先輩、この謎解いてください

「バス乗ろ。送るから」
 木崎くんがそう言ってくれて、手を繋いで僕の家へ向かうバスに乗り込んだ。
 いつものようにバス後方右側の二人乗りの席に僕が窓側、木崎くんが通路側の並びで座る。もちろん手は繋いだまま。
「……昔も、バス、……こうして、座ったよね」
「本当に思い出したんだ」
 木崎くんが嬉しそうに言う。
「先輩がさっき言ってた通り、俺はミキだよ。小学生のとき、吃音のサマースクールに一緒にバスに乗って通ってた」
「……やっぱり」
 小学校四年生の夏休み、母親に勧められて市外にある吃音の教室に通ったことがあった。そこにはいろいろな学校から小学生が来ていて、その中でなんとなく仲良くなったのが『ミキ』ちゃんだった。夏休みの間中、ミキちゃんとは同じバスに乗って教室に通っていた。
 そんな記憶がうっすら残っていたのに、今の今まで木崎くんを思い出せなかったのには、その子のこと『ミキ』ちゃんと呼んでいたからだろう。
 昔から僕はカ行の発音が大の苦手で、小学生のときは全く言えないことも多かった。
 『きざきこうき』という名前の、「きざき」の「き」は言えない。「こうき」の「こ」も駄目だ。だから光希という名前の読み方を変えて、僕はいつも「ミキ」と呼んでいたのだ。
「僕、ミキちゃんは女の子だと、思ってた」
 そう言うと、木崎くんは驚いたような声を出した。
「えっ? 先輩、俺のこと女だと思ってたの?」
「うん」
  だから余計にすぐに思い出せなかった。一緒にバスに乗って教室に通ったのは、女の子の『ミキちゃん』だったから。
「あー確かに俺のこといつも『ちゃん』付けしてたから、ちょっと変だなっては思った。昔は俺チビでガリだったしな」
 木崎くんは納得したように頷いた。そして少し遠い目をする。
「あのとき……先輩と知り合ったとき、俺初めての吃音のスクールに通ったんだよ。行くのめちゃ嫌だったし、結局最後まで吃音も改善しなくて悔しくしょうがなかった。それで最後の日バスの中で泣いてたら、先輩がこうやって俺の頭に帽子かぶせてくれたんだよな。『これなら泣いてるのわかんないからだいじょうぶだよ』って言ってくれてさ」
  木崎くんは被っていた帽子を取って、僕の頭に被せてくれた。
 するとはっきりと昔の記憶が蘇ってきた。バスの隣で、泣きじゃくっていたミキちゃん。かわいそうになった僕は、そのときに被っていた帽子をあげた。
「俺の初恋だったんだよ」
「え」
 初恋。その言葉にどきっとする。
「そ、それじゃ、ずっと僕のことを?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 違うのか……とちょっとがっかりしてしまった。
「でもずっと先輩のことは覚えてたよ。帽子もお守り代わりに大事に持ってたし、時々あの子はどうしてるのかなって思い出したりしてた」
「吃音、は?」
「そっちは自然とおさまった。それでもときどき出るよ。吃音ってさ、努力でどうにかなるもんじゃないじゃん」
「……うん、そう、だね」
 木崎くんは僕に優しく微笑んでから、続きを話し始めた。
「それでしばらくして、先輩が小説で賞貰ったって知ってすごくびっくりした。そのころ俺、あんまり学校で上手くいってなくてちょっと不貞腐れてたんだけど、小説読んだらすげえ面白いし勇気が出た。あの子も頑張ってるんだから、俺も頑張ろうと思って、運動とか勉強とか、あと見た目もいろいろ頑張った」
「そう、なんだ……」
 小説の賞に本名で出してしまったことをずっと後悔していたけど、そのことが木崎くんとの縁を繋ぎ直してくれただなんてびっくりだ。
「それから先輩の名前、ネットでよく検索するようになった。そしたら中三のときに、高校のミス研のブログ見つけて」
 ミス研のブログ。僕が個人的に更新しているものだ。
「えっ? あれ、見つけたの?」
 こくんと木崎くんが頷く。
「嘘……」
 驚くようなことばかりが判明して、頭があまり上手に働かない。
「だからこの高校に入った。また会いたいって思って、受験勉強頑張った」
 嬉しい。嬉しいけど……。
「……会ってがっかりしなかった?」
「全然。好みの見た目になってたから、すごいびっくりした。でも覚えてないって言われてショックで、それで咄嗟に『好きです』とか言っちゃって、これはガチで終わったなーって思ったけど」
「ノリで言ったってこと?」
「半分はね。それか一目ぼれだったかも」
「適当だなあ、もう」
 僕が笑うと、木崎くんも笑った。
「いいじゃん。今はちゃんと両想いになったんだから」
 僕はその言葉に固まった。
 ……両想い、だって。
 改めてそう言われると、胸の奥が痒いような気持ちになってくる。
「あ……えっと」
「違うの?」 
 木崎くんが意地悪な顔をして僕を覗き込んでくる。僕は唇を噛み、小さな声で呟いた。
「ち、違いま、せん」
「だよね」
 木崎くんが繋いでいた手をきゅっと握ってくる。僕もおずおずと握り返した。
 僕よりも少し高い体温が、じんわりと肌になじんでいく。
 さっきは言わないと絶対に気持ちは伝わらないって思っていたけど、こうして触れ合っていると、木崎くんの手からはっきりと好意が伝わってくる。
 不思議だ。言わなくても、触れただけで伝わる気持ちもあるだなんて。
「ねえ先輩」
「ん?」
「名前呼んで欲しい」
「……え?」
「朝比奈先輩って、いつも俺の名前呼ばないじゃん。カ行だから言いにくいんでしょ」
「えっ」
 まさか気づかれてたとは。でもその通りだから反論も否定も出来ない。気まずい思いで黙っていると、木崎くんは追い打ちをかけてくる。
「ねえ先輩、名前呼んで」
「えっあ、でも――」
「上手に言えなくてもいい。つっかえてもいいから。さっきは呼んでくれたじゃん」
 珍しく僕に言葉を先取ってくる。ああどうしよう、逃げ道がふさがれてしまった。
「え……と……」
「いいよね、俺たち付き合ってんだもん、名前くらい呼んでくれるよね?」
「う、うん」
 大きく息を吸って、「き」の形に舌と唇を作る。でも思いとどまった。「き」よりは「こ」の方が言いやすい。
 僕は木崎くんの耳元に唇を寄せ、息が漏れるくらいの声の大きさで言った。
「……こ、こうき」 
その途端、木崎くんの身体がびくっと震えた。木崎くんの首から頬、耳たぶにいたるまでが、さあっと赤くなっていく。
(え……あれ……?)
 思ってもみない反応に狼狽えていると。
「なんだよ、それ、反則だろ」
 小さな声で呟いた木崎くんが、僕の頭に被せていた帽子を取った。そしてそれを、なぜか僕の顔の前にかざす。
 何やってるんだろう、という疑問は一瞬で消えた。
 こちらを向いた木崎くんの顔が驚くほどに近い。そのまま近づいてきた形のいい唇が、僕の唇にちょんと当たった。
「あ……え……?」
「千尋先輩、思い出してくれてありがと。好きだよ」
 そう言って木崎くんは、甘い甘い顔で笑った。

(了)