急遽デートをすることになってしまった週末の日曜日。
緊張しながら待ち合わせ場所の駅前に行くと、すでに木崎くんは来ていた。
ゆるっとした白いTシャツに黒のワイドパンツ、学校では見たことのないブランドものらしい黒のハイカットのスニーカー。そして頭には黒いキャップをかぶっている。
(わ、私服もかっこいい……帽子もオシャレだし)
思わず立ち止まって見とれてしまった。周囲を通りかかった人も、ちらちらと木崎くんを見ている。その注目の的・木崎くんは僕の姿にすぐに気づいてくれた。
「先輩、おはよ」
「お、おはよう。待った?」
「全然。俺も今来たとこ」
そう言って笑う顔は学校にいるときより柔らかい。お互い私服ということもあって、なんだかすごく新鮮だ。
すると木崎くんがじっと僕を見つめて呟いた。
「私服、かわいいじゃん」
(え……かわいい?)
……空耳だよな、うん。
「あ、えーと、どこ行く?」
「もちデートコース、考えてるよ」
にこっと笑った木崎くんが向かったのはなんとスポッチャだった。駅前からは歩いて15分ほど、大きな商業ビルの一階と二階がまるごとスポッチャというものになっているらしい。
「わーすごい、広い」
中に入って驚いた。意外に広いし人もたくさんいる。周囲を見回して呟くと、木崎くんに笑われてしまった。
「初めてだもんな。よし、全部遊ぶぞ」
「え……全部?」
それから僕たちは空いているコーナーからしらみつぶしに遊んでいった。
卓球にテニスにボーリング。球技が苦手な僕は全く木崎くんの相手にはならなかったけど、トランポリンをしたり、シューティングガンを持ってサバゲ―をしたり、小学生ぶりでローラースケートをしたり、巨大なサッカーボールでサッカーをしたり。初めて挑戦したバランススクーターでは、僕が生まれたての小鹿状態になってしまって大笑いをしたり。
「あ……」
そして施設の一番奥にバスケコーナーはあった。ちょうど空いていたそこへ、木崎くんは嬉しそうに入っていく。
「うわーガチで久しぶりだわ」
そう言いつつもボールを扱う姿はさすが元バスケ部で堂に入っている。
木崎くんは軽くウォーミングアップをすると、軽くドリブルをしながら腰を落とし、流れるような軽い動きでリングへ向かう。
跳んだ。――高い。
僕は思わず息を呑んだ。
空中で腕がしなやかに伸び、指先から離れたボールがきれいな放物線を描く。シュッという小気味のいい音を立て、ボールはリングの中に消えた。
「……すご」
なんて鮮やかな動きなんだろう。木崎くんはそのまま何本かシュートを決めると、僕を振り返る。
「よっし、教えてあげる。まずはシュートな。やってみて」
ボールを渡されるが、僕はドリブルさえおぼつかない。意を決してゴールに向かってボールを放つ。だけどボールはリングにさえ届かず、だいぶ手前側にひゅんと落ちた。
「……」
黙って振り返ると、木崎くんは笑いをかみ殺している。
「うっ、ひど、酷い!」
僕は恥ずかしくなって木崎くんの肩を叩く。
「悪い悪い。ちゃんと教えるから」
木崎くんが僕の頭を撫でた。そしてボールを持った僕のすぐ後ろに立つ。
(え……?)
気が付くと僕の身体は、一回り大きな木崎くんに後ろから抱き込まれるような体勢になっていた。背中に感じる甘い体温と鼻先をくすぐる香水のいい香りに、一気に緊張して体が強張る。
「腕あげて……そう。肩は下げて……うん、じょーず」
耳に直接吹き込むように言われ、ぞくぞくっと背筋が震えてしまう。
(え……なんか近くない……? えっ、近いよね?)
シュートの体勢をとるものの、後ろの木崎くんが近すぎて全然集中できない。すると上げていた僕の腕に、木崎くんの手が触れた。
「腕の角度はこれくらい」
「……っ」
触れられたところが熱い。心臓がばくばくと暴れ回る。
「そのまま、押し出して――」
仕上げのように肩のあたりをするっと撫でられて、僕の心臓は悲鳴を上げた。
(――もう無理だよっ! えいっ!)
やけくそのように放ったシュートは、一回目よりも飛ばずにゴールリングのかなり手前にぽとりと落ちる。
「え……」
金網にぶつかって跳ね返ったボールが、てんてんてんと足元に転がってくる。それを呆然と見ていると、耳元で木崎くんが笑った。
「先輩、かわい。意識しまくりじゃん」
「はっ⁉」
振り向くと、いたずらが成功したような顔で木崎くんが笑っていた。
「わ、わざと……!!」
「はは、やっと気づいた?」
耐えかねたように木崎くんがぷっと吹き出す。
(もう木崎くんってば!)
恥ずかしいやら、腹立たしいやら。でもお腹を抱えて笑っている木崎くんの顔を見ていたら、どうでもいい気分になってきた。……やんちゃ坊主みたいな顔して笑っていて可愛いし。
それからまじめモードになった木崎くんにシュートやドリブルの特訓を受け、僕は見違えるくらいに上達した。ワンオンワンではかなり意地悪をされたし、結局シュートも五回に一回程度しか入らなかったけど、息が切れるくらい夢中で木崎くんと遊んでしまった。
「はー汗かいたわ」
バスケコーナーを出ながら、木崎くんが額の汗を腕で拭う。普段運動をしない僕はすでに足がガクガクだ。
「飲み物買ってくるから、そこに座ってて待ってて」
「うん、ありがと」
僕は言われたとおりにバスケコーナー近くのベンチに座って、大きく息を付いた。
(はー……疲れた。だけど楽しかったな)
何よりもバスケをしている木崎くんがめちゃめちゃかっこよかった。揶揄いながらもなんだかんだ優しく教えてくれたし、友達と遊んでいてこんなに楽しかったのは初めてだ。
(木崎くんのことをもっともっと知りたいな)
ふとそんな思いがこみ上げてくる。
何が好きなのかとか、何が苦手なのかとか、興味があることは何なのか。木崎くんのことも知りたい。昔のことも、思い出したいと思う。
(でも木崎くんと僕って、いつどこで会ったんだろ……)
僕と木崎くんの家は決して近くはないし、小学校や中学では関りがないはずだ。
昔から僕は友達が極端に少なかったし、消極的だったから子供会にも入っていなかった。習い事だって吃音のサマースクールに通っていたくらいだ。共通点が思いつかない。
そんなことを考え込んでいると、
「すみませーん、ここって並んでます?」
「え」
高校生らしき女子のグループに声を掛けられた。
「バスケのとこ、並んでます?」
もう一度聞かれて理解した。僕がバスケコーナーの近くのベンチに座っていたので、待ち客かどうか判断出来なかったらしい。
「あっ、ち、違います! どうぞ」
慌てて立ち上がったところで、ふとその中の一人と目があった。
「え」
「あ……」
黒髪のボブに魔女のように長い爪、濃い目のメイク。それは以前学校でジュースがこぼれたとトラブルになった一年生の女子だった。さすがにその子も僕の顔を覚えていたようで、驚いたように見つめてくる。
(き、気まずい……)
礼をして立ち去ろうとしたが、なぜかその子に「待って」と引き止められた。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
「……う、うん」
彼女は友達に「ちょっと話して来る」と断ると、僕を引き連れて施設の奥のほうへと進んでいく。人気のないところまで来ると、彼女はいきなり僕に向かって頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「……え?」
訳がわからずポカンとしていると、彼女は勢いよくしゃべり出した。
「この前、何も知らないのに先輩のこと笑っちゃってごめんなさい」
「え……えと、ど、どういうこと……?」
「あたし、あのあと木崎くんに説教されて……」
「へ」
木崎くんに説教された……だって?
「先輩が言葉つっかえるのって、『吃音』っていうんだよね? あたし全然知らなかったんだけど、あのあと木崎くんがプリント持ってきてくれて、先生みたいに詳しく教えてくれたの」
プリントを持ってきて……? 先生みたいに教えた……?
「病院で何年も診て貰ったりしても治らない人もいれば、何もしなくても自然に無くなる人もいるんだよね? 『努力してもどうにもならなくて、苦しんでる人がたくさんいる』って木崎くんが言ってた。……ほんとに、笑ったりしてごめんなさい」
彼女はもう一度ぺこりと頭を下げると、僕を伺うように見てくる。
(――ああ……)
何か返事をしなくちゃいけないのに、言葉が出ない。
僕はずっと、自分のことを人に理解してもらえなくてもいいと思っていた。
ただその場をうまくやり過ごして無事に毎日をしのげれば、それでいいと思っていた。
だけど今、こうして理解しようとしてもらえたことがこんなに嬉しいなんて。
それもこれも、木崎くんのおかげだ。
木崎くんは僕のために、プリントまで用意してこの子に話をしてくれた。吃音のことを理解してくれるように働きかけてくれた。どうして木崎くんは、僕のためにそこまでしてくれるのだろう。
何度も何度も、木崎くんは助けてくれる。閉ざしていた僕の中の扉をノックしてくれる。
ぐっと、熱い塊のようなものが胸からせりあがってくる。泣きたいような笑いたいような、思わず駆け出したくなるようなこの気持ち。
――どうしよう、好きだ。
木崎くんのことが好きだ。もう誤魔化すことが出来ないほどに、木崎くんへの思いは胸の中で膨らみ、体の中に根を張ってしまった。
涙が出てきそうで、僕は急いで目を擦った。そして僕の様子を心配そうに伺っている彼女の顔をしっかり見た。
「ありがとう、ござい、ます」
「へ、なんでお礼?」
「だって……う、嬉しかったから」
謝ってもらえて嬉しかった。理解しようとしてもらえて嬉しかった。
「こ、この前のことは、あの……僕、本当に、き、き、き気にしてない、から」
言葉が突っかかったり詰まったりしたけど、もう彼女は笑うことはなかった。真剣な顔で耳を傾けてくれている。
「僕のほう、こそ、ごめんね……制服、ジュースで汚して」
彼女はぎゅっと眉を寄せて少しだけ泣きそうな顔になった。
「なんか……超いい人じゃん」
「……え」
「超優しい。それによく見たらビジュいいし」
「……え……えっと?」
「さすが木崎くんの彼氏」
「えっ⁉」
彼氏、って言わなかった、この子……?
「あ、てかあたし、木崎くんのことは諦めたから安心してねー。お幸せに!」
「へっ……?」
彼女は明るい笑顔を残して、軽やかに去っていった。僕はしばらくの間、ぼんやりと立ち尽くしたのだった。
緊張しながら待ち合わせ場所の駅前に行くと、すでに木崎くんは来ていた。
ゆるっとした白いTシャツに黒のワイドパンツ、学校では見たことのないブランドものらしい黒のハイカットのスニーカー。そして頭には黒いキャップをかぶっている。
(わ、私服もかっこいい……帽子もオシャレだし)
思わず立ち止まって見とれてしまった。周囲を通りかかった人も、ちらちらと木崎くんを見ている。その注目の的・木崎くんは僕の姿にすぐに気づいてくれた。
「先輩、おはよ」
「お、おはよう。待った?」
「全然。俺も今来たとこ」
そう言って笑う顔は学校にいるときより柔らかい。お互い私服ということもあって、なんだかすごく新鮮だ。
すると木崎くんがじっと僕を見つめて呟いた。
「私服、かわいいじゃん」
(え……かわいい?)
……空耳だよな、うん。
「あ、えーと、どこ行く?」
「もちデートコース、考えてるよ」
にこっと笑った木崎くんが向かったのはなんとスポッチャだった。駅前からは歩いて15分ほど、大きな商業ビルの一階と二階がまるごとスポッチャというものになっているらしい。
「わーすごい、広い」
中に入って驚いた。意外に広いし人もたくさんいる。周囲を見回して呟くと、木崎くんに笑われてしまった。
「初めてだもんな。よし、全部遊ぶぞ」
「え……全部?」
それから僕たちは空いているコーナーからしらみつぶしに遊んでいった。
卓球にテニスにボーリング。球技が苦手な僕は全く木崎くんの相手にはならなかったけど、トランポリンをしたり、シューティングガンを持ってサバゲ―をしたり、小学生ぶりでローラースケートをしたり、巨大なサッカーボールでサッカーをしたり。初めて挑戦したバランススクーターでは、僕が生まれたての小鹿状態になってしまって大笑いをしたり。
「あ……」
そして施設の一番奥にバスケコーナーはあった。ちょうど空いていたそこへ、木崎くんは嬉しそうに入っていく。
「うわーガチで久しぶりだわ」
そう言いつつもボールを扱う姿はさすが元バスケ部で堂に入っている。
木崎くんは軽くウォーミングアップをすると、軽くドリブルをしながら腰を落とし、流れるような軽い動きでリングへ向かう。
跳んだ。――高い。
僕は思わず息を呑んだ。
空中で腕がしなやかに伸び、指先から離れたボールがきれいな放物線を描く。シュッという小気味のいい音を立て、ボールはリングの中に消えた。
「……すご」
なんて鮮やかな動きなんだろう。木崎くんはそのまま何本かシュートを決めると、僕を振り返る。
「よっし、教えてあげる。まずはシュートな。やってみて」
ボールを渡されるが、僕はドリブルさえおぼつかない。意を決してゴールに向かってボールを放つ。だけどボールはリングにさえ届かず、だいぶ手前側にひゅんと落ちた。
「……」
黙って振り返ると、木崎くんは笑いをかみ殺している。
「うっ、ひど、酷い!」
僕は恥ずかしくなって木崎くんの肩を叩く。
「悪い悪い。ちゃんと教えるから」
木崎くんが僕の頭を撫でた。そしてボールを持った僕のすぐ後ろに立つ。
(え……?)
気が付くと僕の身体は、一回り大きな木崎くんに後ろから抱き込まれるような体勢になっていた。背中に感じる甘い体温と鼻先をくすぐる香水のいい香りに、一気に緊張して体が強張る。
「腕あげて……そう。肩は下げて……うん、じょーず」
耳に直接吹き込むように言われ、ぞくぞくっと背筋が震えてしまう。
(え……なんか近くない……? えっ、近いよね?)
シュートの体勢をとるものの、後ろの木崎くんが近すぎて全然集中できない。すると上げていた僕の腕に、木崎くんの手が触れた。
「腕の角度はこれくらい」
「……っ」
触れられたところが熱い。心臓がばくばくと暴れ回る。
「そのまま、押し出して――」
仕上げのように肩のあたりをするっと撫でられて、僕の心臓は悲鳴を上げた。
(――もう無理だよっ! えいっ!)
やけくそのように放ったシュートは、一回目よりも飛ばずにゴールリングのかなり手前にぽとりと落ちる。
「え……」
金網にぶつかって跳ね返ったボールが、てんてんてんと足元に転がってくる。それを呆然と見ていると、耳元で木崎くんが笑った。
「先輩、かわい。意識しまくりじゃん」
「はっ⁉」
振り向くと、いたずらが成功したような顔で木崎くんが笑っていた。
「わ、わざと……!!」
「はは、やっと気づいた?」
耐えかねたように木崎くんがぷっと吹き出す。
(もう木崎くんってば!)
恥ずかしいやら、腹立たしいやら。でもお腹を抱えて笑っている木崎くんの顔を見ていたら、どうでもいい気分になってきた。……やんちゃ坊主みたいな顔して笑っていて可愛いし。
それからまじめモードになった木崎くんにシュートやドリブルの特訓を受け、僕は見違えるくらいに上達した。ワンオンワンではかなり意地悪をされたし、結局シュートも五回に一回程度しか入らなかったけど、息が切れるくらい夢中で木崎くんと遊んでしまった。
「はー汗かいたわ」
バスケコーナーを出ながら、木崎くんが額の汗を腕で拭う。普段運動をしない僕はすでに足がガクガクだ。
「飲み物買ってくるから、そこに座ってて待ってて」
「うん、ありがと」
僕は言われたとおりにバスケコーナー近くのベンチに座って、大きく息を付いた。
(はー……疲れた。だけど楽しかったな)
何よりもバスケをしている木崎くんがめちゃめちゃかっこよかった。揶揄いながらもなんだかんだ優しく教えてくれたし、友達と遊んでいてこんなに楽しかったのは初めてだ。
(木崎くんのことをもっともっと知りたいな)
ふとそんな思いがこみ上げてくる。
何が好きなのかとか、何が苦手なのかとか、興味があることは何なのか。木崎くんのことも知りたい。昔のことも、思い出したいと思う。
(でも木崎くんと僕って、いつどこで会ったんだろ……)
僕と木崎くんの家は決して近くはないし、小学校や中学では関りがないはずだ。
昔から僕は友達が極端に少なかったし、消極的だったから子供会にも入っていなかった。習い事だって吃音のサマースクールに通っていたくらいだ。共通点が思いつかない。
そんなことを考え込んでいると、
「すみませーん、ここって並んでます?」
「え」
高校生らしき女子のグループに声を掛けられた。
「バスケのとこ、並んでます?」
もう一度聞かれて理解した。僕がバスケコーナーの近くのベンチに座っていたので、待ち客かどうか判断出来なかったらしい。
「あっ、ち、違います! どうぞ」
慌てて立ち上がったところで、ふとその中の一人と目があった。
「え」
「あ……」
黒髪のボブに魔女のように長い爪、濃い目のメイク。それは以前学校でジュースがこぼれたとトラブルになった一年生の女子だった。さすがにその子も僕の顔を覚えていたようで、驚いたように見つめてくる。
(き、気まずい……)
礼をして立ち去ろうとしたが、なぜかその子に「待って」と引き止められた。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
「……う、うん」
彼女は友達に「ちょっと話して来る」と断ると、僕を引き連れて施設の奥のほうへと進んでいく。人気のないところまで来ると、彼女はいきなり僕に向かって頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「……え?」
訳がわからずポカンとしていると、彼女は勢いよくしゃべり出した。
「この前、何も知らないのに先輩のこと笑っちゃってごめんなさい」
「え……えと、ど、どういうこと……?」
「あたし、あのあと木崎くんに説教されて……」
「へ」
木崎くんに説教された……だって?
「先輩が言葉つっかえるのって、『吃音』っていうんだよね? あたし全然知らなかったんだけど、あのあと木崎くんがプリント持ってきてくれて、先生みたいに詳しく教えてくれたの」
プリントを持ってきて……? 先生みたいに教えた……?
「病院で何年も診て貰ったりしても治らない人もいれば、何もしなくても自然に無くなる人もいるんだよね? 『努力してもどうにもならなくて、苦しんでる人がたくさんいる』って木崎くんが言ってた。……ほんとに、笑ったりしてごめんなさい」
彼女はもう一度ぺこりと頭を下げると、僕を伺うように見てくる。
(――ああ……)
何か返事をしなくちゃいけないのに、言葉が出ない。
僕はずっと、自分のことを人に理解してもらえなくてもいいと思っていた。
ただその場をうまくやり過ごして無事に毎日をしのげれば、それでいいと思っていた。
だけど今、こうして理解しようとしてもらえたことがこんなに嬉しいなんて。
それもこれも、木崎くんのおかげだ。
木崎くんは僕のために、プリントまで用意してこの子に話をしてくれた。吃音のことを理解してくれるように働きかけてくれた。どうして木崎くんは、僕のためにそこまでしてくれるのだろう。
何度も何度も、木崎くんは助けてくれる。閉ざしていた僕の中の扉をノックしてくれる。
ぐっと、熱い塊のようなものが胸からせりあがってくる。泣きたいような笑いたいような、思わず駆け出したくなるようなこの気持ち。
――どうしよう、好きだ。
木崎くんのことが好きだ。もう誤魔化すことが出来ないほどに、木崎くんへの思いは胸の中で膨らみ、体の中に根を張ってしまった。
涙が出てきそうで、僕は急いで目を擦った。そして僕の様子を心配そうに伺っている彼女の顔をしっかり見た。
「ありがとう、ござい、ます」
「へ、なんでお礼?」
「だって……う、嬉しかったから」
謝ってもらえて嬉しかった。理解しようとしてもらえて嬉しかった。
「こ、この前のことは、あの……僕、本当に、き、き、き気にしてない、から」
言葉が突っかかったり詰まったりしたけど、もう彼女は笑うことはなかった。真剣な顔で耳を傾けてくれている。
「僕のほう、こそ、ごめんね……制服、ジュースで汚して」
彼女はぎゅっと眉を寄せて少しだけ泣きそうな顔になった。
「なんか……超いい人じゃん」
「……え」
「超優しい。それによく見たらビジュいいし」
「……え……えっと?」
「さすが木崎くんの彼氏」
「えっ⁉」
彼氏、って言わなかった、この子……?
「あ、てかあたし、木崎くんのことは諦めたから安心してねー。お幸せに!」
「へっ……?」
彼女は明るい笑顔を残して、軽やかに去っていった。僕はしばらくの間、ぼんやりと立ち尽くしたのだった。


