スケッチブックの一ページ目を開き、鉛筆を持ちながら、天真のどんなシーンをここに収めるか想像する。
目の前でくるくると躍動して、シュートが決まった時の喜ぶ顔も、滅多にないミスに歪む表情も、なによりもサッカーをしていることを楽しむ天真の真剣な表情にも、全部心を掴まれる。
一瞬たりとも見逃したくない。
一緒にフィールドに立っている時には見えなかった天真の姿が、ここからなら全部見える。
ドキドキする。一瞬一瞬、瞬きすらも惜しいくらいに、瞳のシャッターを切っては、頭の中のフォルダーが天真で埋められていく。
天真の全てを描きたいと強欲になる。
気がつけば、鉛筆を走らせていた。
しばらく絵は描いていなかったから、手の感覚が鈍っている。バランスを取るのが難しい。
頭の中に収めた姿、今目の前に捉えている笑顔。そのままを落とし込みたいのに、上手くいかない。
何度も描いては消す。繰り返し、描いては消す。そうしているうちに、あっという間に部活動時間は終わってしまった。
汗だくになって戻ってきた部員たちが、俺のところに寄ってくる。
「古谷、なにしてんのー?」
二か月だけとはいえ、つい最近まで一緒にサッカーをしていた一年のメンバーに囲まれて、俺はまだ未完成のスケッチブックを慌てて閉じた。
「なにそれ、絵描いてたの?」
「えー! 見たいみたい!」
興味本位で騒がれるけど、今はまだ見せられる段階じゃない。
「絵利困ってるだろ、あんまみんなで詰めんなって!」
すぐに天真が俺の前に壁になってくれて、庇ってくれる。昔からだ。俺が出来なかったり上手くいかないことがあると、天真はみんなフォローして助けてくれた。ちょっと、というか、だいぶ甘えすぎてるかもしれないって、この怪我をしてから確信するようになった。
「おーい、ミーティングするぞー」
木下部長の一言でみんながすぐに反応して戻っていく中、天真が振り返って俺に耳打ちする。
汗混じりの湿度を感じる体温に、ドキッとする。
「絵利、一回美術室戻ったりする?」
「え、ああ、これ置いてくるけど」
「じゃあ、俺ミーティング終わったら美術室迎えいくから待ってて!」
「……え」
また、親指を立ててウインクする天真。
颯爽と去っていくから、あれは天性のイケメンなんだと思った。素で出来るわけがない。俺には絶対無理。やっぱり、天真はカッコ良すぎる。
久しぶりにじっくり天真のことを見過ぎて、改めて魅力に気付かされた。
俺は立ち上がって松葉杖を手にすると、美術室に向かった。
校内に入ってしまえば、もう俺の姿はグラウンドからは見えない。松葉杖を片手に抱え、俺は普通に歩き出す。別に膝に違和感はない。たぶんもう、激しい運動をしなければまた痛むことはないと思う。つまり、治っている。
まぁ、次の病院まではこいつの世話になっておくか。と、松葉杖を見てから、颯爽と美術室に向かった。
「あ、お疲れ様ー! どう? はかどった?」
他の部員は帰ってしまったのか、美術室には岸部長だけがいて、帰る支度もすっかり済ませている様子に見える。
「お疲れ様です。うわ、俺すみません、ギリギリまで戻ってこなくて」
あわてて、松葉杖を机に立てかけ、スケッチブックを置くと自分の荷物を整理し始める。もしかしたら、俺が戻るのを待ってくれていたのかもしれない。
「いいのいいの。夢中になれることがあるって素敵なことだからさ。ちゃんと部活終わり時間には戻ってきてるんだし、気にしないで」
「ありがとう、ございます」
全然嫌そうな顔なんてしないで、むしろ気にしないでと笑い飛ばしてくれるから、心が軽くなる。二つしか年が違わないはずなのに、岸部長のことがすごく大人に見えてしまう。
「古谷くんは、どうして滝沢くんを描きたいの?」
「……え」
作業するのに邪魔だったのだろう。後ろで結んでいたヘアゴムを外して、リラックスした顔で岸部長が微笑む。
「……どうして、ですかね?」
天真がかっこいいから? かわいいから? それはもちろんあるけど……
「俺にしか描けない天真を、描きたいから……ですかね」
顎に手を当て、少し悩んでから俺は告げる。
「へぇ。まるで恋でもしているみたいな理由」
「……へぁ!?」
岸部長が腕を組んで考えるように呟くから、思わず変な声が湧き上がってきてしまった。
「あれ? 図星? 顔真っ赤だよ、古谷くん」
「は!? いや、そんなことは……」
岸部長にジッと顔を見られて、俺は焦って両手を頬に当てた。なんでこんな熱くなってんだ?
たしかに俺は天真のことをかっこいいとかかわいいとか思うし、憧れているところもあるし、優しいし頼れるし、たまにドジするとことかも憎めないし、はっきり言って性格もまるっと好きすぎる。けど、それが恋とかそういうものだとは、思ったことなんてなかった。
「あれ? もしかして自覚なしだったの? おもしろーい」
唖然としたかと思えば、ケラケラと笑う岸部長。さっき大人だと思ったばかりなのに、この人絶対に俺のこと揶揄って遊んでいるんじゃないかと疑いたくなる。
「たった二か月とは言えね、二人の仲の良さはあたしにはもう恋にしか見えなかったのよ」
窓の外を指差す岸部長の指先を見ると、外にはグラウンドのサッカー部ベンチが丸見えであることが分かった。
「え!? ここ、めちゃくちゃサッカー部見えるじゃないですか!!」
「そうなのよ。穴場スポットよ」
「え!? 岸部長、もしかして俺のことここからずっと……」
「見てたわよー。黙って二人のことも描かせてもらってました。盗み描きしてごめんなさい」
ぺこりと頭を下げながら、机の上に置いていた岸部長のスケッチブックを開いて、一枚の絵を見せてくれた。
鉛筆で丁寧に描かれているのは、笑い合う天真と、俺!?
驚いて目を見開いたまま岸部長を見れば、顔の前で手を合わせてもう一度謝る。
「勝手に二人のことを推してたの、あたし。なのに古谷くん怪我しちゃって、サッカー部やめて美術部に入るっていうから、めちゃくちゃショックだった。でもね、古谷くんが滝沢くんのこと描きたいって言ってくれた時は、もうこれは応援するしかないって思ったの!」
興奮気味に話し続ける岸部長に圧倒される。
そして、俺が天真に恋をしているって自覚はまったくなかったし、今もよく分からないけれど、そばにいたいってことに間違いはないから、素直に岸部長の応援が嬉しいと思った。
「あ、ありがとうございます! 俺、やっぱ美術部入ってよかったです」
「ふふ。あたしに出来ることがあったらなんでも言ってね。協力するから」
岸部長も、天真みたいに親指を立ててウインクをしてくれる。それが、ものすごく頼もしいと感じてしまう。
久しぶりに手にした鉛筆。
思うように描けなかったスケッチブックの一ページ目。さっき見せてもらった岸部長の絵は、圧倒的に上手すぎた。
時間をかけたはずなのに思うようにいかなくて、理想と現実があまりにもかけ離れすぎて、自分の画力のなさに落ち込んでいる。
「……でも、全然上手く描けなかったです」
「そう? あたしはいいと思うけど。この構図」
「え……は!? えええ!! ちょっと、先輩っ」
いつの間にか俺のスケッチブックを手にして、一ページ目を凝視している。慌てて取り返そうにも、意外とすばしっこくて逃げられる。
「まだ全体を見る力が付いていないだけな気がするな。あとはデッサンの足りなさ。絵はね、描けば描くほど上手くなるのよ。あたしがいい例だから。なんか下手だな、描きたくないなって思っても、次の瞬間には描いちゃってる。それくらい、描き続けることが大事だよ。絵はね、心を反映しているし、そんな簡単には描けるものじゃないのよ。だから、焦らない。毎日滝沢くんのことを見て、観察して、より深く知って、そうして描いていくうちに完成されていくはず」
スケッチブックを閉じて机に置くと、岸部長が俺の肩をポンポンと叩く。
「まぁ、気長に行きましょうよ」
ニコッと笑ってくれるから、さっきまで心の中で燻っていた自分への出来なさへの不安がはじけて消えたように感じた。
「困ったことがあったらいつでも頼ってね。あたし、部長だから」
仰け反るように偉ぶる岸部長に、思わず笑ってしまう。そして、何度も頷いて、「よろしくお願いします」と握手を交わした。
岸部長が美術室の鍵をかけてくれて、廊下に出た。見えるところにまだ、天真の姿はない。
目の前でくるくると躍動して、シュートが決まった時の喜ぶ顔も、滅多にないミスに歪む表情も、なによりもサッカーをしていることを楽しむ天真の真剣な表情にも、全部心を掴まれる。
一瞬たりとも見逃したくない。
一緒にフィールドに立っている時には見えなかった天真の姿が、ここからなら全部見える。
ドキドキする。一瞬一瞬、瞬きすらも惜しいくらいに、瞳のシャッターを切っては、頭の中のフォルダーが天真で埋められていく。
天真の全てを描きたいと強欲になる。
気がつけば、鉛筆を走らせていた。
しばらく絵は描いていなかったから、手の感覚が鈍っている。バランスを取るのが難しい。
頭の中に収めた姿、今目の前に捉えている笑顔。そのままを落とし込みたいのに、上手くいかない。
何度も描いては消す。繰り返し、描いては消す。そうしているうちに、あっという間に部活動時間は終わってしまった。
汗だくになって戻ってきた部員たちが、俺のところに寄ってくる。
「古谷、なにしてんのー?」
二か月だけとはいえ、つい最近まで一緒にサッカーをしていた一年のメンバーに囲まれて、俺はまだ未完成のスケッチブックを慌てて閉じた。
「なにそれ、絵描いてたの?」
「えー! 見たいみたい!」
興味本位で騒がれるけど、今はまだ見せられる段階じゃない。
「絵利困ってるだろ、あんまみんなで詰めんなって!」
すぐに天真が俺の前に壁になってくれて、庇ってくれる。昔からだ。俺が出来なかったり上手くいかないことがあると、天真はみんなフォローして助けてくれた。ちょっと、というか、だいぶ甘えすぎてるかもしれないって、この怪我をしてから確信するようになった。
「おーい、ミーティングするぞー」
木下部長の一言でみんながすぐに反応して戻っていく中、天真が振り返って俺に耳打ちする。
汗混じりの湿度を感じる体温に、ドキッとする。
「絵利、一回美術室戻ったりする?」
「え、ああ、これ置いてくるけど」
「じゃあ、俺ミーティング終わったら美術室迎えいくから待ってて!」
「……え」
また、親指を立ててウインクする天真。
颯爽と去っていくから、あれは天性のイケメンなんだと思った。素で出来るわけがない。俺には絶対無理。やっぱり、天真はカッコ良すぎる。
久しぶりにじっくり天真のことを見過ぎて、改めて魅力に気付かされた。
俺は立ち上がって松葉杖を手にすると、美術室に向かった。
校内に入ってしまえば、もう俺の姿はグラウンドからは見えない。松葉杖を片手に抱え、俺は普通に歩き出す。別に膝に違和感はない。たぶんもう、激しい運動をしなければまた痛むことはないと思う。つまり、治っている。
まぁ、次の病院まではこいつの世話になっておくか。と、松葉杖を見てから、颯爽と美術室に向かった。
「あ、お疲れ様ー! どう? はかどった?」
他の部員は帰ってしまったのか、美術室には岸部長だけがいて、帰る支度もすっかり済ませている様子に見える。
「お疲れ様です。うわ、俺すみません、ギリギリまで戻ってこなくて」
あわてて、松葉杖を机に立てかけ、スケッチブックを置くと自分の荷物を整理し始める。もしかしたら、俺が戻るのを待ってくれていたのかもしれない。
「いいのいいの。夢中になれることがあるって素敵なことだからさ。ちゃんと部活終わり時間には戻ってきてるんだし、気にしないで」
「ありがとう、ございます」
全然嫌そうな顔なんてしないで、むしろ気にしないでと笑い飛ばしてくれるから、心が軽くなる。二つしか年が違わないはずなのに、岸部長のことがすごく大人に見えてしまう。
「古谷くんは、どうして滝沢くんを描きたいの?」
「……え」
作業するのに邪魔だったのだろう。後ろで結んでいたヘアゴムを外して、リラックスした顔で岸部長が微笑む。
「……どうして、ですかね?」
天真がかっこいいから? かわいいから? それはもちろんあるけど……
「俺にしか描けない天真を、描きたいから……ですかね」
顎に手を当て、少し悩んでから俺は告げる。
「へぇ。まるで恋でもしているみたいな理由」
「……へぁ!?」
岸部長が腕を組んで考えるように呟くから、思わず変な声が湧き上がってきてしまった。
「あれ? 図星? 顔真っ赤だよ、古谷くん」
「は!? いや、そんなことは……」
岸部長にジッと顔を見られて、俺は焦って両手を頬に当てた。なんでこんな熱くなってんだ?
たしかに俺は天真のことをかっこいいとかかわいいとか思うし、憧れているところもあるし、優しいし頼れるし、たまにドジするとことかも憎めないし、はっきり言って性格もまるっと好きすぎる。けど、それが恋とかそういうものだとは、思ったことなんてなかった。
「あれ? もしかして自覚なしだったの? おもしろーい」
唖然としたかと思えば、ケラケラと笑う岸部長。さっき大人だと思ったばかりなのに、この人絶対に俺のこと揶揄って遊んでいるんじゃないかと疑いたくなる。
「たった二か月とは言えね、二人の仲の良さはあたしにはもう恋にしか見えなかったのよ」
窓の外を指差す岸部長の指先を見ると、外にはグラウンドのサッカー部ベンチが丸見えであることが分かった。
「え!? ここ、めちゃくちゃサッカー部見えるじゃないですか!!」
「そうなのよ。穴場スポットよ」
「え!? 岸部長、もしかして俺のことここからずっと……」
「見てたわよー。黙って二人のことも描かせてもらってました。盗み描きしてごめんなさい」
ぺこりと頭を下げながら、机の上に置いていた岸部長のスケッチブックを開いて、一枚の絵を見せてくれた。
鉛筆で丁寧に描かれているのは、笑い合う天真と、俺!?
驚いて目を見開いたまま岸部長を見れば、顔の前で手を合わせてもう一度謝る。
「勝手に二人のことを推してたの、あたし。なのに古谷くん怪我しちゃって、サッカー部やめて美術部に入るっていうから、めちゃくちゃショックだった。でもね、古谷くんが滝沢くんのこと描きたいって言ってくれた時は、もうこれは応援するしかないって思ったの!」
興奮気味に話し続ける岸部長に圧倒される。
そして、俺が天真に恋をしているって自覚はまったくなかったし、今もよく分からないけれど、そばにいたいってことに間違いはないから、素直に岸部長の応援が嬉しいと思った。
「あ、ありがとうございます! 俺、やっぱ美術部入ってよかったです」
「ふふ。あたしに出来ることがあったらなんでも言ってね。協力するから」
岸部長も、天真みたいに親指を立ててウインクをしてくれる。それが、ものすごく頼もしいと感じてしまう。
久しぶりに手にした鉛筆。
思うように描けなかったスケッチブックの一ページ目。さっき見せてもらった岸部長の絵は、圧倒的に上手すぎた。
時間をかけたはずなのに思うようにいかなくて、理想と現実があまりにもかけ離れすぎて、自分の画力のなさに落ち込んでいる。
「……でも、全然上手く描けなかったです」
「そう? あたしはいいと思うけど。この構図」
「え……は!? えええ!! ちょっと、先輩っ」
いつの間にか俺のスケッチブックを手にして、一ページ目を凝視している。慌てて取り返そうにも、意外とすばしっこくて逃げられる。
「まだ全体を見る力が付いていないだけな気がするな。あとはデッサンの足りなさ。絵はね、描けば描くほど上手くなるのよ。あたしがいい例だから。なんか下手だな、描きたくないなって思っても、次の瞬間には描いちゃってる。それくらい、描き続けることが大事だよ。絵はね、心を反映しているし、そんな簡単には描けるものじゃないのよ。だから、焦らない。毎日滝沢くんのことを見て、観察して、より深く知って、そうして描いていくうちに完成されていくはず」
スケッチブックを閉じて机に置くと、岸部長が俺の肩をポンポンと叩く。
「まぁ、気長に行きましょうよ」
ニコッと笑ってくれるから、さっきまで心の中で燻っていた自分への出来なさへの不安がはじけて消えたように感じた。
「困ったことがあったらいつでも頼ってね。あたし、部長だから」
仰け反るように偉ぶる岸部長に、思わず笑ってしまう。そして、何度も頷いて、「よろしくお願いします」と握手を交わした。
岸部長が美術室の鍵をかけてくれて、廊下に出た。見えるところにまだ、天真の姿はない。



