だいぶ涼しくなってきたこの頃。
俺は、今、取り囲まれています。
調理室で、女子たちに。
事の発端は、俺が、涼原くんに差し入れをしているところを見られてしまったことだ。
ーいつも、差し入れを丁重に断る涼原くんが、差し入れを受け取っている?
ーあいつはなんなんだ?
そう、ざわついたファンの一部の人たちに、調理室に連行された。
こういうのは、校舎裏とか、そういう場所ではないのだろうか。
なぜ調理室なのだろう…
え、もしかして刺される…?
恐ろしい想像が思い浮かび、震えあがる。
「…柊木くん、だっけ?」
「はい!!」
みんな黙りこくっている中、急に口を開いたのは、確か涼原くんのファンクラブを運営している清水さんだ。
清水さんは、下から上に品定めされるように俺を見た。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。
「…柊木くんは、知らないかもしれないんだけど、涼原くんって、普段は差し入れ受け取らないんだよね。」
清水さんの周りの女子たちも頷く。
「涼原くんが、差し入れ受け取ったの初めて見たもんね〜。」
ね〜。と言い合う女子達は、決して声を荒げても、こちらを睨んでもないのに、圧がすごい。
デスヨネデスヨネ。
オレナンカガオカシイデスヨネ!
スミマセンホントニ!
あまりに恐ろしくて、頭の中の自分が壊れたロボットのように喋っている。
「ちょっと柊木くんさあ!」
女の子特有の高い声に、棘が混じった時の恐ろしさと言ったらない。
オワリダ。オレハ、ココデシヌンダ。
思わず目を瞑った瞬間、
ガシ!!!と肩に衝撃を感じて、飛び上がる。
恐る恐る目を開けると、女子たちにさらに近距離で囲まれていた。
「あのさ、柊木くんってさぁ…」
「料理超うまくない?教えて欲しいんだけど!」
「私も!お願いします!」
「「「お願いします!!!」」」
囲まれた女子たちに頭を下げられて、思考が止まる。
よくわからないが、とにかく生きて帰れる一筋の光が差し込んだことは俺にもわかった。
この返答次第で、俺が生きるか、死ぬかが決まるんだ。
俺は同じように頭を下げた。
「あ、あの、こちらこそよろしくお願いします…?」
よかった〜!と言い合う女子たちに、あれよあれよとエプロンを渡される。
今からやるんですか…?とは、とても口に出せない雰囲気に、俺は黙ってエプロンを着用した。
「あ、これもつけて!その長い前髪ちゃんとしまってね!」
三角巾にするバンダナも渡され、一応言われた通り前髪を収納する。
視界が良好になって、不安だ。
この先も不安だ。
「…柊木くんってさぁ」
「はい!!」
「前髪切った方がいいんじゃない?」
「え〜?え、本当だ〜!無いほうがいいじゃん!」
「切ったほうがいいよ〜!」
「ていうか、そのままバンダナつけてたら?」
「たしかに〜。そっちのがかわいいよ。」
口々に言う女子たちにまた囲まれる。
「いや、それは…」
話が止まらない様子に、俺は思わず声を上げた。
「あの!何を、作りましょうか…?」
「そうじゃん!」
「危ない!本来の目的忘れてた〜」
興味が俺の前髪から、料理に移ったことにホッとする。
「…やっぱりさぁ、柊木くんが、涼原くんに渡してた差し入れ?作りたいんだよね〜」
小首を傾げてそう言う清水さんにみんな頷く。
「…じゃあ、クッキー、作りましょうか。」
作るものが決まって、始めたは良いものの、調理は散々だった。
たまごの殻は散乱し、なぜかゴムみたいになるクッキーの生地。焼き上がったクッキーは、きちんと温度と時間を合わせたのに、真っ黒に焦げつき、持ち上げると、ハラハラと崩れ落ちた。
俺たちがクッキーに大敗したときには、もうすでに外が暗くなっていた。
「クッキーって作るの難しいんだね…」
「ね…」
「あの、すみません。俺の教え方が、」
悪かったのかも。そう言葉を続ける前に、清水さんは、勢いよく顔を上げた。
「柊木くん!!」
「はい!!」
「明日も、いや、明日だけではなく、私たちが、無事にクッキーを焼けるまで、指導お願いします!!」
「「「「お願いします!!」」」」
とてもじゃないけど、断れる雰囲気ではなかった。
調理室で、清水さんたちと別れて、急いで放送室に向かう。
今日は、練習、見に行けなかったな、少し胸が痛んだ。
せめて、放送はいつも通りしようと、急いでマイクの前に座る。
「完全下校の時刻となりました。残っている生徒は、速やかに帰宅しましょう。
今日も一日、お疲れ様でした」
放送室から出て、靴箱に向かうと、いつもの場所で涼原くんが待っていた。
「涼原くん!いつも、待たせてごめんね。」
「俺が好きで、柊木のこと待ってるんだ。」
帰ろう。そう笑顔を向けられる。
やっぱり俺の推しは思わせぶりだ。
外に出ると、もうずいぶん肌寒かった。
思わず手を擦り合わせる。
「涼原くんは、まだいくつか大会あるんだよね?」
「秋まではあるな。冬になればオフシーズンだ。」
「そっか。すごいね…」
「冬になれば、少し休みができるから、柊木とどこか行きたい。」
「ぅえ!?俺と…?」
「そう。柊木と。」
嬉しい。思わずそう言おうとして、清水さんたちの姿が頭をよぎる。
「…いや、でも…」
「柊木は嫌か?」
少し寂しそうな顔をした涼原くんに、慌てて首を横に振る。
「なんか、俺は、ただのファンなのに、出掛けるとかいいのかなって…」
「俺は、柊木と一緒にいたいんだ。ファン第一号として、俺のお願い聞いてくれないか?」
顔を覗き込んでくる涼原くんに、小さく頷く。
「良かった。」
涼原くんの顔が見れない。
涼原くんと、俺の間に沈黙が落ちる。
急に、右手を取られて、涼原くんの左手に繋がれた。
「涼原くん…!あの、手…!」
「寒いから。繋いでいいか?」
また小さく頷くことしかできない。
俺の推しは、やっぱり思わせぶりが過ぎる。
******
「柊木、なんか最近モテてるんだって?」
花房はそう言って、卵焼きを口に運んだ。
「柊木、モテてるのか…?」
驚いたような顔の涼原くんに尋ねられる。
「いや、全然モテてないよ。」
自分で言っていて、ちょっと悲しい。
「噂されてるぞ。柊木が調理室でハーレム作ってるって。」
そう言えば、清水さんたちとクッキー作りに挑戦しはじめて、もう3日が経っているのだ。
調理室の様子を誰かがたまたま見ていて、噂になったのかもしれない。
「調理室で…ハーレム…?」
だんだんと涼原くんの顔が険しくなっている。
噂は全くのでたらめだ。
だけど、「俺は一途なんだ」そう言っていた涼原くんの姿を思い出す。
一途な涼原くんにとって、こんな話を聞かされたんじゃ、不快にもなるだろう。
推しに変な話を聞かせた花房を睨んで、噂を否定すべく口を開いた。
「違うよ!クッキー作ってるだけ!」
「「クッキー???」」
綺麗にハモリを奏でた二人に頷く。
「なんで、柊木が女子とクッキー作ってんだよ??調理部と兼部始めたのか?」
意味がわからないとでも言うように、花房が首を傾げる。
説明しようとして、言葉に詰まった。
どこまで言っていいのだろう?
「涼原くんのファンの子にクッキーを作るのを教えている」
と彼女たちが知らないところで言うのは、なんだか告げ口するようで、あまり良くない気がする。
「…クッキー…に目がない人の集まりなんだ。俺がクッキー好きなことがバレて、仲間に入れてもらって…」
自分でも意味のわからない理由を言う。
嘘をつくのは苦手なのだ。
幸い、花房は興味なさげに「ふーん」と呟いた。
涼原くんは、険しい顔のまま黙りこくっている。
やっぱりハーレムと言うのが引っかかったのだろうか。
推しに軽蔑されたかもしれないと思うと胸が痛い。
それに、推しに不快な思いをさせたかもと思うと、申し訳なさが募った。
「あの、涼原くん、本当にハーレムじゃ、」
「最近、練習観に来てくれてないのは、それがあったからか?」
「…うん、そう…。」
「柊木が楽しいなら、それが一番いいと思うけど…俺は少し寂しい。」
その言葉と、寂しそうな顔に慌てる。
まさかそんな寂しい思いをさせてしまっているとは、夢にも思わなかった。
「…っ、もう少し時間がかかるかもしれないけど、最高のクッキーが出来上がったら、一番に持って応援に行くから!」
「…じゃあ、楽しみに待ってる」
涼原くんは、そう言って笑った。
それからクッキーを焼くことに成功したのは、2日後。
クッキーへの挑戦を始めて、5日後のことだった。
「できたー!!!」
「やっとできた…!」
「味見しよ!!」
「う〜ん!これが涼原くんの胃袋を掴んだ味…!!」
「美味しい!!」
「めっちゃ美味しい!!」
クッキーに舌鼓を打つ清水さんたちの姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
ようやく俺はお役御免だ。
約束通り、涼原くんにクッキーを持っていこうと包んでいるときだった。
「これで涼原くんに告白できるねー!!」
そんな言葉が聞こえてきて、思わず振り向く。
清水さんが、俺の肩を叩きながら言った。
「この子さ、涼原くんの好きなもの渡して告白したいって言ってて。それで柊木くんにお願いしたの。」
健気だよね〜!
頑張れ!!
そんな声に囲まれて、真っ赤な顔をした彼女は、
「柊木くんも応援してくれる?」
そう言った。
「う、うん…」
思わず頷いた。
「ありがとう!」
はにかんで笑う彼女を見て、なぜか、胸がチクチクして、息苦しかった。
調理室を出て、放送室まで向かう。
なぜかいつもより、体が重たい。
マイクの前に座って、いつものように、軽く息を吐こうとする。
なんだかうまくいかなくて、結局、そのまま音量を上げた。
放送を終えてから、靴箱に向かうと、いつものように涼原くんが待っていた。
すぐに声をかけることができず、ただその姿を見ていると、涼原くんが気がついて手を挙げた。
「柊木、今日体調悪い?」
二人で並んで歩いていると、唐突にそう聞かれる。
「そんなことないよ!なんで?」
「…放送の声がいつもより元気ない気がした。気のせいならいいんだけど、これ良かったら。」
涼原くんに差し出されたのは、ココアだった。
まだ温かい。
「寒いから、風邪ひかないように。」
「ありがとう…」
いつも通り、駅で別れる。
見えなくなるまで、俺をずっと見送ってくれるその姿を、なぜか真っ直ぐ見れなかった。
「応援してくれる??」
声が脳内に響く。
かわいかったな。すごく涼原くんのことが好きだって伝わってきた。それに、良い人だったし。
涼原くんに、告白したら、付き合うかもしれないな。
想像すると、また心臓のあたりが痛みを訴える。
もし、あの子の告白が成功したとして、そしたら、俺は、涼原くんと今日みたいに一緒に帰ることもなくなるだろう。
今日みたいに、心配してココアを買って待っててくれるなんてこともないし。
俺の姿が見えなくなるまで見送っていてくれることもない。
お昼ご飯だって一緒に食べれないかも。
俺が差し入れしたり、応援に行ったり、そういうのだって迷惑になるかも。
考えれば考えるほど、心臓の痛みが強まっている気がする。
でも、そんなのはおかしい。
俺はファン一号なんだから。
だから、推しの幸せは一番に喜ばなきゃいけない。
推しの幸せは、俺にとっても嬉しいはずなのだ。
今がイレギュラーなだけで、元々はひっそり応援していたのだ。ただ、その頃に戻るだけだ。
「大丈夫」
心臓を押さえて、俺は呟いた。
******
家に帰って、鞄を開けて気づく。
包んだクッキーを、涼原くんに渡し忘れていた。
「約束したのにな…」
明日は、練習を見に行って、そしてクッキーを渡そう。
ファンとして、それくらいならいいはずだ。
そう自分に言い聞かせた。
久しぶりに、グラウンドに来た。
相変わらず、涼原くんのファンがたくさんいる。
隅っこに立って、走っている涼原くんを眺めた。
「…綺麗だな…」
涼原くんはいつだって、綺麗なフォームで走る。
軽やかで、前にぐんぐん進んで、まるでそのまま飛べそうな。
何本か走った後、顧問の先生に、涼原くんは肩を叩かれた。
「少し休憩を入れろ」の合図だろう。
結局、昼も渡せなかったクッキーを、渡しに行こうか迷う。
クッキーを取り出した視界の端に、涼原くんに駆け寄って行く影が見えた。
「応援してくれますか?」
そう、真っ赤な顔をして言っていた昨日の子だ。
涼原くんに寄り添うその姿を見て、体が固まって、動かない。
クッキーを差し出して、真っ赤な顔で何か言っているのが、スローモーションのように見える。
涼原くんは、差し出されたクッキーを受け取った。
あの子は、受け取ってもらったことに、驚いたように、幸せそうに笑う。
まるで映画のワンシーンみたいだ。
それを見てから、俺は記憶がない。
気がついたら、家に帰ってきていた。
******
ベッドにうつ伏せになっても、全く眠れない。
あのワンシーンが、何度も何度も、頭の中を駆け巡る。
「最悪だ…俺…」
ファンとして、推しの幸せは心から喜ぼうと決めていたのに。
あの瞬間、どうしようもなく苦しかった。悲しかった。
涼原くんが、誰かと付き合うかもって思うと、嫌だって叫びそうになった。
「こんなのファンじゃない…」
…俺は、涼原くんのことが好きなんだ。
「最悪だ…」
次の日から、おれは徹底的に涼原くんを避けるようになった。
俺は、今、取り囲まれています。
調理室で、女子たちに。
事の発端は、俺が、涼原くんに差し入れをしているところを見られてしまったことだ。
ーいつも、差し入れを丁重に断る涼原くんが、差し入れを受け取っている?
ーあいつはなんなんだ?
そう、ざわついたファンの一部の人たちに、調理室に連行された。
こういうのは、校舎裏とか、そういう場所ではないのだろうか。
なぜ調理室なのだろう…
え、もしかして刺される…?
恐ろしい想像が思い浮かび、震えあがる。
「…柊木くん、だっけ?」
「はい!!」
みんな黙りこくっている中、急に口を開いたのは、確か涼原くんのファンクラブを運営している清水さんだ。
清水さんは、下から上に品定めされるように俺を見た。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。
「…柊木くんは、知らないかもしれないんだけど、涼原くんって、普段は差し入れ受け取らないんだよね。」
清水さんの周りの女子たちも頷く。
「涼原くんが、差し入れ受け取ったの初めて見たもんね〜。」
ね〜。と言い合う女子達は、決して声を荒げても、こちらを睨んでもないのに、圧がすごい。
デスヨネデスヨネ。
オレナンカガオカシイデスヨネ!
スミマセンホントニ!
あまりに恐ろしくて、頭の中の自分が壊れたロボットのように喋っている。
「ちょっと柊木くんさあ!」
女の子特有の高い声に、棘が混じった時の恐ろしさと言ったらない。
オワリダ。オレハ、ココデシヌンダ。
思わず目を瞑った瞬間、
ガシ!!!と肩に衝撃を感じて、飛び上がる。
恐る恐る目を開けると、女子たちにさらに近距離で囲まれていた。
「あのさ、柊木くんってさぁ…」
「料理超うまくない?教えて欲しいんだけど!」
「私も!お願いします!」
「「「お願いします!!!」」」
囲まれた女子たちに頭を下げられて、思考が止まる。
よくわからないが、とにかく生きて帰れる一筋の光が差し込んだことは俺にもわかった。
この返答次第で、俺が生きるか、死ぬかが決まるんだ。
俺は同じように頭を下げた。
「あ、あの、こちらこそよろしくお願いします…?」
よかった〜!と言い合う女子たちに、あれよあれよとエプロンを渡される。
今からやるんですか…?とは、とても口に出せない雰囲気に、俺は黙ってエプロンを着用した。
「あ、これもつけて!その長い前髪ちゃんとしまってね!」
三角巾にするバンダナも渡され、一応言われた通り前髪を収納する。
視界が良好になって、不安だ。
この先も不安だ。
「…柊木くんってさぁ」
「はい!!」
「前髪切った方がいいんじゃない?」
「え〜?え、本当だ〜!無いほうがいいじゃん!」
「切ったほうがいいよ〜!」
「ていうか、そのままバンダナつけてたら?」
「たしかに〜。そっちのがかわいいよ。」
口々に言う女子たちにまた囲まれる。
「いや、それは…」
話が止まらない様子に、俺は思わず声を上げた。
「あの!何を、作りましょうか…?」
「そうじゃん!」
「危ない!本来の目的忘れてた〜」
興味が俺の前髪から、料理に移ったことにホッとする。
「…やっぱりさぁ、柊木くんが、涼原くんに渡してた差し入れ?作りたいんだよね〜」
小首を傾げてそう言う清水さんにみんな頷く。
「…じゃあ、クッキー、作りましょうか。」
作るものが決まって、始めたは良いものの、調理は散々だった。
たまごの殻は散乱し、なぜかゴムみたいになるクッキーの生地。焼き上がったクッキーは、きちんと温度と時間を合わせたのに、真っ黒に焦げつき、持ち上げると、ハラハラと崩れ落ちた。
俺たちがクッキーに大敗したときには、もうすでに外が暗くなっていた。
「クッキーって作るの難しいんだね…」
「ね…」
「あの、すみません。俺の教え方が、」
悪かったのかも。そう言葉を続ける前に、清水さんは、勢いよく顔を上げた。
「柊木くん!!」
「はい!!」
「明日も、いや、明日だけではなく、私たちが、無事にクッキーを焼けるまで、指導お願いします!!」
「「「「お願いします!!」」」」
とてもじゃないけど、断れる雰囲気ではなかった。
調理室で、清水さんたちと別れて、急いで放送室に向かう。
今日は、練習、見に行けなかったな、少し胸が痛んだ。
せめて、放送はいつも通りしようと、急いでマイクの前に座る。
「完全下校の時刻となりました。残っている生徒は、速やかに帰宅しましょう。
今日も一日、お疲れ様でした」
放送室から出て、靴箱に向かうと、いつもの場所で涼原くんが待っていた。
「涼原くん!いつも、待たせてごめんね。」
「俺が好きで、柊木のこと待ってるんだ。」
帰ろう。そう笑顔を向けられる。
やっぱり俺の推しは思わせぶりだ。
外に出ると、もうずいぶん肌寒かった。
思わず手を擦り合わせる。
「涼原くんは、まだいくつか大会あるんだよね?」
「秋まではあるな。冬になればオフシーズンだ。」
「そっか。すごいね…」
「冬になれば、少し休みができるから、柊木とどこか行きたい。」
「ぅえ!?俺と…?」
「そう。柊木と。」
嬉しい。思わずそう言おうとして、清水さんたちの姿が頭をよぎる。
「…いや、でも…」
「柊木は嫌か?」
少し寂しそうな顔をした涼原くんに、慌てて首を横に振る。
「なんか、俺は、ただのファンなのに、出掛けるとかいいのかなって…」
「俺は、柊木と一緒にいたいんだ。ファン第一号として、俺のお願い聞いてくれないか?」
顔を覗き込んでくる涼原くんに、小さく頷く。
「良かった。」
涼原くんの顔が見れない。
涼原くんと、俺の間に沈黙が落ちる。
急に、右手を取られて、涼原くんの左手に繋がれた。
「涼原くん…!あの、手…!」
「寒いから。繋いでいいか?」
また小さく頷くことしかできない。
俺の推しは、やっぱり思わせぶりが過ぎる。
******
「柊木、なんか最近モテてるんだって?」
花房はそう言って、卵焼きを口に運んだ。
「柊木、モテてるのか…?」
驚いたような顔の涼原くんに尋ねられる。
「いや、全然モテてないよ。」
自分で言っていて、ちょっと悲しい。
「噂されてるぞ。柊木が調理室でハーレム作ってるって。」
そう言えば、清水さんたちとクッキー作りに挑戦しはじめて、もう3日が経っているのだ。
調理室の様子を誰かがたまたま見ていて、噂になったのかもしれない。
「調理室で…ハーレム…?」
だんだんと涼原くんの顔が険しくなっている。
噂は全くのでたらめだ。
だけど、「俺は一途なんだ」そう言っていた涼原くんの姿を思い出す。
一途な涼原くんにとって、こんな話を聞かされたんじゃ、不快にもなるだろう。
推しに変な話を聞かせた花房を睨んで、噂を否定すべく口を開いた。
「違うよ!クッキー作ってるだけ!」
「「クッキー???」」
綺麗にハモリを奏でた二人に頷く。
「なんで、柊木が女子とクッキー作ってんだよ??調理部と兼部始めたのか?」
意味がわからないとでも言うように、花房が首を傾げる。
説明しようとして、言葉に詰まった。
どこまで言っていいのだろう?
「涼原くんのファンの子にクッキーを作るのを教えている」
と彼女たちが知らないところで言うのは、なんだか告げ口するようで、あまり良くない気がする。
「…クッキー…に目がない人の集まりなんだ。俺がクッキー好きなことがバレて、仲間に入れてもらって…」
自分でも意味のわからない理由を言う。
嘘をつくのは苦手なのだ。
幸い、花房は興味なさげに「ふーん」と呟いた。
涼原くんは、険しい顔のまま黙りこくっている。
やっぱりハーレムと言うのが引っかかったのだろうか。
推しに軽蔑されたかもしれないと思うと胸が痛い。
それに、推しに不快な思いをさせたかもと思うと、申し訳なさが募った。
「あの、涼原くん、本当にハーレムじゃ、」
「最近、練習観に来てくれてないのは、それがあったからか?」
「…うん、そう…。」
「柊木が楽しいなら、それが一番いいと思うけど…俺は少し寂しい。」
その言葉と、寂しそうな顔に慌てる。
まさかそんな寂しい思いをさせてしまっているとは、夢にも思わなかった。
「…っ、もう少し時間がかかるかもしれないけど、最高のクッキーが出来上がったら、一番に持って応援に行くから!」
「…じゃあ、楽しみに待ってる」
涼原くんは、そう言って笑った。
それからクッキーを焼くことに成功したのは、2日後。
クッキーへの挑戦を始めて、5日後のことだった。
「できたー!!!」
「やっとできた…!」
「味見しよ!!」
「う〜ん!これが涼原くんの胃袋を掴んだ味…!!」
「美味しい!!」
「めっちゃ美味しい!!」
クッキーに舌鼓を打つ清水さんたちの姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
ようやく俺はお役御免だ。
約束通り、涼原くんにクッキーを持っていこうと包んでいるときだった。
「これで涼原くんに告白できるねー!!」
そんな言葉が聞こえてきて、思わず振り向く。
清水さんが、俺の肩を叩きながら言った。
「この子さ、涼原くんの好きなもの渡して告白したいって言ってて。それで柊木くんにお願いしたの。」
健気だよね〜!
頑張れ!!
そんな声に囲まれて、真っ赤な顔をした彼女は、
「柊木くんも応援してくれる?」
そう言った。
「う、うん…」
思わず頷いた。
「ありがとう!」
はにかんで笑う彼女を見て、なぜか、胸がチクチクして、息苦しかった。
調理室を出て、放送室まで向かう。
なぜかいつもより、体が重たい。
マイクの前に座って、いつものように、軽く息を吐こうとする。
なんだかうまくいかなくて、結局、そのまま音量を上げた。
放送を終えてから、靴箱に向かうと、いつものように涼原くんが待っていた。
すぐに声をかけることができず、ただその姿を見ていると、涼原くんが気がついて手を挙げた。
「柊木、今日体調悪い?」
二人で並んで歩いていると、唐突にそう聞かれる。
「そんなことないよ!なんで?」
「…放送の声がいつもより元気ない気がした。気のせいならいいんだけど、これ良かったら。」
涼原くんに差し出されたのは、ココアだった。
まだ温かい。
「寒いから、風邪ひかないように。」
「ありがとう…」
いつも通り、駅で別れる。
見えなくなるまで、俺をずっと見送ってくれるその姿を、なぜか真っ直ぐ見れなかった。
「応援してくれる??」
声が脳内に響く。
かわいかったな。すごく涼原くんのことが好きだって伝わってきた。それに、良い人だったし。
涼原くんに、告白したら、付き合うかもしれないな。
想像すると、また心臓のあたりが痛みを訴える。
もし、あの子の告白が成功したとして、そしたら、俺は、涼原くんと今日みたいに一緒に帰ることもなくなるだろう。
今日みたいに、心配してココアを買って待っててくれるなんてこともないし。
俺の姿が見えなくなるまで見送っていてくれることもない。
お昼ご飯だって一緒に食べれないかも。
俺が差し入れしたり、応援に行ったり、そういうのだって迷惑になるかも。
考えれば考えるほど、心臓の痛みが強まっている気がする。
でも、そんなのはおかしい。
俺はファン一号なんだから。
だから、推しの幸せは一番に喜ばなきゃいけない。
推しの幸せは、俺にとっても嬉しいはずなのだ。
今がイレギュラーなだけで、元々はひっそり応援していたのだ。ただ、その頃に戻るだけだ。
「大丈夫」
心臓を押さえて、俺は呟いた。
******
家に帰って、鞄を開けて気づく。
包んだクッキーを、涼原くんに渡し忘れていた。
「約束したのにな…」
明日は、練習を見に行って、そしてクッキーを渡そう。
ファンとして、それくらいならいいはずだ。
そう自分に言い聞かせた。
久しぶりに、グラウンドに来た。
相変わらず、涼原くんのファンがたくさんいる。
隅っこに立って、走っている涼原くんを眺めた。
「…綺麗だな…」
涼原くんはいつだって、綺麗なフォームで走る。
軽やかで、前にぐんぐん進んで、まるでそのまま飛べそうな。
何本か走った後、顧問の先生に、涼原くんは肩を叩かれた。
「少し休憩を入れろ」の合図だろう。
結局、昼も渡せなかったクッキーを、渡しに行こうか迷う。
クッキーを取り出した視界の端に、涼原くんに駆け寄って行く影が見えた。
「応援してくれますか?」
そう、真っ赤な顔をして言っていた昨日の子だ。
涼原くんに寄り添うその姿を見て、体が固まって、動かない。
クッキーを差し出して、真っ赤な顔で何か言っているのが、スローモーションのように見える。
涼原くんは、差し出されたクッキーを受け取った。
あの子は、受け取ってもらったことに、驚いたように、幸せそうに笑う。
まるで映画のワンシーンみたいだ。
それを見てから、俺は記憶がない。
気がついたら、家に帰ってきていた。
******
ベッドにうつ伏せになっても、全く眠れない。
あのワンシーンが、何度も何度も、頭の中を駆け巡る。
「最悪だ…俺…」
ファンとして、推しの幸せは心から喜ぼうと決めていたのに。
あの瞬間、どうしようもなく苦しかった。悲しかった。
涼原くんが、誰かと付き合うかもって思うと、嫌だって叫びそうになった。
「こんなのファンじゃない…」
…俺は、涼原くんのことが好きなんだ。
「最悪だ…」
次の日から、おれは徹底的に涼原くんを避けるようになった。
