「……う……くん? じ……くん?」
誰かが……呼んでる。
だけど睡魔に抗えない。
「じう……くん?」
「う……あ……」
カクンと揺れる俺の身体を、誰かが支えてくれた。
ふわりと鼻をくすぐっていった、清涼感のあるこの香りは……。
「……やひろ?」
寝ぼけてるせいか舌が回らない。
ガキみたいな言い方になってしまった。
「慈雨くん? 大丈夫?」
大丈夫? 大丈夫って何が?
自慢じゃないがガキの頃から健康一筋。
風邪だって年に一回引くか引かないかだ。
「でも、最近顔色悪いし……」
「あぁ、それは……」
思わず口にしそうになって、慌てて口を噤む。
夜な夜な金縛りにあってるなんて告げたら……。
告げたらどうなるんだ?
むしろなんで俺は八尋にこのことを伝えないんだ?
自分の行動に疑問が湧き上がる。
夜な夜な金縛りにあって、理不尽な恨みつらみをぶつけられる。
しかも相手は生きた人間じゃないっぽい。
そんなのに対峙するなら、八尋ほどおあつらえ向きの相談相手はいないんじゃないか?
なのに……なんで……?
考えをまとめたいのに、眠気に襲われままならない。
くらりと揺れる身体を止められない。
「っ!? 慈雨くん!?」
八尋の声を最後に、俺は深い眠りに引き摺り込まれたのだった。
「っ!?」
目を覚ますとカーテンで仕切られた天井が見えた。
デジャヴを感じていると、視界ににゅっと影が差した。
夜中に俺を取り囲む嫌な影のことを思い出して一瞬身を竦ませてしまった。
「……慈雨くん?」
「や……ひろ……」
自分の方がぶっ倒れそうな酷い顔色で俺を見てるのは八尋だった。
「……お前が運んでくれたんか?」
最後の記憶は、いつも通り裏庭で八尋と昼飯を食ってたことだ。
満腹になったと同時に急激な眠気に襲われて……。
「あー。すまん。たかが寝不足で、お前まで授業サボらせちまった……」
「それは別にいいんだけど……。ねぇ? そろそろ話してくれない? 最近君の身に何が起きてるか……」
「……あー……」
言うべきだ。コイツにこんな表情させてまで黙ってる必要なんてない。
なのに……そのはずなのに……。
まるであの黒い影が俺の口を塞いでるかのように声が出ない。
「あ……」
ひくりと喉が鳴る。
たらりと冷や汗が背筋を落ちる。
そんな俺の様子をじっと見ていた八尋の顔がおもむろに近づいて……。
「ふ……っ」
キスされた。
八尋に力をわけるキスとも違う。
戯れに仕掛けられる恋情の発露とも違う。
何かを探るように。俺の中にいる、いてはならないものを探すように。
八尋の舌が俺の口内を余すことなく暴いていく。
呼吸まで、喉の奥に詰まっていた黒いモヤまで奪われるような深いキスは、唐突に終わりを告げた。
「っ!? これ……は……! っ!? あ奴ら!」
「ひっ!?」
怖い。
八尋が怖い。
恐ろしい。
そして……。
美しかった。
上から水が流れるように、八尋の姿が変わっていく。
真っ黒で少し長めに整えられていた髪は、流水のような輝きを放つ腰までの長い銀髪に。
黒曜石のように煌めいていた瞳は静謐な、それでいて冷たい輝きを放つ水色に。
俺と同じ学生服を着ていたはずなのに、それすらも変わっていた。
その姿は……。
夢の中で阿女となって対峙した時の姿そのものだった。
「許さぬ……! 許さぬ……! 我が番に手を出すなど……! 到底許されるものか! 死者といえども許されるものではない! 例えこの身が朽ちようと……! 完膚なきまでに消してやる……!」
いつもの穏やかな表情を一変させ、鬼気迫る顔で怒りをあらわにする八尋。
それは恐ろしいほど……美しかった。
いつもとは違う古風な物言いが気にならないほど。
「っ!? 八尋! 待てっ!? 何を……っ!?」
八尋の変化に気を撮られた瞬間、ざぁと水煙が立ち、視界が塞がれる。
目の前が晴れた時には……八尋の姿は消えていた。
その日以降。
八尋の姿を見ることは無くなった。
それどころか……。
俺以外の誰の記憶からも、八尋の存在は消えてしまったのだった。
それに気づいたのは、消えてしまった八尋を探して教室に戻った時だった。
「……あれ? 高浜くんもう大丈夫なの? 昼に中庭で倒れてたって……」
血相変えて教室に飛び込んだ俺を、イインチョが驚いたように見やる。
「いや……俺は大丈夫なんだが……。八尋、教室に戻ってこなかったか?」
俺の言葉にきょとんとするイインチョ。
メガネの奥の黒目を瞬かせながら、訝し気に口を開く。
「……ヤヒロ……くん? ってうちのクラスにいたっけ?」
「……え? いや、八尋は八尋だよ。ほら、今年度になって転入してきた……」
「……? 転入生なんて……来てないよ?」
「……え? だ、だってほら! あの席……っ!?」
慌てて振り向いた教室の隅。
八尋の席があったはずのそこには……何もなかった。
「え……?」
「高浜くん? 昼に倒れたんだし、今日はもう早退した方がいいよ」
イインチョの慈愛の目がキツイ。
なんか寝ぼけてるとか思われてるっぽい。
いやでも……。
くるりと後ろを振り向いて、本を読んでたクラスの女子に問いかける。
「な、なぁ。冴吹八尋って転入生……来たよな?」
面倒くさそうに顔をあげた彼女が、ゆるりと首を振る。横に。
「……どういう……ことだよ……」
「あ! 高浜くん?! まだ無理しない方がいいよ!」
慌てて裏庭へ駆け出す俺の背中に、イインチョの言葉が虚しく追いかけてきた。
「……っ! はぁ……はぁ……」
全力疾走してたどり着いた裏庭には……当たり前だが誰もいなかった。
静まり返った裏庭には、俺たちが、八尋がいた痕跡などない。
さっきまでここで飯を食ってたはずだ。八尋と二人で。
真面目なイインチョが俺を騙すとも思えない。机を片付けるなんてやり過ぎだ。
そんな陰湿なことをするクラスメイトじゃない。
……だったら?
だったら八尋はどこに行った?
「なんだ……これ?」
ドクドクと鼓動が跳ねる。
それは不安と緊張から来るもので、じわりと嫌な汗が額を滑り落ちていった。
「っ! 八尋のマンション?!」
慌てて踵を返し、学校を後にする。
走って走ってたどり着いた八尋の住んでるマンションには……。
「どういう……ことだよ……」
角部屋だったはずの八尋の部屋自体がなくなっていた。
いや、まるで最初から部屋なんてなかったみたいに。
八尋が住んでた部屋番号の、ひとつ前の番号が角部屋になっていた。
「なん……だよ……」
どういうことだよ……。
ホントに……なんだってんだよ。
恐る恐る自分の唇に触れる。さっきまで八尋の唇が触れていたはずの場所に、今は自分以外の熱を感じない。
マンションのエントランスで立ち尽くす俺を、マンションの住人が不審げに通り過ぎていく。
チラリと管理人室から覗いた視線から逃げるように、俺はその場を後にした。
「……ただいま」
再び走って走って……。
帰りついた自宅には母親がいた。
「あら! 慈雨! あなた学校で倒れて、起きたと思ったらどこかに行っちゃったって! 学校から電話かかってきて大変だったのよ!」
「あ……うん……」
「……どうしたの?」
「……なぁ、俺最近さ……誰とつるんでた?」
俺の変な質問に母親が首を傾げる。
「つるんでって……友達ってこと? だったら……」
母親が上げた名前は、確かに俺の友人たちだった。
だけど……八尋の名前は出なかった。
「なぁ……母さん」
「どしたの?」
「冴吹八尋って……知ってるか?」
俺の問いに首を傾げる母親。
その表情に、俺は絶望する。
「……さぁ? だぁれ? 最近流行りの芸能人とか?」
平坦な顔をして告げる母親から俺はそっと目を逸らした。
「……ちょっと! 正解は?! ていうか体調は大丈夫なの?!」
追いかけてくる母親の声を無視して、俺は自分の部屋に飛び込んだのだった。
「……なんだ? 何が起きた? 何が起きてるんだ?」
ベッドに寝転がって、天井を見上げる。
いつもと変わらない光景だ。光景のはずだ。
「……もしかしたらまだ夢見てる可能性もあんな……」
じくじくと胸を刺す痛みももしかしたら幻かもしれない。
そんな現実逃避をしながら、俺はそっと目を閉じた。
目が覚めたら保健室で、八尋が心配そうに俺の顔を覗き込んでますようにと願いながら。
誰かが……呼んでる。
だけど睡魔に抗えない。
「じう……くん?」
「う……あ……」
カクンと揺れる俺の身体を、誰かが支えてくれた。
ふわりと鼻をくすぐっていった、清涼感のあるこの香りは……。
「……やひろ?」
寝ぼけてるせいか舌が回らない。
ガキみたいな言い方になってしまった。
「慈雨くん? 大丈夫?」
大丈夫? 大丈夫って何が?
自慢じゃないがガキの頃から健康一筋。
風邪だって年に一回引くか引かないかだ。
「でも、最近顔色悪いし……」
「あぁ、それは……」
思わず口にしそうになって、慌てて口を噤む。
夜な夜な金縛りにあってるなんて告げたら……。
告げたらどうなるんだ?
むしろなんで俺は八尋にこのことを伝えないんだ?
自分の行動に疑問が湧き上がる。
夜な夜な金縛りにあって、理不尽な恨みつらみをぶつけられる。
しかも相手は生きた人間じゃないっぽい。
そんなのに対峙するなら、八尋ほどおあつらえ向きの相談相手はいないんじゃないか?
なのに……なんで……?
考えをまとめたいのに、眠気に襲われままならない。
くらりと揺れる身体を止められない。
「っ!? 慈雨くん!?」
八尋の声を最後に、俺は深い眠りに引き摺り込まれたのだった。
「っ!?」
目を覚ますとカーテンで仕切られた天井が見えた。
デジャヴを感じていると、視界ににゅっと影が差した。
夜中に俺を取り囲む嫌な影のことを思い出して一瞬身を竦ませてしまった。
「……慈雨くん?」
「や……ひろ……」
自分の方がぶっ倒れそうな酷い顔色で俺を見てるのは八尋だった。
「……お前が運んでくれたんか?」
最後の記憶は、いつも通り裏庭で八尋と昼飯を食ってたことだ。
満腹になったと同時に急激な眠気に襲われて……。
「あー。すまん。たかが寝不足で、お前まで授業サボらせちまった……」
「それは別にいいんだけど……。ねぇ? そろそろ話してくれない? 最近君の身に何が起きてるか……」
「……あー……」
言うべきだ。コイツにこんな表情させてまで黙ってる必要なんてない。
なのに……そのはずなのに……。
まるであの黒い影が俺の口を塞いでるかのように声が出ない。
「あ……」
ひくりと喉が鳴る。
たらりと冷や汗が背筋を落ちる。
そんな俺の様子をじっと見ていた八尋の顔がおもむろに近づいて……。
「ふ……っ」
キスされた。
八尋に力をわけるキスとも違う。
戯れに仕掛けられる恋情の発露とも違う。
何かを探るように。俺の中にいる、いてはならないものを探すように。
八尋の舌が俺の口内を余すことなく暴いていく。
呼吸まで、喉の奥に詰まっていた黒いモヤまで奪われるような深いキスは、唐突に終わりを告げた。
「っ!? これ……は……! っ!? あ奴ら!」
「ひっ!?」
怖い。
八尋が怖い。
恐ろしい。
そして……。
美しかった。
上から水が流れるように、八尋の姿が変わっていく。
真っ黒で少し長めに整えられていた髪は、流水のような輝きを放つ腰までの長い銀髪に。
黒曜石のように煌めいていた瞳は静謐な、それでいて冷たい輝きを放つ水色に。
俺と同じ学生服を着ていたはずなのに、それすらも変わっていた。
その姿は……。
夢の中で阿女となって対峙した時の姿そのものだった。
「許さぬ……! 許さぬ……! 我が番に手を出すなど……! 到底許されるものか! 死者といえども許されるものではない! 例えこの身が朽ちようと……! 完膚なきまでに消してやる……!」
いつもの穏やかな表情を一変させ、鬼気迫る顔で怒りをあらわにする八尋。
それは恐ろしいほど……美しかった。
いつもとは違う古風な物言いが気にならないほど。
「っ!? 八尋! 待てっ!? 何を……っ!?」
八尋の変化に気を撮られた瞬間、ざぁと水煙が立ち、視界が塞がれる。
目の前が晴れた時には……八尋の姿は消えていた。
その日以降。
八尋の姿を見ることは無くなった。
それどころか……。
俺以外の誰の記憶からも、八尋の存在は消えてしまったのだった。
それに気づいたのは、消えてしまった八尋を探して教室に戻った時だった。
「……あれ? 高浜くんもう大丈夫なの? 昼に中庭で倒れてたって……」
血相変えて教室に飛び込んだ俺を、イインチョが驚いたように見やる。
「いや……俺は大丈夫なんだが……。八尋、教室に戻ってこなかったか?」
俺の言葉にきょとんとするイインチョ。
メガネの奥の黒目を瞬かせながら、訝し気に口を開く。
「……ヤヒロ……くん? ってうちのクラスにいたっけ?」
「……え? いや、八尋は八尋だよ。ほら、今年度になって転入してきた……」
「……? 転入生なんて……来てないよ?」
「……え? だ、だってほら! あの席……っ!?」
慌てて振り向いた教室の隅。
八尋の席があったはずのそこには……何もなかった。
「え……?」
「高浜くん? 昼に倒れたんだし、今日はもう早退した方がいいよ」
イインチョの慈愛の目がキツイ。
なんか寝ぼけてるとか思われてるっぽい。
いやでも……。
くるりと後ろを振り向いて、本を読んでたクラスの女子に問いかける。
「な、なぁ。冴吹八尋って転入生……来たよな?」
面倒くさそうに顔をあげた彼女が、ゆるりと首を振る。横に。
「……どういう……ことだよ……」
「あ! 高浜くん?! まだ無理しない方がいいよ!」
慌てて裏庭へ駆け出す俺の背中に、イインチョの言葉が虚しく追いかけてきた。
「……っ! はぁ……はぁ……」
全力疾走してたどり着いた裏庭には……当たり前だが誰もいなかった。
静まり返った裏庭には、俺たちが、八尋がいた痕跡などない。
さっきまでここで飯を食ってたはずだ。八尋と二人で。
真面目なイインチョが俺を騙すとも思えない。机を片付けるなんてやり過ぎだ。
そんな陰湿なことをするクラスメイトじゃない。
……だったら?
だったら八尋はどこに行った?
「なんだ……これ?」
ドクドクと鼓動が跳ねる。
それは不安と緊張から来るもので、じわりと嫌な汗が額を滑り落ちていった。
「っ! 八尋のマンション?!」
慌てて踵を返し、学校を後にする。
走って走ってたどり着いた八尋の住んでるマンションには……。
「どういう……ことだよ……」
角部屋だったはずの八尋の部屋自体がなくなっていた。
いや、まるで最初から部屋なんてなかったみたいに。
八尋が住んでた部屋番号の、ひとつ前の番号が角部屋になっていた。
「なん……だよ……」
どういうことだよ……。
ホントに……なんだってんだよ。
恐る恐る自分の唇に触れる。さっきまで八尋の唇が触れていたはずの場所に、今は自分以外の熱を感じない。
マンションのエントランスで立ち尽くす俺を、マンションの住人が不審げに通り過ぎていく。
チラリと管理人室から覗いた視線から逃げるように、俺はその場を後にした。
「……ただいま」
再び走って走って……。
帰りついた自宅には母親がいた。
「あら! 慈雨! あなた学校で倒れて、起きたと思ったらどこかに行っちゃったって! 学校から電話かかってきて大変だったのよ!」
「あ……うん……」
「……どうしたの?」
「……なぁ、俺最近さ……誰とつるんでた?」
俺の変な質問に母親が首を傾げる。
「つるんでって……友達ってこと? だったら……」
母親が上げた名前は、確かに俺の友人たちだった。
だけど……八尋の名前は出なかった。
「なぁ……母さん」
「どしたの?」
「冴吹八尋って……知ってるか?」
俺の問いに首を傾げる母親。
その表情に、俺は絶望する。
「……さぁ? だぁれ? 最近流行りの芸能人とか?」
平坦な顔をして告げる母親から俺はそっと目を逸らした。
「……ちょっと! 正解は?! ていうか体調は大丈夫なの?!」
追いかけてくる母親の声を無視して、俺は自分の部屋に飛び込んだのだった。
「……なんだ? 何が起きた? 何が起きてるんだ?」
ベッドに寝転がって、天井を見上げる。
いつもと変わらない光景だ。光景のはずだ。
「……もしかしたらまだ夢見てる可能性もあんな……」
じくじくと胸を刺す痛みももしかしたら幻かもしれない。
そんな現実逃避をしながら、俺はそっと目を閉じた。
目が覚めたら保健室で、八尋が心配そうに俺の顔を覗き込んでますようにと願いながら。


