人の気持ちが分からないので演劇部に入りましたが、前途多難です!


 学校のチャイムが鳴り、ホームルームを終える。
 一気に騒がしくなる教室に俺は仲間に入らず、ひとり視聴覚室へと足を進めた。
 今日は部活が無い。でもきっと今日もオオカミ先輩の授業が行われるだろう。でも俺はそれが嫌ではなかった。オオカミ先輩と過ごす時間は心地良い。

「あの、城詰くん!」

 軽い足取りを止められる。女子からの声掛け。俺はうんざりした。

「なに」
「ちょっと話したいことがあるんだけど……いいかな」

 この人は誰だろう。同じクラスメイトではなかったと思う。

「ここで話せること?」
「……それはちょっと、どこかに移動したい……な」
「ふーん」

 様子を見る限り告白だろう。時間の無駄。俺は早く視聴覚室に行きたい。「悪いけど」と言おうとして口が止まった。
 いま俺は告白する役を理解したいのだ。役のことを意識しながら告白を聞いたら何か心情を掴めるかもしれない。

「暑いけど校舎裏でいい?」
「は、はい!」

 俺は女子生徒と一緒にいつもの校舎裏へと向かった。そしていつものパターン。

「時間、付き合ってくれてありがとう」
「いいえ」
「私、城詰くんのことが……気になってて」
「はぁ。それで?」
「好きだなぁって思いまして」

 好き。
 だから、何だよその感情。

「俺はあんたのこと全然知らないけど」
「こ、これから知っていけばいいと思うの!」
「興味ない人のことを知ろうとは思わない」
「…………」

 女子の口が止まる。
 いやいや、俺がこういう性格だと知ってるんじゃないの? それを含めて好きだって告白するのでは?
 俺、なんか間違ってる?

「無駄な時間を過ごすの、俺きらいなんだよね」
「無駄な、時間」
「うん、この告白もそう。俺のこと何も知らないくせに好きだとか、浅はかというか、なんていうか」
「……城詰くんは本当に顔だけの男なんだね」
「は?」

 女子生徒の声が震え、まるで何かを我慢するように大きく息を吐いた。

「顔と性格は正反対だって噂は聞いてたけど、ほんとだね。クラスでもぼっちなんだって? こんな性格なら友達だって出来ないよ」
「俺、そういうのいらないから。他人に興味ないんで」
「あーそう。可哀想な人」
「無駄に群れるよりマシ」
「……ほんっとに性格悪いね。想像以上だった」
「何も知らずに告白してきたあんたが悪いだろ」
「っ、貴重な時間を割かせてすみませんでしたっ」

 そう言うと、そのままひとり走って去っていく。

「なんだよあれ」

 見た目だけで告白してきた向こうが悪いのに、どうして俺が責められる感じになってるんだよ。
 全然俺のこと好きじゃないくせに、してくる告白の時間なんて無駄としか言いようがないだろ。
 そもそも性格が悪いのを知っていて告白してきたんだったら、そうやって返されることも分かってただろうにさ。

「告白する奴の気持ちなんか分かるもんか」

 やっぱりあの役の気持ちは理解出来ない。

「よう」
「うわっ」

 突然ポンと肩を叩かれ驚けば、そこにはオオカミ先輩がいた。いつものエプロン姿で登場だ。

「モテる男は辛いなぁ」
「見てたんですか?」
「視聴覚室に来ねぇから告白でもされてるかと思って来てみたらビンゴ」
「そうですか」

 俺は大きく呼吸をし、カバンを肩にかけ直す。そして額に滲む汗を拭った。
 校舎の陰にいるとはいえ、昨今の高い気温からは逃れられない。
 遠くから聞こえるセミの声が余計に暑さを増す気がした。

「どうせ好きだっていう気持ちなんかバグみたいなもんですよ」

 俺は呟くように言葉を零し、歩き出した。オオカミ先輩は苦笑して隣に並ぶ。

「じゃあ両想いのカップルはどうなってるんだよ」
「二人してバグってる」
「ガキかよ」

 鼻で笑われ先輩を睨み付けるが、なんの効果もないだろう。
 赤いエプロンに刺繍された犬を見て、睨む気も失せて溜息を吐いた。なんだかすごく疲れてしまった。

「あの役は諦めんのか?」
「……諦めたい」

 うだるような暑さもあってか、なんだか全てを諦めたくなる。
 人の気持ちなんか分かるわけない。自分の心の動きなんかどうでもいい。そもそも演劇部に入ったのが間違えだったんだなんて思うけれど。

「けど、諦めきれないっていうか、どうしたらいいか分からないです」

 全てを諦めきれないのはどうしてだろう。

「お前さ、さっきの女子生徒に色々言われて辛いんだろ」
「……べつに。辛いとかそういうのはないですけど」
「いや、お前は傷ついてる」
「…………」

 そんなことないと否定したいけれど、それも出来ない。
 心がぐちゃぐちゃする。

「じゃあ振られた方はどうだ?」
「……俺の顔に勝手に勘違いした」
「ちがう。そうじゃねぇだろ」

 進む足が遅くなる。暑くて汗が出てくるけれど、オオカミ先輩も歩調を緩め、俺の隣に居続けた。

「振られて悲しかったんだろ。腹立ったんだろ。今のお前みたいに」
「今の俺みたいに?」
「おう。俺から見てもひどい振り方だったぜ。もう少し言い方があんだろ」

「無駄な時間とか言うなよ」と言ってくる。
 でも本当に無駄な時間だから。

「だって顔だけで告白してきたんですよ? 俺のこと何も知らないのに」
「そうだとしても多少なりとも勇気を出して告白してきた」
「…………」

 声を掛けてきた時のことを思い出す。
 そうえば彼女は拳を作って、どこか必死に喋っていなかったか。

「振られた方だって傷つくんだ。あっちが悪いとか、こっちが悪いとかあるかもしれねぇけどよ、心が痛むんだよ。振られた方の気持ちも考えてやれ」

 告白して言い合いになった時、泣きそうなのを我慢していたんじゃないのか。

「人の気持ちを知るってのは、こういうことだ」

 オオカミ先輩の声はいつもと違って優しくなかった。頭を撫でたり、汗を拭ったりもしない。まるで俺を叱っているみたいだ。
 そういえばあの役が告白したあと、主人公の『私も、勇気を出さなきゃ』という台詞があった気がする。そして主人公も告白をする物語の後半へと続く。

「オオカミ先輩、俺――――」
「おっと? そこにいるのは後輩の狼ヶ峰くんじゃありませんかー?」

 正面玄関から三人。見るからに柄の悪い連中が出てきた。
「げっ」と表情を歪ませる俺だが、オオカミ先輩は特に表情を変えなかった。そのまま無視して校舎に戻ろうとしたが「おいおい無視すんなよ」と道を塞がれた。

「今日もそのエプロンしてんのか、だっせぇの」
「男のエプロン姿がモテると思ってんだよ。頭の弱い子だからな」
「手芸部だっけ? お裁縫がお得意なの? その顔で? 実は女子らにチヤホヤされたくて入ってんだろ」
「はは! 女みてぇなことしてると思ったらそっち目当て? そういうところは男の子ですねー!」

 三人は手を叩きながら笑うと、オオカミ先輩も鼻で笑った。

「女みたいなことをしてるとか、性別気にするなんて時代遅れっすよ、先輩」
「あ?」
「裁縫は得意です。先輩方は出来ないんですか? だからモテないんですよ」
「なんだ強がりか? ンなことしなくても女は足りてるんだわ」
「つーかよ、てめぇが作ったもんなんか何の価値もねぇだろ、ケンカに強い狼ヶ峰くんよ」

 一人がトンと先輩の胸元を押す。その力は決して強くない。

「人を殴る手で作るもんなんか、たかがしれてる」

 それなのに俺には特大の拳に見えた。

――――別に好きでケンカしてんじゃねぇんだよ。
――――でもこの見た目だろ? 好きなことしてるだけなのに笑われたりイチャもんつけてくる奴が多いわけよ。

 オオカミ先輩が話してくれた、心の柔らかい部分。そこはきっとこの人の弱いところで。

――――見た目で判断されたくねぇよな。

 守らなければいけない大切なところだ。

「黙れよカス」

 先輩はきっと今、傷ついている。

「あ?」
「黙れっつったんだ、クズ野郎」
「由瑠?」

 そんなの絶対許さない。
 俺は先輩を押した手を取って投げ捨てる。お前なんかが先輩に触れるな。何も知らないくせに言葉で先輩を殴るなよ。

「確かに犬の赤いエプロンは似合ってねぇかもしんねぇけど、この人は好きであんたらを殴ってるわけじゃない。あんたらとは雲底の差があるんだよ」

 俺は芸術とか美術とかよく分かんないし、作るものがどれだけ難しいのかもよく分からない。
 でもオオカミ先輩がくれるものはどれもすごくて、言葉じゃ上手く言えないけれど、本当にとにかくどれもすごいんだ。

「先輩の作ったものをちゃんと見たこともねぇくせに、勝手なことほざいてんじゃねぇよ!」
「なんだてめぇ」
「狼ヶ峰は下僕でも連れ歩いてんのか」

 俺に掴みかかろうと相手の手が伸びてくる。殴られるかもしれないが逃げるつもりはない。むしろかかってこい。先輩が受けた痛みを倍に返してやる。

「はーいストップ」

 だが俺に届く前にオオカミ先輩が伸びた手を掴んだ。
 オオカミ先輩は笑顔だった。

「俺の可愛い後輩が吠えてくれたんで、今日は見逃してやりますよ」
「あ? なに言ってんだてめ……ぐ!」

 掴んだ手を引き、腹に一発蹴りを入れる。

「分からねぇかなあ。ボコられる前に帰れっつってんだ」
「っ、くそ!」

 柄の悪い二人は、蹴られた一人を連れて逃げていく。きっとオオカミ先輩のケンカの強さを元々知っているのだろう。ならばケンカを売らなければいいのに。
 拳で勝てないから嫌味を言うのか。負け犬の遠吠えみたいな? 格好悪いにもほどがある。

「はー、面倒くさ。巻き込んで悪かったな由瑠」

 オオカミ先輩はいつもあんな連中に絡まれているのだろうか。そういえば先輩を初めて見た時も数人に囲まれていた。

「おい由瑠?」
「…………」

 先輩は好きなことをしているだけなのに嫌味を言われるのか。あんな素敵なものを作っているのに、バカにされないといけないのか。

「…………っ」

 勝手に涙が溢れた。
 ムカつく。悔しい。先輩のこと何も知らないくせに、バカにする連中に腹が立つ。それに何も出来ない俺にもイライラする。
 拳に力が入る。涙がぼろぼろ頬を伝って、唇を噛み締めてしまう。
 そんな俺の手を先輩はそっと取り、引っ張るようにして歩き出した。
 ゆっくりからだんだん早く。気付けば走って靴のまま学校に上がり、視聴覚室へ入っていく。
 ドアを閉めればオオカミ先輩は俺を強く抱きしめた。

「由瑠」

 呟くように名前を呼ばれる。

「サンキューな。怒ってくれて」

 怒ることしか出来ません。そう言いたいのに泣いてばかりで何も言えない。まるで癇癪を起こした子供みたいだ。
 悲しくて悔しくて。この感情をどうしたらいいか分からない――それなのに、なぜか思い出したのは先ほど告白してきた女子のこと。
 泣くのを耐えながら言い返してきた、あの子のこと。
 あの子もこんな気持ちになったんだろうか。嫌なことを言われて悲しかったんだろうか。辛かったんだろうか。

 そうか。
 俺はあの子を傷つけたのか。

「ゆーる」

 まだ泣き止まない俺をオオカミ先輩はあやすように背中を叩いてから手をつないで、先輩のカバンのところへと移動する。そして片手でカバンを開けて「ほら」と丸いキーホルダーを渡してきた。

「お前にあげる」

 手に取って宙に浮かせるように見れば、丸の中に青い空と雲がある。まるで空の景色を丸の中に閉じ込めたみたいだ。

「綺麗……」
「レジンっつーやつ」
「これもオオカミ先輩が作ったんですか?」
「おう」
「すご……」

「誰でも作れる」と先輩は笑ったけれど、それでもすごく綺麗で感動する。
 いつの間にか涙は止まり、笑みを浮かべながら俺は眺めていた。

「機嫌なおった?」
「う……はい」

 子供扱いすんなと言いたいけれど、実際癇癪を起こした子供みたいだったから何も言えない。
 俺はもらった空のキーホルダーから目を離せずにいると、オオカミ先輩はまた俺の前髪を撫でるように持ち上げた。
 視線が交わる。

「オオカミ先輩?」
「由瑠、いまどんな気持ちだ?」
「え?」
「それをもらってどう思った?」
「綺麗だなって」
「それで?」
「えっと……?」

 先輩は何が聞きたいんだろう?

「もらって嬉しい?」
「おう、俺も同じ気持ち」
「先輩も嬉しいんですか?」

 予想外の言葉に今度は反対へと首を傾げた。

「お前が喜んでくれて嬉しい」
「…………」
「さっきは一緒に悔しくて、んで今は一緒に嬉しい。同じ気持ちだ」

 オオカミ先輩は頬を撫でて甘く微笑む。
 暑さでかいた汗が首筋に流れたのを俺は見逃した。

「二人のバグだと思うか?」

――――じゃあ両想いのカップルはどうなってるんだよ。
――――二人してバグってる。

「……思わない」
「ならいい」

 また二人きりの世界になったみたいな気がした。
 部活動の音が耳に入らない。何故だかもう一度、囁くように名前を呼んで欲しい。
 変に鼓動が早くて、呼吸を意識してしまう。見つめ合うその瞳に吸い込まれそうだ。
 はく、と俺の唇が動く。
 ここで話せば元の世界に戻るだろう。二人きりではなく騒がしい校舎になるだけだ。

「…………」
「…………」

 でもどちらも何も言わなくて、自然と顔が近づき合う。
 瞬間、オオカミ先輩のカバンが倒れ、中に入っていた教科書が床に散らばった。
 大きな音が耳に届き、一気に周りが騒がしくなる。二人きりの世界が去った合図だ。

「あ、の、拾いますね」
「あぁ、悪い」

 慌てた振りをして床にしゃがむ。
 一気に顔が熱くなった。心臓がうるさい。鼓動が耳にもあるみたいだ。
 なんだ今の。なんだなんだ!
 不思議な空間というか、時間というか、なんだか恥ずかしいぞ⁉
 この訳の分からない感覚と気持ちは何なんだろう。

「オオカミ先輩」
「ん?」

 俺は拾った教科書を渡す。
 きっと先輩なら答えを持っているだろうと思った。聞いたら教えてくれるかもしれない。でも。

「やっぱなんでもないです」

 笑って首を横に振った。