【長編版】舐めて齧って残さず食べて

「んで? なんか方法に心当たり……あんのかよ?」

 僅かに揺れていた肩が落ち着いたのを見計らって、冴吹に声をかける。
 
「……八尋って呼んで……」

 ぐすりと鼻を鳴らしながら返ってきたのは、そんな言葉だった。

「……んだよ急に……。それが方法なのか?」

「……違うけど、違わない……」

 どっちだよ……って心の中で突っ込んでると、最後に大きく鼻を啜った冴吹が顔をあげた。
 目を真っ赤に充血させ、なんなら鼻も赤い。
 目についたティッシュの箱を手渡せば、豪快に鼻をかむ冴吹。
 妙に人間臭いその行動に、なんとなく気が抜けた。

「んで? 名前を呼ぶとどうなんだよ。八尋?」

 さりげなく名前を呼べば、ビクリと肩を揺らし、再び綺麗な水色の瞳が涙に沈んだ。

「……おいおい。泣き過ぎだって……」

 ティッシュを適当に引き出して、八尋の目元にあてる。
 涙を吸ってじわじわと重くなる薄紙に、思わず苦笑が漏れた。
 目の前のコイツからは、夢の中で見た龍のような神々しさは感じられない。
 本当に同一人物かよと疑いつつ、八尋が落ち着くまで好きに泣かせたのだった。
 

「……落ち着いたか?」

 箱ティッシュの中身をだいぶ消費した後、すっかり汗をかいていた麦茶を一息に呷った八尋は、ふぅとため息を吐いた。
 俺を気まずそうにチラチラと見ているが、どうやら涙は止まったらしい。
 頬も赤いままだが、それはどうやら号泣したのが気まずいのもあるようだ。

「……んで? 話はできそうか? 八尋?」

 名前を呼べば、ふわりと俺の中から何かが抜けだし八尋へと流れ込んでいった。
 それと同時に黒く染まる八尋の瞳。
 なるほど、名前を呼べば力の譲渡ができるのか……?

「ふふっ、君に名前を呼んでもらえるのが……こんなに嬉しいなんて……。もっと早く呼んでもらえばよかったなぁ」

「ん? あぁ、そうだな。力も渡せるみたいだし……。って、最初からこうしてれば俺は無理やりお前にファーストキスを奪われることもなかったんじゃないか?」

 チラリと視線を向ければ、慌てて首を振る八尋。

「ち、違うよっ! 名前……僕の真名だけで力をやり取りできるのは、君と気持ちが繋がったからだから! まぁ、そうじゃなくても慈雨くんのファーストキスは僕の物だけど!」

「いや、わけわっかんね」

 立てた膝に頬を乗せ、八尋の顔を眺める。
 ……やっぱキレーな顔してんだよな、コイツ。

「んで? これからは名前を呼ぶだけでいいんか?」

 悪戯心が沸き上がりそんなことを口にすると、八尋は慌てて両手を振った。

「いや、うん。いや……ちがくって……! えっと……僕と交わってください!」

 真っ赤な顔でそんなことを告げる八尋に、ますます嗜虐心が湧く。

「ふぅん……。交わるって……お前の食料になってお前の血肉になればいいわけ?」

「ちが! だから違くて! 僕はそもそも人間を食べたことなんてないからね?! って、ちょっと!」

 俺が揶揄ってることに気付いたんだろう。
 さっきまで羞恥で真っ赤だった頬が、今度は別の意味で赤くなる。
 そんな姿も可愛いとか思ってしまうんだから、これは惚れた弱みってヤツかもしれん。

「だーかーらー!!」

 くつくつと笑い続けてると、さすがに怒ったらしい。
 ぐわっと迫ってきた八尋に押し倒されて、俺は天井を見上げることになっていた。
 
「こういうことだよっ! そうすれば君の力を受け取りやすくなるし! 君は僕に近くなる。
 だから……っ! 僕と……っ!」

 どこかに躊躇があるのか、泣きそうになりながら訴える八尋。
 恐らく八尋という存在に近くなるって部分がネックなんだろうか?
 でもまぁ……いっか。

「いいよ。ほら……」

 両手を伸ばして八尋の後頭部に回す。
 くっと力を入れていけば、ぐっと八尋の顔が近づいた。
 吐息と吐息が触れ合って、黒い瞳に俺が映る。
 唇が触れ合う寸前。

「お前の好きなだけ……喰えばいいだろ?」

「いいの?」

 なんていまさらなことを泣きそうになりながら言うから……。
 俺の方から八尋の唇に噛り付いてやった。


「ん……」

 ぼんやりと目を覚ませば、見知らぬ部屋の見知らぬ家具が横向きにうつった。
 どうやら俺はどこかで寝てるらしい。パンイチで。
 むきだしの背中には温かな温もり。
 そして俺の後頭部の毛を揺らす柔らかな吐息。
 その瞬間、寝落ちする前までの記憶が弾けた。
 あぁ、そうか。俺は八尋と……。

 俺を包み込むようにしている腕は、持ち主に意識がないせいかそこまでの拘束力はない。
 そっと腕を掴んで、くるりと身体を回す。
 寝てても綺麗な顔が目の前にきた。

「んむぅ……」

 振動が伝わったのか、八尋がむずがるように僅かに眉根を寄せる。
 だけどしばらくすれば再び深い呼吸と共に眠りへと落ちていった。

 妙に子どもっぽいその姿に、思わず笑みが落ちる。
 意外に長いまつ毛の生えた瞼に覆われて、印象的な瞳は見えない。
 水色でも黒でも、どちらの時でもキラキラと輝いて吸い込まれそうな綺麗な瞳。
 すっと通った鼻筋と、薄めの唇。
 この唇が俺を好きだと言って、俺の肌を舐めて齧っていったのだ。
 その時のことを思い出し、じんわりと全身が熱くなる。

 すぃと唇をなぞれば、むずがゆそうに首を振る八尋。
 
「好きだよ。八尋。お前にだったら……本当に食われたって……」

 構わねぇんだけどなぁ。

 そんなことを思いながら、俺は再び眠りへと落ちていった。

 だから……気付かなかった。
 部屋の片隅から聞こえてきた怨嗟の声に……。



 ……ミツケ……タ……。
 ミツ……ケ……タ……。
 モウ……ニガサ……ナイ……。