可愛いものが似合うには

 あの日から、数週間たった日曜日。
 野球部の地方予選がせまってくるなか、柳井は俺の部屋にいた。徐々に練習に復帰しているが、今日は部活も休みらしい。
 告白への俺の返事は「まずはお友達からで」だった。だから俺たちはあれ以降も友達の関係を楽しんでいる。柳井の方から一線を超えてくることも、返事をせかしてくることもなかった。おしゃべりしたり、手芸をしたり、最近ハマっているアイドルのオーディション番組を観てツッコミを入れたりする。
 付き合っているわけではない。でも前よりずっと近い。居心地のいい関係だった。
「あのお守り、部員に渡したよ」
 柳井はお花のクッションを抱えて床に寝転がりながらそう言った。俺は勉強机で新しいマスコットのパーツを並べながら顔を上げた。
「どうだった?」
「俺が作ったってすぐバレた」
「えっ」
「マネージャーも普通にバラしてたし」
「じゃあ、『可愛い女子マネが作りました』じゃないってわかって、みんながっかりしたんじゃない?」
「……いや、お前こんなん作れるのすげーって言われた」
「へえ」
 得意げな顔をする柳井が愛おしかった。そんな柳井の周りにいる野球部員たちがいい人そうで安心した。
「だから悪いな。あれ、俺が一人で作ったことにしたわ」
「ずるっ!」
「岸田の名前出したら、お前絶対目立つだろ」
「別にいいし」
「俺が嫌」
 さらっと言われて、俺は少しだけ黙る。そういうことを無自覚に言うのがずるい。
「あー……でも、俺から柳井にあげるものあったのに、どうしよっかな」
「え、なに?」
 俺はわざと焦らしてから、机の引き出しを開けた。
「じゃーん」
 取り出したのは、普通のお守りの倍くらいある、やたら大きくて可愛いフェルトのお守りだった。ピンクと水色のリボンまでついている。
 柳井のお守りを見た瞬間、目を丸くした。
「……めっちゃ可愛い」
「でしょ?」
 柳井はすぐにそれを両手で受け取る。
「でも、俺ベンチなんですけど」
「うん、ベンチに連れていってあげて」
 柳井はふふっと笑って、「そうだ」と何か思いついたように横に置いていた鞄を探る。カバンの中にいる、俺とお揃いのピンク色テディベアの首にお守りのひもをかける。
「可愛くない?」
「可愛い!」
 そして、さらにごそごそとカバンの中で手を動かして俺を意味ありげに見つめる。
「俺からも渡すものがある」
「なになに?」
 差し出された箱を見て、俺は声を上げる。
「うわっモモコのチョコマシュマロ!」
 パッケージもやたら可愛くて、俺はそれだけでテンションが上がる。
「メルカリで二千円だったから即買った」
「二千円でも高いけどな」
 二人で笑う。でも次の瞬間、柳井が少しだけ真面目な顔をした。
「これ、俺の奢り。っていうか……お詫び?」
「お詫び?」
「この前の」

 俺は柳井が言わんとすることがわかって言葉に詰まった。でも、俺の脳裏に浮かんだのはあの喧嘩のことよりも彼からの告白だった。
 わざと曖昧なままにしていた。自分の気持ちは、多分もうわかっている。でも認めたら、今みたいに笑っていられなくなる気がした。もっと関係が深まれば俺のことを嫌いになるかもしれない。付き合ったら、別れる可能性もある。そうなるくらいならこのままの関係でいたい。
 柳井は俺のことを強いと言ってくれたけど、やっぱり俺は肝心なところで臆病だ。

 そんなことを考えていたが、当の柳井はやっぱり告白の返事のことなどどうでもよさそうにチョコマシュマロの箱を眺めている。開封が待ちきれないようだ。
「開けていい?」
「開けて開けて」
 柳井が箱の蓋をぱかっと勢いよく開ける。
 仕切られた箱の中には、しずく型の大きなマシュマロにチョコがコーティングされたものが二つ入っている。上にセロファンが張り付いていて片方は苺味、もう片方はバナナ味と書かれている。セロファンを剥がすと、ふわっと人工香料の香りが広がる。
「どっちがいい?」
 柳井が真剣に訊いてくる。
「柳井はどっちがいい?」
「俺どっちでもいい」
「じゃあ半分こにする?」
「いや、これ半分にするのむずくね?」
 柳井は箱の中をまじまじと見ながら困った顔をした。確かに、表面はパリッとしているのに中はふわふわだから包丁を入れたら潰れそうだ。考えるように柳井が箱から目を離した瞬間、俺はいいことを思いついた。
 俺は苺味のマシュマロを掴んで、そのまま、がぶっと半分だけ齧る。
 甘いチョコとふわふわの苺味マシュマロが口いっぱいに広がった。
 それに気づいた柳井が、俺の顔と齧られたマシュマロを交互に見ながらびっくした顔をする。
「……なんだよ。自分から半分こって言ったのに」
 不満そうな顔がおかしくて、俺は笑いながら齧りかけのマシュマロを突き出した。
「ほら。柳井はバナナ味をかじりなよ」
「は?」
「それを俺が食べて半分こ」
 一瞬で柳井の顔が赤くなる。
「……お前さ」
 柳井が呆れたような声を出す。
「俺がお前に告ったこと忘れてる?」
「忘れてないけど?」
「なら普通それやらないだろ……」
 ぼそぼそ文句を言いながら、ますます顔が赤くなってくる。顔を赤くされると、自分が好かれていると実感できて嬉しい。そして何より、その時の柳井が一番可愛い。
「ほらほら、柳井も食べて」
「……絶対わざとだろ」
「早く」
 柳井はしばらく抵抗していたけれど、結局諦めたみたいにバナナ味を口に運んだ。半分だけ齧る。その仕草をじっと見てしまう。唇とか、噛む時の表情とか、変に意識してしまってダメだ。
「……はい」
 柳井が差し出してくる。俺はそれをそのまま齧って咀嚼する。だんだん鼓動が早くなるのを感じる。柳井が齧った場所を自分が食べているという事実が頭を離れなかった。
「はい、じゃあ、柳井もこれ食べて」
 柳井は、俺が差し出した苺味のマシュマロを眉間に皺を寄せてじっと見ていたが、觀念したように口に入れた。
「……うまい?」
「う、うまいけど」
 柳井はそれだけ言って視線を逸らした。今度は耳まで赤い。俺は自分の頬も熱くなっているのを感じた。柳井も同じなのかな、と思う。今、こんなふうに胸が苦しくなったりしてるんだろうか。
 ちらりと柳井を見る。
 柳井は口の中のマシュマロを噛み砕きながら困ったみたいに小さく笑った。
 その横顔を見た瞬間、また胸が高鳴る。

――これって間接キスだよな
 ぼんやり思った。次の瞬間、考えるよりも先に口が動いていた。
「今キスしたら、二人ともおんなじ味するね」  
 柳井がぎょっとしてこっちを向いた。その反動でマシュマロが気管に入ったのかゲホゲホと苦しそうに咳をした。俺は慌ててティッシュを渡す。しかし、貴重なマシュマロを吐き出すまいと必死に飲み込んだ柳井は涙目だった。そして恨めしそうに俺を見てくる。
「……そんなに俺をからかって楽しいかよ」
「からかってない」
 自分でも驚くくらい、まっすぐ言葉が出た。ふざけたつもりは、本当になかった。ただ、純粋に柳井とキスがしたいと思った。
「キスしてみる?」  
 俺が少し体を乗り出す。すると柳井の方が、ずるずると後ろへ体を引いた。
「いや、ちょっと待て。急展開すぎる。心の準備が」  
 真っ赤な顔で目を泳がせながらそんなことを言うから、思わず笑いそうになる。
「そっか」  
 俺が素直に引き下がると、今度は柳井の方が慌てたみたいに身を乗り出してきた。
「なんだよマジで。する感じだっただろ今」
「えー」
「えーじゃねえよ……」  
 二人で顔を見合わせる。柳井は何度か迷うみたいに視線を揺らしてから、ゆっくり近づいてきた。 大きな体が近づいてきて、彼の皮膚から高い体温を感じる。  
 あと少しで唇に触れそう。
「あっ、ちょっと待って」  
 柳井が急に止まった。
「え?」  
 柳井は俺の肩越しに視線を向ける。 そのまま手を伸ばした先には、いつものリュックがあった。柳井はその中央に鎮座するピンキーを、優しい手つきでくるりと反対側へ向ける。
「……なんか見られてるみたいで恥ずかしかったから」  
 一瞬、ぽかんとしてしまった。でも次の瞬間、どうしようもなく笑いたくなる。そんなところ気にするんだ。 しかも、触る手がやっぱり優しい。
「柳井って本当に可愛い」
「うるせ」
 照れた声が落ちる。それからまた、柳井がそっと顔を近づける。 唇が触れる。初めてのキスは、予想通り甘かった。チョコと、人工香料の苺とバナナの味。
 唇が離れる。鼻先が触れ合うくらいの距離のまま、俺たちはしばらく何も言えなかった。柳井の顔は真っ赤で、目も熱で潤んで、それなのに逃げようとはしない。

 早く返事が欲しかっただろうに、こんな付かず離れずの関係は苦しかっただろうに、ずっと待っていてくれたんだなと思う。俺のことを大切に思ってくれてたんだ。
 それなのに俺は、自分が傷つくのが怖くて返事を先延ばしにしていた。
 ずっとこのままの楽な友達の関係がいいと自分に言い聞かせていた。
 でも本当は違う。友達じゃなくて、もっと先へ行きたい。
 もっと同じことで笑いたい。もっと「可愛い」の話をしたい。
 もっと好きなものを増やしていきたい。
 その全部を、一番近くで柳井と分け合いたい。

 心の奥がじんわり熱くなる。頭がぼーっとして緩んだ口から、心の声が漏れる。
「……俺も柳井のこと好き」
「……えっ? 何て?」
「だから俺も柳井のこと好きって」
 柳井がガバッと体を起こし、額を押さえてしゃがみ込む。
「いや、嬉しいけど! 嬉しいけど今!?」
「今じゃダメ?」
「もっとちゃんとした感じで聞きたかった!」
 思わず笑ってしまう。それを見て、柳井も同じように笑った。
 その顔が嬉しそうで、俺まで嬉しくなった。 俺は柳井の制服の袖を軽く引っ張る。
「……もう一回する?」  
 柳井は俺が引っ張った手を見て、そこに自分の手を重ねた。それから、反対の手を俺の腰に回してさっきより体をくっつけながら「もう一回したい」と言った。俺はそんな柳井の熱くなった頬を両手で包みながら思った。

 ああ、やっぱり。好きなものは好きって言った方がいい。