【長編版】舐めて齧って残さず食べて

(英雄の日記)

 この日記を読んでいるということは、(しずく)さんか私のどちらか、若しくは両方が亡くなったことと思う。
 心優しい雫さんは、きっと最期まであの村のことを悔いていたことだろう。
 あの……忌々しい村のことを!
 雫さんの心を罪悪感で縛り付ける忌々しいあの村のことを!
 彼女の日記には、いつまでもあの村や私に対する懺悔が残されていた。
 
 だからこそ私は……。

 あの忌々しい村の正体を、詳らかにするためにこの日記を残す。

 あの利己的で、昔の因習に囚われ、自らの首を絞め続けた村の正体を……。

 あの村では、とある決められた家の娘が十八になった暁には、湖の龍神とやらに生贄として捧げる悪習が残っていた。
 この時代に生贄など……と思うかもしれないが、昭和初期までは確かに他の各地でもそう言った慣習は残されていた。
 もちろん公の記録には残されていないが。

 何故、十八なのか。
 何故、あの家の娘なのか。
 何故、あの家ではあつらえたように娘が生まれるのか。

 誰も覚えていないにもかかわらず、生贄だけは必ず捧げてきたらしい。
 雫さんの前には、雫さんの伯母にあたる女性が、十八になった瞬間湖へと投げ込まれたらしい。

 全くなんてバカバカしい。

 姉を殺された、そう、生贄なんかではない、あれは立派な殺人だ。
 そんな憂き目にあった雫さんのお父君は、村を湖を、儀式を強要する村長の一族を恨んでいた。

 にもかかわらず、雫さんは生まれてしまった。女性として。

 十八になると必ず殺されてしまう娘。
 自らの子どもがそんな目に遭うことは、お父君にとってとうてい許容できるものではなかった。

 だからこそ。
 雫さんを村の外へ逃がそうとしたのだ。何度も何度も。
 だが村長と、村長の考えに賛同している村の人間が、ことごとく邪魔をしたらしい。
 それどころか、お父君から雫さんを取り上げて、()()()の地下にある座敷牢に閉じ込めてしまったのだ。

 それが雫さんが十の年の頃。
 そして私が……雫さんに惹かれ始めたのもこの時だった。

 代々村長を務めてきた私の家は、この村の負の遺産そのものだった。
 生贄となる娘が逃げ出さないように監禁する座敷牢。
 そんなものが自宅の地下に用意されているような家だった。

 逃亡を繰り返す雫さんを逃がすかと言わんばかりにその座敷牢へ閉じ込めたのは、村長を務めている私の父だった。
 雫さんが死なない程度の食事を与え、まさに飼い殺しといっていい境遇に堕とす。
 そんな人間と血のつながりがあること自体に嫌気がさすような所業だった。

 だからこそ、私は雫さんへ食事を届けた。父親に見つからないようにコッソリと……だったが。
 ちなみに母親は見て見ぬふりをしてくれた。
 遠方の村から嫁いできた母親にとって、この閉鎖的な村はあまり居心地の良いものではなかったらしい。

 自分が寝起きしている家屋の下に、何の罪もない娘が囚われていることにも違和感を禁じ得なかったらしい。
 だが、夫であり村長、この村の権力者である父に逆らうことによって身に降りかかるであろう不幸を案じて、父に逆らうということをしない程にはわが身が可愛かったのだろう。

 告げ口されないだけましだった。

 そして私は父親の目を盗んで雫さんと交流を深める。
 雫さんに対して愛しいという気持ちを持つのもあっという間のことだった。

 何せ彼女は美しい。
 濡れたような輝きを放つ黒髪と黒目。その瞳に真っすぐ見つめられては溺れてしまいそうだ。
 境遇が境遇だけに大口を開けて笑ったりすることはないが、私が持ってきた差し入れに小さく笑って礼を言うその姿は大変愛らしかった。

 だからこそ……。

 得体の知れない龍神にくれてやるなんて、嫌だった。

 どうせなら我が物にしたい。彼女を妻として迎え、死ぬまで共に在りたい。

 それはきっと自然な欲求だった。
 だからそれとなく父に訊ねたのだ。
 雫さんを妻に迎えるにはどうすればいいか……と。

 返ってきたのはこぶし。
 言葉ですらなかった。

 そして私が雫さんの元へ通っていたことも芋づる式にバレた。
 黙認していた母親は父親に酷く折檻され、ぼろぼろになった。

 だが我が母ながらあっぱれなのは、そんな襤褸布のようになりながらもこの家を飛び出していったことだろうか。
 薄情な父親は、女人の身で一人で生きていけるはずはない。どうせ山の中でのたれ死ぬと断言していたが……。

 後日、どう探し出したのか私宛に母から手紙が届いた。
 父親から折檻を受けて飛び出したのち、親切な人に助けられ今では手に職を持ち再婚しているということ。
 今自分は幸せであること。そんなことが書かれた手紙を握りつぶしながらも、酷く安堵したことを未だに覚えている。

 そして……。

 母親が飛び出していった後、この家に残されたのは忌々しい父親と、俺と座敷牢に閉じ込められた雫さんだけだった。
 なんとか雫さんを救い出したいと手をこまねいている間に、いよいよ雫さんが十八の年になってしまった。

 このままでは雫さんは湖に打ち捨てられてしまう。
 そんなことは……到底許せるものではない。
 だが、父と村人たちの監視がきつくなる中で、雫さんを助け出すのは難しかった。

 そんな俺に手を差し伸べてくれたのは……。
 雫さんのご両親だった。
 雫さんを奪われた後、夫婦二人だけになった彼らは、虎視眈々と狙っていたのだ。
 雫さんを奪い返すその日を。

 そして私が雫さんに惚れぬいていることにも気付いた。
 だからこそ……計画を持ち掛けてきたのだ。

 村を……壊す計画を……。全てを滅ぼす計画を……。
 村人たちを……全滅させる計画を……。

 そして私は……迷うことなく彼らの手を取った。

 計画はいたって単純だった。

 生贄の儀式をする当日。
 座敷牢の扉が開けられ、雫さんが地上に連れ出されたその瞬間に、村へと火を放つというものだった。
 この村は閉鎖的で、まともな火消しをする設備もない。
 ふもとの村や町では消防団があり消防車なども整備されているようだが、この村には何一つなかった。
 最寄りの消防団から消防車が来るまでゆうに三十分はかかるだろう。
 我が家にだけ引いてある電話線を切ってしまえば、さらに時間はかかる。

 火消しに気をとられているうちに雫さんを助け出す。

 そんな計画だった……はずだ。

 私は侮ってた。甘く見ていた。

 娘を、姉を殺された男の恨みを……。

 そして決行の日。
 父親がいつも懐に仕舞っている鍵を持って地下の座敷牢へと降りていく。
 私はしばらく前から、心を入れ替え父親に、村の掟に従うような素振りを見せていたため、特段疑われる様子もなかった。
 雫さんの両親とも直接言葉を交わすのではなく、暗号で書いた文でやり取りしていたのもあったのだろう。

 端から単純な質であった父親は、私と雫さんの両親が繋がってるなどと微塵も思わず、ただ村長としての威厳を見せつけられる生贄の儀式に胸を弾ませていた。
 まったくもって……おぞましいことこの上ない。
 血の繋がった父親とは思いたくない。本当に反吐が出る。

 それにしても……遅い。

 地下の座敷牢に降りていった父親が上がってくる気配がない。
 嫌な予感がして地下への階段を駆け下りる。
 そこで目にしたのは……。

 雫さんの細い身体に伸し掛かり今にも蹂躙せんとしている父親の姿だった。

 その後は無我夢中だった。
 父親を突き飛ばし、泣きじゃくる雫さんを父親の下から引きずり出す。
 階段を登って、だけど外にはまだ顔を出さないで待っていてほしいと告げ、私は父親に向かい合った。

 口角泡を飛ばしながら何事か喚く父親が、壁に刺していた松明を手に持って襲い掛かってきた。
 そこからは無我夢中だった。
 振り下ろされる松明を避け、火の粉を弾き、父親の身体を突き飛ばす。
 鈍い音が響いて……そして……壁に頭を打ち付けた父親はぐったりと動かなくなった。

 チリチリと松明の火が畳に移る。
 僅かに肩が動いて呼吸の気配はあるが、動くことのない父親。
 畳の上を舐めるように炎が走り、座敷牢はあっという間に煙に包まれた。

 だから私は……。

 その場から逃げ出した。父親を見捨て。
 背を向けた私に父親が呟いた。

『許さん』

 と。

『呪ってやる』

 とも言っていた。
 許しがたいのはどちらだと、唾棄すべき行いをしてきたのはどちらだと怒鳴り返してやりたかったが、地下を満たした煙が地上へ出ようと階段を登り始めていた。
 その先にいるのは雫さんだ。
 今は父親に怨嗟の言葉を投げつけている場合じゃない。

 狭い階段を駆け上り、破かれた着物の前を掻き合わせて座り込む雫さんの手を取る。
 その時彼女に指摘されて気付いた腕に残された火傷は、まともに手当てができなかったこともあってか、今でも私の腕にある。
 雨が降るたびじくじくと痛む。
 まるで忘れるなと……己が何をしたかを突き付けるように、裏切り者を罰するように……。

 雫さんに適当な服を着せ、外へと飛び出した私たちが見たのは……まさに地獄絵図だった。
 ほぼすべての家に火が放たれ、村人たちが火を消そうと右往左往している。
 そんな村人たちを屠る存在がいた。
 次々と日本刀で村人を切りつけ、動けないようにする。
 絶命が目的ではないのか、その黒い影は足を狙っているようだった。
 地面に倒れ伏してジタバタと醜く蠢く村人たちを、炎の舌先が容赦なく舐め上げる。みな……生きたまま焼かれていた。

『父さん』

 掠れ切った雫さんの声に、黒い影の正体を知る。
 既に炎にまかれている村の中心へと向かっていく人影。
 最期に肩越しに振り返ったあの人は……笑っていた。血塗られた凶器を、狂気を一切感じさせない穏やかな笑みを浮かべていた。

『幸せになれ』

 と、最愛の娘に(つい)の言葉を残し、義父であった人は炎の向こうに消えていったのだった。