自称スパダリなモラハラ幼馴染みが溺愛してくる件

山岡寿一が挫折の苦しみというものを味わったのは、四歳の頃に一度だけである。
だが、その挫折さえも一日で克服してしまう。

あれは、人生で初めての恋に落ちた日だった。
通っている幼稚園に転園してきた同じ年の子。

天使かと思った。
さらりとした黒髪は短く整えられており、傷一つない肌は白くて、恥ずかしそうに俯く頬は小さな声で自己紹介する唇と同様に赤く。
周りの女の子など、もう目にも入ってこなかった。

寿一はすぐさま、その手を握り、大きな声で伝えた。

「けっこんして!」

その子は驚いたように肩をびくつかせ、先生の後ろへと逃げてしまった。
その姿すらも可愛くて、寿一は胸がどきどきしたのをずっと覚えている。

だが、事件は帰宅時間に起こった。

「天使」と寿一のお迎えが被り、寿一はまず「天使」の親に自己紹介をした。
少し前に好きな子が出来たら、その子の親には丁寧に挨拶をしていい印象を与えなければならない、と父親に言われたからだ。

「やまおかじゅいちです! けっこんさせてください!」

「天使」の母親は美人だったが、難しい顔をしており、話しかけるのは少しだけ勇気がいった。
だが、寿一がそう言えば、難し気な表情を綻ばせ、優しく諭すように言った。

「偉いわね! こんなに小さいのに、自己紹介も出来て礼儀も正しいなんて! うちの和にも見習ってほしいわ」

母親のその言葉に俯く「天使」は小さくて、幼い寿一は守ってあげたいと思った。
だが、幼い寿一に湧いた庇護欲を叩き割るように、その母親が言った。

「けど、ごめんなさいね。この子は男の子なの。結婚は出来ないから、お友達になってやってね」

そう言って、和を連れて行ってしまった。
寿一の脳内はパニックだ。

あんなに可愛いのに、男の子?
おれはあんなに可愛くないのに、同じ男の子なのに、あんなに可愛くて、男の子?

脳内では「男の子」というワードがぐるぐるしていた。
立ち尽くす寿一の傍に自分の母親が立っていたことにすら気づかなかった。

悲観にくれている自分の息子の肩に、ぽん、と手をのせ、全く動かなくなった寿一をその日は抱っこで連れて帰った。

寿一は一日中考えた。

「天使」は男の子だった。
結婚は出来ないのだと。

けれど、考えれば考えるほど分からなくなっていく。
あんなに可愛くて、綺麗なのに、何で男の子なのか。
そもそも、なぜ男同士は結婚できないのか。

父と母に聞けば、法律で決まっているから、ということだった。
法律はこの国で生きていくには、絶対に守らなければならないものらしい。

だが、寿一は覚えている。
少し前に父に結婚って何かを聞いたことがあった。

「結婚は約束だ。好き同士がすることだから、相手を誰にも取られないようにするための約束。例えば、父さんと母さんは結婚してる。だから、誰も母さんに好きって言っちゃいけないんだ。母さんも父さん以外を好きだって言っちゃいけない。そういう約束」

そういう相手になって欲しかった。
寿一のことを好きになって欲しかった。

あれだけ小さくて、弱々しくて、可愛いのだ。
自分が守ってあげないとだめだと思った。

けれど、男同士だと言われ、その夢は潰えてしまった。
これまで、したいことを納得いく理由もなく拒否されたことのない寿一にとって初めての挫折だった。

泣いて、泣いて、泣いて。
朝まで泣いて、けれど、ふと思った。

なんで、男同士じゃダメなんだろう。

隣で寝ていた母を起こして、寿一は聞いた。
なんで、男の子じゃダメなの? と。

母は眠そうな顔をして、むにゃむにゃと言った。

「……ダメじゃないよ。法律が整ってないだけ。結婚は家族になることだから、家族になりたかったら、養子っていう方法もある。……名前を書く欄が違うけど、それでも家族だよ……。寝ていい?」

幼い寿一にはまだ理解が出来なかったが、要するに結婚と似たような制度があるということだ。

寿一はようやく泣き止んだ。
結婚ではない。
けれど、限りなく結婚に近いその制度があるのなら、諦めなくていいじゃないか、と。

そこから寿一は天使――和との将来のために一生懸命、考えた。
どうすれば、和を守り、幸せにできるのか。
和を誰にも取られないようにするにはどうすればいいのか。

和の隣は自分だということを周りに刷り込めばいいのだ。
寿一は出来る限り和の隣にいた。

そして、気付く。
和は本当に何も出来ないのだと。

お絵描きも工作もブランコも滑り台も、自己主張も。
何もかもできなかった。

だから、寿一がやってあげた。
できないという表情の和が可愛かったから。

全部できなくたって、自分がいるからいいのに。
そう言ったら、和は怒ってしまったが、その顔も可愛かった。

そうやって、ずっと二人で生きてきた。

和は何もできないままだが、綺麗に磨きがかかっていく。
怠惰で、めんどくさがりで、何もしない。

けれど、寿一は知ってる。
それが和の自己防衛なのだと。

何かをすれば、できないことがバレるからやりたくないのだ。
めんどくさい、それは魔法の言葉だ。
そうやって誤魔化す和も寿一にはとても可愛かった。

中学三年生の春。
高校受験のために和は家から出してもらえなくなる。
寿一とも勉強以外は遊ばせてもらえなくなり、二人はもっぱら和の家で勉強をして過ごしていた。

和の母親に進路を聞かれ、寿一は答える。
県外の有名な進学校に行くのだと。

その時の数の表情は忘れることができない。
裏切られた、寂しい、安堵、それらが入り混じった複雑な表情だった。
そして、それが寿一には捨てないで、と縋っているような表情に見えたのだ。

高校に上がっても、長期休暇の度に寿一は家に帰り、和を連れ出した。
和は嫌がるポーズを取りながらもいつも付き合ってくれる。

だが、高校三年生の夏に和からの連絡が途絶えた。
覚悟していたとはいえ、そこから七年。
寿一にとっては辛い日々だった。

だからこそ、寿一はこの世に未練があるのだと思った。
だって、寿一はこんなにも和のことが好きなのに、和の体温を覚えていないのだ。

和と手を繋いだのは幼稚園が最後だ。
人に触られるのが嫌いな和。

一度でいいから、触れておけばよかったのだと後悔している。
幽霊の自分はもう、和に触れることはできない。

代わりに、好きという言葉をもらいたかった。
どうせ、和は寿一のことが好きなのに、どうして認めないんだろう。

出会って二十一年。
それだけが寿一の不満だった。

言ってくれたら、誰よりも幸せにすると約束できたのに。

◇◆

もはや雨というより、礫ではないかというような音が窓ガラスを叩いている。
電気のつかない暗い部屋で、和は暴風の音を聞いていた。
閉め切った部屋はじっとりと湿気と熱を含み、サウナ化を心配してしまう。
だが、和の隣の幽霊がそれに勝る冷気を纏っているため、茹ってしまう心配はしなくていいようだ。

「和? 和はどんな女の子が好み? お前の好みのタイプに生まれ変わってくるからさ」

「小さくて、スタイルよくて、綺麗で、俺をバカにしないで立ててくれる女」

布団の上で体育座りをし、膝に顔を埋めながら投げやりにそう言った。

「ははっ! 自分が頼りないからって、女の子にそういう弱々しさ求めてるのバレてるよ~」

どうせ、何言っても馬鹿にしてくるくせに、聞いてくるな。

「和みたいなタイプは自立してる子がいいと思うよ? 余裕があって、和みたいな男をよしよししてくれるようなタイプ」

いちいち、腹立つ言い回しをしてくる寿一に腹が立ってしょうがないが、言い返す気力もない。
どうせ、最終的に寿一は自分と一番近い属性の女をあてはめてくるのだ。

「おれねぇ~、和がヒモ適性ないこと知ってるんだ。和が就職したあの会社の女の子と合コンしたことがあって、その時に和を追い出したって言う女の人がいたんだよね」

偶然を装った話し方をしているが、絶対に偶然ではないはずだ。
いや、偶然なのかもしれない。
寿一という男は天に愛されてるのでは、と思うほどに運が良かったりもする。

「ボロクソ言われてたよ~。けど、安心しろよ? お前の名誉は守ってやったからな」

「……べつにどうでもいい。どう思われてようと、今の俺に関係ないし」

「え、ほんと? 顔だけよくて、アッチの方は無能とか言われてたのに?」

ボロクソ言われていたと教えてくるのもいただけないし、その中身をぶちまけてくるのはもっといただけない。
どういう気持ちで言ってるんだ。

和は膝から顔を上げ、適当に投げ散らかしていたトートバッグの中から、ペットボトルのお茶を取り出し、口を付ける。
もう少しでなくなるが、端玉で交換したものもあるため、明日までは安泰だろう。
冷たいものが飲みたいが、こんな天気だ。
贅沢は言ってられない。

「大丈夫だ。自分が綺麗すぎるのに、あんたレベルの女に勃たなかったんじゃないか? って言ってあげたから」

最悪だ。

「それとも、本当のこと言ったほうがよかったか? 和は童貞で、下手だと思われるのが怖いからできなかったんだって」

「お前、……ほんと、嫌いだ」

屈辱でどうにかなりそうだ。
しかも、寿一の言っている内容が、完全に間違いなわけでもないという事実が和を刺す。

「なぁ、和って童貞だよな? 早く、おれのこと成仏させてくんない?」

「……童貞と成仏がどう関係あんだよ。早く死ねよ」

死ねよ、その言葉を言ったのは自分だと言うのに、喉奥がひりついて仕方ない。

「だから、死ぬために……、いや、死んでたわ。成仏するために好きって言ってくれって言ってんの! 早くしろよぉ。六十近くまで童貞でいいのかよぉ」

「別に……。何で自分が俺の初めての相手になれると思うわけ?」

鼻で笑えば、寿一は愛でるように言う。

「その答え方自体が童貞ですって言ってんじゃん。そもそも、和は初めてのことはしたがらないタイプだし。できなかったらどうしよう、変だったらどうしようって思って、何もできないじゃん」

なんでも知っています、みたいな態度が鼻に突く。
だから、和の口が滑ってしまった。

「ふん。初めてって、何も童貞だけを指す言葉じゃないだろ」

「……は?」

部屋の温度が五度くらい下がったような気がした。
けれど、今更言ってしまったことは取り消せないし、和のプライドが許さなかった。

「女で勃たないなら、俺の性的対象は男じゃん」

「……本気で言ってる?」

「はっ、お前に怒る権利あんの? ないだろ」

「和」

短くも圧のある声に和はふいっと視線を逸らした。
だが、発光する幽霊は和の周りを漂って、視界がちかちかと喧しい。

「……二年前、アプリで男とホテル行った。女にどうやっても反応しなかったから」

いや、女体に反応しないわけではない。
画面越しや写真の女体には反応する。
けれど、生身の人間相手には反応しないのだ。

そういうものかと思った。
けれど、AVなどの男の動きを見て、だるいな、そう思う自分に抱かれるなら行けるのでは、そう変な方向に思考が向いた日があった。

軽く酔っていたせいもあるだろう。
その日のうちにアプリでマッチングし、翌日会うことになった。

その男はガタイがよく、ニコニコとしたさわやか好青年みたいな男だった。
酔っていた自分を殴りたくなったが、モノは試しだと思い、ホテルに行った。

男同士の準備など全く何も知らなかったから、相手がネットを見ながら丁寧に教えてくれた。
そいつは和を馬鹿にしなかった。

けれど、結果は――和は逃げた。
相手がシャワーを浴びている隙に逃げた。

怖かったのもある。
けれど、一番は寿一に似た男を無意識に選び、抱かれようとしている自分が恥ずかしかったし、屈辱だった。

そして、相手は外見だけで寿一には全く似ていない。
だって、和を馬鹿にしないのだ。

できないところが可愛いなんて、そういう顔をしないのだ。
その表情に、寿一との違いを心底感じて、寿一を求めているかもしれない自分に嫌気がさして、逃げた。

だが、寿一にはそこまで言ってやる必要なんかない。
和が自分のことを好きだと思っているのなら、それで成仏するのなら、和は何も言わない。

「ねぇ、和。どういう男だったの? ね? 気持ちよかった? ねぇ、殺してきていい?」

変わらない笑顔。
だが、ぶちぎれていることは明白だった。

寿一のその表情に和は――あぁ、やっぱり好きだな。
そう思った。