あっという間に、文化祭当日がやってきた。
当日になってしまえば、写真部はそれほどやることがない。展示室の案内兼見張り番みたいなものを交代で行うくらいだ。俺の当番は午後2時からになっている。
とりあえず、朝一で自分の写真が展示室に希望通りに飾られているのを確認する。
俺の写真は地元の湘南の海。”朝焼け””白昼””夕暮れ”の三部作。海と空と太陽と砂浜とが相まって、それぞれがそれぞれに美しい景色を作り出していた。まあ、俺に今撮れる精一杯なんだと思う。
ふと、亮はこの写真どう思うかな、なんてことが頭をかすめる。
時計を見ると、そろそろ体育館に行った方が良さそうだった。亮と作ったパンフレットを手に持って、演劇部の舞台を見るために体育館に向かった。
「ロミオとジュリエット」はプログラムの一番初め、9時30分からだ。一年生からの発表になるのは、まあ順当と言える。
一年生の次が二年生、そしてトリが三年生だ。
体育館に着くと、もう人がごった返していた。
所狭しと並べられたパイプ椅子が殆ど埋まっている。
なんだ、演劇部ってこんなに人気があったのか。うちの学校の生徒はもちろん、他校生もいるみたいだし。父兄らしき人の姿もみえる。
俺と亮で作ったポスターは、学校内だけではなく駅や地方の掲示板などにも貼り出してあった。それも一役買っているのかもしれない。
ポスターは各学年一種類ずつ。俺の撮った写真にキャッチコピーが付いている。
なんてったって、その一年生のポスターには亮演じるイケメンロミオが、長谷川さん演じるキュートジュリエットを抱きかかえてる写真が使われていた。
今の時代、セキュリティー面を考えて、顔はあまり見えないような角度の写真にはなっていたけれど。でも、亮と長谷川さん見たさにつめかけた人も多いんじゃないだろうか。
――そう、うん。本当に二人は絵になる。
羨ましいくらいにお似合いだよな。
俺は、演劇部の生徒たちが確保しておいてくれた前方右端の椅子に座った。
手に持った「ロミオとジュリエット」のパンフレットを開きながら考える。
俺、なんか中途半端だよな。
あれきり、亮にしっかり断ってもいないし。
うん、やっぱり、もう一度はっきりしないといけないな。
これから始まろうとする「ロミオとジュリエット」の舞台を前に、そう決心した。
演劇部一年生総出で演じた「ロミオとジュリエット」は、何と言って良いのだろう。
圧巻だった。あまり本格的な演劇を見たこともないけれど、すっかり感情移入してしまった。
大げさな身振り手振り、大げさなセリフ。でも、それが可笑しくない。その表現でこそ伝わる感情がある。そこに“ロミオ”が“ジュリエット”が存在していた。
悲劇として有名なこの作品。
ロミオがジュリエットと愛を育んだ日々は幻のように輝いている。
それでいて、生い立ちを含む二人の運命は過酷であり、その中で懸命にお互いを思いやる二人は苦しくて悲しくて美しい。
舞台の上、ジュリエットがロミオを見つめる、愛おしくてたまらないというような瞳。
その瞳を見ていると、ふと、現実に戻された。
そうだ、あれは、長谷川さんだ。
あ、ああ、上手いな、長谷川さん。本当にロミオに恋しているようだ。
ロミオも、うん。さすが、演劇やりたいって言ってただけあって、亮のロミオは信じられないほど魅力的だった。
もともとの容姿もあり、セリフや表情も動きも何もかもが、ロミオそのものだった。
そのロミオがジュリエットに愛を囁いている。
何となく、心臓の辺りが苦しくなってくる。
感情移入も甚だしいが、胸がきゅうっと小さく叫んでいる。
それでも、我を忘れたように見入っていた。
物語の最後、舞台の上には死を装ったジュリエットが横たわっている。ロミオはジュリエットが本当に死んでまったと思い込む。
「ジュリエット、何で、なんでこんな」
ロミオの悲痛な声がこだまする。
ジュリエットを追って自ら死を選んだロミオ。
ロミオがジュリエットを抱きかかえるようにして、息絶える。
目を覚ましたジュリエットが起き上がって、傍らに横たわるロミオを見る。
「ロミオ!」
ジュリエットが叫んでいる。
ロミオが息絶えていることを知り、今度こそ本当に自殺してしまう。
永遠の愛を誓った二人は、あの世で結ばれたのだろうか。
素晴らしかった。
これが感動っていうのか?こんな学校の文化祭でこんなにやるせない辛い気分にさせられるなんて思っても見なかった。
拍手が鳴り響く。
舞台の幕が下りる。
そして、次に幕が上がった時には、役者が一列に並んでいた。
中央に立つロミオとジュリエット。亮と長谷川さんだ。
懸命に拍手をしていた。すごかった。すごかったよ、二人とも。
なにやら、亮の視線が客席をさまよっている。
パタッとそれが俺を見て止まった。
嬉しそうに目じりを細めて俺を見た。軽く手を振っている。
いや、待て。ちょっと、なんか照れるっていうか気恥ずかしい。
ああ、でも、皆気付いていないな。まあ、今回の舞台のヒーローである亮が、特定の誰かに手を振るなんてありえないからな――とみんな思っているだろう。
ふと、長谷川さんが亮の袖を引っ張った。
亮が長谷川さんの方を向く。
二人で、何か言って、微笑みあった。
え?そうだよ。
うん。自然な流れだよ。お互いやり遂げた達成感が溢れ出ている。
そして、視線を交わし合う、ロミオとジュリエット。
亮と長谷川さん。
ほら、お似合いだよ。
なんでだろう。
懸命に目を逸らしていた。
気付けば、下を向いて、じっと体育館の床を見つめていた。
次の瞬間には静かにパイプ椅子から立ち上がると、顔を伏せたまま小走りに体育館の壁に沿って出口に向かっていた。
みんな、舞台の興奮冷めやらぬって感じで、俺のことを気にかける人もいなかっただろう。
走っているうちに、自然と足が写真部の部室に向いてしまっていた。
幸い、部室には誰もいなかった。
部員は写真部の展示室にいるか、文化祭の他の出し物を見てまわっているのだろう。
俺は大きめの机に並べられている椅子の一つに座り込んだ。目の前の机に両肘をつくと、その手で自分の顔を覆う。
俺、どうしたんだろう。
――すうっと血の気が引いたように頭がぼうっとしている。さっきからずっと胸が苦しい。痛い。
これは、なんだ?
なぜかぼんやりと霞んでいる視界の中で自問自答する。
舞台の上、亮と長谷川さんが笑い合ってた。信頼するかのようにお互い頷いていた。楽しそうに話していた。
ロミオとジュリエットじゃなかった。
亮と長谷川さんだった。
その時、長谷川さんが見ていたのは亮で、亮が見ていたのは長谷川さんだった。
俺、じゃなかった。
俺は、その舞台に居なかった。
――そうだよ。俺は初めから、演劇部に入ることを断ったじゃないか。
亮があんなに頼んでたのに。
亮のそばにいることを俺は自分で拒否したんだ。
だから、今、亮の隣にいるのが俺じゃなくても、そう、長谷川さんでも文句なんて言えない。
「悠斗!」
その声と共に、バンっと部屋の扉が開いた。
息を切らした亮が入って来る。
「悠斗、どうした?」
そう言いながら駆け寄ってくる。
そばまで来た亮が、見上げる俺の顔を見て動きを止めた。
「悠斗……なんかあったのか? 」
静かな心配そうな声で俺の頬に右手を添えた。
その時、やっと気が付いた。
俺、泣いていたらしい。
情けない。何してんだよ、俺。
「亮。演劇部はいいのか?」
「悠斗」
「ロミオが抜けてきちゃダメだろ」
「大丈夫。もう、次の二年生の準備に入っているから」
「ああ、そうか」
「悠斗」
亮はさっきから、俺の名前しか言わない。
隣にしゃがみ込んで、両手で俺の頬を包むようにした。
「何かあったのか?劇が嫌だったのか?」
「そんな訳あるか」
「じゃあ、何?なんで、すぐに居なくなっちゃったんだよ」
ああ、気付いていたんだ。俺が体育館から出て行ったの。
「うん。逃げてきた」
「は?」
もう、白状しよう。
だって、俺、こいつにこんな自分の頬を両手で掴まれて、目の前で見つめられて、嫌じゃないんだから。
こうやって、俺を見ていてくれる亮がここにいてくれることが嬉しいんだから。
「亮と長谷川さんから逃げてきた」
「どういうことだよ」
「仲良さそうだったからさ」
「だから、長谷川さんとは何でもないって」
イラっとしたような、亮の声音。
俺はちょっと目を伏せて言葉を続けた。
「仲良さそうで、当たり前のように長谷川さんが亮の隣にいて。二人で笑ってて」
「だって、あれは舞台挨拶で」
「うん。分かってる。でも、見ていたくなかったんだ」
「……?」
「なんで、亮の隣にいるのが俺じゃないのかなって」
「悠斗……」
「亮の隣は俺だからって」
「……」
「自分で、びっくりするほど嫌だった。二人を見てるの」
亮を上目遣いに見て、無理やり笑ってやった。
「あ……」
亮が声にならない声を上げた。次の瞬間にはぎゅっと抱き締められていた。
亮が俺の隣に座り込んだまま、俺の胸に顔をうずめるようにして両腕で俺を羽交い絞めにしている。
「亮、ちょっと苦しい。亮」
ポンポンっとつむじの見えている頭を叩いたけれど、一向に緩まる気配がない。
「すげー嬉しい」
堪えきれないように亮がぼそっと呟いた。
「嬉しい?」
「あたりまえだろ。俺の苦労と我慢なんだと思ってるんだよ。俺の心の中を開いて悠斗に見せてやりたい」
ははっと俺は笑った。
亮は俺の顔を見て「やっぱ、可愛い」なんて言う。
そう言えば、初めに会った日にもそんなこと言っていたななんて思う。
「いい?」
亮が俺の顔を下から見上げながら掠れた声を出す。
なにが?っていう暇もなく、切れ長の瞳が近づいてきた。
口に触れる柔らかい感触。
今度はびっくりしなかった。っていや、したさ。
でも、まあ。うん。ちょっと、心臓のドキドキがうるさくてしかたがない。
亮の指先で触れられた目尻がくすぐったくて、ぎゅって目を閉じた。

