可愛いものが似合うには

 日曜日、ついに柳井がうちの家に来る。
 俺は午前中から部屋を片付けたり、作りかけの刺繍をしたりして気を紛らわせていたが、どうにも落ち着かず何度も時計を見た。
 私服はこれでいいかな?
 色々着た結果、最終的にいつものTシャツとジャージの部屋着にした。変に力が入ってると思われたら嫌だしな。

 午後一時を少し過ぎた頃、玄関のベルが鳴った。
 俺の家は二階建て。一階部分は半分がおばあちゃんの店、もう半分がうちの住宅部分になっていて、店の反対側に玄関がある。玄関の扉を開けると、すぐに二階へ上がる階段が見える。その階段を登ってすぐ左に俺の部屋がある。
 俺はこのベルが柳井のものだと確信し、走って階段を降りて玄関の扉を開ける。一階の居間ではお母さんがテレビを観ているはずだ。好奇心から柳井を見ようと出てくるかもしれない。俺はその前に柳井を連れて自室に行きたかった。おしゃべり好きのお母さんのことだからきっと柳井と話したがる。
 開けると、私服の柳井が立っていた。柳井もTシャツにジャージを履いていた。良かった。私服はこれで正解だ。
「お邪魔します」
そう言って靴を脱ぎかけた柳井を俺は力一杯引っ張る。
「早く部屋に入って」
柳井は驚いた顔をしていたけど、呑気に脱いだ靴を揃えている。俺の力ごときではびくともしない。
「えっ、俺、お土産持ってきたけど……」
 後ろから軽い足音が聞こえてくる。やばい。
「いいって、俺が後で……」
「いらっしゃーい!」
 変にニコニコしたお母さんが顔を出す。
「柳井くん?」
「あっ、おじゃまします。これ、よかったら食べてください」
 柳井は持ってきた紙袋をお母さんに差し出す。紙袋からは、さわやかな香りが漂ってくる。
「あら、苺? わー、わざわざごめんね」
「いえ、祖父がたくさん送ってきたので」
 お母さんに向かって礼儀正しく受け答えする柳井の服を引っ張って、早く二階に上がるよう催促する。
 あーあ。今日の夕飯の時間は、また柳井の話になるだろう。
「苺は後で持っていくねー」
 柳井は俺に引っ張られながら、顔だけお母さんの方へ向けて軽く会釈した。

 逃げるように二階に上がると、自室に柳井を押し込む。
 しかし、前置きもなく柳井を部屋に入れたことを、ちょっと後悔した。急にこの部屋に放り込まれたら、自分でもびっくりする。俺は何か言わなければと思って、部屋に入って一歩目で動かない柳井を見上げた。柳井は黙ったまま部屋を見渡していた。
 やっぱり引いたかもしれない。とりあえず「まぁ、物多くてごめんね」と誤魔化すように笑った。
 すると柳井がぽつりと言った。
「……すごいな。統一感あって、岸田の部屋って感じ」
 思ってもみない感想だった。
 柳井は頭上のモビールを指先で揺らしたり、ぬいぐるみや雑貨類を持ち上げては戻したりしている。でも、その手つきは手芸店でテディベアを抱えていた時と同じだった。雑じゃない。
「なんか全部岸田のアンテナに引っかかったもんなんだなってわかる」
「なにそれ」
「わかんねぇけど」
 柳井は少し困ったみたいに眉を寄せた。きっと一生懸命この部屋を褒めようとしてくれているんだろう。
 柳井がふと部屋の隅を見た。机の横に積まれている箱の山。その一番上に置いてある、《MOMOKO Produce》のロゴが入った箱へ、彼が手を伸ばす。
「あっ、それは——」
 俺が止めるより早く、柳井が箱を開けた。
「……これって」
 中に入っていたのは、この前買った淡いピンク色の耳当て付きニット帽だった。しかも猫耳付き。さらに耳当てから伸びる紐の先には、丸い肉球のマスコットまでついている。モモコがプロデュースするアイテムはいつもすぐに売り切れる。これも発売三分で完売だったが、運良く購入できた。
 しかし、今はこれのせいで頭を抱えている。
「うわ最悪……」
「これモモコのやつじゃん」
「えっ……柳井も知ってる?柳井もモモコ好き!?」
「まぁ、動画はたまに見る」
「たまに見るやつが限定品知ってるか?」
 そう言いながら俺は箱を奪おうと手を伸ばしたが、ひょいと避けられる。
「もうちょっと見せて」
「やだ」
「なんでだよ」
「返せって!」
 箱の取り合いになる。 柳井の方が力があるし、身長も高いから手を上に上げられれば不利だ。
「なんで隠すんだよ」
「変だろ!」
 俺は思わず声を荒げた。 柳井がきょとんとする。
「は?」
「俺がこんなの持ってるってキモいだろ」
  言った瞬間、柳井は本当に意味がわからないみたいな顔をしていた。
「今更、何言ってんの?こんな部屋に住んで、あんなリュックを持ってるやつはこれ好きだろ」
 柳井がそう言うのもわかる。この感覚を他人に正確に伝えるのは難しい。さっさと箱をしまって、この話を終わりにしたかったが柳井はそうさせてくれない。じっと見てくる目に耐えられず、俺は目線を外した。
「部屋とかリュックは可愛くできるんだよ。でも俺は違う。俺の見た目が可愛くないからどんなに可愛いもので飾っても、絶対可愛くならない。だからそのニット帽を眺めて可愛いなぁ、好きだなって思うけど……俺は被れない」
 「普通の男子だったらキモい」「 可愛いものは可愛い子にしか似合わない」「資格がない」解いたはずの呪いはいつだってまた襲ってくる。この話をしている内にまた過去の記憶が蘇ってきて、気づかないうちに猫背になって、顔が俯いてしまう。自分を恥ずかしい存在のように思ってしまう。 本当は今だって、自分が否定されるのは怖い。
 部屋に沈黙が流れる。その沈黙に耐えられず、顔を上げると柳井と目があう。そして彼は急に、腕を下ろすと、箱の中のニット帽を取り出した。
「え?」
そのまま俺の頭にぽすっと被せる。 ふわっと耳当てが頬に触れた。
「……別に岸田も可愛いけど」
「へ?」
  柳井は真顔だった。
「似合う」
  あまりにも自然に言うから、一瞬意味がわからなかった。 俺はぽかんとしたまま柳井を見る。 でも、数秒遅れて恥ずかしさが襲ってきた。
「は!? な、何言って……!」
  焦る俺を柳井はクソ真面目な顔で見てくる。俺はニット帽をとって、仕返しに今度は柳井に被せた。 大きな体に、ピンク色の猫耳ニット帽。似合わないと笑ってやろうかと思ったが、不思議としっくりくる。
「柳井も意外と……似合ってる。可愛い」
  柳井は近くの鏡を見た。 五分刈り頭に猫耳付きのニット帽が乗っているのをじっと見つめる。 そして低い声で言った。
「……俺は可愛くないだろ」
その言い方がなんだか拗ねた子供みたいで、笑ってしまった。



 ローテーブルの上には切り分けたフェルトと刺繍糸が散らばっていた。俺たちはその机を挟んで黙々と作業する。柳井は真剣な顔をしてハサミを動かしている。大きな手で不器用にフェルトを切る姿はなんとも面白い。
「柳井、それ袖の部分が細すぎ」
「え、マジ?」
「マジ。そこ失敗するとユニフォームじゃなくて謎の服になる」
「むず……」
 フェルトを切る簡単な作業と、真っ直ぐ縫うのは柳井担当。細かい刺繍や仕上げは俺担当。柳井は作業を開始してしばらくすると、自分なりにコツを掴んだようで黙ってテキパキと手を動かしていた。おばあちゃんが言った「丁寧だから上手くなる」は本当らしい。
 ただ、問題が一つある。静かすぎる。時計の秒針と作業音だけが部屋に響く。さっきまで普通に話していたのに、作業に集中し始めるとだんだんと会話がなくなる。
 俺はその空間に耐えきれず、スマホを手に取った。
「音楽かけていい?」
「あぁ」
 プレイリストからモモコの曲が流れ始める。最近、モモコは有名な音楽プロデューサーと組んで歌も出した。決して歌唱力があるとは言えないが、電子音の強いふわふわしたポップソングにモモコのウィスパーボイスはよく合う。サビのところまでくると柳井が鼻歌のように歌詞を口ずさむ。やっぱり、柳井もモモコが好きなんだ。そう思って俺は、にやける顔を必死に抑えた。
「そういえばモモコプロデュースのチョコマシュマロ知ってる?」
「あー、あの転売されまくってるやつね」
「マジで転売ヤー死ね」
「ホントに」
「この前新作出てたよね。イチゴ味とバナナ味の二個セットのやつ。めっちゃ可愛かった」
「メルカリで高騰してるやつだろ」
「そう! 定価八百円なのに四千円くらいになってて意味わかんないよな」
 俺がぶつぶつ文句を言いながら刺繍を縫っていると、柳井がぽつりと言った。
「……でも二人で割ったら半額じゃね?」
「え?」
「だから、一つ買って半分こすれば」
 柳井は何でもないことみたいにフェルトを切り続ける。でも俺は針を持ったまま止まってしまった。
 柳井が当たり前みたいに言った「半分こ」が妙に嬉しかった。ずっと自分は孤独だと思っていた。同じものを好きでそれを共有できる人と出会えるなんて思ってもみなかった。

 柳井はいつも、俺の想像を超えてくる。俺はこの部屋を柳井が見た時、なんて言って欲しかったんだろう。猫耳のニット帽を被らない理由を話した時、なんて言って欲しかったんだろう。具体的にはわからない。でも、柳井の答えが俺の中の正解だったことはわかる。柳井はいつも期待以上の答えをくれる。
 


「ちょっと休憩したら?」
 不意に部屋のドアが開いて、お母さんがお盆を持って入ってきた。麦茶の入ったグラスが二つと、さっき柳井が持ってきた苺。
「ほらほら、テーブル片付けて」
 俺は渋々、さっきまで裁縫道具や材料を広げていた机を片付ける。しかし、小さく切り分けたフェルトたちはなくならないように慎重に扱わなければならない。俺が材料を紛失しないように気をつけて勉強机の上に移動させていると、横でお母さんが柳井に話しかけ始める。
「柳井くんのお家はどこ? 同じクラスなんだよねぇ。野球はずっとやってるの? なんでまたお守りを作るなんてことに……」
「お母さん、早く帰って」
 俺がお盆を受け取りながらひと睨みすると、お母さんは不貞腐れたような顔をして「はいはい」と言って部屋から出ていった。扉を閉める際、「柳井くん、今後もうちの子をよろしくね」と特大の笑顔で言うことは忘れずに。
「最悪……」
「別にいいだろ」
 柳井は少し笑っている。なんか悔しい。
 俺はお母さんから受け取ったお盆を綺麗に片付けられたローテーブルの上に置く。柳井が持ってきたいちごは甘くて、ほどよい酸味もあって本当に美味しかった。
「うまー!」
「うん」
 柳井は返事をしながら俺の後ろへ視線をやった。何を見ているのか気になって振り返る。
「この部屋もだけどさ、そのリュックも岸田って感じする」
 俺の後ろにかけてあった通学用のリュックを見つめていた。
「……まぁ、これはもう俺自身みたいなもんだから」
 笑いながら言うと、柳井の表情が少し変わった。
「最初にそのリュックを背負って学校に行った時、怖くなかった?」
「えっ?」
「みんなに否定されたらどうしよう、とか」
 柳井は視線をリュックから外さないまま言う。
「俺は、否定されるくらいなら隠してた方がいいって思う」
 その声は静かだった。
「怖いよ。だから俺も自分のことは着飾れないし」
「でも、岸田はちゃんと受け入れようとしてる。俺は……自分の本心を受け入れるのも怖いんだ」
 柳井がそう言って俯いた。今までに見たことのない顔だった。こんな大男なのに守ってあげないと消えてしまいそうに思えた。俺が無意識に体を近づけようとした時、柳井が小さく息を吐いた。
「岸田って強いよ」
 そして自嘲気味に笑った。俺はそれをみて、口から自然と言葉がこぼれ落ちた。
「強くないけど……強くならなきゃだめなんだ」
 自分でも驚くくらい冷たい声だった。モモコのふわふわした声だけが遠くで流れている。俺はリュックに収まったままこちらを見ているピンキーを見つめながら続けた。
「……中学の時さ、ピンキーをカバンに隠して持って行ってたんだ」
 俺は中学三年生の時に起きたことを話した。人生で一番思い出したくない出来事すぎて、途中で息が詰まりそうになった。嘘をつかれて、傷つけられた。ピンキーまで嘲笑の的になった。
 その話を柳井はずっと眉間に皺を寄せて聞いていた。相槌も打たず、何も言わなかった。ただじっと俺のことを見て話に耳を傾けていた。
 俺は事の顛末まで話し終わると、一気に緊張が解けて大きく息をつき、少し笑った。話す前より体が軽くなった気がした。
「だからさ、俺思ったんだよね。俺が人の顔色うかがって、ビクビクすればするほどああいうやつらって絡んでくるんだって。だから、高校に入ったら最初から舐められないように、可愛いものを持ってて何が悪いんだって強気に行こうって」
 俺が冗談っぽく拳を振り上げて、ようやく柳井の口角が上がったが、それでも彼の表情は複雑だった。
「だから俺、野球部ってちょっと苦手だし……まぁ、柳井のことも最初は警戒してたけど。でも本当に可愛いもの好きな人だってわかったから。だから、柳井のことは信用してもいいのかなって思ってる。その……友達になれるかなって」
 言ったあと、少し照れ臭くなって、早く柳井の返事がききたかった。でも柳井はすぐに返事をしなかった。何か言おうとして、やめたように見えた。
 なんでそこで黙るんだろう。普通なら、「ありがとう」とか、「そうだな」とか言うところじゃないの?もしかして俺だけ勝手に安心してる?急に不安になって、俺は誤魔化すようにコップに口をつけた。
 すると、しばらくして柳井がぽつりと言った。
「……俺も可愛いもの好きだよ。ぬいぐるみも好きだ」
 俺は柳井が何を言いたいのかわからず、じっと次の言葉を待つ。柳井の耳が少しだけ赤い。
「でも、それと同じくらい……岸田に興味ある」
「……俺?」
 意味がわからなくて聞き返す。
「なんで?」
「なんか、俺の周りにいないタイプだから。好きなものに一直線だし、変に隠さないし。見てると面白い」
「面白いってなにそれ」
「あと、岸田といると変に気ぃ使わなくていい」
 胸の奥がじわじわと熱くなる。柳井は頭を掻いて、少しだけ笑った。
「だから、もっと色んな話したい」
 その言葉が嬉しくてにやけてしまう。
「……俺もそう思ってた」
 そこからまた話が弾んだ。好きなキャラクターの話。子供の頃に集めていたものの話。最近高すぎる限定グッズの話。話せば話すほど、「もっと話したい」が増えていく。
 
 時計を見ると、もうかなり遅い時間だった。
 なのに机の上には、まだ完成していないお守りがいくつも並んでいる。
「あー……終わらなかったな」
 俺が苦笑すると、柳井も「だな」と笑った。でも不思議と嫌じゃなかった。むしろ、少し安心している自分がいた。
 まだ終わらない。まだ、次がある。
「来週またやる?」
「あぁ。また日曜日、同じ時間に岸田んちでいい?」
 その言い方があまりにも普通の友達っぽくて嬉しくて、俺は大きく頷いた。