「……あれ」
その次の週の水曜日の放課後、ミス研の部室へ向かっていた僕は足を止めた。部室の入り口の前に二人組の女子がたむろしているのだ。
一人はふわふわくるくるの長い髪の女子、もう一人はさらりとした黒髪ボブの女子。二人とも胸元のリボンが赤色なのでたぶん一年生だ。
「あのーミス研の人ですかー?」
ボブの子が僕に気がつき、話しかけてきた。
「……あ、はい」
「木崎くんっていますー?」
(あー……またか……)
こうして木崎くん目当てでの女子がミス研に来るのは、実はこの子たちだけではなかった。先週には四人、今週に入ってからも二人。
それでも万年部員不足のミス研だ。きっかけは木崎くんであっても、入ってくれたら本の魅力に気が付いて、真面目な部員になってくれるかもしれない。
……なんて僕は思っていたけど、吉沢先輩がまったく駄目だった。不真面目な理由でやってくる彼女たちのことを許せず、すぐに追い払ってしまう。
だけど今はその吉沢先輩もいない。ようし、と意を決して口を開いた。
「あ、あの……よ、よ、よ良かったら中に――」
「朝比奈、何やってんの?」
その声にぎくりと振り返ると吉沢先輩がいた。吉沢先輩は僕と二人組の女子の顔を見るなり、人工的な笑顔になる。
「あら~? もしかしてミス研の入部希望かしら~?」
「ってわけじゃないんですけどー、ミス研に、木崎くんがいるらしいって聞いたからー」
「ちょっと中で待っててもいいですかぁ?」
二人の言葉に、吉沢先輩の眉毛がぴくっと跳ねた。
(うわ、これ怒ってるよ……)
内心はらはらと見守る僕の前で、吉沢先輩が無言で部室に入っていき、すぐに出てきた。そして手に持っている白い粉のようなものを彼女たちに投げつけ始める。
「帰れ! 帰れ!」
「だ、だめ! やめ……っやめてください!」
慌てて止めに入った。
「離せっ! こんな不届きものにミス研の敷居を跨がせるわけにはいかないのよ!」
「でもっ……し、塩はだめ!」
哀れな女子たちは、「きゃあ! 何これ! 塩なの⁉」「頭おかしいって! 最悪!」と悲鳴をあげながら、走り去っていった。
「……ちょっと……やりすぎでは」
「あれくらいしないと駄目。でないと後から後から湧いて出てくるんだから」
湧いて出てくるって、虫じゃないんだから……。
そんなやり取りをしていると、当の木崎くんが廊下の向こうから歩いてきた。
「どうしたんですか?」
「また湧いて出たのよ。木崎ファンが」
「あー……」
木崎くんは少し気まずそうな顔になる。きっとこういう事態は慣れっこなのだろう。なんとも気の毒だ。
「でも大丈夫よ、塩撒いて追っ払ったから。さ、部室に入りましょ」
「塩……?」
さすがに木崎くんも顔が引きつっている。
……そうだよね、塩って引くよね。僕も引いてる。
僕は木崎くんの肩をポンポンと叩いて同意の気持ちを示してから部室に入った。
ミス研の部室は四畳半ほどの広さで、もともと倉庫になっていたところを改装したものだ。壁の両側にはスチールの背の高い棚があり、窓のそばにはキャスタ―付のホワイトボードが一台、そして部屋の中央には生徒用の机が三つと椅子が三つ。それだけで満杯の狭い部屋だけど、秘密基地のような感じがして僕は大好きだった。
それぞれ定位置の机についたところで、吉沢先輩がおもむろに鞄の中からコピー用紙の束を取り出した。
「見て見て、私短編小説を書いてきたんだよー」
このミス研では書籍の評論会もやるが、部員が書いたミステリー小説の読み合いなどもするのだ。
吉沢先輩は僕と木崎くんにコピー用紙の束を一部ずつ渡すと、もじもじと小さな声で言う。
「……んーと、じゃ、ちょっと私はジュース買ってくるからさあ。その間に読んでてもらえると……」
吉沢先輩は照れくさそうな顔でそそくさと部室を出ていった。木崎くんが驚いたように僕の方を見る。
「塩撒くような人でも照れ臭いんすかね」
「たぶんね」
僕たちは顔を見合わせ、どちらともなく笑いを漏らした。
「んじゃ読みながら待ってますか」
「だね」
(良かった……二人きりになっても意外と普通に出来るな)
初日に『好きです』と言われて驚いたし、その上『謎を解いて下さい』だなんて言われてどうしようと思ったけど、数回の部活を通して僕と木崎くんの距離は縮まりつつある。
木崎くんはクールな見かけとは違ってわりと穏やかな性格をしていた。それに口数が多い方ではないから、僕も無理してしゃべらなくてもいい。一緒にいるのは意外に居心地がよかった。無言になっても気にならないというか。
ぱらり、ぱらり、と紙を捲る音だけが静かな部室に響く。
吉沢先輩が書いたミステリーの短編小説を読んでいると、木崎くんがふいに口を開いた。
「……先輩はもう小説書かないんですか?」
「え」
予想外の言葉にどきっとして顔を上げると、木崎くんは僕を見ていた。
「朝比奈先輩は小説書くのが上手だって、顧問の先生から聞きました。中学生のときに賞取ったんですよね」
「ああ……」
僕は中学の頃、地方の小さな文学賞で賞を貰ったことがあった。出版社が主催するような大きな賞ではないけど、現役中学生の受賞者は珍しいとのことで、新聞にも取り上げられたこともあった。
だけど僕にとっては黒歴史みたいなものだ。
「……もうやってないよ」
「なんでですか?」
木崎くんが即座に問い返してくる。僕は戸惑いつつも答えた。
「――……向いて、ない、から」
「賞取ったのに?」
「……たまたまだよ」
「たまたまで賞はとれないと思いますが」
木崎くんは強い視線で見てくる。そのまっすぐな目に耐え切れず、僕はそっと視線を落とした。
「……もともと、無理、だったから」
「そうすかね。俺はそう思わないですけど」
「……え?」
「もったいないと思います。僕は先輩なら出来ると思うから」
(『先輩なら出来ると思う』って……)
もやっとしたものが胸に沸き上がってくる。
木崎くんなりの励ましの言葉だとわかっていても、芽生えてしまった後ろ向きな感情を流すことが出来なかった。
だって、知り合ったばかりの木崎くんに僕の一体何がわかると言うのだろう。
木崎くんは恰好よくて、黙っててもみんなの目を引くような魅力があって……いうならば光の中にいるような人間だ。僕のように自信がない人間の気持ちなんて、わからないに決まっている。
「僕は……き、き木崎くんとは、違う、から」
木崎くんは一瞬だけ驚いたように言葉に詰まったが、すぐに反論してくる。
「何も違いませんよ」
「だいぶ、違う、と、思う。む、むしろ。同じなところが、ない」
「……どうしてそんなこと言うんですか」
木崎くんが眉を寄せ口を開きかけたそのとき。
「たーだいま!」
いきなりがらっと部室の扉が開いた。
「どうどう? 読み終わった? どうだった?」
勢いよく部室に戻ってきた吉沢先輩だったけど、微妙な雰囲気をすぐに感じ取ったようで不思議そうな顔になる。
「んん? またなんかあった感じ?」
「い、いえ」
「べつに何も」
僕と木崎くんの言葉が重なった。きょとんと吉沢先輩が目を瞬く。
「え? もしかして喧嘩でもしたわけ~?」
冗談めかして吉沢先輩が聞いてくるが、僕は答えることが出来なかった。
じっと木崎くんがこちらを見ている気配がする。それを遮るように、僕は背中を向けたのだった。
その次の週の水曜日の放課後、ミス研の部室へ向かっていた僕は足を止めた。部室の入り口の前に二人組の女子がたむろしているのだ。
一人はふわふわくるくるの長い髪の女子、もう一人はさらりとした黒髪ボブの女子。二人とも胸元のリボンが赤色なのでたぶん一年生だ。
「あのーミス研の人ですかー?」
ボブの子が僕に気がつき、話しかけてきた。
「……あ、はい」
「木崎くんっていますー?」
(あー……またか……)
こうして木崎くん目当てでの女子がミス研に来るのは、実はこの子たちだけではなかった。先週には四人、今週に入ってからも二人。
それでも万年部員不足のミス研だ。きっかけは木崎くんであっても、入ってくれたら本の魅力に気が付いて、真面目な部員になってくれるかもしれない。
……なんて僕は思っていたけど、吉沢先輩がまったく駄目だった。不真面目な理由でやってくる彼女たちのことを許せず、すぐに追い払ってしまう。
だけど今はその吉沢先輩もいない。ようし、と意を決して口を開いた。
「あ、あの……よ、よ、よ良かったら中に――」
「朝比奈、何やってんの?」
その声にぎくりと振り返ると吉沢先輩がいた。吉沢先輩は僕と二人組の女子の顔を見るなり、人工的な笑顔になる。
「あら~? もしかしてミス研の入部希望かしら~?」
「ってわけじゃないんですけどー、ミス研に、木崎くんがいるらしいって聞いたからー」
「ちょっと中で待っててもいいですかぁ?」
二人の言葉に、吉沢先輩の眉毛がぴくっと跳ねた。
(うわ、これ怒ってるよ……)
内心はらはらと見守る僕の前で、吉沢先輩が無言で部室に入っていき、すぐに出てきた。そして手に持っている白い粉のようなものを彼女たちに投げつけ始める。
「帰れ! 帰れ!」
「だ、だめ! やめ……っやめてください!」
慌てて止めに入った。
「離せっ! こんな不届きものにミス研の敷居を跨がせるわけにはいかないのよ!」
「でもっ……し、塩はだめ!」
哀れな女子たちは、「きゃあ! 何これ! 塩なの⁉」「頭おかしいって! 最悪!」と悲鳴をあげながら、走り去っていった。
「……ちょっと……やりすぎでは」
「あれくらいしないと駄目。でないと後から後から湧いて出てくるんだから」
湧いて出てくるって、虫じゃないんだから……。
そんなやり取りをしていると、当の木崎くんが廊下の向こうから歩いてきた。
「どうしたんですか?」
「また湧いて出たのよ。木崎ファンが」
「あー……」
木崎くんは少し気まずそうな顔になる。きっとこういう事態は慣れっこなのだろう。なんとも気の毒だ。
「でも大丈夫よ、塩撒いて追っ払ったから。さ、部室に入りましょ」
「塩……?」
さすがに木崎くんも顔が引きつっている。
……そうだよね、塩って引くよね。僕も引いてる。
僕は木崎くんの肩をポンポンと叩いて同意の気持ちを示してから部室に入った。
ミス研の部室は四畳半ほどの広さで、もともと倉庫になっていたところを改装したものだ。壁の両側にはスチールの背の高い棚があり、窓のそばにはキャスタ―付のホワイトボードが一台、そして部屋の中央には生徒用の机が三つと椅子が三つ。それだけで満杯の狭い部屋だけど、秘密基地のような感じがして僕は大好きだった。
それぞれ定位置の机についたところで、吉沢先輩がおもむろに鞄の中からコピー用紙の束を取り出した。
「見て見て、私短編小説を書いてきたんだよー」
このミス研では書籍の評論会もやるが、部員が書いたミステリー小説の読み合いなどもするのだ。
吉沢先輩は僕と木崎くんにコピー用紙の束を一部ずつ渡すと、もじもじと小さな声で言う。
「……んーと、じゃ、ちょっと私はジュース買ってくるからさあ。その間に読んでてもらえると……」
吉沢先輩は照れくさそうな顔でそそくさと部室を出ていった。木崎くんが驚いたように僕の方を見る。
「塩撒くような人でも照れ臭いんすかね」
「たぶんね」
僕たちは顔を見合わせ、どちらともなく笑いを漏らした。
「んじゃ読みながら待ってますか」
「だね」
(良かった……二人きりになっても意外と普通に出来るな)
初日に『好きです』と言われて驚いたし、その上『謎を解いて下さい』だなんて言われてどうしようと思ったけど、数回の部活を通して僕と木崎くんの距離は縮まりつつある。
木崎くんはクールな見かけとは違ってわりと穏やかな性格をしていた。それに口数が多い方ではないから、僕も無理してしゃべらなくてもいい。一緒にいるのは意外に居心地がよかった。無言になっても気にならないというか。
ぱらり、ぱらり、と紙を捲る音だけが静かな部室に響く。
吉沢先輩が書いたミステリーの短編小説を読んでいると、木崎くんがふいに口を開いた。
「……先輩はもう小説書かないんですか?」
「え」
予想外の言葉にどきっとして顔を上げると、木崎くんは僕を見ていた。
「朝比奈先輩は小説書くのが上手だって、顧問の先生から聞きました。中学生のときに賞取ったんですよね」
「ああ……」
僕は中学の頃、地方の小さな文学賞で賞を貰ったことがあった。出版社が主催するような大きな賞ではないけど、現役中学生の受賞者は珍しいとのことで、新聞にも取り上げられたこともあった。
だけど僕にとっては黒歴史みたいなものだ。
「……もうやってないよ」
「なんでですか?」
木崎くんが即座に問い返してくる。僕は戸惑いつつも答えた。
「――……向いて、ない、から」
「賞取ったのに?」
「……たまたまだよ」
「たまたまで賞はとれないと思いますが」
木崎くんは強い視線で見てくる。そのまっすぐな目に耐え切れず、僕はそっと視線を落とした。
「……もともと、無理、だったから」
「そうすかね。俺はそう思わないですけど」
「……え?」
「もったいないと思います。僕は先輩なら出来ると思うから」
(『先輩なら出来ると思う』って……)
もやっとしたものが胸に沸き上がってくる。
木崎くんなりの励ましの言葉だとわかっていても、芽生えてしまった後ろ向きな感情を流すことが出来なかった。
だって、知り合ったばかりの木崎くんに僕の一体何がわかると言うのだろう。
木崎くんは恰好よくて、黙っててもみんなの目を引くような魅力があって……いうならば光の中にいるような人間だ。僕のように自信がない人間の気持ちなんて、わからないに決まっている。
「僕は……き、き木崎くんとは、違う、から」
木崎くんは一瞬だけ驚いたように言葉に詰まったが、すぐに反論してくる。
「何も違いませんよ」
「だいぶ、違う、と、思う。む、むしろ。同じなところが、ない」
「……どうしてそんなこと言うんですか」
木崎くんが眉を寄せ口を開きかけたそのとき。
「たーだいま!」
いきなりがらっと部室の扉が開いた。
「どうどう? 読み終わった? どうだった?」
勢いよく部室に戻ってきた吉沢先輩だったけど、微妙な雰囲気をすぐに感じ取ったようで不思議そうな顔になる。
「んん? またなんかあった感じ?」
「い、いえ」
「べつに何も」
僕と木崎くんの言葉が重なった。きょとんと吉沢先輩が目を瞬く。
「え? もしかして喧嘩でもしたわけ~?」
冗談めかして吉沢先輩が聞いてくるが、僕は答えることが出来なかった。
じっと木崎くんがこちらを見ている気配がする。それを遮るように、僕は背中を向けたのだった。


