「今日もいる……」
部活が休みの日にも自主練習をする俺は、今日も校舎周りを走り込んでから視聴覚室に行くとそこにはオオカミ先輩がいた。また何か縫っているようだ。
こちらに気がつくとオオカミ先輩は顔を上げた。
「おう。お疲れさん」
「……お疲れ様です」
あれからオオカミ先輩は視聴覚室によく来るようになった。
演劇部の活動がある時は、オオカミ先輩も手芸部の方があるらしく顔を出すことはないけれど、それでもたまに俺が残っていると『ちーっす』と教室に入ってくる。
『暇なんですか』と聞けば『暇じゃねぇわ』とデコピンされたから、それ以来聞いていない。
「外暑かったろ」
「走りながら焦げるかと思いました」
言いながら首に巻いたタオルで汗を拭う。
買ったばかりのものだから、まだ生地がふんわりしていた。
「しっかり水分取れよーっと、うし。こっちも出来た」
「今日はなに作ってたんですか?」
「んー? おら」
投げつけられて、慌ててキャッチする。
大きさからしてタオルかなと広げてみれば、見覚えのあるタオルだった――が、見覚えのないタオルになっている。
「ちょ、これっ! 無くしたと思ってた俺のタオル! なんでこれ……ってか、俺のイニシャル入ってますけど!」
タオルの端に大きめなイニシャルが刺繍されている。
グラデーションのそれは目立つから、少し恥ずかしい。
「やめてくださいよこれ!」
「まぁまぁ広げてみろや」
「えぇ?」
言われた通り端だけではなく全体を見てみる。
「ボーダーに合わせて模様も入れてみた」
「なんかちょっと格好よくなってる⁉」
そのグラデーションに合わせた糸で波のような模様が描かれている。今にも流れ出しそうなそれはイニシャルを上手くカバーしていた。
「ありがたく使えよ」
「使いますけど、勝手にすんのはやめてください」
「いい感じに出来たと思うぜ?」
「まぁ、格好いいですけど……」
「相変わらず素直ですこと」
くっくっく、と楽しそうに笑うオオカミ先輩に、俺はプイと顔を背ける。
格好いいと思ったものに格好いいと言って何が悪い。作った本人が格好いいとは口が裂けても言いたくないけれど。
「でも俺のタオル持って行くなら一言言ってください! 新しいタオル買っちゃうじゃないですか!」
「あー、それはそうだな、悪い悪い。そっちのタオルも刺繍してやるよ」
「ちょっと、ほんとに悪いと思ってます?」
寄こせと言うように伸ばされた手を払い落とす。
「もう汗拭いちゃったんで、洗濯して今度持ってきます」
「そういうとこちゃんとしてるよな」
「バカにするなら帰ってください」
「バカにしてねぇって。褒めてんの」
オオカミ先輩は俺の汗を、俺の首に巻いているタオルで拭った。人の汗を拭うとか嫌じゃないのだろうか。
でも先輩は嫌というよりもむしろ楽しそうに笑った。
「汗しっかり拭かないと風引くぞ」
「自分で拭けます」
「はいはい」
その笑みが少し眩しい。
「んじゃ、落ち着いたら今日も国語の授業といきますかね」
向かい合わせで座り、俺は台本を睨み付ける。
台詞は四つ。でもその四つが地上最強のボスに見えた。
「こいつはどうしてヒロインが好きなんだと思う?」
「顔がいいから」
「だぁら、違うって何度言わせんだよ」
「だっ!」
勢いのあるデコピンを食らう。
赤くなってそうな額を撫でながら「だって」と唇を尖らせた。
「笑顔が好きだって」
「笑顔で話し掛けてくれるっていう台詞だろうが」
「でも笑顔で話し掛けてくれるから好きなんでしょ?」
「お前は笑顔であれば何て言われてもそいつのこと好きになるんか」
「……それは、ならないと思いますけど」
「そうだろ? こいつだってそうだ。パンを買いに行くと声を掛けてくれるから好きになったんだろ」
「主役が今まで掛けてくれた言葉をちゃんと見ろ」と、まるで教科書で教えるかのように台本を指さす。
俺はパラパラと捲って主役の台詞を眺め、でも降参というように机につっぷした。
「確かに優しいですけど、顔以外で好きになるってどういうこと?」
溢れる気持ちを伝えたかった? 好きっていう気持ちが溢れるってなに?
ただ知って欲しかったって、知らせてどうすんだよ。それからどうしたいんだこいつは。
素敵な気持ちって、好きって気持ちが素敵ってこと? 全然意味が分からない。
「お前、顔以外で人のこと好きになったことねぇのかよ」
「ないです」
「まぁそれでもいいけどよ、その好きになった奴のこと思いながら言えばいいんだよ」
オオカミ先輩は頬杖をつきながら俺の頭を軽く叩く。他人事だからって何でも簡単に言ってくれるから腹立たしい。
「そもそも俺は誰かを好きになったことがないんデス」
「初恋とかまだなのか」
「まだでーす」
この顔のせいで恋愛うんぬんは嫌いだ。面倒くさい。うざい。時間の無駄。
「好きって気持ちのどこが素敵なのかさっぱりですよ」
「ふーん」
そう言うとオオカミ先輩は黙ってしまう。
そんなんじゃ、この役が演じられるわけねぇだろとか言われてしまうだろうか。
そうだ、俺はそのさっぱり分からない部分を理解していかなければいけないのに、こんなバカにする気持ちでいたらダメだ。
「どうしよう……」
この役みたいな“好き”が分かるようになるのだろうか。
「由瑠」
名前を呼ばれ、いつの間にか俯いていた顔を上げる。するとオオカミ先輩は柔らかい笑みを浮かべながら俺の額の前髪を親指で掻き上げた。
笑みと一緒で、その手は優しい。俺は先輩を見蕩れるように見た。
「俺はが物作りをするようになったのは、ばあちゃんが教えてくれて、んで上手く作ったら褒めてくれたからなんだよな」
光を浴びて反射するピアスよりも、その瞳が綺麗だ。
囁くような低い声音が耳に気持ちがいい。
「今は褒められなくても好きで作るし、それなりのプライドもある。価値のあるもんが作れるようになったってな」
オオカミ先輩が作品をコンテストに出しては優勝していることを知っている。俺にはよく分からないコンテストだけれど、すごいことなのだと浜田部長から聞いたことがある。
「でも最近よ、誰かを想って作るのも悪くねぇって思うようになった」
「誰かを想う?」
「おう」
首を傾げればくすぐるように今度は頬を撫でられた。
「渡す相手のことを想いながら作る時間が愛おしいんだよ。この役とおんなじ。気持ちが溢れて胸が温かくなる」
そしたらさ。
「好きって気持ちは素敵なもんなんだなーって心に染み込んでいくんだ」
「……その溢れた気持ちはどうなるんですか?」
何も考えずに出た言葉だった。それにオオカミ先輩は驚いたように目を広げ、でもすぐに甘く細めた。
「“幸せ”になるんだ」
一瞬、この世界には先輩と俺しかいないような感覚だった。
遠くからは野球部の球を打つ音が聞こえるし、どこかの廊下で基礎練習をするバスケ部の笛の音も聞こえる。
それなのにここの教室だけ切り離されて、二人きりの世界になったみたいな。
それがなんだか心地良くて、声を出すのをためらって、でもこの気持ちが何か分からないから俺は首を横に振って元の世界に戻った。
「俺には全然分からないです」
「そうだな」
そんな俺をオオカミ先輩は怒らなかった。
「いつか分かるといいな」
「……はい」
「んじゃ、そういうことで」
突然声音が変わる。
どこから出したか分からないが、その手にメジャーを持って立ち上がった。
え、なになに?
「冬に向けて、てめぇのセーター編むから採寸させろ」
「セーター?」
突然どうしてそんな話しになった?
勢いのあるそれに俺は若干引き気味だ。だがオオカミ先輩は詰めてくる。
「昔は手編みのハートのセーターを贈るのが流行ってたらしいぜ」
「は、ハートのセーター⁉」
手ぬぐいは使う。綺麗だったし。
刺繍されたタオルも使う。格好良かったし。
他にも小物を色々もらってるけど、ハートのセーターは正直キツいって!
「それはいらない! ハートはいらない!」
「遠慮すんなって」
「いらないですってば!」
メジャーで測ろうとする手を押しのけ走り出す。
測らせたら最後、絶対にハートのセーターを作ってくるぞこの人!
だが流石はケンカに強い不良番長。
「採寸させろやぁぁぁぁ!」
「うわああああ!」
その日、俺は校舎内を何周もする羽目になった。


