そうして一か月が経ち、亮はあっという間にクラスの、いや、学校中の人気者になっていた。
亮の席は隣だから、首を回して横を見れば大抵そこにいる。
でも、休み時間はいつも、男女問わず大勢の人が亮の周りを囲んでいる。なんか、亮が人の壁に囲まれているみたいで、近くにいるのにやたらと遠く感じる。
隣にいるのに、手を伸ばしても届かないんじゃないかと思えてくる。
「亮くん。今日の小テストの勉強してきた?」
「いや、してるわけないだろ」
「得意な科目ってなに?」
「体育かな」
「昨日の配信見た?」
「あ、ああ、見たよ」
ころころと話題が変わる。誰ということもなく、皆に話を合わせている亮がいる。
つい、聞き耳を立ててしまっている自分に気付いて思わずため息がでた。
はあ。そうだよ。次の教科は日本史で、小テストがあるんだよ。
――勉強しよう。勉強。
気分を変えようと軽く頭を振って、机の下の棚から日本史の教科書を取り出した。
机の上に置いた教科書に手を添えながら、もう一度屈みこんで、机の下を覗き込む。
ええっと、筆箱はどこにいったかな。
――え?なに?
ふいに、机の上にある俺の右手に変な感触があった。
手の上から何か生暖かいものが覆いかぶさっているような。
って、おい。ぎゅっと、そのまま握られた俺の右手。
慌てて、顔を上げてその手を見ると、案の定、誰かの手が俺の手を上から抑え込むようにしていた。
分かってる。そうだよ。亮だよ。
俺はその手から徐々に視線を上げて、にやっと片方の唇の端を上げている亮の顔を見た。
「……何やってんだよ」
低い声が出た。
「なんかさ。悠斗、拗ねてたみたいだから」
「はあ?」
「違うか。ま、そうだよな――うん」
亮が少し諦めたように瞳を細める。
「だから、何なんだよ」
変な罪悪感に駆られて、ちょっと戸惑うような声が口から洩れる。
「今日さ、ぜんぜん悠斗と話してないじゃん」
「そうか?」
「そうだよ。だからさ」
そう言って、重ねられた手にぎゅっと力を入れられる。
「どうして、それがこうなるんだよ」
「だって、悠斗の手が机の上にあったから」
「そこに山があったから、みたいに言うな」
だいたいさ、今まで話していた取り巻きたちどうしたんだよっと思って、辺りを見回す。
さっきまでの喧騒はなかったかのように、みんな席について各々勉強したりおしゃべりしたりしていた。
「あ、あれ?さっきまで話してたよな。みんなどうしたんだ?」
「いったん解散してもらった」
「は?」
「あのままだと、悠斗と話せないじゃん」
「なに?俺に話があったのか?」
「いっぱいある。いつもある」
「なんだそれ」
「だって、悠斗の顔見たいし、声聞きたいし」
「――――っ」
時々、亮はこんなことを言う。だから、誰かれ構わす好きになられちゃうんだろうが。
こいつ、ストーカーとかされて困ったりしないんだろうか。
ああ、今だってクラス中の視線を感じるよ。みんな、見てないふりしてしっかり見ているじゃんか。
「お前も大変だな。人気者はつらいよな」
「はは」
いつになく、亮が変な笑い方をする。
「もしかして、ほんとに辛いのか?」
「え?」
「みんなに合わせるのも大変だろ」
「ああうん」
「まあ、さ。そしたら、俺のことダシに使っていいよ。俺がお前と話したいってわがまま言ってるみたいな?」
「悠斗」
「そうだよな。いつも見られてるって大変だよな」
「悠斗。ありがと」
「へへ」
なんか、亮が神妙な顔をしている。心なしか黒い瞳が歪んで大きくみえる。あ、もしかして涙ぐんでないか?いや、気のせいか。それにしても、まつげ長いなこいつ。
「でもさ、大丈夫。俺、悠斗と話したいときには、他の奴のことなんか気にしないから」
「亮」
「俺、悠斗といると気分がふわっと軽くなるんだ」
そう言って、亮が文字通りふわっと嬉しそうに微笑んだ。
俺もちょっと照れくさくなって、ごまかすように笑うと、視線を机の上に戻した。
そこには、忘れかけていたが、亮に握られたままの俺の手があった。なんか、話の都合上、振り払えないでいる。
亮が俺の指をいじりながら、気分を変えるように口を開いた。
「なあ、悠斗。夏休み明けには学園祭があるじゃん」
「うん」
「ほら、演劇部は舞台やるからさ」
「ああ、そうだよな」
「練習、始まってるんだよな」
「そうなんだ」
「うん」
「どうせ、さっそく良い役もらえそうなんだろ」
「ははっ。高校一年生の出し物は毎年決まってるらしくて、ベタに“ロミオとジュリエット”なんだ」
「ベタだな……あ、でも、学年ごとでやるんだ」
「そう。人数がけっこう多いから」
「ふうん」
「で、さ。写真、撮りにきてよ」
ふいに、亮が机の横にしゃがみ込む。俺の右手は亮の片手だけじゃなくて両手で包み込まれていた。
「――亨」
「ん?」
「手、離せよ。何やってんだよ」
「ええ――」
俺の机の横から顔を出すようにしながら、不満そうな声を出す。
「おかしいだろ」
「おかしくないよ。だって、写真撮りに来てってお願いしてるんだから」
切れ長のしっかりした綺麗な瞳で、俺を見上げてくる。
ぐっと、喉が詰まる。
やっぱり、こいつの距離感がバグってる。絶対おかしい。
「分かったよ。撮りに行くから。演劇部の稽古風景撮り行けばいいんだろ」
「うん。俺の稽古、撮りに来て」
「分かったよ。そのうち行くから」
「そのうち?」
「そのうち」
「そのうち?」
「――分かったよ。明日にでも、カメラ持って行く」
「やった」
ニコッと見事に左右対称の顔のバーツをバランスよく持ち上げるようにして笑う。満足げに、亮がゆっくりと立ち上がった。
それと同時に、日本史の先生が教室に入ってきた。
亮が両手で包んだままだった俺の手をぎゅっと握ってから、自分の席に戻って行った。って言っても、隣だけど。
ガタガタと椅子を鳴らして椅子に座ると、俺の方に顔を向けて小声で「ぜったいだぞ」なんて言って嬉しそうに目を細めた。
次の日は朝からずっと、隣の席からの視線がプレッシャーだったのは言うまでもない。
「先行ってるからな。来いよな」
授業が終わって放課後になると、亮はそう言い残して教室を出て行った。
いつも、演劇部の練習は体育館の舞台上で行われている。
俺は写真部の部室に寄って、ロッカーからカメラや必要な機材を持ち出すと体育館へ向かった。
体育館の大きな両開きのドアをくぐると、途端にもわっと言う空気に包まれる。熱気と共に館内に響く大小さまざまな声。
目の前では、バスケ部が練習していた。その奥にはバトミントン部。そして最奥の舞台の上に、演劇部の部員らしき人が20人ほどパラパラと見えた。
膝の曲げ伸ばしのような準備運動をしているようだ。
体育館の端をそそくさと早足で歩きながら、奥の演劇部に向かう。
なんだあいつという視線をバスケ部やらバトミントン部の面々から感じながら、やっとの思いで舞台袖までたどり着いた。
「あ、悠斗」
良く通る声が響いた。
演劇部員の視線が俺に集まる。
うわぁっと思って戸惑っていると、さらに「こっちこっち」という声。
亮が舞台の上で柔軟をしながら、右手を大きく振っていた。
おずおずと、近場にいた演劇部員たちに「こんにちは、ども」って感じで頭を下げる。
亮の後ろの方に長谷川さんもいた。
結局、長谷川さんは演劇部に入った。
まあ、なかなか断れないだろう。特別やりたいことがなければ、あのコミュニケーション抜群でイケメンの亮に誘われれば、殆どの奴はコロっといっちゃうんじゃないかな。
もしかして、一年のほぼ全員が亮に声を掛けられて入部してきたのかもしれないな。
そんなことを思っていると、亮が立ち上がって俺の方にやってきた。
俺の肩に手をやって引き寄せると、部員に向き直る。
「こいつ、篠崎悠斗。この間言っていた写真部の奴で、演劇部の写真を撮って、学園祭の宣伝をしてくれることになってます」
え?あ、そう言うことになってるんだ。
俺は亮を振り仰いだ。亮の横顔が目に入る。殆どが先輩だろう部員に向かって堂々と話を続けていた。
まあ、そうだよな。そうでも言わないと写真を撮りに来る理由もない。
そんな紹介もあって、部員のみんなは歓迎してくれた。俺はあるていど自由に稽古の写真を撮っていいことになった。

