ロミオは俺のロミオだから

 うわ、まじか。この席、詰んでる。
 呆然と目の前の教卓を見つめた。

 高校1年の4月。
 入学してから二週間ほど続いた諸々の行事も終わり、今日から正式に授業が始まる。
 やっと少し落ち着いてきた教室では、さっそく席替えがあった。まあ、出席番号順って、いつも同じ人が同じ位置に来るから。うん、席替えには賛成だ。
 それなのに、何と言うか、くじ運悪く、一番前の席、それも教卓の真ん前に陣取ってしまった。
 目の前には、冷たいスチール製の幕版と言われる教卓の脚を囲む板が迫っている。

 「……か……な」
 入学早々、運の悪さに愕然としていると、ぼそっとした声が聞こえたような気がした。
 くるっと首を右に回してその方向を見る。
 うわっ――。
 思わず、ばちくりとまばたきをしてしまった。
 そこにあったのは、あまりに整った顔。寝そべるように机に突っ伏して、顔だけが俺に向けられている。その気だるげそうな瞳が俺をじっと見ていた。黒々としたまつげに縁取られた大きな瞳。すっと伸びた鼻筋。何か文句を言いたそうな唇。
 その綺麗に形作られた唇が何か言っていた。
 「え?」
 その顔面の威力にぼうっとしていた俺は思わず聞き返す。
 すると、そいつはダレたように覆いかぶさっていた机から上体を起こした。
 「くじ引きでひいた席、ここだって分かった時は『なんで?』って思ったよな」
 なんか、めちゃくちゃ馴れ馴れしい口調で話しかけられた。
 「う、うん」
 「黒板良く見えすぎだわって言うか、教卓が邪魔で黒板見えにくいまである」
 「ほんと、そう」
 俺は思わず、ははっと口に出して笑っていた。
 そいつは満足そうに口の端を上げると少し嬉しそうに俺を見た。
 「なあ、部活決めた?」
 「え、部活?」
 「ああ」
 「えっと、まだ」
 「じゃあさ、演劇部入んない?」
 「演劇?」
 「そ」
 そいつが当然のように頷く。
 「ええっと……」
 「あ、俺、柏木(かしわぎ)(とおる)
 そう言いながら自分のことを指さす。
 「あの、柏木君は演劇部に入るの?」
 「そのつもり」
 「そうなんだ。あ、俺は篠崎(しのざき)悠斗(ゆうと)
 「悠斗。よろしくな。俺のことも亮でいいから」
 「うん。亮、よろしく。で、なんで演劇?」
 まあ、この亮ほどの整った容姿なら演劇ってかなり向いているなっと思いながら聞いてみた。
 「あー、少し前に地元の商店街でアマチュア劇団のチケット貰ってさ」
 「うん」
 「暇だったから、見に行ったんだよ」
 「うん」
 「それがさ、すごく良くて。決して上手くないんだろうけど、伝えたい気持ちがさ、迫ってきて」
 「うん」
 「……って、俺ちょっと恥ずかしいこと言ってるな」
 「そんなことない」
 そう言って、左右に首を振った。
 「悠斗って良い奴だな」
 「早いな、良い奴認定」
 「そんなの、すぐ分かるよ。だって、俺の話、うんうんって聞いてくれてるし」
 「……」
 いや、それは当たり前だろ、って言いたかったけど、それもまた良い奴っぽく感じて言い淀んでしまった。
 その様子を見て、亮が瞳を細める。
 「照れてるだろ」
 「照れてないよ」
 次の瞬間、亮の左手が伸びてきて、俺の後頭部に触れた。軽く髪を撫でられる。
 「かわいいな」
 はい?
 思わず体が固まってしまった。
 これだ、最初に聞き取れなかった言葉。
 亮は「かわいいな」って言ったんだ。
 謎は解けた、じゃない。
 なんだ、こいつ、誰に対してもこんなに馴れ馴れしいんか?いきなり距離詰めすぎだろ。

 でも、この顔面で来られたら、女の子なんかいちころだな。
 「悠斗」
 俺の頭に手を置いたまま、顔を覗き込んでくる。
 ――っ。
 声にならない。顔が火照ってくるのが分かる。
 女の子じゃなくて男だっていちころだろうさ。
 いいなあ。容姿に恵まれた奴は。俺がやったらセクハラ呼ばわりされるだろうな、やっぱり。

 「ちょ、ちょっと、考える」
 「そう?」
 「さ、触るなよ」
 俺はごまかすようにそう言って、視線を前に向けた。
 頭から亮の手の感触がなくなった。
 目の前には冷や冷やしい灰色の幕板。
 離れた亮の手の感触が残る後頭部が、なんかスウスウする。なんだろう。ちょっと物寂しい気分になってる自分に驚く。


 そうこうしているうちに、担任の高松先生が教卓に立った。
 「ほら、静かにしろ。席は決まったな」
 30代半ばくらいの男の先生だ。目がきょろっとした、中肉中背の体格。志高く先生になったけど、ちょっと挫折して、また少し復活してきたって感じ。明るいか暗いかで言ったら、まあ明るいかな。
 その高松先生が、生徒を見回して話を続けた。
 「この学校で始めて会った人も多いだろう。とりあえずの話すきっかけ作りだ。隣の席の人に挨拶して自己紹介しろ」
 ――となり?
 あ、あいつか?亮?
 「ね、篠崎くんでいいんだよね」
 ふいに、意識が行っていた右ではなく、反対側の左からハキハキとした声が聞こえてきた。
 「え?あ……」
 怪しい声と共に、思わず目をキョロキョロするという不審な態度を取ってしまった。
 振り向くように見た左隣の席には、呆れたような瞳で俺を見るショートカットの女の子がいた。
 「あ、うん、ごめん。そう、篠崎悠斗。よろしく」
 慌てて名前を名乗った。
 「私は来栖(くるす)里香(りか)
 「来栖さん。珍しい苗字だね」
 なんとか、気分を建て直して会話を試みる。
 「そうかな?けっこういるよ。中学でもいたし……」
 他愛もない話をする。
 そうだよ。机は教卓に向かって横に8台並んでいる。それが縦に5列。
 俺は8台並んでいるうちの左から4台目。だったら、隣どうしで話せって言われたら端から二人づつ、左隣の生徒と話すことになるよな。そりゃあそうだ。
 来栖さんは一言で言って、かっこいい女子だった。
 きりっとした瞳でサラサラのショートカット。綺麗なんだけど、カッコいいが勝る。
 女子にしては背も高くスレンダー体形で、屈託なくサバサバと話す。
 なんか憧れる。いや、うん。人気がありそう。男からももちろん女からもモテそう。
 モテると言えば、右隣の亮。
 チラッと様子を伺うと、やはりっというか想像通りというか、俺とは反対側つまり亮の右隣の席の女子と楽しげに話していた。
 相変わらず、机にダレたような恰好をしながら、隣の女子を見上げるようにして話している。
 俺には亮の後頭部の髪がサラサラと動く様子が良く見えた。
 亮と話している女の子は、少し高揚した顔を隠すように、頬に手を添えている。ちょっと上ずった声が恥ずかしそうに小さく聞こえてきた。
 うわあ。嬉しそうだわ、女の子。
 そりゃあそうか。そうだよな。あんなイケメンが隣でさ。親し気に話してくれてさ。
 まあ、そっか。亮って誰にでもあんな距離感なんだな。
 「俺だけってことじゃなかったんだ」
 なんか、よく分からない溜息が出た。
 「なに?」
 左隣の来栖さんが聞きとがめる。
 「ううん、なんでもない」
 「何か言ってたよね?」
 「何も言ってないよ」
 「言ってた」
 プンっという感じで来栖さんが唇を尖らせる。
 「はは。来栖さん、変顔」
 俺がそう言ったと同時くらいに、横から右肩を掴まれた。
 「悠斗」
 はっきりとした声。
 え?
 驚いて振り返ると、上体をおこして俺の肩を掴んでいる亮がいた。
 え?なに?
 声が出ない。
 「悠斗、俺にも紹介して」
 「は?」
 「ほら、こちらは長谷川(はせがわ)(はるか)さん」
 亮が亮の右隣の控えめな女子に視線を移す。
 「あ、あの。よろしく」
 長谷川さんがおずおずを頭を少し下げる。
 「あ、うん。俺、篠崎悠斗。こっちはええと、来栖……ごめん何だっけ?」
 「里香」
 来栖さんが自分で付け加える。
 「そうそう。来栖里香さん」
 「よろしく来栖さん」
 亮がじっと来栖さんを見るようにして言った。
 「よろしく」
 来栖さんは亮の整った顔にもそれほど影響を受けずに淡々と返している。
 その反応に、亮は何かを探るように少し鋭い瞳を向けていた。
 でも次の瞬間には、何もなかったかのように明るい声で話し出す。
 「なあ、来栖さんも演劇部入んない?」
 あ、やっぱり誰かれ構わず誘ってる。
 「演劇部?」
 「長谷川さんも誘ったんだけど」
 「そうなの?」
 来栖さんが長谷川さんに視線を向ける。
 「あ、うん。どうしようかと思って。あんまり、その、人前に出るのって苦手だし……」
 おずおずとした声が聞こえてくる。
 よく見ると、長谷川さんはとても可愛らしい顔をしていた。女の子らしいクルンっとした瞳で小さい唇そして色が白い。
 たしかに、舞台に立ったら人気を集めそうだ。
 「あ、私は無理。陸上部入るから。中学の頃から棒高跳びをやってるの」
 来栖さんに言葉はハキハキと活舌がいい。
 「棒高跳び?」
 俺は素っ頓狂な声を出していた。
 「うん」
 「凄いな」
 「へへ」
 「なんか、来栖さんっぽいな」
 亮が顎を引いて軽く頷いた。来栖さんっぽいって、いったい亮は来栖さんの何を知っているのだか。
 でも、そう言われた来栖さんもちょっと嬉しそうにしている。まったく、亮は根っからの女たらしなのかもしれない。

 そんなこんなで、朝のホームルームの時間が終わった。
 その日は、席替え直後の少しギクシャクとした雰囲気の中、触れたら零れ落ちそうな青春っていう他愛もない時間が過ぎていった。

 帰り際、鞄に荷物を詰めていると、亮が話しかけてきた。
 「な、演劇部。入んない?」
 「入んないよ」
 「えー。悠斗、舞台映えすると思うんだけどな」
 「しないって」
 「だって、可愛いから」
 「可愛いとか言うな」
 俺は頬を膨らますようにして、トンと軽く机を両手で叩いた。
 「ほら、仕草とかも可愛い」
 「うるさいな」
 なんだな、馬鹿にされているのか何なのか。
 男にかわいいを連発するなよ。まあ、最近は可愛い男が女子にウケるらしいけど。
 「とにかく、俺は入んないよ。可愛い要員なら長谷川さんでいいじゃないか」
 「長谷川さん?」
 「入ってくれそうじゃん」
 「そうかな。でも、長谷川さんより悠斗がいい。俺的にめちゃくちゃ悠斗が可愛い」
 ――――何なんだよ。それ。
 「可愛い攻撃されても、俺は入んない」
 きっぱりとそう言うと、亮が口をつぐんだ。
 チラッと、気になって横目で様子を伺ってしまう。
 亮は自分の右手拳を自身の顎に持って行って、少し首を傾げて考えるような恰好をしていた。
 「……分かった。じゃあさ、悠斗はどこの部活に入るつもり?もしかして帰宅部?」
 「あ、いや」
 「どこ?」
 「写真部……」
 「写真?」
 「うん」
 暗いかな。でも、俺、小さい時から、そう物心ついた頃から写真が好きだったんだ。人でも物でも風景でも、その素敵な瞬間を切り取っておける写真が魔法のようで。
 まあ、もともと決して明るいとは言えない性格だったから、なかなか友達の輪に入っていけなかったりしたけど。カメラがあったおかげで、自分の世界を保てていたところある。自分だけの切り取った世界があったから。
 今ではね、けっこう人付き合い上手くなったと思うんだ。自然にみんなと話せるようになったし、自分の意見も言えるようになったし。
 本当に、写真を撮るっていう趣味が無かったら、今の俺ってどうなってたんだろうと思う。

 そうだよ、お年玉や小遣いを貯めて、最近やっと一眼レフのカメラを買ったんだよ。
 このコミュニケーションお化けのような亮に俺の気持ちがわかるかよ。
 「そおっか。じゃあ、しようがないか。演劇部で役者が嫌だったら裏方でもと思ったんだけど……」
 あ、俺の気持ちわかったらしい。
 「一緒に居たかったんだけどなあ」
 亮が眉間に皺を寄せて、目を瞑ってしまった。
 ――?どういう意味だ?
 「よし、じゃあさ。ちょくちょく演劇部の写真撮りに来てよ。ほら、俺、撮りにきて」
 そう言ってウインクしやがった。
 自信過剰かよ。
 「はいはい。分かったよ」
 そう答えると、亮は満足げに頷いた。
 「あ、家どこ?一緒に帰ろうぜ」
 亮が立ち上がった。慌てて周りを見回すと、もうすでに教室に残っているのは俺たち二人だけだった。
 「うん、帰ろう」
 俺が椅子を引いて立ち上がると、椅子の足が床と擦れて奇妙な音を立てた。
 その音に二人して笑いながら、教室を後にした。