先輩、この謎解いてください

 次の日の放課後、僕は一年生の教室がある階に来ていた。
(確か木崎くん、三組だって言ってたよな)
 教室を覗こうとしたとき、ちょうど扉から出てきた木崎くんと鉢合わせになった。ぎょっと木崎くんが目を剥く。
「朝比奈先輩っ? ど、どうしたんですか⁉」
 あまりの焦りように僕も驚いた。
「あ……き、今日、部活、ないから」
「そ、そうすよね」
「うん。だから、これ」
 持ってきたクリアファイルを差し出すと、木崎くんは不思議そうな顔をした。
「俺に? 何すか?」
「……しょ、しょ、小説、なんだけど」
「えっ⁉」
 木崎くんが急に大声を出した。
「駄目だった……?」
「いやいやいや、違う違う違う! そういう意味じゃなくて……えっ、コレ先輩の書いた小説ってこと?」
「うん」
 頷くと、木崎くんはさらにびっくり顔になる。そんなに驚くことなのかな。まあとにかく、今日中に小説を渡すっていう目的は達成出来た。
「じゃ、僕、行くね」
 帰ろうとすると、腕を掴まれた。
「……今、読みたい」
「え?」
「これから時間あります? 一緒にカフェとか寄りません? 俺すぐ読むから」
「……い、いいけど」
 あまりの勢いに反射的に頷くと、木崎くんの顔がぱっと明るくなった。

◇ 
 ということで昇降口で待ち合わせをして、木崎くんと並んで帰る通学路。
校庭沿いの桜の木々はすっかり青々とした葉を生やしていて、風が吹くとざあっと心地よい音が立つ。
「あー気持ちいー」
 伸び伸びした声に、僕はそっと隣の木崎くんを伺った。
 すっと高い鼻のライン、楽しそうに端が上がった形のよい唇。男の僕でも見惚れるほどに本当に綺麗な顔をしている。
「そういや先輩って、部活ない日は何してんの?」
「えっと、本、読んだりとか」
「あとは?」
「特に、ないかな……」
 ふうん、と木崎くんが頷く。
「俺はカラオケとか、スポッチャで遊んだりしてる」
「ス、……ポッチャ?」
「知らない? バスケしたり卓球したりするとこ」
 僕は首を振った。
「今度行ってみる?」
「や、だいじょぶ、です」
「そ?」
 こてんと苦笑して首を傾げる木崎くん。
(そういえば木崎くん、僕のこと好きだって言ってたよな)
 ふいに思い出してしまい、慌てて頭から追い出した。
 だって告白されたのってアレ一回だけだったし、それ以来『好き』なんて言われてない。
(ん? あれ? ほんとに言われてないな?)
 そう気が付くと一気にもやもやとした気持ちになった。
 木崎くんは困ったときに助けに来てくれたり、話を聞いてくれたり、こうしてそばにいてくれたりするけど、それは僕が部活の先輩だからで。
(木崎くんは僕のこと本当はどう思ってるんだろう……)
「先輩、ここでいい?」
「えっ?」
 突然かけられた声に我に返る。僕たちはいつのまにか、駅前の商業ビル一階の有名なカフェのチェーン店の前にいた。
「この店でいい?」
「い、いいよっ」
 勢いよく頷いた僕を不思議そうな顔で見ていたが、木崎くんは「じゃ入ろ」と言って僕を促す。
 自動ドアをくぐり店内に入った瞬間、コーヒーの匂いに包まれた。中はほどよく混んでいて、僕たちと同じような学生の姿もちらほらある。
(わ……オシャレ過ぎ……僕場違いじゃない?)
「もしかして、こういう店あんま来ない?」
 あまりにも僕が挙動不審だったのか、見抜かれてしまった。
「あー……、うん、初めて」
「初めて?」
 木崎くんは少し驚いていたけど、初心者の僕にメニューの説明をしてくれた。ついでに注文もいっしょにしてくれる。
 空いていた二人掛けのテーブルに座りながら、僕は木崎くんに「ありがとね」とお礼を言った。
「何がですか?」
「注文、やってくれた、から」
 木崎くんは「ああ」と頷いた。
「ほんとは、ここ、来て、みたかったんだ。だから……それもありがと」
 目を見て言うと、木崎くんはちょっと赤くなった。
「これからは俺と行こ。週一で来よ」
「……や、それは、だいじょぶ、です」
「ええー……そこは『はい』一択でしょ」
 あからさまにがっかりした顔をする木崎くんをくすっと笑い、僕は小説のクリアファイルを差し出した。木崎くんの顔が輝く。
「読んでいい?」
「もちろん」
 注文した飲み物そっちのけで小説を読みだした木崎くんを横目に、初フラペチーノをすする。甘いクリームが乗ったコーヒーはバニラの匂いがして、驚くほどに美味しかった。
(こんなの初めてだな)
 学校の帰りに寄り道するのも、ずっと見ているだけで入れなかった憧れのお店に入ってフラペチーノを飲むことも。
(全部木崎くんがいたから出来たんだよな)
 僕は目の前に座る木崎くんを眺める。
 精巧につくられた人形のように整った顔立ち。男らしいいしっかりした骨格に、大きな手。光り輝くイケメンぶりは健在で、さっきからちらちらと周囲の女性客の視線が飛んでくる。でも当の木崎くんは、綺麗な切り込みの入った二重瞼を伏せて、僕が書いた小説だけを食い入るように読んでいる。
(どうして木崎くんは、こんなに僕に構ってくれるんだろう)
 以前はバスケ部に入っていたらしいけど、高校ではどうしてバスケ部に入らなかったのだろう。僕に会いに来たって言ってたけど、本当なのかな。
 そして一体いつ、どこで彼に会っていたのだろう。
(思い出したいな……)
 そんなことを考えている間に、いつのまにか木崎くんは小説を読み終わったらしい。
「面白かったです」
「……そ、そう?」
「特に最後のどんでん返しのところとか最高だったし、あの人が犯人だとは思わなかった。てか主人公ガチでかっこいい。先輩、やっぱり才能あるよ」
 手放しでほめてくれるから、嬉しい反面照れ臭い。
「お、……お世辞、うまいね」
「お世辞じゃないですって。……ほら」
「うわっ」
 木崎くんは急に身を乗り出して手を伸ばしてくると、僕の手をむんずと掴む。そして自分の左胸に僕の手のひらを押しつけた。
「俺の心臓、どきどきしてるでしょ。先輩の小説読んでそうなった」
 木崎くんの心臓はどくどくと速いリズムを刻んでいた。手のひらを押し上げる力強い鼓動。
「わかりました?」
「……っ」
 木崎くんが目を上げる。至近距離で目があってどきりとして、慌てて掴まれていた手を引っこ抜いた。
「ははは、先輩真っ赤」
 木崎くんは満足したような顔で飲み物を一気に半分飲む。
「そういえば先輩が小説を書き始めたのって、いつなんですか」
「あ……中一、のときかな」
 本の虫だった父さんのこと、お陰で推理小説にはまったこと、自分も書きたくなって書いてみたこと、それがたまたま受賞したこと。そしてその後に続いた挫折のことまでも、僕は何度もつっかえながらも話した。
「そうなんすね」
 その間木崎くんは、相槌を挟みながらじっと聞いていてくれた。
 本当に木崎くんは優しい。ずっと僕の拙い話を聞いてくれる。嬉しくて、胸のあたりがそわそわして、身体が浮き上がりそうな感じがして。
「……ありがとね」
「何がです?」
「おかげでまた、か、か、書けた、と、思うから」
 木崎くんは少し首を傾げた。
「俺がいてもいなくても、先輩はまた書いてたと思うよ」
 その言葉に驚いて、また心臓がぎゅっとなって、返事が一拍遅れてしまった。
「…………そう、かな」
「そうだよ。先輩ってそういう人でしょ」
 ちりん、と胸の中で何かが揺れた。
「一回駄目でも、何度も向かっていける人だよ、先輩は」
 ちりん、ちりん、と何回も揺さぶられる。
 この前同じようなことを言われたときにはむっとしたのに、今日は全く違う気持ちになった。
 嬉しい――。
 なぜだか僕は胸が苦しくなって、まっすぐな木崎くんの目から視線を逸らした。
「かわい」
「え?」
 今、なんて? と目で問い返すと、木崎くんは甘く微笑みながらもう一度同じ言葉を繰り返した。
「かわい」
「い、一応、年上、なんだけど」
「年上でもなんでもかわいい」
「や、やめてよ」
「すげえ可愛く見えるんだよ。だって俺、先輩のこと好きだから」
「……えっ?」
 久しぶりに貰った『好き』という言葉に僕は目を見開いた。瞬間的に喜びの感情が湧き上がる。
(え……? あれ……? 僕……)
 かあっと身体が燃え立つように熱くなり、一度おさまっていた心臓がまた跳ね回る。
 お、というように木崎くんが目を見開いた。
「あれ? なんか前と反応違う?」
 くすっと笑われ、さらに居た堪れなくなった。木崎くんはそんな僕を意地悪な顔で見てくる。
「これからは本腰いれて口説こっかな。覚悟してね、先輩」
 木崎くんがにやりと微笑む。その表情もまたイケメンで。僕は急いで木崎くんから視線を逸らしたのだった。