フィールド・オブ・ビュー

「絵利ー、帰ろうぜーっ」

 昇降口まで行ってるかと思って歩き出すと、天真がどこからともなく現れた。

「おう」

 どこから来た? とは思ったものの、気にせず並んで歩き出す。

「もうだいぶ松葉杖慣れた?」
「ん? ああ、まぁ。毎日だからな」
「だよねー」

 俺の松葉杖をまだ気にしてくれているのが、優しい。けど、本当はもうこれなしでも俺は生きていけるのだ。心配されるたびに嘘をついている自分に罪悪感。

「あ、階段危ないから俺先に行くな」

 慌てて走って俺の前に出る天真の姿を見ていたら、松葉杖の距離感が掴めていなくて、俺は階段を一段踏み外してしまった。
 ふらついた体に頭の中でヤバいと思った瞬間。

「絵利! あぶなっ!」

 ふわっと、天真の愛用している汗拭きシートのシャボンの香りが俺を包み込む。
 そして、がっしりと体を抱き止め支えられた瞬間、この前みたいに一気に顔に熱が上がる。
 反動で手放してしまった片方の松葉杖が、階段を滑り落ちていくのがスローモーションで見えた。

「大丈夫か?」

 真っ直ぐに立ち上がった俺の顔を覗き込んでくる天真に、目を合わせられない。

「また怪我悪化したらマジで俺生きていけないからやめてくれーっ」

 俺に怒るみたいに説得してくるから、熱を上げている場合じゃないと、心を落ち着かせて冷静になる。

「わりぃ。マジで気をつけます」

 顔を上げれば、思ったより近い距離でまだ支えてくれている天真の瞳が、吸い込まれそうに綺麗だ。目が逸らせなくなって見つめていたら、天真の耳が真っ赤に染まり始めたから、俺は眉根を寄せる。

「天真、なんか耳……」

 そっと触れようとした瞬間、思い切りよく天真が離れた。

「おーい、大丈夫? 怪我なかったぁ?」

 階段下から呼ぶのは、落ちていってしまった松葉杖の片方を手にした岸部長だった。
 踊り場まで降りていくと、俺は岸部長に「大丈夫です。ありがとうございます」と松葉杖を拾ってくれたことにお礼を言った。

「二人とも近くで見るとデカいね。古谷くんはもう慣れたけど、二人が揃うとめちゃくちゃ迫力がある」

 圧倒されるように瞳を輝かせて、岸部長が俺たちを見上げてくるから、なんだか面白い。

「君たち二人はやっぱ推せるわ。あ、古谷くん、明日もサッカー部ベンチに行くよね?」
「あ、はい」

 毎日描く方がいいと言われたら、行くに決まっている。言われなくとも行く予定ではあったけど。

「あたし明日進路相談あって、部活行けないかもしれないの。古谷くんいつも最後になるから、鍵閉め当番頼んでもいい?」
「え! 俺に鍵? 責任重大じゃないですか?」
「そんな大袈裟な。ただ終わったら鍵閉めて顧問のとこに返しとくだけだよ。誰でも出来るって」

 ケラケラと笑う岸部長の雰囲気に慣れた俺は、先輩の言葉を信じて頷く。

「それなら」
「ありがとう。じゃあ、よろしく頼んだよ」

 手をひらひらと振って、岸部長は行ってしまった。
 一息ついてから隣の天真に視線を向けると、なぜか唇を突き出して拗ねている?

「俺の知らない人と絵利が仲良くしてるー!」

 これは、明らかに拗ねている。かわいい。

「なんか俺、疎外感ーっ。置いてけぼりー、寂しいー」

 不満だらけだなと笑ってしまう。

「ごめん。今のは美術部の部長。天真のこと推してるって言ってたよ」

 なぜか俺もセットにされていたけれど。

「ふうん。でも、今完全に二人だけの世界だったよね?」
「……え、そう? ってか、美術部の話だから天真には関係ないからじゃない?」
「あー! 関係ないとか言った! 悲しいー」
「いや、だって、ほんと関係ない」
「絵利が美術部もサッカー部も関係ある存在なら、俺だってどっちとも関係ありたい!」

 天真は、たまにはちゃめちゃなことを言うことがあるのだが。

「じゃあ、俺といればもう天真だって美術部とも関係あるでしょ。モデルやってもらってるんだし」

 無関係ではない。確実に。
 尖らせていた唇が、綺麗に弧を描き始める。途端に機嫌が良くなっていく天真にホッとした。