放課後の調理室が甘い香りで満たされていく。
オーブンを開けてクッキーの焼き加減を確認し、俺は思わず頬を緩ませた。
「うん、いい感じに焼けてる」
洗い物や片付けは大方済ませてある。クッキーを冷ましている間、俺はノートに次に作りたいレシピを書き出すことにした。
特別校舎の1階にある調理室からは、窓越しにグラウンドが見える。運動部の賑やかな声が聞こえる外とは対照的にここは静かだ。
俺が所属している料理部は、作りたい人が作りたいときに作るというかなり緩いルールで活動している。生徒たちにはどこかの部活に所属することが義務付けられているため、部活に前向きではない生徒の駆け込み寺のようにもなっているようだ。
入学とともに料理部に入部し、3か月。俺は今のところ他の部員と顔を合わせたことがない。
孤独ではあるけれど、俺はこの自由で気ままな料理部をそれなりに楽しんでいた。
料理はいい。何を作ろうかと考えるのもワクワクするし、思うような味にできたときには達成感がある。こうやって、焼き菓子が冷めるのをただ待つ時間も好きだった。
強いて言うなら、食べてくれる相手が家族以外にいないのが少し残念なところだ。
「……そろそろいいかな」
レシピをまとめているうちに、あっという間に時間が経っていた。
俺は腰を上げ、クッキーを丁寧にラッピングしていく。
丁寧に掃除をし、焼きたてのクッキーをトートバッグに入れ、調理室を出る。
そのとき、遠くから足音が聞こえてきた。
渡り廊下の方からで、どうやら走っているようだ。なんだか気になって廊下の先を見つめていると、人影が現れた。ネクタイの色からして2年生だから先輩だ。
見知らぬ人だったが、相手は俺がいることに気づき足を止める。
「それ……」
言いながら、俺のほうを指をさす。
「え?」
他に人はいないし、俺に用があって来たようだけど、「それ」が何を指しているのかわからない。
すると、男子生徒がまた走り出した。
「え、ちょっと……何!?」
まっすぐ全速力でこちらに向かってくる。
なんだか怖くなり、とっさに俺は逃げ出した。
「なんで逃げるんだよ!」
「いや、そっちこそ、なんで追いかけてくるんですか!」
ちらっと背後を見ると、かなり離れていたはずなのに、さっきよりずっと距離が縮まっている。
角を曲がったところで、俺は空き教室に入った。息を潜めて隠れていると、さっきの先輩が通り過ぎていく。
足音が聞こえなくなったところで、見つからないように気をつけつつ校舎を出た。
「はぁ……なんだったんだろう」
自転車が置いてある駐輪場を目指しながら、トートバックの中を覗く。
「よかった。クッキーは割れてない」
気のせいかもしれないけれど、あの先輩が指さしていたのは、このトートバックだったように思う。
仮にそうだとしても、追いかけられるようなことをした覚えはないし、向こうが何か勘違いしているだけだろう。
気を取り直して自分の自転車を校門まで押していく。門の前の通りに出て、サドルにまたがったそのとき。
グラウンドのほうが何やら騒がしくなった。
見れば、グラウンドを突っ切るようにして、さっきの先輩がこちらに走ってくる。まっすぐ校門を目指しているようだ。そして、校門の周りには今、俺以外に誰もいない。つまり、狙いは俺だ。
「えええ、なんでぇ……?」
訳もわからないまま、俺はペダルをこぎ始めた。
少し進んだところで、校舎の外周を走っていた陸上部の人たちを追い越す。
すると、後ろで「あれ、颯じゃない?」、「本当だ! 颯が走ってる!」というどよめきが巻き起こった。
そんな声を背中に聞きながら、俺は無我夢中で自転車をこぎ続けた。
しばらくしてから自転車を止めて、振り返る。さすがに自転車には追いつけなかったのか、後ろにあの先輩の姿はもうなかった。

