「本当にいいの? テストで練習も出来なかったんじゃない?」
テスト明けの部活。
皆で集まった視聴覚室で、今日俺が大会に出られるかどうかを決める。そうして欲しいと浜田部長に伝えたのだ。
「大丈夫です。それであの、オオカミ先輩は……」
「うん、呼んでおいたよ」
「ありがとうございます!」
あれからオオカミ先輩とは会っていない。
もしかしたら今日演劇部に顔を出してくださいと言っても来てくれない可能性も考えて、これも浜田部長にお願いした。これなら絶対来てくれるだろう。
「俺が役をやるとき、ひとりで前に立っていていいですか?」
「おお、やる気満々だね!」
「まぁ、そんな感じです」
「いいよいいよ。頑張ってね」
浜田部長は眼鏡をあげて笑った。
「お邪魔しまーす」
するとガラ、と視聴覚室のドアが開く。現れたのはオオカミ先輩だ。
「あ、狼ヶ峰くん。テストお疲れ様」
「演劇部長もお疲れ様っす」
久しぶりのオオカミ先輩だ。
姿が見られた嬉しさと、これからすることへの緊張。
俺は何も言えずに立っていれば、オオカミ先輩と目が合った。
「おう、由瑠もテストお疲れさん」
「っ、せ、先輩もお疲れ様です」
こんな会話だけでもやっぱり嬉しくて、恥ずかしい。でも俺は顔を背けなかった。
「衣装についての相談でしたっけ」
浜田部長に確認するオオカミ先輩だが、それは真っ赤な嘘である。ただオオカミ先輩を呼ぶ口実だ。
さてここに居座ってもらうにはどうしよう、と焦った俺だったが、浜田部長が上手く嘘を続けてくれた。
「その前に少しやることがあるから、ちょっと席について待っててもらってもいいかな?」
ナイス部長!
俺は心の中でガッツポーズをする。
「へーい」
そのまま教室の奥に行こうとするオオカミ先輩に俺は「あ、オオカミ先輩!」と声を掛けた。
「座るとこ! 一番奥の真ん中! そこに座ってください!」
「あ? 別に端で待つけど」
「ダメです! オオカミ先輩は奥のど真ん中で座っていてください!」
指さした席には他の部員が座らないよう、予約席のように『オオカミ先輩』と張り紙をしておいた。
それを見たオオカミ先輩は小さく笑う。半分呆れた笑みで。
「なぁに考えてっか知らねぇけど、あそこで待っててやるよ」
くしゃりと俺の頭を撫でて、そのまま席へと移動した。
やっぱり嬉しい。やっぱり好き。
ぎゅっと胸が握られるような感覚をどうにか押さえて、ひとつ深呼吸。
「頑張れ俺っ」
拳を作って気合いを入れた。
「はい、じゃあ部活を始めるよー」
部員全員が揃えば、浜田部長はいつものようにパシンと手を叩く。
「今日は城詰くんが大会に出られるか見ていくよ」
「はぁ⁉」
叫んだのはオオカミ先輩だ。
ずっと練習に付き合ってくれたのだ。それなのに今日で大会に出られるかが決まるだなんて知らなかったのだから、驚くのも無理はない。
「ちょい、テストで部活無かったのに、突然すぎるだろ!」
「やっぱそう思うよねー」
「俺が今日がいいって言ったんです」
席についていた俺は立ち上がり、浜田部長の隣に立つ。
うん、ここならオオカミ先輩の顔がしっかり見える。
「これから演じるので、そこで見ていてください」
「でもっ」
「大丈夫です」
不安そうなオオカミ先輩に俺は笑った。
「大丈夫だから、そこにいてください」
「……分かった」
「よし」
浜田部長がコソっと「本当にいいの?」と心配そうにするから、それにも笑って「大丈夫」と返す。
頷いた俺に浜田先輩も席に座った。
「そしたら城詰くん、お願いします」
「はいっ、よろしくお願いします!」
一礼して、目を閉じる。台本なんか必要ない。
めいいっぱい息を吸って、深く吐き出す。緊張でその息すら震えるけれど、目を開ければ視線の先にオオカミ先輩がいて、自然と呼吸が楽になる。
それなのに胸が痛いくらい高鳴って苦しくなるのだから、ほらやっぱり“好き”というのは扱いに困る。
でもそれだけじゃない。困るだけじゃないのだ。この気持ちは。
ここはパン屋さん――――ここは視聴覚室。
いつも声を掛けてくれる人――――いつも練習に付き合ってくれた人。
――――気付けば、好きになっていた。
好きって何だろう。
大切に想う気持ち? 恥ずかしくて逃げたくなる厄介なもの?
きっと答えなんてないんだと思う。
ただひたすら、あなたのことを考えてしまう。
複雑なのに、単純なもの。
「レイナさん、俺は君が好きです。こんな俺にいつも笑顔で話し掛けてくれる君のことが」
人の気持ちが分からない。
勇気を出して告白してくれたのに、時間の無駄だと言って切り捨てた。
顔だけで選んだとしてもそれも立派な好きという感情。
それにも気付けずに人を傷つけてきた俺に、あなたは心を教えてくれた。
まるで乾いた土に雨水が染みこむように、優しく、ゆっくりと。
「ただの客なのに困りますよね」
好きな人を困らせたくない。本当に。
でもちょっとだけ嘘だ。本当は少し困ってほしい。
だから苦笑する。
「でも溢れる気持ちを伝えたかった。ただ知って欲しかったんです」
真っ直ぐ見つめる先にいるオオカミ先輩。
手を伸ばして、でも触れるのをためらう。
こんな気持ちは迷惑かもしれない。でもこの気持ちを伝えずにはいられない。
あなたのことが大切です。
あなたをこんなにも想っています。
あなたはひとりじゃない。
あなたはこんなにも愛されているんです。
でも。
「分かっています」
決してその気持ちが結ばれるとは限らない。
振られる。断られる。迷惑だと手を振り払われる。
それはとても悲しい。胸が痛いと悲鳴を上げる。
傷ついて、辛くて深い傷になると分かっていても、その傷はいつかきっと温かな思い出に変わるから。
もう一度手を伸ばして、見えないあなたの手をそっと包む。
知らなかった、こんな気持ち。
分からなかった、こんな想い。
でももう、感じていた。
――――そう! そうなんですっ! オオカミ先輩は素敵な人で!
好き(あなた)が素敵なんだって!
「素敵な気持ちを教えてくれてありがとう、レイナさん」
でもこの役はレイナさんと結ばれない。
泣きそうになって、でも笑顔で終わらせたいから、最後は泣きそうな笑顔で。
いつかあなたの中にも、温かな思い出となりますように。
俺は役がパン屋から出て行くように、俺も視聴覚室から出て行った。
視聴覚室がしん、と静まる。
まばらにパチパチと拍手が起こり、次第に大きくなる。
そして皆が「良かった!」と声を上げた。
「すごい! あれ本当に城詰⁉」
「映画のワンシーンみたいだったな!」
「なんか泣きそうになる」
「最高だったー!」
「ってか、城詰どこ?」
部員が「戻って来ないね?」と首を傾げているなか、レイナ役として座っていた彼が立ち上がる。
「おい演劇部長、今日はあいつもらってくぞ」
「はいはーい。城詰くんに合格だって伝えといてね」
浜田部長は手を振って見送った。
胸が苦しい。息が苦しい。涙が止まらない。走ることをやめられない。だって。
「ごら由瑠! 止まれやぁぁ!」
「か、勘弁してくださいよおおお!」
オオカミ先輩が追い掛けてくるから!
「ちょっと時間! 時間ください! 落ち着きたいんで!」
「ンな待ってられるか! 今すぐ抱きしめさせろ!」
「無理! ほんと無理!」
校内を回っていても捕まってしまうことは、セーターの件で分かっている。
俺は上靴のまま正面玄関から出て行った。
「くそ!」
「わっ!」
だが追いつかれ、腕を取られる。
「はーなーせーっ!」
「いやだね」
なんとか振りほどこうと暴れるけれど、オオカミ先輩は俺を引きずるように歩いて行く。
校舎に連れ戻されるのかと思ったが、行き着いた先はよく俺が告白される場所――オオカミ先輩と初めて会った場所だった。
「由瑠」
誰もいない校舎裏。
陰に隠れるように抱きしめられた。
「なんでそんなに泣いてんだよ」
しゃくりを上げる俺に、オオカミ先輩が困ったように聞く。
逃げたいのに俺の手は勝手にオオカミ先輩の背中に回り、縋るように制服を掴んだ。
「か、悲しくて……」
「なんで」
「ふら、振られたから」
別に俺が振られたわけじゃない。
レイナさんに、パン屋の客が振られただけだ。
振られるのが分かっていて言ったけれど、それでもやっぱり悲しい。
いや、俺が悲しいんじゃなくて、役が悲しいんだけど。
「なんか、ごちゃごちゃしてて」
でも次は俺の番かもしれない。
「これから俺もふ、振られますか?」
「どうしてそうなる」
「だって、距離、置くって……」
「それはただお前を落ち着かせようと思ってだな」
「あー、くそ」とオオカミ先輩は言い、俺を抱きしめる腕から力を抜いた。
「由瑠」
コツンと額と額が合わさる。
名前を呼ばれ、どこか曖昧だった役との境界線が見えた気がした。
「由瑠、いまお前の前にいるのは誰だ」
「お、オオカミ、先輩」
「もっかい言って」
「オオカミ先輩」
「そうだ」
呼吸が少しずつ整ってくる。
でも涙はまだ止まらない。
「先輩も、もう一回名前、呼んでください」
「由瑠」
「……もう一回」
「由瑠、由瑠」
オオカミ先輩と視線が交わる。
そっと囁くように名前を何度も呼ばれ、少しずつ距離が近づいて、そして少しだけ唇が触れ合った。
部活の声に、セミの声。
それらの存在はなくなって、二人きりの世界。
きっと二度と元の世界には戻れない。
戻りたくないと、思った。
最後に一度だけ確認しあうように唇を重ねれば、再び強く抱きしめ合った。
いつの間にか涙は止まっていた。
「……やっぱ好きって恥ずかしいだけな気がする」
「だぁら、そんな可愛いこと言うなって」
「先輩もこんな気持ち?」
「もっとヤラしい気持ち」
「なっ!」
ボッと頬が赤くなって、それから今更そういえば俺たちキスしてた! と意識する。
やっぱ恥ずかしい!
「離せけだものー!」
「まぁオオカミ先輩なんで、俺」
「そういうことじゃない!」
「まぁまぁ」
オオカミ先輩は笑って抱きしめる腕を離す。俺は威嚇する猫のように少しだけ距離を取ると、先輩は「おめでとう」と突然言った。
「役、合格だってさ」
「へ?」
「演劇部長が伝えてくれって」
「じゃ、じゃあ! 大会に出られるんですね⁉」
「おう、お前の衣装は俺が作ってやる」
「あ、そういうのもありましたね」
「てめぇ……」
役のことばかり考えていて、オオカミ先輩が衣装云々はすっかり忘れていた。
俺は「すみません」と笑った。
「その、ありがとうございました。ずっと練習に付き合ってくれて」
「まぁあれは俺の下心だから」
「なっ」
またこの人はなんてこと言い出すんだ!
「俺は必死だったのに!」
「知ってんよ」
オオカミ先輩は甘く微笑んで俺の頭を撫でる。
この人のこういうところもやっぱり好きだ。
「よく頑張ったな」
「……へへ」
だから照れくさくても、子供みたいに俺も甘えられた。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん? なんだ?」
「オオカミ先輩はどうして俺のこと、その、好きになってくれたんですか?」
俺が性格が悪いことをオオカミ先輩は知っているのに、こんな俺のどこを好きになってくれたのだろうか。
先輩みたいに格好いいところも、優しいところもないと思うんだけど。
「どうしてだと思う?」
「またそんな意地悪しないでくださいよ」
「人の気持ちの理解を深めろよ」
「えー」
「ついでにお前自身のことも理解しとけ」
「俺?」
どういうこと?
首を傾げるとオオカミ先輩は俺の手を取って、手の甲に口付けた。
「頑張り屋の可愛いところとか、な」
「はい?」
それは一体誰の話だと顔を顰めたが、「そういえばな由瑠」と続いた言葉に俺は悲鳴を上げることになる。
「ハートのセーターだけどよ、俺とペアルックだから、楽しみにしとけよ」
「本気ですか⁉ ハート柄なんとかしてくださいよ!」
「いいじゃねぇか。恋人とハートのペアルック」
「絶対いやだ! 絶対着ない!」
俺は手を振り払い走り出す。
本気で着たくないが、きっと着る羽目になるのだろう。オオカミ先輩とペアルックで。
それを想像するとちょっと笑えた。
俺は人の気持ちが分からない。
だから演劇部に入ったけれど、分からないものは分からない。それでも考えて、俺なりに精一杯理解して、体感して。
でもきそれはっと演劇部に入ったからというよりも、演劇部でオオカミ先輩に出会えたから、役の気持ちになれたんだと思う。
だがこれで終わりでは無い。これから他の役だって沢山演じることになるのだ。
これからも迷って困って唸ることになること間違いなし。
だけどきっと大丈夫。
「おい由瑠! そんなに嫌がるんなら靴下もおそろいにしてやるから! 足のサイズも測らせろやぁぁ!」
「ぎゃあああ!」
まぁ多分、きっと。
(完)


