自称スパダリなモラハラ幼馴染みが溺愛してくる件

ぼんやりとする意識の向こうでジャラジャラとした喧しい音が聞こえる。
涼し気な空気が肌を撫で、ぽやぽやとした眠気が襲う。

和はパチンコ店のリラクゼーションスペースでマッサージチェアに体を預けながら、昨日の夜から今日の朝にかけて遭遇した怪奇現象について考えていた。

昨晩、現れた寿一の幽霊は朝に目が冷めても和の隣にいた。
開店と同時に入店できたのは、その幽霊のおかげだった。
寝る前に言いつけた通り、九時に目覚ましのかわりとして和を起こしてくれた。

朝日を貫通する幽霊というのは、なんとも不気味で、滑稽だった。
これは夢、これは夢だと自分に言い聞かせながら充電切れで電源の落ちたスマホと充電ケーブルを持って職場(パチ屋)に来たのだ。

思考のまとまらない頭でデータランプを見て、ぼやっとしたまま貯玉の一万発を四円で溶かしていると、残り五百発という時に大爆発を起こし、現在、和の懐はウハウハだった。
懐だけ。

充電の満タンになったスマホで日雇いの求人を眺めながら、下へ下へとスクロールしていく。
コールセンターは単発でするには記憶力と瞬発力がだいぶ必要だったから嫌だし、警備員は暑くなってきたから、しんどいし、建設現場の作業員は体育会系で怖いし、イベント設営はコミュニケーションがどうのこうので嫌だし。

和は今の懐事情を思い出す。
会員カードには一万の貯玉を補填した。
そして、懐には四万円が入っている。
働かなくていいのでは?

四万あれば、しばらくは食いつなげるだろう。
その間に和の思うような求人が出るかもしれない。

スマホ代くらいは払いたかったが、どうせ払ったところで使えないのだ。
滞納分すべて払えばせっかくの四万が半分消えてしまう。

そして、今月分だってもうそろそろ来るのだ。使えなくなるのも時間の問題だ。
いや、合算だっただろうか。
何はともあれ、この四万は大事に使おう。

和はマッサージチェアから起き上がり、次なる台を探すべく島中に入る。
けれど、満席で何も空いていない。
空いている台のデータランプを見れば、急角度の右肩上がりの台ばかりだ。
きっとここからまた急角度で落ちていく。

店内を一周した和は窓の外に見える焼肉店と併設されている食事処を見比べて、食券を買った。
焼肉はまた今度だ。

そこそこ人のいる食事スペースの一角に席を取り、うどんが出来上がるのを待つ。
その間に何げなく設置されているテレビを見れば、映画の広告が流れている。

それは和が昨日買った本の作者が原作の映画だった。
もちろん、和も読んだことがある。

この作者の作品のなかでニ番目に気持ち悪い物語だった。
山岡なごみという作家は恋愛小説を主に書いている。だが、どの物語も和には気持ちが悪い。
この映画だってそうだ。

消えた幼馴染みを探し出した男がその女を溺愛する話だ。顔だけが取り柄の女と何でもできる男の純愛ラブストリーだ。女性ウケがとても良い。
こんなもん、どこがいいんだか。

運ばれてきたうどんをすすりながら、映画の告知にムカつき、パチンコを打つ気がなくなってしまった。

何が山岡なごみだ。

胸の内で毒吐いていると、うちに住み着きそうな幽霊を思い出してしまい、更に気分が悪い。
時刻はまだ午後三時になったばかりだが、こんな気持ちでギャンブルはするものではない。

帰ろう。
和は満たされない腹をさすりながら、お盆を返し、帰路についたのだった。

◇◆

二日ぶりに湯につかり、汚れ物をコインランドリーで回して和は帰宅した。
薄暗くなった部屋は物が少ないというのに汚れており、この部屋に住んでから一度も畳んだことのない布団にもはや厚みはない。

「和、おかえり。遅かったな」

無視だ、無視。俺にお帰りという人間はいない。
和は眼前に立ちはだかるか幽霊をいないものとして、その体をすり抜ける。
ぞわりとした空気に鳥肌が立つが、これは幽霊をすり抜けたからではない。一瞬だけ風が吹いて涼しかったのだ。
きっとそうに決まってる。

「明日からはもう少し早く帰ってきてほしいんだけど。おれが暇じゃん?」

和は幽霊の声をガン無視しながら、湿ったトートバッグからコインランドリーで洗って乾燥はしていない洗濯物を取り出す。
そのへんにあったハンガーに適当にかけてカーテンレールに引っ掛ける。
すべて終わって、ようやく、いつもの定位置である布団のうえに座った。

徐々に影を落としていく部屋。
その中で、幽霊――寿一だけがくっきりと浮かび上がる。
そこでようやく和は現実なのだ、と嫌気が差した。

「か〜ず、今日は何したんだ?」

「…………」

現実だと理解したところで、和には寿一と喋る理由はない。

「どうせ、パチンコだろ? 競艇とか競馬の方が良くないか? ま、和に予想なんて無理だろうけど」

こういうところが嫌いなのだ。
すぐ和を馬鹿にする。
しかし、和には分かっている。
寿一には全く悪意も侮蔑も何もない。

むしろ、和のそういう所が好きなんだよなぁ、と言わんばかりの表情をしている。
そこがまた和の神経を逆撫でた。

「なぁ、なぁ、七年ぶりぐらいだろ? ちょっとは近況とかこれまでの話とかしよう。おれ、和がこの七年どういう生活してたのか気になる」

壁に凭れながら、唯一まだ厚みを保っている枕を尻に敷き、窓を開けてぼんやりと外を眺める。
取り壊されないのが不思議なくらいのボロアパートの一階。
もちろん、ベランダというか、小さく囲われた庭のような場所は草が鬱蒼と生い茂り、たまに虫が跳ねている。
網戸だって不完全だ。
夏の和は毎年、虫刺されと戦いながら生きている。

「おれはね、央明大学の国際関係学部行ったんだ。で、総合商社狙おうと思ってたんだけど、和がずっと音信普通になって、ちょっと心折れたからやめた」

知っていた。あの頃、母親が口癖のように「寿一君は央明大学受かったんだってね」と言っていたからだ。
だが、そうか。
心が折れたのか。

あの寿一が心が折れた。
その事実に内心踊り出しそうなほど舞い上がっている。

「総合商社なら、海外駐在とかあって、和を連れて行けるし、稼ぎもいいしって思ったんだけどさ……。和はあの頃の自分を恨むべきだ。老後までの悠々自適な生活を棒に振ったんだぞ。あの頃に諦めておれのこと好きって言ってればよかったんだ。そうしたら、今こんなに惨めな生活してないのに」

本当に失礼な男だ。
出会ったときからそうだった。妄想癖の決めつけ野郎で、無意識だろうが和を世界で一番惨めな気持ちにさせる天才だ。

「今は売れない作家だ。総合商社マンと売れない作家、どっちがいい? なぁ、和が逃げたからだよ?」

何が売れない作家だ。ふざけやがって。

「……で? 売れてないなら金がない。金がないなら養えない。俺には関係のない話になったな」

「お、喋ってくれる気になった?」

寿一がリードを見せた犬のようににぱぁと表情を明るくさせる。
だが、すぐに首を傾げて小ばかにしたように言う。

「なんで、おれの人生設計がお前に関係ないんだよ。おれが金持ちでも、貧乏でもお前はおれと一緒にいるはずだったんだから、大事にきまってんだろ?」

「むしろ、なんで俺がお前と一緒に苦労しないといけないわけ? 苦労なんかしたくないんだけど」

「今、だいぶ惨めに苦労してるのにか?」

さも当たり前のように投げられる言葉に辟易とする。
なぜ、こんなにもこいつは人の人生を惨めだと断言できるのだろうか。

耳元で不快なぶ~ん、という音が聞こえ、思いっきり壁に手を叩きつける。
暗くてよく見えないが、仕留められてはいないだろう。

「……お前と苦労するくらいなら、一人で倍の苦労と惨めを経験する方がマシ」

「無理だよ。だって、和は堪え性ないもんな。今日だって、どうせパチンコでお金増やしたけど、何もしなかったんだろ? 電気代払ったか? スマホ代は? ちゃんと飯食った? 目先の快楽にしか手を伸ばさない。和は苦労を避けてきただろ? それなのに、倍の苦労をするなんて無理だろ」

「分かったようなことばっか言うなよ。吐き気がする」

「だって、分かってるから。和のことは和より分かってる」

ぬるっと近寄る寿一。
その距離が近ければ近いほど、あたりの気温がぐっと下がったような気がした。

「そういう所が気持ち悪いって言ってるんだ……。何の権限があって、お前の人生設計に俺が組み込まれないといけないんだ。そもそも、俺の人生が上手くいかないのはお前のせいだろ」

自分でも思った以上に恨みと憎しみが滲んだ声に嗤えてくる。
これが和の無意識が出した答えだ。寿一のことが心底嫌い。
だからこそ、あの日感じた絶望も恥も全部、なかったことに出来る。
けれど、寿一の反応は和の予想斜め上だった。

「おれのせいかぁ~」

にこにこと楽しそうに笑って、和の体に絡みついてくる。
周囲の温度との差に粟肌が立った。

「なぁ、気付いててそういうこと言うのか? それとも、本当に気付いてないのか?」

「……なにが」

「おれが、和に構う理由。おれ、出会ってからずっと、ずっと、お前が好きで仕方なくて、愛してるから一緒にいたいって言ってきたはずなのに」

あと数ミリ、どちらかが動けば唇が重なってしまうのではないかという近さに寿一の顔がある。
うっとりと笑う寿一の瞳に映る自分はおぞましいものを見るような、そんな表情をしていた。

「あ、好きで愛してるは言ってないかもな。けど、態度で示してきただろ? じゃなきゃ、おれのこと好きって言って、なんてしつこく言ったりしないのに」

なんで分からないのかな、和って頭悪いよね、なんて聞こえてくるがそんな暴言じみた冗談もいつものことだった。

だからこそ、これでどう好かれていると思えるのか教えて欲しかった。

「あーあ、おれなんで死んじゃったんだろう。出会った頃の四歳だった和も綺麗でかわいかったけど、二十五の和もこんなに綺麗でかっこよくなったのに」

ふわふわと天井に浮かびながら、寿一が残念そうに言った。

「おれきっと、お前に好きだって、愛してるって言ってもらえたら成仏できると思うんだよ。素直になってくれないか?」

「……お前のその自信はどこから湧くんだ。お前に好きとか、反吐が出そうだ」

「ん~、もう。そういう意地の張り方はよくないぞ? おれだからいいものを」

どうしたら、この男に今感じている不快感を伝えることができるのだろうか。
和の周りをふよふよ、くるくると回り、時には和に巻き付いて、生きている時とあまり変わらない。

「お前、本当に何で死んだんだよ……」

気色悪いし、不快だが、想像している幽霊とは全く違う寿一は死んだとは思えず、今の状況がまだ和には飲み込めていない。

「分からない。覚えてるのは、交差点を歩いてたことだけだから、べたに交通事故にでもあったんじゃないか?」

他人事のようにそう言われる死因に和は無意識に奥歯を噛みしめた。

「ま、今日は誰も和を訪ねてこなかったし、まだ遺書の開封とかしてないのかなぁ。父さんも母さんも中身を大体理解してると思うから、和に話が行くのは早いと思ってたんだけどな」

寿一は当たり前のようにそう言って、和の隣に寝転んだ。
邪魔だ。浮いてろ。

「早くしないと和が干からびちゃうよなぁ。なぁ、和?」

「…………」

「おれが成仏したら、おれの金で生きていってな」

「……金が尽きたら?」

「死んで」

「冗談じゃねぇ。お前が死ね」

あ、死んでたわ。そう思ったが、やはり和にはイマイチぴんと来ない。

だって、寿一が死ぬなんてありえない。

◆◇

二人が出会ったのは四歳だった。

寿一の通っている幼稚園に和が転園してきたのが原因だ。
寿一は出会うなり「おれのお嫁さん! けっこんして!」と和に迫った。
幼児の可愛らしい求婚だ。

人見知りだった和は、その勢いが怖く無言で部屋の隅に逃げてしまったが、それでも毎日追い回し、二人は周囲から親友と呼ばれるようになった。
活発な寿一と大人しい和。
寿一が和の手を引いて、二人で楽しく遊んでいる。

周囲にはそう見えただろう。
だが、和から見たらとんでもないことだ。

和は何もできなかった。
絵を描いても周囲の子よりへたで、かけっこもすぐこける。発語も遅れており、給食を食べるのも遅かったし、好き嫌いだって激しい。
読み書きもまだできなかったし、おむつだってとれてない。
何にもできず、体格も小さな幼児だった。
ただ、すこぶる顔が可愛かった。それだけだ。

対して寿一は何でもできた。
お絵描きもかけっこも発語も周囲の子よりとびぬけていた。発語だって四歳とは思えないほどにしっかりとしており、ぺらぺらと流ちょうにおしゃべりをした。
好き嫌いもなく、おむつもすでにとれており、体格だって恵まれていた。
和とは本当に真逆の存在だった。

そして、和はそんな寿一が嫌いだった。
自分が寿一と並ぶと母親がため息を吐くからだ。

家でも「寿一君、寿一君」といなくてもその存在は和を追いかけてくる。
四歳にして忌々しいという感情を持っていたのだ。その点は大人だったと褒めてほしい。

だが、いくら和が寿一を嫌っても寿一は和にひたすら引っ付いてくる。
和は全てを諦めた。
寿一の隣にいれば、例え頑張ったところで何も見てもらえないのだ。

やらないからできないだけだ。
寿一がいるからやらないのだ。

だというのに、高校で寿一は和とは別の学校に行くと言い出した。
意味が分からなかった。
これまで和の人生を嫌というほど邪魔してきたのに。和のしてみたいこと、できないことを簡単にやってみせ、こんなにも惨めな気持ちにさせてきたくせに、高校は離れるのだという。

将来お金持ちになるために。

これまでも歪で崩れていた和の人生が音を立てて崩れた瞬間だった。