「げ……。バスが一日に一本かよ……」
夏休み初日。
雲一つ見えない酷暑の空の下。俺はさっそく田舎の洗礼を受けていた。
なんのことはない。交通の便がひたすらに悪い八束ダムへと向かうところだ。
あの後、八束ダムの情報を収集し、最近の水不足で水面が下がり村が露出しているというところまで突き止めた。
母親や祖母が行くことを禁止されていた○○県は、実際のところそこまで遠くはない。
俺は少し早めの夏休みと、自由研究だと言い張ってこの地にやってきた。
……さすがに自由研究は通用せず、一泊二日のこの度が終われば受験勉強にまい進することを約束させられたが。
ただ……。
母さんにも「オヤシロ様」や一連の曾祖父母の話に思うところあるのか、現地に行くという話にそこまで難色を示されることはなかった。
まぁ、俺が男だというのも大きいんだろう。二重の意味で。
「……さて、乗るか」
着替えと、念の為の食糧や水をパンパンに詰めたリュックを背負い直す。
都会ではまず見なくなったステップが二段あるバスに乗り込めば、俺以外誰も乗ることなくバスは発車した。
そして……。
八束ダムのバス停に降り立った俺を出迎えたのは、耳が痛くなるほどの蝉時雨だった。
ダムへと続く道は舗装も荒く、定期的に管理者が出向いてるくらいしか行き来がないのだろう。
夏の雑草の繁殖力に負け、道はほぼ草に覆われていた。
念の為と反対側のバス停の時刻表を確認する。
何度見ても一本だった。
「……これ、逃したら野宿確定かよ……」
少しだけ呆れながら、バスの時間の一時間前にスマホのアラームをセットする。
ここまで余裕を見ればまず乗り過ごすことはないだろう。
これで乗り過ごした場合は……俺にとんでもない事態が起きてるってことだ。
「……よっしゃ」
覚悟を決めて、雑草の茂る道を歩く。
目指すは……龍である八尋の棲み処だった場所。今はダムとなっている八束ダムだ。
降るような蝉時雨に追い立てるように俺は山道を歩いた。
ざわりざわりと森が鳴る。がさりがさりと茂みも鳴る。
視線を感じた気がして振り返っても、もちろん誰もいない。
じんわりと冷や汗なのか普通の汗なのかわからないものが背中を濡らす。
着てきたTシャツは既に絞れそうなほどの汗が染み込んでいた。
「……っ!」
急に視界が開けた。
そして目の前には……。
巨大なダム施設があった。
本来であれば満面の水を湛えているであろうそこは、赤茶けた大地が露出しモノ淋しい雰囲気を醸し出していた。
巨大なすり鉢状の中央部分に、どろりと濁った水が僅かに溜まっている。
ぶわりと吹いた風が、むき出しの大地から砂ぼこりを巻き上げた。
「……ここが……」
看板に書かれた『八束ダム』の文字をじっと見つめる。
白地にブルーの看板にはそれ以外にも国土交通省の管轄である事、ダム内への侵入は犯罪であることが明記されていた。
「……さて、八尋はどこにいるんかねぇ」
あえてのんびり口にする。
心の中は急いていて、今にも走り出したい気分なんだが、ここは用心深く動くことにした。
……何せ背を向けている森の方からいくつものじとりとした視線を感じるからだ。
この視線の持ち主が、曾祖母の父親に殺された村人の物なのか、それとも生贄として捧げられた少女たちの物なのか。
俺には確認する術がなかった。
さくりさくりとダムに沿って歩いていく。
底に残る水面は凪いでいて、さざ波一つ立たない。
僅かに気温が下がってきたのか、肌が粟立つ。
ぞわりとした悪寒と共に視界にうつったのは……。
正しく村の残骸だった。
下半分は水に沈み、上半分だけをギラギラとした夏の日差しに照らされている。
水中に沈んでいただけではありえない、真っ黒に焼け爛れた柱が、大規模な火事の名残をとどめていた。
ごくりと無意識に喉が鳴る。
もっと近づいて見られる場所はないかときょろきょろと辺りを見回せば、一か所ちょうど良さそうな場所があった。
点検のためなのか、ダムとこちら側を分けるように連なっている柵が、一か所だけ動くようになっていた。
誰かに背中を押されるように駆け出して、柵に触れる。
きぃと小さな音がして、金属の棒が連なったドアが開いた。
「……っ」
からりと足元で音がする。
知らないうちに蹴飛ばしていた小石が、渇いた地面を転がり落ちていった。
それはまるで……。
氷雨が落ちた時のような……。
『————』
誰かに呼ばれた気がして振り向く。
そこにいたのは……真っ黒な影だった。
「っ?!」
思わず後ずさる。
ざらりと砂が落ちていく気配がした。
『おら、もう後がねぇ。大人しくこっちへ来い』
「っ!?」
黒い影が呟いた言葉は……間違いなく氷雨を追いつめた男のものだった。
ずっ……ずっ……。
影が近づく。
だが、このまま下がっては氷雨の二の舞だ。
俺はここで死ぬわけにはいかない。
……横をすり抜けるか。
ぐっと足に力を入れ、黒い影に向かって走り出そうとした。
その瞬間。
「……は?」
ぐっと背中を掴まれた。
だけどそんなはずはない。
だって俺の後ろにあるのは……ダムなんだから。
人が立つ余裕なんてなかった。
こんな何本もの手が伸びてくるような空間なんてなかった。
「っ! くそがっ!」
それなのに……。
何本もの黒い手が俺のTシャツを掴む。なんなら腕も、足も。
ダムに引き摺り込もうとでもいうのか。
何本もの黒い腕が絡み付く。
気が付けば前方にいたはずの黒い影ですら、俺を突き落とそうと手を伸ばす。
「っ!? やめっ! やめろぉぉぉぉ————!!」
振りほどこうと大きく身体を動かした瞬間。
足の裏から地面の気配が消えた。
そして俺は呆気なくバランスを崩し……。
落ちていった。
最後に見た空には、白い雲が月の欠片のようにぽつりと浮かんでいた。
夏休み初日。
雲一つ見えない酷暑の空の下。俺はさっそく田舎の洗礼を受けていた。
なんのことはない。交通の便がひたすらに悪い八束ダムへと向かうところだ。
あの後、八束ダムの情報を収集し、最近の水不足で水面が下がり村が露出しているというところまで突き止めた。
母親や祖母が行くことを禁止されていた○○県は、実際のところそこまで遠くはない。
俺は少し早めの夏休みと、自由研究だと言い張ってこの地にやってきた。
……さすがに自由研究は通用せず、一泊二日のこの度が終われば受験勉強にまい進することを約束させられたが。
ただ……。
母さんにも「オヤシロ様」や一連の曾祖父母の話に思うところあるのか、現地に行くという話にそこまで難色を示されることはなかった。
まぁ、俺が男だというのも大きいんだろう。二重の意味で。
「……さて、乗るか」
着替えと、念の為の食糧や水をパンパンに詰めたリュックを背負い直す。
都会ではまず見なくなったステップが二段あるバスに乗り込めば、俺以外誰も乗ることなくバスは発車した。
そして……。
八束ダムのバス停に降り立った俺を出迎えたのは、耳が痛くなるほどの蝉時雨だった。
ダムへと続く道は舗装も荒く、定期的に管理者が出向いてるくらいしか行き来がないのだろう。
夏の雑草の繁殖力に負け、道はほぼ草に覆われていた。
念の為と反対側のバス停の時刻表を確認する。
何度見ても一本だった。
「……これ、逃したら野宿確定かよ……」
少しだけ呆れながら、バスの時間の一時間前にスマホのアラームをセットする。
ここまで余裕を見ればまず乗り過ごすことはないだろう。
これで乗り過ごした場合は……俺にとんでもない事態が起きてるってことだ。
「……よっしゃ」
覚悟を決めて、雑草の茂る道を歩く。
目指すは……龍である八尋の棲み処だった場所。今はダムとなっている八束ダムだ。
降るような蝉時雨に追い立てるように俺は山道を歩いた。
ざわりざわりと森が鳴る。がさりがさりと茂みも鳴る。
視線を感じた気がして振り返っても、もちろん誰もいない。
じんわりと冷や汗なのか普通の汗なのかわからないものが背中を濡らす。
着てきたTシャツは既に絞れそうなほどの汗が染み込んでいた。
「……っ!」
急に視界が開けた。
そして目の前には……。
巨大なダム施設があった。
本来であれば満面の水を湛えているであろうそこは、赤茶けた大地が露出しモノ淋しい雰囲気を醸し出していた。
巨大なすり鉢状の中央部分に、どろりと濁った水が僅かに溜まっている。
ぶわりと吹いた風が、むき出しの大地から砂ぼこりを巻き上げた。
「……ここが……」
看板に書かれた『八束ダム』の文字をじっと見つめる。
白地にブルーの看板にはそれ以外にも国土交通省の管轄である事、ダム内への侵入は犯罪であることが明記されていた。
「……さて、八尋はどこにいるんかねぇ」
あえてのんびり口にする。
心の中は急いていて、今にも走り出したい気分なんだが、ここは用心深く動くことにした。
……何せ背を向けている森の方からいくつものじとりとした視線を感じるからだ。
この視線の持ち主が、曾祖母の父親に殺された村人の物なのか、それとも生贄として捧げられた少女たちの物なのか。
俺には確認する術がなかった。
さくりさくりとダムに沿って歩いていく。
底に残る水面は凪いでいて、さざ波一つ立たない。
僅かに気温が下がってきたのか、肌が粟立つ。
ぞわりとした悪寒と共に視界にうつったのは……。
正しく村の残骸だった。
下半分は水に沈み、上半分だけをギラギラとした夏の日差しに照らされている。
水中に沈んでいただけではありえない、真っ黒に焼け爛れた柱が、大規模な火事の名残をとどめていた。
ごくりと無意識に喉が鳴る。
もっと近づいて見られる場所はないかときょろきょろと辺りを見回せば、一か所ちょうど良さそうな場所があった。
点検のためなのか、ダムとこちら側を分けるように連なっている柵が、一か所だけ動くようになっていた。
誰かに背中を押されるように駆け出して、柵に触れる。
きぃと小さな音がして、金属の棒が連なったドアが開いた。
「……っ」
からりと足元で音がする。
知らないうちに蹴飛ばしていた小石が、渇いた地面を転がり落ちていった。
それはまるで……。
氷雨が落ちた時のような……。
『————』
誰かに呼ばれた気がして振り向く。
そこにいたのは……真っ黒な影だった。
「っ?!」
思わず後ずさる。
ざらりと砂が落ちていく気配がした。
『おら、もう後がねぇ。大人しくこっちへ来い』
「っ!?」
黒い影が呟いた言葉は……間違いなく氷雨を追いつめた男のものだった。
ずっ……ずっ……。
影が近づく。
だが、このまま下がっては氷雨の二の舞だ。
俺はここで死ぬわけにはいかない。
……横をすり抜けるか。
ぐっと足に力を入れ、黒い影に向かって走り出そうとした。
その瞬間。
「……は?」
ぐっと背中を掴まれた。
だけどそんなはずはない。
だって俺の後ろにあるのは……ダムなんだから。
人が立つ余裕なんてなかった。
こんな何本もの手が伸びてくるような空間なんてなかった。
「っ! くそがっ!」
それなのに……。
何本もの黒い手が俺のTシャツを掴む。なんなら腕も、足も。
ダムに引き摺り込もうとでもいうのか。
何本もの黒い腕が絡み付く。
気が付けば前方にいたはずの黒い影ですら、俺を突き落とそうと手を伸ばす。
「っ!? やめっ! やめろぉぉぉぉ————!!」
振りほどこうと大きく身体を動かした瞬間。
足の裏から地面の気配が消えた。
そして俺は呆気なくバランスを崩し……。
落ちていった。
最後に見た空には、白い雲が月の欠片のようにぽつりと浮かんでいた。


