冷房の効いた部屋で温かい物を飲んでいた季節から、暖房の効いた部屋で氷の音をカラカラと立てる季節になった。
もこもこの上着に顔を埋めながら、光る画面を見る。
赤保留。
激アツ演出。
勝率星四の雑魚敵。
けれど、何かが足りない。
イマイチなのだ。
せめて、この赤保留が金に変われば。
せめて、カットインが金かレインボーなら。
せめて、チャンスアップ演出のフルコースなら。
せめて、ボタンがプレミアなら。
祈るような気持ちで画面を見る。
そして、最終ボタンが現れる。
「……っ、ツージョー」
あぁ、終わった。
全ベットしたのに!
無意識につよい力でボタンを押す。
指先にバイブ音は――感じられなかった。
画面に現れる「敗北」の文字。
上皿に残る一玉を適当に弾いて、通常に戻り該当保留が消えていくのを確認する。
「……はぁ〜、つまんね」
くそだくそ!
なにが、神台だ!
こんなもんクソだ!
和はドリンクホルダーに残るペットボトルも回収せずに台を立つ。
腹立たしげに島横のベンチに座り、財布を見た。
綺麗に空である。
今日はまだ二十日だと言うのに、もう金はない。
明日からまた家にこもる日々だ。
和は大きくため息をつく。
「見てたわよ〜」
久しぶりに会った女性はニコニコと笑いながら近づいてきた。
右手に持っていたコンビニのホットのカフェラテを和に差し出してくる。
勝っているのだろう。いつも通りの施しだ。
くそ。
「……ども」
「コーヒーあげようと思って見に行ったら、激熱リーチ外して物凄い顔してるんだもん。笑っちゃった~」
あはは、と笑う女性に和は溜息を吐く。
同じことを寿一がしたら腹が立って仕方がないが、この女性にされても脱力するだけだ。
「…………」
くすくすと笑いながらも、女性は和を見ている。
その視線は満足げで、なぜかうんうん、と頷いている。
「なんすか」
「最近、ものすごく肌がつやつやして、髪もサラサラだし、イケメンに磨きがかかったなぁと思って。目の保養だわ~。君に会うと運気が上がるのか、よく勝てるのよ。今の内に運気をため込んどこうと思って。帰るんでしょ?」
腹立つ。
和は財布の中身を全部擦ったのに。
きっと、和が負けたのは、この女性に運を吸い取られたからに違いない。
「じゃ、女神さまを大事にするんだよ~」
女神という言葉が一体誰のことなのか、理解できなくて数秒。
寿一のことだと理解して、激しく首を横に振った。
女神に失礼だ。今すぐ謝ったほうがいい。さもなくば、勝ちが消えるぞ。
とは思うが、腹立たしいので忠告はしない。
女神だと思うわけでもないが、負けろ。
ルンルン、と去っていく女性の背中に呪詛を吐きながら、和はどこかで鳴るキュイン音に耳を傾ける。
人の勝ちなど不愉快だ。
毒づきながら、ベンチから立ち上がり店を出る。
交換所の前を腹立たしい気持ちで通り過ぎ、帰路につく。
時刻は昼の三時。
昼食を抜いたせいで、ずっと腹が鳴っていた。
◆◇
今日はとことんツイていないらしい。
玄関を開ければ、寿一の靴があり、足を忍ばせて手を洗い、部屋に籠ろうと足音を殺していると、寿一が仕事部屋から出てきた。
そうして、和の財布を奪い取り、中身を確認してニコニコと笑った。
「お前って、金に嫌われてるよなぁ」
そう言って、取り上げた財布を優しくポン、と和の手に返し、背を向けてリビングへと消えた。
なんだあいつは。
腹立たしい気持ちを抱えながら、どうせ見つかったんだし、とリビングへと入る。
時計の針は三時半を指しているが、昼食にしよう。
晩飯は遅い時間に食べればいいのだ。
規則正しい生活をしなくても、死にはしない。
「か~ず」
「……んだよ」
「昼は?」
和がリビングに入り、迷うことなくキッチンへと足を向けた瞬間にこれだ。
無視をして戸棚を漁り、カップ麺を取り出す。
お湯を沸かそうとケトルに手を伸ばすと、後ろから伸びてきた腕がケトルを押さえつけ、お湯を沸かすのを阻止されてしまう。
「おい、飯を食わせろ!」
「きちんと十二時に食べろよ。今日の夜は焼肉に行く予定だったんだぞ」
そんなの聞いていない!
あとだしの情報で和を操作するなんていかがなものか。
ただ、和の口は焼肉に傾き、ケトルから指が離れる。
「……にしても、和の腹がうるさい」
「今すぐ行こう。いや、金だけ寄越せ」
「金だけ渡したら、増やしてからもっといい肉食べようとかでパチンコ行くだろ」
無きにしも非ずだが、寿一に言われると腹が立つ。
ぐぅ~、と間抜けな音がダイニングキッチンに響く。
焼肉が食べたい。
空腹の状態の、一番美味しいと思える状態で食べたい。
けど、この状態が続くのは無理だ。
何なら小腹を満たし、夜までもつのかを考える。
しかし、その考えは背後から伸びてきた寿一の手によって遮られた。
指を絡め、もう片方の腕で、和の体に巻き付き、すりすりと首筋に額を押し付けてくる。
外から帰ってきたのは和の方だと言うのに、なぜか冷えている寿一に和は首を傾げた。
「気づいたら暖房消えてた」
最近はまた新作を書いているらしく、部屋から出てこないことが多かった。
しかし、基本的には規則正しい生活をしている寿一はきっちり朝の九時から夕方の五時までで一旦切り上げて、リビングにやってくる。
書いてない時は家事をして、和の世話を焼く。
寿一が忙しくなったからと言って、和が蔑ろにされることも、食事等がおざなりになることもなかった。
「風呂でも入って温まってこれば」
「……お誘い?」
「なわけあるかよ。寝言は寝て言え。いや、寝てても黙れ」
ちぇ、と言って離れた寿一が何やら背後でごそごそと何かを探している。
きっとうまいものに違いないと思い、見ていると出てきたのはクッキー缶。
寿一の好物の少し高いやつだ。
「この前、期間限定のやつ出てたから買ったんだ。あったかいミルクティーでも入れてやるから、これでしのげよ」
「……冷たいの」
「……お前、たまにはあったかいの飲めよ」
まぁ、いいけど、と寿一がミルクティーの準備をしだすのを横目に見ながら、リビングへと移動する。
その間、ずっと和の腹は鳴り続けている。
和からしても喧しい。
ソファに横になり、テレビのスイッチを押す。
どの局番も碌なものを放送していない。
土曜のこの時間なんてこんなものだったな、なんて思いつつ、動画配信サービスで適当に映画を流す。
面倒くさいからだいぶ昔に見たファンタジー映画でいいだろう。
結末を知っていると、感情移入しなくて済むから楽なのだ。
若干の肌寒さを感じ、ソファ横にあるサイドテーブルに置いてあったエアコンのリモコンを手に取り、暖房のボタンを押す。
静かに稼働するエアコンの音を聞きながら、ソファの背もたれに掛けてあった大判のひざ掛けを体に巻き付ければ完成だ。
暫くソファで丸くなりながら、映画をぼんやりと見ていると、ようやくキッチンから寿一が出てきた。
「またデカいミノムシがいる」
「……これが一番快適なんだ。黙ってろ」
「怖いミノムシ~。せっかく、冷たいミルクティーと美味しいクッキー持って来やったのに」
空腹には何も敵わない。
嫌味もミルクティーとクッキー代だと思うことにする。
和はミノムシから脱して、ソファからラグへと降りる。
ラグも冬仕様に変わっており、ふわふわで分厚くてなかなかに昼寝したら快適そうだ。
「……お前のは?」
「なになに、一緒に食べたいってことか? はぁ~~、残念過ぎる。和がおれと一緒にいたいって言ってるのに、おれは部屋に戻って仕事が」
「消えろ」
「も~、口悪いって」
なら、腹立つようなことを言うな。
和は冷えたミルクティーに口をつけ、クッキーの包装用紙を剥く。
「か~ず」
声の甘さに嫌な予感を覚えて、クッキーを貪り食っていると、寿一の手が和の両頬を包み、グイっと無理矢理顔の向きを変えてくる。痛い。
もぐもぐと止まることのない和の口を無視して、ぶつけるように唇が重ねられる。
「っんぐ」
あまりのことに変な声が漏れた。
未だに和の口の中にはクッキーの塊が噛み切れずに残っているというのに、構わず舌を入れてくる神経には恐れ入る。
何回したってキスに慣れるどころか、序盤の気持ち悪さとあとから来る気持ちよさの切り替えが気持ち悪いのに、口にものが入ってる状況で口の中を弄ってくるなんて最悪でしかない。
不快すぎる!
寿一の唾液とともに喉に流れていくクッキーの感触に、暫くクッキーは食べたくないと思った。
気持ち悪すぎて、寿一の後頭部の髪を思いっきり引っ張る。
「痛いって」
唇を重ねたまま、寿一が言う。
「死ね!」
「はいはい、おれも愛してるよ〜」
「今のは絶対違う! てか、離れろ! 離せ! 死ね! くたばれ!」
「ほらほら、照れない照れない。おれ、仕事戻るな。五時半になったら出よう。予約してあるから」
そう言って再度、ちゅっとリップ音を立てて口付けると、すっと離れて自分の分のミルクティーを片手にリビングから出ていった。
テレビのスピーカーから流れ出る、何かの呪文。
微かに聞こえる暖房の音に混じり、和の手元からはぐしゃっというクッキーが潰れる音が鳴る。
頭の中は寿一への呪詛でいっぱいだ。
不快な口の中をゆすぐようにミルクティーを飲む。
ただ、感触だけは消えてくれなかった。
最悪だ。
5時半まで、あと一時間半。
この空腹をどうするか、寿一をどう締め上げて、どう苦しめるか、和は考えることがいっぱいだった。
映画など見ている暇はない。

