから、エレベーター乗るって。」
「…そっか…」
「大丈夫だって言ってたぞ。」
いつもは何も考えてなさそうな幼馴染が、涼原くんのことはもちろん、俺のことも心配していたのだと気づく。
「ありがとう」
そう言った俺に、花房はいつものように笑った。
松葉杖をついて現れた涼原くんに、教室は騒然となった。
「大丈夫か??」
「痛そう…」
「なんかあったら言えよ。」
そんな言葉の一つ一つに涼原くんは返している。
「おう。大丈夫。」
「見た目ほど重症じゃないんだ。」
「さんきゅ」
俺は、何も言えなくて、俯いていた。
なんで好きになんてなったんだろう。
何度も繰り返したことをまた思う。
******
17時には帰るつもりだったのに、考えすぎていたせいか、気がついたら、最終下校時間になっていた。
誰もいない校舎の中を慌てて走る。
靴箱に着くと、据え置きされた椅子に、誰かが座っているのが見えた。
少しだけ近づくと、松葉杖が置いてあることに気づく。
どうしよう…。
立ち尽くしていると、座っているその背中が、震えているのがわかった。
「…クソッ」
今にも消えそうなその罵倒は何に向けられているのか。
おもむろに拳を挙げて、振り下ろそうとしているのを見たとき。
体が勝手に動いていた。
「柊木…?なんで…」
振り下ろそうとしていた手を握る。
俺は、ファン失格だ。
でも、ファンじゃないものなら、なれるかもしれない。
そして、いつか、また君のファンになりたい。
******
「一緒に帰ろう。」
そう言って、涼原くんと久しぶりに並んで歩く。
「悪い、迷惑だよな。そう言われたのに…。」
そう言う涼原くんのシャツを思わず掴んで立ち止まった。
「涼原くんが迷惑なわけない…。」
聞こえなかったのか、涼原くんは首を傾げる。
きちんと伝わるように。俺は、少し息を吐いて、吸った。
「ごめんなさい。勝手に、ファン辞めるとか言って。勝手に避けて。…俺、友達になれるかな?涼原くんの。」
無理やり口角を上げる
目が熱くならないように、目一杯開いた。
涼原くんは、驚いたような顔をした後、笑った。
「俺は、もう友達なんだと思ってた。」
ごめん。
絶対ちゃんと友達になる。
ちゃんとファンになる。
******
あの夜から、俺はまた、涼原くんとお昼を一緒に食べて、一緒に帰るようになった。
「やっと仲直りしたのかよ〜」
花房はそう言って笑った。
涼原くんは、放課後になると、いつもため息をついた。
「こんなにやることない放課後ははじめてだ。根詰めすぎるなってどこも追い出されるし…。」
「放送室…来る?」
「行ってみたい。」
「放送室ってこんなところにあったんだな…」
「目立たないよね。」
普通の教室とは違う重たいドアを押して開ける。
中に入ると電気つけた。
「ぅわ」
後ろから声が聞こえて振り返る。
涼原くんは片耳を押さえて言った。
「なんか耳が詰まったみたいだ。」
「防音だからね。」
涼原くんは、もの珍しそうにきょろきょろと辺りを見回す。
「すげえ。これ、全部放送で使うのか?」
「使わないものも多いよ。音量調節とかくらいかも。毎回使うのは。」
放送室に入ると、何故かなんとなくひそひそ声になってしまう。
涼原くんを、マイク前の椅子に座らせる。
「すげえ。」
目の前に広がる、たくさんのスイッチや調節バー。
思わずと言ったように、涼原くんが言った。
「これ、ロボレンジャーみたいだな。」
「これ、ロボレンジャーみたいだよね。」
ぴったりと重なった言葉に思わず顔を見合わせる。
どちらからともなく吹き出した。
「涼原くんも見てたんだ。ロボレンジャー。」
「当たり前だ。あれ面白いよな。」
「面白い。あれのコクピットみたいだよね。」
「うん。そんな感じする。秘密基地みたいだな。」
少し暗くて、少し狭い、秘密基地に二人。
「…いつでも来ていいよ。ここだったら叫んでも、泣いても誰もわかんないよ。」
涼原くんが俯く。
「柊木には、情けないとこ見せちまうな。」
「だって俺ら友達じゃん。…それに…」
少し震える自分の手をきつく握りしめる。
「俺は涼原くんのファン一号だから、どんな姿も応援する。」
大丈夫。俺はなるよ。ファン一号に。
涼原くんは俺を見て少し笑った。
「じゃあ、ファン一号にお願いがある。」
「なんでしょう?」
「いつもの、言って。」
「いつもの…?」
「最終下校時間だから。」
「うわ…!本当だ、もうそんな時間?」
慌ててマイクの電源を入れようとして気がつく。
「涼原くんがここにいるんだから、もう聞いてる人いないよ。」
「お願い。俺が聞いてるから。」
真っ直ぐ見つめられては、断れない。
仕方なく、マイクの電源を入れて、いつものように軽く息を吐く。そして吸って口を開いた。
「完全下校の時刻となりました。
残っている生徒は、速やかに帰宅しましょう。
寒い中、今日も一日、お疲れ様でした。」
マイクの電源を落とす。
ちゃんと言ったよ、そう言おうと思って涼原君の方を向くと、見たことが無い顔をしていた。
口元は笑っているのに、眉は切なげに顰められて、涙の膜なんて張ってないのに今にも泣き出しそうに見える。
何かあったのだろうか。
もしかして脚が痛むのだろうか。
慌てて口を開くと、言葉が出る前に、俺の身体が何かに包まれた。
何が起こったのかわからず、思わず開いた口を閉じる。
俺を包む力は強くなって、それが、涼原くんの腕だとわかったのは、彼の髪の毛が俺の頬にあたってることに気づいた時だった。
これは…抱きしめられて、いる?
そう気づいた瞬間顔が熱くなる。
絶対見たくないが、もしここに鏡があったら、俺の顔は、赤べこくらい赤いはずだ。
どうしたらいいのかわからず、アワアワしてると、また涼原くんの腕の力が強まった。
だ、抱きしめられてる、いや、ちょっと待て。
そんなわけない。もしかしたらすごく体調悪いのかもしれない。やっぱり脚が痛いとか…?
そう気づくと、違う意味で焦る。
「…だ」
「え?涼原くん何か言った?大丈夫?脚痛む?」
慌てて声をかける。
声も出せないほど痛めていたらどうしよう。
最悪な想定が頭を駆け巡り始めて、脳がフル回転する。
動けない場合、先生に言えばいいだろうか。
救急車を呼んだほうがいい??
救急車って、番号なんだっけ?
119?911?どっちだっけ???
「好きだ。」
………
「…へ…?」
「好きだ。」
頭の中を駆け巡っていた最悪な想定に急ブレーキがかかる。
フリーズしたり、急にフル回転させたり、急ブレーキをかけたりしたせいで脳みそが回ってる感覚がする。
涼原くんの言葉がちゃんと頭に入ってこない。
何を言ったのだろうか?すき…「好き」?
とりあえず、脚を痛めたわけでは無さそうですほっとする。
…にしても、涼原くんは一体何に「好き」と言ってるのだろうか?
「放送室…?気に入ってもらえてよかった。さっきも言ったけど、いつでも」
「柊木が、好きだ。」
その言葉は、真っ直ぐ頭に響いて、心臓に届く。
届いた瞬間、心臓が止まったかと思った。
「柊木の放送、ずっと聞いてた。
俺の自主練なんて誰も見てないと思ってたから、あの放送が俺に向けられてなくても、嬉しくて。」
「俺のためじゃなくても、嬉しかったのに、柊木が俺のために言ってくれてたんだって知って。本当は、俺、ずっと、柊木のこと好きだ。」
背中に回されている腕の力が強くなる。
「友達になりたいって言ってくれたのにごめん。ファンでいるって約束してくれたのに。俺…柊木とは、恋人になりたい。」
何か言わなきゃ、そう、思うのに、喉に熱い石を詰め込まれたようで、声が出てこない。
こんなの放送部にあるまじき失態だ。
なぜか視界もどんどん歪みだすし。
涼原くんが、そっと俺の顔を覗き込んで、目を見開いた。
その瞬間、何かが目から溢れ落ちた。
涼原くんは、慌てたように俺の頬を拭う。
その手を目から溢れ落ちたものがどんどん濡らしていく。
「ごめん。友達でいたいって言ってくれてたのに。」
その言葉に思いっきり首を振る。
言葉が出ないなら、行動すればいいのだ。
頬にべちゃべちゃ付いてる涙もそのままに、俺は涼原くんの首元に思いっきり抱きついた。
「うおっ!」
驚いた声に、少し笑いが込み上げる。
放送部の役目は、伝えること。
俺は人生史上一番、心から伝えたいことを伝えるために口を開いた。
「俺も好き…!」
声は震えて、鼻は詰まって、最悪な発声だったけど、伝えたい人にきちんと伝わったらしい。
涼原くんは、切れ長の目をこれでもかというくらい丸くさせて、俺を思いっきり抱きしめてくれた。
そうやって涼原くんを避け始めた。
お昼は、先生に呼び出された、とか、部活でやることがあって、とかいろいろ理由をつけて、放送室に逃げ込んだ。
練習は観に行かなくなったし、最終下校時間も放送していない。
避け始めてから1週間が経ったとき。
放課後、教室を出ようとした俺は、後ろから腕を掴まれた。
振り向くと、涼原くんが眉間に皺を寄せて、俺の腕を掴んでいた。
「…話がある。」
俺は頷いた。
教室から誰もいなくなるまで、涼原くんは、口を開かなかった。
部活に遅らせてしまっているな。
ファンとして失格をまたひとつ増やした俺は、ため息をついた。
俺のため息が思いのほか響いて、涼原くんは顔を上げる。
「なんで俺のこと避けてるんだ?」
直球で聞かれた。
言うことは決まっている。
俺は、アドリブは苦手だけど、原稿があればすらすら読めるのだから。
「…俺は、もうファンじゃないんだ。」
「なんで、急に…」
「涼原くんのせいじゃないよ。俺のせいだから。…ごめん。」
それだけ言って、逃げるように立ち上がる。
背を向けると、また腕を掴まれた。
今度は振り向かない。
「…俺、なんかした?」
「違う。…迷惑だから。」
俺の気持ちも、俺自身も、涼原くんにとって迷惑になる。
ファン失格になったとしても、涼原くんを困らせるなんてことは避けたかった。
そっと腕が離される。
俺は一度も振り向くことなく、走って家に帰った。
******
「まだ避けてんの?」
長い喧嘩だな。呆れたように花房が言う。
「…避けてるわけじゃ」
俺は一応反論を試みるがそこから言葉が続かない。
だって避けてる。
避け始めてから既に一ヶ月経った。
もうすっかり冬だ。
俯く俺の姿を見て、花房はプロテインを一口飲んだ。
「まあ、別にいいけど。…長くは続かねえと思うけどな。」
最後の言葉はプロテインと共に花房の口の中に吸い込まれて、よく聞こえなかった。
陸上部の練習を観にいかない。最終下校時間の放送もしないとなると、俺の人生は、とてつもなく暇になった。
でも、涼原くんのことを知る前はこれが普通だったのだ。
放送室で少し自習して、暗くなり始めたら帰る。
もう5時にもなると暗くなり始める。
涼原くんのことは、できるだけ、目にも耳に入れないようにしていた。
だから、何もわからない。
どんなに練習を頑張っているのかも。
…彼女ができたのかも。
一度だけ、だいぶ寒くなってから、帰り際に校庭をちらりと見たとき、陸上部はいなかった。
「冬になったらオフシーズン」
涼原くんがそう言っていたのを思い出す。
「柊木と出掛けたいんだ。」
約束、破っちゃったな。
「…俺も出掛けたかった」
自分勝手な言葉が、冬の風に紛れて消えた。
******
暗くなってきたから帰ろうと廊下を歩いていると、前から山野先生が走ってきた。
「おう!柊木!今帰りか!」
「はい。先生は…なにか急ぎの用事ですか?」
「いや、涼原が脚を痛めたみたいでな…病院に付き添うんだ。じゃあ、先生は行くから。気をつけて帰れよ!」
「…え、」
あっという間に、山野先生の背中が小さくなる。
俺はしばらくその場を動けなかった。
家に帰って、涼原くんのメッセージを開く。
『大丈夫?』
『怪我したって、山野先生から』
そんなことを打っては消すのを繰り返す。
俺の勝手で避けておいて、送れるわけない。
最悪だ。俺。
勝手に好きになったせいで、涼原くんが苦しい時に何もできない。
枕に顔を埋める。
枕がじんわりと湿ってきた気がした時、「ただいまー!」と母の声が聞こえてきた。
少し息を吐く。そして少し吸う。
「おかえりなさい!」
声は震えなかった。
次の日学校に行くと、涼原くんの姿はまだなかった。
でも、教室のあちこちから涼原くんの名前が聞こえてくる。
「涼原軽い肉離れだってよ。ハムストリングの。」
「軽いならすぐ治るの?」
「軽いって言ったってそんなに簡単じゃねえよ。陸上部の脚だぞ。」
「涼原なんて、中学からやってきて一度も怪我してないんだろ?今回が初めてだから、どれほど影響があるか…」
「少なくとも2週間くらいは練習できねえんだぞ?あいつ毎日欠かさず練習してたのにさ。」
「最近、何かに取り憑かれてるみたいにより練習してたって言ってたしな。オフシーズンなのに。」
「オーバーワークじゃね?」
聞こえてくる言葉の一つ一つが刺さるような心地がして、指先までどんどん冷えていく。
「ー寒い?」
上から降ってきた声に顔を上げると、そこには花房がいた。
「震えてるぞ。」
そう言われて、自分の体が小刻みに震えていたことに気づく。
「ちょっとだけ。冬だから。」
「風邪ひかないようにな。」
そう言って席に座る。
花房は前を向かず、俺をじっと見てくる。
途中までは、下を向いて気がつかないふりをしていたけど、限界がきた。
「何かついてる?俺の顔。」
「涼原、来てたぞ。」
思わず顔を上げる。
「下で会った。あいつ松葉杖ついてて、階段登れないから、エレベーター乗るって。」
「…そっか…」
「大丈夫だって言ってたぞ。」
いつもは何も考えてなさそうな幼馴染が、涼原くんのことはもちろん、俺のことも心配していたのだと気づく。
「ありがとう」
そう言った俺に、花房はいつものように笑った。
松葉杖をついて現れた涼原くんに、教室は騒然となった。
「大丈夫か??」
「痛そう…」
「なんかあったら言えよ。」
そんな言葉の一つ一つに涼原くんは返している。
「おう。大丈夫。」
「見た目ほど重症じゃないんだ。」
「さんきゅ」
俺は、何も言えなくて、俯いていた。
なんで好きになんてなったんだろう。
何度も繰り返したことをまた思う。
******
17時には帰るつもりだったのに、考えすぎていたせいか、気がついたら、最終下校時間になっていた。
誰もいない校舎の中を慌てて走る。
靴箱に着くと、据え置きされた椅子に、誰かが座っているのが見えた。
少しだけ近づくと、松葉杖が置いてあることに気づく。
どうしよう…。
立ち尽くしていると、座っているその背中が、震えているのがわかった。
「…クソッ」
今にも消えそうなその罵倒は何に向けられているのか。
おもむろに拳を挙げて、振り下ろそうとしているのを見たとき。
体が勝手に動いていた。
「柊木…?なんで…」
振り下ろそうとしていた手を握る。
俺は、ファン失格だ。
でも、ファンじゃないものなら、なれるかもしれない。
そして、いつか、また君のファンになりたい。
******
「一緒に帰ろう。」
そう言って、涼原くんと久しぶりに並んで歩く。
「悪い、迷惑だよな。そう言われたのに…。」
そう言う涼原くんのシャツを思わず掴んで立ち止まった。
「涼原くんが迷惑なわけない…。」
聞こえなかったのか、涼原くんは首を傾げる。
きちんと伝わるように。俺は、少し息を吐いて、吸った。
「ごめんなさい。勝手に、ファン辞めるとか言って。勝手に避けて。…俺、友達になれるかな?涼原くんの。」
無理やり口角を上げる
目が熱くならないように、目一杯開いた。
涼原くんは、驚いたような顔をした後、笑った。
「俺は、もう友達なんだと思ってた。」
ごめん。
絶対ちゃんと友達になる。
ちゃんとファンになる。
******
あの夜から、俺はまた、涼原くんとお昼を一緒に食べて、一緒に帰るようになった。
「やっと仲直りしたのかよ〜」
花房はそう言って笑った。
涼原くんは、放課後になると、いつもため息をついた。
「こんなにやることない放課後ははじめてだ。根詰めすぎるなってどこも追い出されるし…。」
「放送室…来る?」
「行ってみたい。」
「放送室ってこんなところにあったんだな…」
「目立たないよね。」
普通の教室とは違う重たいドアを押して開ける。
中に入ると電気つけた。
「ぅわ」
後ろから声が聞こえて振り返る。
涼原くんは片耳を押さえて言った。
「なんか耳が詰まったみたいだ。」
「防音だからね。」
涼原くんは、もの珍しそうにきょろきょろと辺りを見回す。
「すげえ。これ、全部放送で使うのか?」
「使わないものも多いよ。音量調節とかくらいかも。毎回使うのは。」
放送室に入ると、何故かなんとなくひそひそ声になってしまう。
涼原くんを、マイク前の椅子に座らせる。
「すげえ。」
目の前に広がる、たくさんのスイッチや調節バー。
思わずと言ったように、涼原くんが言った。
「これ、ロボレンジャーみたいだな。」
「これ、ロボレンジャーみたいだよね。」
ぴったりと重なった言葉に思わず顔を見合わせる。
どちらからともなく吹き出した。
「涼原くんも見てたんだ。ロボレンジャー。」
「当たり前だ。あれ面白いよな。」
「面白い。あれのコクピットみたいだよね。」
「うん。そんな感じする。秘密基地みたいだな。」
少し暗くて、少し狭い、秘密基地に二人。
「…いつでも来ていいよ。ここだったら叫んでも、泣いても誰もわかんないよ。」
涼原くんが俯く。
「柊木には、情けないとこ見せちまうな。」
「だって俺ら友達じゃん。…それに…」
少し震える自分の手をきつく握りしめる。
「俺は涼原くんのファン一号だから、どんな姿も応援する。」
大丈夫。俺はなるよ。ファン一号に。
涼原くんは俺を見て少し笑った。
「じゃあ、ファン一号にお願いがある。」
「なんでしょう?」
「いつもの、言って。」
「いつもの…?」
「最終下校時間だから。」
「うわ…!本当だ、もうそんな時間?」
慌ててマイクの電源を入れようとして気がつく。
「涼原くんがここにいるんだから、もう聞いてる人いないよ。」
「お願い。俺が聞いてるから。」
真っ直ぐ見つめられては、断れない。
仕方なく、マイクの電源を入れて、いつものように軽く息を吐く。そして吸って口を開いた。
「完全下校の時刻となりました。
残っている生徒は、速やかに帰宅しましょう。
寒い中、今日も一日、お疲れ様でした。」
マイクの電源を落とす。
ちゃんと言ったよ、そう言おうと思って涼原君の方を向くと、見たことが無い顔をしていた。
口元は笑っているのに、眉は切なげに顰められて、涙の膜なんて張ってないのに今にも泣き出しそうに見える。
何かあったのだろうか。
もしかして脚が痛むのだろうか。
慌てて口を開くと、言葉が出る前に、俺の身体が何かに包まれた。
何が起こったのかわからず、思わず開いた口を閉じる。
俺を包む力は強くなって、それが、涼原くんの腕だとわかったのは、彼の髪の毛が俺の頬にあたってることに気づいた時だった。
これは…抱きしめられて、いる?
そう気づいた瞬間顔が熱くなる。
絶対見たくないが、もしここに鏡があったら、俺の顔は、赤べこくらい赤いはずだ。
どうしたらいいのかわからず、アワアワしてると、また涼原くんの腕の力が強まった。
だ、抱きしめられてる、いや、ちょっと待て。
そんなわけない。もしかしたらすごく体調悪いのかもしれない。やっぱり脚が痛いとか…?
そう気づくと、違う意味で焦る。
「…だ」
「え?涼原くん何か言った?大丈夫?脚痛む?」
慌てて声をかける。
声も出せないほど痛めていたらどうしよう。
最悪な想定が頭を駆け巡り始めて、脳がフル回転する。
動けない場合、先生に言えばいいだろうか。
救急車を呼んだほうがいい??
救急車って、番号なんだっけ?
119?911?どっちだっけ???
「好きだ。」
………
「…へ…?」
「好きだ。」
頭の中を駆け巡っていた最悪な想定に急ブレーキがかかる。
フリーズしたり、急にフル回転させたり、急ブレーキをかけたりしたせいで脳みそが回ってる感覚がする。
涼原くんの言葉がちゃんと頭に入ってこない。
何を言ったのだろうか?すき…「好き」?
とりあえず、脚を痛めたわけでは無さそうですほっとする。
…にしても、涼原くんは一体何に「好き」と言ってるのだろうか?
「放送室…?気に入ってもらえてよかった。さっきも言ったけど、いつでも」
「柊木が、好きだ。」
その言葉は、真っ直ぐ頭に響いて、心臓に届く。
届いた瞬間、心臓が止まったかと思った。
「柊木の放送、ずっと聞いてた。
俺の自主練なんて誰も見てないと思ってたから、あの放送が俺に向けられてなくても、嬉しくて。」
「俺のためじゃなくても、嬉しかったのに、柊木が俺のために言ってくれてたんだって知って。本当は、俺、ずっと、柊木のこと好きだ。」
背中に回されている腕の力が強くなる。
「友達になりたいって言ってくれたのにごめん。ファンでいるって約束してくれたのに。俺…柊木とは、恋人になりたい。」
何か言わなきゃ、そう、思うのに、喉に熱い石を詰め込まれたようで、声が出てこない。
こんなの放送部にあるまじき失態だ。
なぜか視界もどんどん歪みだすし。
涼原くんが、そっと俺の顔を覗き込んで、目を見開いた。
その瞬間、何かが目から溢れ落ちた。
涼原くんは、慌てたように俺の頬を拭う。
その手を目から溢れ落ちたものがどんどん濡らしていく。
「ごめん。友達でいたいって言ってくれてたのに。」
その言葉に思いっきり首を振る。
言葉が出ないなら、行動すればいいのだ。
頬にべちゃべちゃ付いてる涙もそのままに、俺は涼原くんの首元に思いっきり抱きついた。
「うおっ!」
驚いた声に、少し笑いが込み上げる。
放送部の役目は、伝えること。
俺は人生史上一番、心から伝えたいことを伝えるために口を開いた。
「俺も好き…!」
声は震えて、鼻は詰まって、最悪な発声だったけど、伝えたい人にきちんと伝わったらしい。
涼原くんは、切れ長の目をこれでもかというくらい丸くさせて、俺を思いっきり抱きしめてくれた。
