俺の演じる役について、と白い紙にペンを走らせていく。
台本をもらってから大分経った。夏休み前に大会に出られるか考えたいと浜田部長が言っていたから、そろそろこの役の感覚を掴んでおかなくては。
俺は家に帰った自室で、「んーと」と考える。思い出すのはオオカミ先輩に教えてもらったこと。
この役は勇気を出して告白した。告白するだけでも勇気がいる。そして振られると傷つく。
ただ知って欲しかったということは、振られることを分かっていた。傷つくと分かっていても溢れる気持ちを伝えたかった。
「好きだーってなるから、傷ついても告白したかったってこと?」
そしてその気持ちは素敵なものだと言う。
溢れた気持ちは幸せになるから、だから素敵なものなのか?
「んー、なるほど?」
疑問はまだ多いけれど、こんな気持ち分かるかよというバカにするような感覚はもう無い。それどころか、頑張って告白しているのだと理解出来る。
「もうちょっとで掴める気がする!」
よし、と拳を握った。
ふと机にオオカミ先輩がくれた丸い空のキーホルダーが目に入る。持ち上げて見つめれば綺麗で何度でも感嘆してしまう。これが手作りだなんて信じられない。
「オオカミ先輩はほんっと物作りが好きだよなぁ」
他にも周りには先輩がくれた物が増えてきており、なんだかセンスのいい人間になったような気持ちになる。
「今度はなにくれるんだろう」
俺はキーホルダーをカバンにつけて笑った。
その“くれる”の価値を何も知らずに。
「明日から期末のテスト期間なので、部活も自主練もお休みですね」
放課後の視聴覚室でいつものようにオオカミ先輩と過ごしたあと、帰り支度をしながら言った。
「え、お前勉強すんの?」
「そりゃしますよ。テスト期間なんですから」
「へー、えらいな」
驚いたようなオオカミ先輩に俺は少し違和感を覚える。
もしやと思い聞いてみた。
「先輩って勉強しなくても勉強出来るタイプですか?」
「いや全然」
「なんだ良かった」
ケンカも強くて物作りも上手で、そこで勉強まで出来るとなったら、格好いいを通りこしてしまう。
俺はホッと息を吐いて、でも「ん?」とまた違和感。
「じゃあテスト勉強はしてるんですか?」
「いや、してねぇけど」
「ん?」
口に弧を描いて固まれば、オオカミ先輩も満面の笑みで言った。
「バカだなぁ由瑠。物作りに勤しむ俺に、勉強する時間があると思うか?」
「いや開き直らないでくださいよ! ちゃんと勉強してください!」
「ちなみに俺、赤点常習者だから」
「威張るところじゃない!」
まったくこの人は。
はー、と溜息をつけば、オオカミ先輩は「そうだ」と頭の上に電球を点灯させた。
「なぁ、一緒に勉強しようぜ」
「あ、俺そういうの一人で集中したいタイプなので」
「……まぁ、ノーがハッキリ言えるのは大切なことだよな」
どこかシュンとした姿。狼というよりも犬みたいになっている。
「あーあ、由瑠に会えねぇのは寂しいな」
「たかだか一週間でしょ」
「ほぼ毎日一緒にいるんだぜ? 絶対お前も寂しく感じる」
「感じませんよ」
呆れて返すけれど、確かに一週間も会わないのは出会ってから初めてかもしれない。
寂しくなる? オオカミ先輩に会えないのが? いつも一人でいる俺が?
「…………」
俺が黙って考えていると、オオカミ先輩はニッと笑って俺の鼻を摘まんだ。
「寂しくなった?」
「……別に」
「てか、鼻を摘まむなっ」と手を振り払う。それでも先輩は楽しそうだ。そして再び「ならさ」と頭上に電球が点灯した。
「テスト期間中は待ち合わせて一緒に帰ろうぜ。それくらいならいいだろ?」
「……まぁ、それくらいなら」
「んじゃ、正面玄関で待ち合わせな」
「はい」
「よし」
手が伸びて俺の頭を撫でる。その手が気持ちいいことをもう俺は知っている。それは払うことなく受け止めていれば。
「由瑠は勉強頑張れよ」
「いやあんたも勉強しろ!」
投げ捨てるように叩き落とした。
テスト期間中は演劇部だけではなく、学校全体が部活休止となる。
いつも以上に正面玄関は人で溢れるけれど、一年生と二年生の下駄箱は隣同士なので、近くに立っていればお互い見つけられるだろう。
俺は辺りを見渡したが、どうやらオオカミ先輩はまだ来ていないようだ。そういえば前に担任のホームルームが長いとぼやいていた気がする。
まぁここら辺にいれば気付くだろうと、俺は一年生と二年生の間の柱に背を預けた。
「あれ、城詰くん?」
「浜田部長」
外から入ってきた浜田部長に「こんにちは」と頭を下げる。
「教室にノート忘れたことに気付いて、取りに戻って来たの」
「そうだったんですか」
だから外から来たのかと納得する。
すると浜田部長は「あれ?」と俺のカバンを見ながら眼鏡をあげた。
「城詰くん、それすっごく綺麗だね!」
指さしたのはオオカミ先輩からもらった空のキーホルダーだ。
作ったのは俺じゃないのに、綺麗だと言われてなんだかとても嬉しくなる。
「これオオカミ先輩からもらったんです。手作りらしいですよ」
「えっ⁉」
驚いた様子にもっと嬉しくなった。きっと浜田部長もこれが手作りだなんて信じられないのだろう。
俺はカバンを開けて、例のタオルとか、ポケットティッシュケースとかも見せようとする。
「すごいですよねっ、他にもオオカミ先輩から色々もらってて、他にもほら、これも――――」
「待って待って城詰くん! 狼ヶ峰くんからもらったの⁉」
「はい、そうですよ」
「えー!」
買った物かと思った! に続くと思ったのだが、浜田先輩の言葉は全然違った。
「狼ヶ峰くんは自分で作った物、他の人にあげたりしないんだよ!」
「へ?」
「手芸部に衣装作ってもらうときも、主役の人にしかデザインはしてくれないし……あ、でもでも縫うのはしてくれるけどねっ」
浜田部長が両手を横に振る。衣装を作ってくれないと勘違いされないようにと慌てたのだろう。
でも俺が気になるのはそこではない。
「部活で作ったものも全部持ち帰るし、欲しがってもダメだって言うし、誰かにあげるところとか見たことないよ!」
「…………」
タオルを手に取ったまま固る。
勝手に持って行って刺繍して返されたものだ。頼んでもいないし、お願いしたわけでもない。
他のものだってそうだ。何も言っていないのに俺にくれる。
「城詰くん?」
「あっ、いえ、すみません。オオカミ先輩から、その、色々もらっているので……えっと」
そういう、あげるあげないを考えたことがなかった。だってくれるのが当たり前だったから。
「ちょっとびっくりして」
どうしてオオカミ先輩は俺に――俺だけに作ったものをくれるのだろう。
「……ふむふむ、そっかそっか!」
浜田部長は困ってしまった俺を見つめ頷き、そして眼鏡をあげて笑った。
「ねぇ城詰くん、大会の役の方は順調?」
「え、まぁ……」
突然聞かれ、これもまた微妙な返事をしてしまう。だが浜田部長は全く気にした様子はなく、「頑張ってるもんね」と言い、続けた。
「役の気持ちを考えるって難しいよね。自分がなりきるにはその気持ちを体感しないといけないし、本当に難しいと思う」
「はい……」
「私はその役の心を覗き込むようなイメージを持っているんだけど、城詰くんはどうかな? 今は狼ヶ峰くんと一緒に役を考えてるんだよね?」
「はい、色々と教えてもらってます」
「それって一緒に心について考えてるってことだよね? 嫌だったり少し気まずかったりしない? ほら、心を明け渡すのって抵抗あったりするから」
「…………」
「心の話しって、繊細な部分でしょう?」
「そう、ですね」
確かにそうだ。
心は大切な部分で、よく分からない人とか信用できない人とかに見せたりしない。
でもオオカミ先輩は。
「嫌じゃないです」
その心の柔らかい部分の話しを先輩自身がしてくれる。
「オオカミ先輩は俺が心を理解しようとしたら、その分オオカミ先輩の心を見せてくれるというか……俺の知りたいっていう気持ちをバカにしないんです」
「うんうん」
「ちゃんと俺自身を見てくれて、先輩自身も見せてくれて、どちらかというと先輩の方が歩み寄ってくれるから、だから俺も安心出来る……みたいな?」
言いながらよく分からなくなってくる。
とにかくオオカミ先輩は大切なことを大切だと認めて、そして一緒に大切なことを大切にしてくれる。
なんだかこんがらがってくるけれど、浜田先輩が背中を押すようにまとめてくれた。
「それは素敵なことだね」
「そう! そうなんですっ! オオカミ先輩は素敵な人で! 何かを作るだけじゃなくて、色々すごくて、上手くは言えないんですけど、ほんと、色々……」
そこまで言ってハッとする。
ちょっと待て。これって。
「なんか俺、オオカミ先輩に懐いてます?」
まさかの展開に自分が驚いたが、浜田部長は悔しそうに拳を握った。
「おしい!」
「えっ⁉」
「あと少しかなぁ?」
「なにがですか⁉」
混乱に混乱が増えれば、「由瑠!」と名前が呼ばれる。
振り返ればオオカミ先輩が手を振っていた。
「じゃあ私行くね。頑張って!」
「ちょ、部長!」
よく分からないまま浜田部長は三年生の方の下駄箱へと行ってしまう。
一体なんなんだ。答え合わせくらいして欲しい。
「待たせて悪かったなって、今のって演劇部長?」
「はい。たまたま会って……でも行っちゃいました」
「三年だから忙しいんだろ」
「そういう感じじゃなかったですけど」
二人で歩き出す。
いつもより早い時間の帰路は日差しが殺人的だ。
コンクリートの熱風を受けながら歩く俺は、それこそ少し気まずい。
黙ったまま歩いていると、オオカミ先輩が俺の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「いえ! なにも!」
俺がオオカミ先輩に懐いているみたいです、なんて言えるわけがない!
何か気持ちを落ち着かせる話題はないだろうか。黙っていたら余計なことを言いそうだ。
「そ、そういえば! 浜田部長が言ってました! オオカミ先輩って自分の作った物を他の人にあげないんですね!」
「…………」
「…………」
話題間違いすぎだろ俺! こんなこと聞いてどうすんだ! 余計に気まずいだろ!
いやでも気になることは気になるし。もしかして俺がオオカミ先輩に懐いてるってバレてるからくれるとか? 意外と先輩って面倒見いいからな……でもバレてるって恥ずかしくないか⁉
そんな苦悩する俺に先輩は少し驚いたように目を開いてから、どこか悪戯な笑みを見せた。
「まぁな。前に言ったろ? それなりのプライドがあるって。作った物を誰にでも配布するようなことはしねぇんだよ」
「そうなんですか……」
でもそれなら余計に何で?
「けど先輩、俺にはくれますよね?」
「そうだな。でもそれだけじゃねぇだろ?」
オオカミ先輩はトンと肩を俺にぶつけた。気軽なそれが、気軽に感じない。
「お前の衣装を作りたいっつってお前の練習に付き合って、一緒に帰ろうって誘って、ずっとお前の隣にいる」
セミの声が響く。
その声は求愛のしるし。
「あの……その……」
足が止まる。それに合わせて先輩も足を止めた。
隣り合せから向かい合わせに変わって。でも視線は合わせられない。
「どうしてそんなに、俺に構うんですか?」
「……どうしてだと思う?」
でも先輩の手が俺の顔を上げさせた。
先輩の瞳に俺が映っていて、俺自身を見つめているのが分かる。
狼みたいに獰猛で、どこか挑発するような笑み。
「考えろよ。人の気持ちを分かりたいんだろ?」
「っ…………」
そうだ、俺は人の気持ちを分かりたい。俺の心を動かしたい。
この人は。俺は。お互いに。二人で。二つの心は。
「その、俺……」
一歩うしろに下がる。
手は簡単に離れた。追い掛けてこない。それにホッとして、でも少し寂しくて。けれどやっぱりホッとした。
「俺、用事思い出したんで、先に帰ります」
カバンを持ち直し、走り出す。
セミの声に混じってキーホルダーが揺れる音がする。だから、何も聞こえなかった。
「何が用事思い出しただ、大根役者め」
走って走って息が切れる。
全身から汗が噴き出して、汗を拭おうとカバンに手を入れれば見えたイニシャル。それにビクリと反応して手を離した。
だってまさか。そんなバカな。でもきっとそう。けれど信じられない。
うそ。信じられる。
「俺のこと、好き、なのか……」
汗と一緒に言葉がコンクリートに落ちて染みついた。
どうしてなんで。そう思うのに何故か納得した。そうか、そうだったんだって。何で納得するのかよく分からないけれど、それでも意味が分からないくらい納得した。
それと同時に何かが胸に、わーっと湧いて、心臓がはち切れそうだ。
オオカミ先輩は顔で俺のことが好きなわけじゃない。一緒に話して、一緒に過ごして、それでも俺のことを好きになってくれたんだ。
「どうしよう……」
次に会った時どんな顔をすればいいとか、そういう“どうしよう”ではなくて。
「嬉しい……」
どうしよう嬉しい!
「いや待て待て待て待て」
いくらオオカミ先輩に懐いているとはいえ、好きになってもらえて嬉しいとはどういうことだ。
先輩が後輩を可愛がっているとか、そういうことじゃなくて恋愛的な意味を含んでいるんだぞ? 俺、そういうの大嫌いだったじゃん。
それなのに嬉しい?
「ん?」
突然、先ほどのやり取りを思い出す。
浜田部長は何て言った?
――――おしい!
「えぇ……まさかの?」
再びのフリーズ。
だってまさか。そんなバカな。でもきっとそう。けれど信じられない。
うそ。信じられる。
やっぱりこれも信じられる。
「だあー!」
俺はまた走り出す。
まさかの両想い? これが噂の好きってやつ? 知りたかった気持ち?
いやだから、待て待て。
『素敵な気持ちを教えてくれてありがとう、レイナさん』
ふっざけんな!
どこが素敵な気持ちだ!
「恥ずかしいだけじゃねぇかぁぁぁ!」


