夢の続きの話をしよう(下)【期間限定再録】

 背中のラインもきれいだなぁと眺めているうちに、キスがしたくなった。日に焼けないところは、本当に色が白い。
 遅くまで部室にふたりで残っているときに不意打ちでその白が視界に入ると、はっとした。
 欲望のままに肩甲骨の下に唇を押し当てると、「おまえな」と呆れを含んだ声。
「痕つけるなって言っただろ」
 言ってたけど。でも、部室で着替えなきゃいけなかったころと違って、俺以外に見えないところだし。まぁいいんじゃないかなって。
 言わなかったのに伝わったのか、追い打ちがきた。事後にそんな面倒そうな声を出さなくてもと思うような、つまりいつもどおりの声。
「面倒だったんだよ」
「面倒?」
「おまえが隠れそうで隠れないところにつけるから」
「あぁ」
 なにを指しているのかわかってしまえば、謝るしかない。
「すみません」
 ――どう隠そうとしても、首の後ろにつけたのは隠せなかったと思うけど。
 気づかれていなかったらしいので、黙っておく。また秘密が増えてしまった。
 自分のものだなんて幼い主張をしたいわけではない。ただちょっと腹の虫がおさまっていなかっただけで。
「……思ってないだろ」
 やっと振り向いたと思ったら、これだ。不服そうな表情に笑みが漏れる。
「なに笑ってんだ」
「いや、……先輩には嘘が吐けないなぁと思って」
 昔から、それこそ心底どうでもいいようなことばかり気がつくのだ、この人は。本当に伝えたいことには気がつかないくせに。
 鉄壁のはずの愛想のよさが通じない、面倒な人。大昔に思っていたことだ。
 しばらくすると、俺の本質を理解して受け入れてくれるありがたい人という判定に旗が振り切れた。好きに変わったのは、そのあとだ。
「気づかないのがおかしい。なんだかんだ言ってわかりやすいし、おまえ」
「そういうこと言うのも先輩ぐらいですってば」
「だったら」
 ふっとその瞳が笑う。悪戯に。
「ほかの連中の見る目がないんだろ」
 だから自分にしておけと言っているように聞こえたのは、都合のよすぎる解釈だろうか。
「先輩が知っててくれるなら、それで十分ですけど」
 それは本当に。わかってくれる人は、ひとりで十分だ。そしてそのひとりが先輩だと言うのなら、これ以上なにも望むことはない。
 シーツに散らばっている毛先に指先を伸ばす。さすがに学生だったころは先輩という存在の頭には触れづらかった。
 なんだかんだと言ったところで俺に甘い人だから、気を悪くはしなかったかもしれないけれど。自分のものと違って、柔らかい髪質。それなのにまとう香りが同じだという事実がこそばゆい。
 望んでいたのは、こういう穏やかな時間でもあった。
「おまえ、好きだよな。そうやって触るの」
 なにも言われないのをいいことに、好きに触っていた手をとめる。さすがに顔はわずらわしかったかもしれない。けれどその声も、嫌がっているふうではなくて。
「今まで我慢してきたから、触れるときに触りたいだけ」
 だから甘えたくなるんだよなとの本音を呑み込んで告げる。許容されることはうれしいし、同時に、どこまで許されるのか、その幅を確かめたくもなる。
 趣味のいいことではないとわかっているから、控えているけれど。
「嘘ですって」
 そんな顔しなくてもいいじゃないですかと取りなして、バツの悪そうな頬にキスをする。
「でも、好きな人に触れたいって思うのとか、キスしたいって思うのとか。当たり前じゃないですか」
 だから、自分だけを見ていてほしいと思うし、独占したいと思う。それと同じだけ、そういったことをあまり言いたくないとも思う。
 気遣うのは大切だからで、同じ時間を無理なく過ごしていきたいからだ。
「かわいくない」
「みたいですね」
「昔のほうがもうちょっとわかりやすくて、かわいかった」
「先輩の言う、かわいいってなんですか」
 俺の場合は、好きだなと思う瞬間と隣接していることが多い。先輩の言う「かわいくない」は、かなりの確率で照れ隠しが入っていると踏んでいるのだが。問うと、ほんの少し間が空いた。
「昔は俺より小さかった」
「何年前の話ですか、それ」
「もっと素直だった」
「この年になったら、多少は性格変わりますよ」
「俺の後ろばっかりついてきてかわいかった」
「それは今も変わらないでしょう」
 物理的にできなくなったというだけで、精神構造的には。そう言うと、なんとはなしに不満そうに先輩が押し黙った。この人は昔から都合が悪くなると黙り込む節がある。
「先輩って、俺のことかっこいいって思うことあるんですか」
 聞いてみたのは、なんとなくの興味だった。答えてくれないかと思っていたのに、先ほどより返事は早かった。
「なくはないけど、あんまりない」
「……むしろあったことに驚きました」
 おまえが聞いたんだろうがと笑って、声が続く。
「サッカーしてるところ」
「え?」
「見るのは、好きだな」
 本当にこの人の判断基準はいくつになってもそこなんだな。ある意味で、俺よりもずっとサッカー馬鹿だ。
「先輩って、好きですよね。サッカー」
「それだけじゃないけど」
 ふっと穏やかな顔で笑う。最近になって見ることが増えたそれがうれしい。四年前に再会したばかりのころ、この人はいつもどこか無理をした顔をしていた。
「でもそうだな。まぁ、好きだな」
 素直な声だった。なのにどう言うべきかわからなくて、返事に詰まる。
 逡巡の末に出てきたのは、「そうですか」というなんの変哲もない相槌だった。
「うん」
 応じた横顔も、やっぱり穏やかだった。
 先輩が深山にいると監督から聞いたときは驚いた。そのあとにじわじわとうれしさと安堵が湧いた。
 この人は、あの場所でサッカーに関わる道を選んだのか。
 そう思えるだけのところまできたのか。そう、ほっとした。
 それなのに、会ってみたら案外と変わっていなくて、別の意味で驚きはしたのだけれど。今は違う。
 先輩が、受け身ではなく自分の意思で、またサッカーに関わり始めていること。そして、手を伸ばしても許される距離にいてくれること。
 そのすべてに、俺は先輩に感謝している。いくらしても、したりないほどに。