黒い、死のフィルムが見えるようになったのは、もうだいぶ前のことだ。幼稚園からの帰り道、ふわりふわりと揺らめくそれをリボンだと思い、手に掴んだのが事の発端だった。
モーションアニメの静止画を、一枚一枚追うように、
フレームに焼き付けられた母の姿を追う。毎日、毎日、同じ光景を目に映し込み、現実の母がフィルムのそれと重なった時、彼女は車に跳ねられた。
当時、「死」というものを理解するには、まだ幼過ぎて、場違いな高揚感を抱いたのを覚えている。既視感、正夢、そんな感覚に近かったのかもしれない。目前の悲劇が現実だと気付いた時にはもう遅く。母は帰らぬ人となってしまった。
黒い帯は、ただ端的に死の工程を記す。そこに感情は伴わない。過去、現在、未来と、その人物の死の瞬間を終わりとして、映像を映し出すだけ。
そして、興味深いことに、それは必ずしも本人に付き纏うわけではないのだ。まるで線香の残り香のように、その死に関わる人物に染み付き、そっと死の痕跡を刻み付けるのだ。

