可愛いものが好きだ。
ピンク色が好きだ。
キラキラしたもの、ふわふわしたものが好きだ。
今の季節も好きだ。春と夏のちょうど間みたいな季節。春の華やかな匂いと夏の湿気が混ざった風が吹く。
放課後、家庭科室に向かうために渡り廊下を足早に通り過ぎる。今日はそんな風が吹いていてとても気分がいい。 家庭科室は手芸部が部室代わりに使っている教室だ。部員は八人。俺以外は全員女の子。みんないい人だ。彼女たちと手芸の話をするのが好きだ。可愛いものの話をするのが好きだ。
シャカシャカ、ちゃらちゃら。
可愛いもので飾られたショッキングピンク色のリュックが、俺の足の動きに合わせて背中で鳴る。ビーズにパールにポンポン。缶バッジにピンバッジ。ミニフィギュアや、プラバンで自作したキャラクターのキーホルダー。
そして、リュックの中央にあるポケットから顔を出しているのは、ビニールケースに入った十五センチほどのテディベア。ピンク色で、モヘアのふさふさした毛をしている。小学生の頃からいつも一緒で、名前は「ピンキー」。
このリュックを飾っているのは、全部俺の大好きな「可愛いもの」たちだ。ただ、最近は付けるものが増えすぎて、どうもリュックが重い。正直、中身より重いかもしれない。でも、重みの分だけ、このリュックは可愛い。
小さい頃から可愛いものが好きだった。でも、男の子がこんなものを持っているなんておかしいと言われた。小学校にあがる時、どうしてもピンキーを学校に連れていくと言い張り、両親を困らせた。ランドセルに入らないよ、無くしたり汚したりするよ、それでもいいの?と説得され、泣く泣く家で留守番させることにした。
中学校にあがる時、それでもやっぱりピンキーを学校に連れて行きたくて、布袋に入れてこっそりカバンにしのばせた。小学生の頃より大人になった俺は、絶対にピンキーを無くしたり汚したりしないという自負があった。
二年生でクラス替えをした時に、川島くんという男子と一緒になった。綺麗な顔に、美容室で整えたような髪、ちょっとメイクもしているような子だった。女子にも人気があった。
その時も彼を女子が取り囲んでいた。彼が「好きなんだよね」と言って、当時人気だったウサギのキーホルダーをカバンにじゃらじゃらと付けているのを見せていた。実は俺も好きで、こっそり持っていた。だから彼らの話が自然と耳に入ってきた。
女子たちは「私も好き」と言った後、口々にこう言った。
「でも、これを付けてるのが川島くんじゃなかったらキモいかも」
「普通の男子だったらキモい」
「可愛いものは可愛い子にしか似合わないし。可愛い子以外持つ資格なし!」
彼女たちはそのあとケラケラと笑っていたが、俺の中ではその言葉がずっと響いていた。
だって俺は「普通の男子」だったから。
顔は普通だし、髪は商店街の床屋で切ってもらってる。スキンケアもメイクもしていない。必要性も感じない。周りに不潔な印象を与えない程度には衛生面を気にするけど、女の子ほどには気にしない。
そんな男子が可愛いものを持つのはキモいという。可愛いものを持つ資格が無いという。
「可愛いものは可愛い子にしか似合わない」
その言葉は呪いみたいだった。
この呪いを解くために、俺は俺のポテンシャルのまま最大限に可愛くなる努力をしないといけないのか?
自分が好きなものを持つために?
俺は今の俺で満足しているのに無理してそんなことしないといけないのか?
そんなバカな。
自分が好きなものを好きだと言うのに、資格が必要だなんて。
この時の俺を襲ったのは、悲しさや怒りよりも、これから先もずっと、自分は可愛いものが好きだと公言できないのかもしれない、という絶望だった。
そんな俺は今年の春で高校二年生になった。中学三年生の時、あることをきっかけに、高校生になったら「可愛いものが好きだ」と主張して生きることを決意した。自分のお気に入りの可愛いものを持って、可愛いものを可愛いと言い、好きだと言うのだ。誰になんと言われても。
高校にあがった俺は、入学式の時からこのド派手で可愛いリュックを使っている。最初はくすくす笑われたり、からかわれたり、先生に「そのリュックなんとかならないのか」と渋い顔をされたりしたが、それでも貫いた結果、今ではみんな「またあいつか」とあきれた目で見てくる。
それでいい。 俺に口出ししないで。 ただ、黙ってシカトして。
俺の快調だった歩みが、家庭科室の前に来てゆっくり止まる。
扉の前で、手芸部の部長と見覚えのある男が立ち話をしている。
(柳井?)
同じクラスの柳井。ひと目見て野球部だろうなという見た目をしている。実際、野球部だったと思う。高身長で、白い長袖のシャツ越しからも鍛えているとわかる筋肉。日に焼けた肌に短く刈った髪。
俺は野球部が嫌いだ。
数メートルほど離れたところからじっと見ていると、彼がこちらを向く。
しっかりとした眉、高くて大きな鼻。ぎょろっとした三白眼の目が俺を見る。
なんだなんだ、一体。
柳井とはほとんど喋ったこともない。クラス内カースト的に、俺は底辺のクラスの困った変わり者。柳井は上位あたり。いつも体育会系の友達といる寡黙な男。陽キャってわけじゃないけど、陽キャからも先生からも一目置かれているような、そんな存在。
柳井の視線を追って、部長もこちらを見る。部長の柔和な顔がさらにふにゃんとなって俺に手を振る。
「岸田くん! ちょうどよかった!」
三年生の部長は、ソーイング大会の高校生の部で特別賞をもらうほどの手腕がある。小柄で少しふくよか。いつでも聖母様のような笑みを浮かべている部長は、部員たちからも慕われている。
俺は小走りで近寄る。
正直、こんなに柳井に近づいたことなんて今までないかもしれない。
でかい。
俺だって百七十五はあるのにそれよりでかいから、絶対百八十以上ある。しかも、ガタイがいいのと、彫りが深い顔立ちも相まって、余計に近寄りがたい雰囲気がある。
家庭科室の扉も窓も閉まっている。窓ガラスから中を見ると、すでに教室内にいる部員たちが興味深そうにちらちらとこちらを見ては、何かこそこそと喋っている。
部長が開口一番こう言った。
「柳井くんに裁縫を教えてあげてくれない?」
「はぁ?」
「ねぇ、柳井くんから直接岸田くんに言ったほうがいいんじゃない?」
急な話すぎて、俺はいったん柳井の方を見る。彼は表情ひとつ変えない。
「俺、野球部なんだけどさ。今度地方予選にでるメンバーに渡すお守りを作りたい。よくあるだろ? フェルトで作ったお守りとか」
俺は柳井の、あまり動かない口から低い声で「フェルトで作ったお守り」という単語が出てくるのを、不思議な気持ちで聞いていた。
相槌も打たずにぼおっと柳井の顔を見ている俺などお構いなしに、彼は淡々と話を続ける。
「今までお守りはマネージャーが作ってくれてたんだよ。だけど、今、マネージャーが一人しかいなくて大変らしい。だから代わりに作ってくれないかって頼まれてしまって」
「えっ、なんで柳井が作るわけ? 柳井は試合出ないの?」
柳井のことはよく知らないが、一年の頃からレギュラー入り確実と言われていたほど彼が上手いことは噂で知っている。
「肘やっちゃって、多分今回は出られない。今は安静にしてないといけなくて、練習にも参加してない」
彼は目線を自分の右肘にやって、軽く上げた。薄い布越しに黒いサポーターが見えた。
「作り方のコツとかわかんねぇから。岸田が手芸部だって言ってたの思い出して。教えてもらえないかな」
正直、やりたくない。
「それって俺が教えないといけないの?」
率直にそう言って、じっと柳井の顔を見る。一瞬、不安そうに瞳が揺れたような気がした。
「俺だって別に裁縫が得意でもないのにこんなの引き受けたくなかったし」
「じゃあ、断れば?」
柳井が言葉に詰まった。一気に表情が翳る。俺の中に変な罪悪感が広がる。でも、ここで断らないと面倒なことになりそうだ。もう一度、たたみかけようとした時、柳井の方が先に口を開いた。
「でも、戦力では野球部に貢献できないから。こういう所で役に立てるならいいかって……頼む。俺に教えてくれ」
柳井はそう言って頭を下げた。
俺はびっくりして声を失った。クラスの中心人物である柳井が俺みたいな奴に頭を下げるなんて。
それを横で見ていた部長が柳井の横に立つ。
「柳井くんね、作るからにはちゃんとしたのを作りたいんだって。それにお守りはマネージャーさんが作ったってことにして部員に渡すんだって。だから下手なものを渡したらマネージャーさんの評判に関わるでしょ?そういう所まで考えてる優しい子なのよ」
聖母様である部長にかかれば、こんなでかい男でも子ども扱いだ。
「野球部のメンバーも野郎にもらうより可愛い女子マネからもらったほうが嬉しいだろうしな」
柳井は言い訳のようにぼそっとそう呟いた。
「はぁ……」
俺のこの返事を肯定だと受け取ったのか、部長が「さてと」と仕切り直し始める。
「渡す時のことを考えると、このことはこの三人だけの秘密にした方がいいよね。家庭科室はもう部員が来てるから……隣の調理室で打ち合わせする? ちょっとなら使ってもいいでしょ」
部長は家庭科室と共有の鍵で調理室を開けて、俺たちをそこに押し込んだ。
そして「岸田くん、しばらくは部活より柳井くん優先でいいからね」と言って、笑みを向けてくる。
「手芸に興味を持ってくれる男子がまた増えるなんて。本当に嬉しい」
聖母様にそう言われたら断れない。
調理室に二人きりにさせられた俺たちは、まず相手をじっと見て無言になる時間を過ごした。
気まずい。気まずすぎる。
早くお守りを完成させて、安定した日常に戻りたい。
「俺が手芸部だって、よく知ってたね」
無言の時間を埋めるように、一番はじめに思ったことを聞いてみた。
「なんかクラス替えあったばっかりの時、四月にクラス全員で自己紹介した時あったろ? あんとき岸田はこの高校は手芸部があるから選んだとか言ってたから」
「えっ、覚えててくれたんだ」
「いや、なんかあの時の岸田の自己紹介、クセが強くて嫌でも覚えてる」
「あ〜そうなんだ」
……クセ強? 嫌でも覚えてる? 嫌味か? ケンカ売ってんのか?
俺が愛想笑いを浮かべていると、柳井が無表情のまま「あぁ」と言って、適当にシンクの下にある丸椅子を引っ張り出して座った。気をつかっているこっちがバカみたいじゃないか。俺は愛想笑いを引っ込めて、わざと音を立てながら柳井の隣に椅子を置いて座った。
「じゃあ、どういうデザインにするか決めようか? 型紙とか決まってんの?」
「いや、特に」
「じゃあ、柳井が決める?」
「俺、センスないから岸田が決めて」
俺はモヤモヤする気持ちを抱えながら、その一方で自分の中で手芸魂が燃えるのを感じた。
俺のすごい裁縫の技を見せたい。俺が作るからには、最高級に可愛いものを作りたい。
まずはスマホでお守りの作り方を検索した。色々なものが出てくるが、やはりフェルトで作るものが定番のようで、かなりの作り方やデザインがある。
はじめはお互い遠慮がちに、体が触れない程度に画面を覗き込んでいたが、徐々に肩が触れ合う。俺はそれが気になるが、柳井はそれが気にならないくらいスマホの画面を真剣に見ている。
「これは結構むずいなぁ……何人分作るんだっけ」
「レギュラーメンバーだから九個だな」
「材料費は?」
「一応部費から出るけど、あんまりない」
「うーん」
柳井が見やすいように、彼の視線に合わせてゆっくりスワイプする。
それにしても、ぐいぐい近づきすぎじゃない?
今、俺と柳井のこめかみ辺りがくっつきそうになっている。このまま柳井の方を見たら、本格的にくっつきそうでなんかハラハラする。
さすがに体を離した方がいいかなと思い、少し体勢を変える。
すると、柳井がハッとした顔をして体を弾いた。そして、目をぎょろっとして俺を見る。
「悪い。なんか近かったな」
「いや、別に」
俺はどっちかと言えば、今の柳井の過剰な反応の方が怖かったけど。
気を取り直して、俺たちはたくさんのお守りを選別していく。画像を何枚も見て、作り方の動画を進めたり止めたり。
その中で、俺の目にとまったお守りがあった。
そのお守りは、野球の白いユニフォームを模した形になっている。表には野球ボールのアップリケ。裏には背番号と選手の名前が、フェルトと刺繍糸で丁寧に作られている。
しかもユニフォームの首元はキュッと締まっていて、そこには護符糸みたいに太めの刺繍糸がリボン結びになっている。一目見て、お守りであり、野球部のユニフォームだとわかる。
しかも、フェルトと糸さえあれば作れる。綺麗に作ろうと思えば時間と技術は必要だが、それを加味しても心惹かれる。
可愛すぎる。
でも、柳井は面倒くさいと言うだろうか。
俺が「これ良くない?」と言おうと思った、その瞬間だった。
「可愛い……」
俺はびっくりして柳井を見る。
彼はスマホの画面を見たまま、じっとしていた。そして俺の視線を感じて、またハッとしたように顔を上げた。俺は柳井の口から「可愛い」という言葉が出て来たことがなぜか嬉しくて「これ、可愛いよね!?」と大きな声で言った。
柳井と視線が合う。少し気まずそうな顔をしていた。
「やっぱり柳井も可愛いって思ったよね?」
俺のダメ押しに、彼はそわそわと落ち着きがなくなった。あーとかうーとか謎の声を発して、小さな声で「そうだな」と言った。
俺がじっと彼を見続けると、柳井は眉を顰めて俺を少し睨み、「こっち見んな」と唸った。
耳が少し赤い。もしかして、可愛いと言ってしまった自分に照れているのか?
(なんか柳井って)
……可愛い。
可愛い?
俺、今可愛いって思った?
でも本当に可愛かったんだ。
こんなゴツくてでかい無愛想な男が「可愛い」って言葉を口にして真っ赤になっている姿が。
ピンク色が好きだ。
キラキラしたもの、ふわふわしたものが好きだ。
今の季節も好きだ。春と夏のちょうど間みたいな季節。春の華やかな匂いと夏の湿気が混ざった風が吹く。
放課後、家庭科室に向かうために渡り廊下を足早に通り過ぎる。今日はそんな風が吹いていてとても気分がいい。 家庭科室は手芸部が部室代わりに使っている教室だ。部員は八人。俺以外は全員女の子。みんないい人だ。彼女たちと手芸の話をするのが好きだ。可愛いものの話をするのが好きだ。
シャカシャカ、ちゃらちゃら。
可愛いもので飾られたショッキングピンク色のリュックが、俺の足の動きに合わせて背中で鳴る。ビーズにパールにポンポン。缶バッジにピンバッジ。ミニフィギュアや、プラバンで自作したキャラクターのキーホルダー。
そして、リュックの中央にあるポケットから顔を出しているのは、ビニールケースに入った十五センチほどのテディベア。ピンク色で、モヘアのふさふさした毛をしている。小学生の頃からいつも一緒で、名前は「ピンキー」。
このリュックを飾っているのは、全部俺の大好きな「可愛いもの」たちだ。ただ、最近は付けるものが増えすぎて、どうもリュックが重い。正直、中身より重いかもしれない。でも、重みの分だけ、このリュックは可愛い。
小さい頃から可愛いものが好きだった。でも、男の子がこんなものを持っているなんておかしいと言われた。小学校にあがる時、どうしてもピンキーを学校に連れていくと言い張り、両親を困らせた。ランドセルに入らないよ、無くしたり汚したりするよ、それでもいいの?と説得され、泣く泣く家で留守番させることにした。
中学校にあがる時、それでもやっぱりピンキーを学校に連れて行きたくて、布袋に入れてこっそりカバンにしのばせた。小学生の頃より大人になった俺は、絶対にピンキーを無くしたり汚したりしないという自負があった。
二年生でクラス替えをした時に、川島くんという男子と一緒になった。綺麗な顔に、美容室で整えたような髪、ちょっとメイクもしているような子だった。女子にも人気があった。
その時も彼を女子が取り囲んでいた。彼が「好きなんだよね」と言って、当時人気だったウサギのキーホルダーをカバンにじゃらじゃらと付けているのを見せていた。実は俺も好きで、こっそり持っていた。だから彼らの話が自然と耳に入ってきた。
女子たちは「私も好き」と言った後、口々にこう言った。
「でも、これを付けてるのが川島くんじゃなかったらキモいかも」
「普通の男子だったらキモい」
「可愛いものは可愛い子にしか似合わないし。可愛い子以外持つ資格なし!」
彼女たちはそのあとケラケラと笑っていたが、俺の中ではその言葉がずっと響いていた。
だって俺は「普通の男子」だったから。
顔は普通だし、髪は商店街の床屋で切ってもらってる。スキンケアもメイクもしていない。必要性も感じない。周りに不潔な印象を与えない程度には衛生面を気にするけど、女の子ほどには気にしない。
そんな男子が可愛いものを持つのはキモいという。可愛いものを持つ資格が無いという。
「可愛いものは可愛い子にしか似合わない」
その言葉は呪いみたいだった。
この呪いを解くために、俺は俺のポテンシャルのまま最大限に可愛くなる努力をしないといけないのか?
自分が好きなものを持つために?
俺は今の俺で満足しているのに無理してそんなことしないといけないのか?
そんなバカな。
自分が好きなものを好きだと言うのに、資格が必要だなんて。
この時の俺を襲ったのは、悲しさや怒りよりも、これから先もずっと、自分は可愛いものが好きだと公言できないのかもしれない、という絶望だった。
そんな俺は今年の春で高校二年生になった。中学三年生の時、あることをきっかけに、高校生になったら「可愛いものが好きだ」と主張して生きることを決意した。自分のお気に入りの可愛いものを持って、可愛いものを可愛いと言い、好きだと言うのだ。誰になんと言われても。
高校にあがった俺は、入学式の時からこのド派手で可愛いリュックを使っている。最初はくすくす笑われたり、からかわれたり、先生に「そのリュックなんとかならないのか」と渋い顔をされたりしたが、それでも貫いた結果、今ではみんな「またあいつか」とあきれた目で見てくる。
それでいい。 俺に口出ししないで。 ただ、黙ってシカトして。
俺の快調だった歩みが、家庭科室の前に来てゆっくり止まる。
扉の前で、手芸部の部長と見覚えのある男が立ち話をしている。
(柳井?)
同じクラスの柳井。ひと目見て野球部だろうなという見た目をしている。実際、野球部だったと思う。高身長で、白い長袖のシャツ越しからも鍛えているとわかる筋肉。日に焼けた肌に短く刈った髪。
俺は野球部が嫌いだ。
数メートルほど離れたところからじっと見ていると、彼がこちらを向く。
しっかりとした眉、高くて大きな鼻。ぎょろっとした三白眼の目が俺を見る。
なんだなんだ、一体。
柳井とはほとんど喋ったこともない。クラス内カースト的に、俺は底辺のクラスの困った変わり者。柳井は上位あたり。いつも体育会系の友達といる寡黙な男。陽キャってわけじゃないけど、陽キャからも先生からも一目置かれているような、そんな存在。
柳井の視線を追って、部長もこちらを見る。部長の柔和な顔がさらにふにゃんとなって俺に手を振る。
「岸田くん! ちょうどよかった!」
三年生の部長は、ソーイング大会の高校生の部で特別賞をもらうほどの手腕がある。小柄で少しふくよか。いつでも聖母様のような笑みを浮かべている部長は、部員たちからも慕われている。
俺は小走りで近寄る。
正直、こんなに柳井に近づいたことなんて今までないかもしれない。
でかい。
俺だって百七十五はあるのにそれよりでかいから、絶対百八十以上ある。しかも、ガタイがいいのと、彫りが深い顔立ちも相まって、余計に近寄りがたい雰囲気がある。
家庭科室の扉も窓も閉まっている。窓ガラスから中を見ると、すでに教室内にいる部員たちが興味深そうにちらちらとこちらを見ては、何かこそこそと喋っている。
部長が開口一番こう言った。
「柳井くんに裁縫を教えてあげてくれない?」
「はぁ?」
「ねぇ、柳井くんから直接岸田くんに言ったほうがいいんじゃない?」
急な話すぎて、俺はいったん柳井の方を見る。彼は表情ひとつ変えない。
「俺、野球部なんだけどさ。今度地方予選にでるメンバーに渡すお守りを作りたい。よくあるだろ? フェルトで作ったお守りとか」
俺は柳井の、あまり動かない口から低い声で「フェルトで作ったお守り」という単語が出てくるのを、不思議な気持ちで聞いていた。
相槌も打たずにぼおっと柳井の顔を見ている俺などお構いなしに、彼は淡々と話を続ける。
「今までお守りはマネージャーが作ってくれてたんだよ。だけど、今、マネージャーが一人しかいなくて大変らしい。だから代わりに作ってくれないかって頼まれてしまって」
「えっ、なんで柳井が作るわけ? 柳井は試合出ないの?」
柳井のことはよく知らないが、一年の頃からレギュラー入り確実と言われていたほど彼が上手いことは噂で知っている。
「肘やっちゃって、多分今回は出られない。今は安静にしてないといけなくて、練習にも参加してない」
彼は目線を自分の右肘にやって、軽く上げた。薄い布越しに黒いサポーターが見えた。
「作り方のコツとかわかんねぇから。岸田が手芸部だって言ってたの思い出して。教えてもらえないかな」
正直、やりたくない。
「それって俺が教えないといけないの?」
率直にそう言って、じっと柳井の顔を見る。一瞬、不安そうに瞳が揺れたような気がした。
「俺だって別に裁縫が得意でもないのにこんなの引き受けたくなかったし」
「じゃあ、断れば?」
柳井が言葉に詰まった。一気に表情が翳る。俺の中に変な罪悪感が広がる。でも、ここで断らないと面倒なことになりそうだ。もう一度、たたみかけようとした時、柳井の方が先に口を開いた。
「でも、戦力では野球部に貢献できないから。こういう所で役に立てるならいいかって……頼む。俺に教えてくれ」
柳井はそう言って頭を下げた。
俺はびっくりして声を失った。クラスの中心人物である柳井が俺みたいな奴に頭を下げるなんて。
それを横で見ていた部長が柳井の横に立つ。
「柳井くんね、作るからにはちゃんとしたのを作りたいんだって。それにお守りはマネージャーさんが作ったってことにして部員に渡すんだって。だから下手なものを渡したらマネージャーさんの評判に関わるでしょ?そういう所まで考えてる優しい子なのよ」
聖母様である部長にかかれば、こんなでかい男でも子ども扱いだ。
「野球部のメンバーも野郎にもらうより可愛い女子マネからもらったほうが嬉しいだろうしな」
柳井は言い訳のようにぼそっとそう呟いた。
「はぁ……」
俺のこの返事を肯定だと受け取ったのか、部長が「さてと」と仕切り直し始める。
「渡す時のことを考えると、このことはこの三人だけの秘密にした方がいいよね。家庭科室はもう部員が来てるから……隣の調理室で打ち合わせする? ちょっとなら使ってもいいでしょ」
部長は家庭科室と共有の鍵で調理室を開けて、俺たちをそこに押し込んだ。
そして「岸田くん、しばらくは部活より柳井くん優先でいいからね」と言って、笑みを向けてくる。
「手芸に興味を持ってくれる男子がまた増えるなんて。本当に嬉しい」
聖母様にそう言われたら断れない。
調理室に二人きりにさせられた俺たちは、まず相手をじっと見て無言になる時間を過ごした。
気まずい。気まずすぎる。
早くお守りを完成させて、安定した日常に戻りたい。
「俺が手芸部だって、よく知ってたね」
無言の時間を埋めるように、一番はじめに思ったことを聞いてみた。
「なんかクラス替えあったばっかりの時、四月にクラス全員で自己紹介した時あったろ? あんとき岸田はこの高校は手芸部があるから選んだとか言ってたから」
「えっ、覚えててくれたんだ」
「いや、なんかあの時の岸田の自己紹介、クセが強くて嫌でも覚えてる」
「あ〜そうなんだ」
……クセ強? 嫌でも覚えてる? 嫌味か? ケンカ売ってんのか?
俺が愛想笑いを浮かべていると、柳井が無表情のまま「あぁ」と言って、適当にシンクの下にある丸椅子を引っ張り出して座った。気をつかっているこっちがバカみたいじゃないか。俺は愛想笑いを引っ込めて、わざと音を立てながら柳井の隣に椅子を置いて座った。
「じゃあ、どういうデザインにするか決めようか? 型紙とか決まってんの?」
「いや、特に」
「じゃあ、柳井が決める?」
「俺、センスないから岸田が決めて」
俺はモヤモヤする気持ちを抱えながら、その一方で自分の中で手芸魂が燃えるのを感じた。
俺のすごい裁縫の技を見せたい。俺が作るからには、最高級に可愛いものを作りたい。
まずはスマホでお守りの作り方を検索した。色々なものが出てくるが、やはりフェルトで作るものが定番のようで、かなりの作り方やデザインがある。
はじめはお互い遠慮がちに、体が触れない程度に画面を覗き込んでいたが、徐々に肩が触れ合う。俺はそれが気になるが、柳井はそれが気にならないくらいスマホの画面を真剣に見ている。
「これは結構むずいなぁ……何人分作るんだっけ」
「レギュラーメンバーだから九個だな」
「材料費は?」
「一応部費から出るけど、あんまりない」
「うーん」
柳井が見やすいように、彼の視線に合わせてゆっくりスワイプする。
それにしても、ぐいぐい近づきすぎじゃない?
今、俺と柳井のこめかみ辺りがくっつきそうになっている。このまま柳井の方を見たら、本格的にくっつきそうでなんかハラハラする。
さすがに体を離した方がいいかなと思い、少し体勢を変える。
すると、柳井がハッとした顔をして体を弾いた。そして、目をぎょろっとして俺を見る。
「悪い。なんか近かったな」
「いや、別に」
俺はどっちかと言えば、今の柳井の過剰な反応の方が怖かったけど。
気を取り直して、俺たちはたくさんのお守りを選別していく。画像を何枚も見て、作り方の動画を進めたり止めたり。
その中で、俺の目にとまったお守りがあった。
そのお守りは、野球の白いユニフォームを模した形になっている。表には野球ボールのアップリケ。裏には背番号と選手の名前が、フェルトと刺繍糸で丁寧に作られている。
しかもユニフォームの首元はキュッと締まっていて、そこには護符糸みたいに太めの刺繍糸がリボン結びになっている。一目見て、お守りであり、野球部のユニフォームだとわかる。
しかも、フェルトと糸さえあれば作れる。綺麗に作ろうと思えば時間と技術は必要だが、それを加味しても心惹かれる。
可愛すぎる。
でも、柳井は面倒くさいと言うだろうか。
俺が「これ良くない?」と言おうと思った、その瞬間だった。
「可愛い……」
俺はびっくりして柳井を見る。
彼はスマホの画面を見たまま、じっとしていた。そして俺の視線を感じて、またハッとしたように顔を上げた。俺は柳井の口から「可愛い」という言葉が出て来たことがなぜか嬉しくて「これ、可愛いよね!?」と大きな声で言った。
柳井と視線が合う。少し気まずそうな顔をしていた。
「やっぱり柳井も可愛いって思ったよね?」
俺のダメ押しに、彼はそわそわと落ち着きがなくなった。あーとかうーとか謎の声を発して、小さな声で「そうだな」と言った。
俺がじっと彼を見続けると、柳井は眉を顰めて俺を少し睨み、「こっち見んな」と唸った。
耳が少し赤い。もしかして、可愛いと言ってしまった自分に照れているのか?
(なんか柳井って)
……可愛い。
可愛い?
俺、今可愛いって思った?
でも本当に可愛かったんだ。
こんなゴツくてでかい無愛想な男が「可愛い」って言葉を口にして真っ赤になっている姿が。

