夢の続きの話をしよう(下)【期間限定再録】

 この家のドアを開けるのも半年ぶりなら、手を伸ばせば届く距離にこの人がいることも半年ぶりだった。
 ――だからいいだろ、もう。
 本当は、空港でその顔を見たときから、こうしたかった。学生だったころなら無邪気を装って抱き着けたのに。その点だけは、あのころのほうが恵まれていたかもしれない。
「先輩」
 鍵をかけたそばから抱きしめても、場所を考えろとは言われなかった。
 背に手のひらが触れる。昔だったら、絶対に先輩からは伸びてこなかったもの。その手が迎え入れるようにぽんぽんと叩く。子ども扱いされているようにも思うのに、たまらなくうれしい。
 苦笑ともつかない声が腕のなかから響いた。
「おかえり」
「……帰りました」
 それだけで胸はいっぱいだった。空港で「帰る」と言ってくれたときも本当にうれしかった。先輩のなかに俺を迎えてくれるスペースがあるのだと思えた。
 ――それがどれだけうれしいか、知らないんだろうな。
 先輩が意識もしていないような言動に、俺は昔から勝手に救われている。
 存在を確認するようにゆっくりと息を吸い込む。懐かしい匂いがした。服の上からでもわかるひんやりとした体温も、あのころから変わらない。
「なんか、帰って来たって感じがする」
「俺がおまえを迎えたことなんてほとんどなかっただろ」
「まぁ、そうですけど」
 情緒もなにもあったものではない返答なのに、不思議と落ち着く。
「昔はたまにありましたよね」
「あったな、そういえば。おまえだけが呼ばれた選抜帰りとか」
「先輩?」
 ここまでくると習い性だ。覚えた居た堪れなさに、少しだけ距離を取って顔をのぞき込む。からかって楽しんでいただけらしい。
 小さく息を吐いて、そういえばこういう人だったなと思い返す。この数年、あまり見ていなかったけれど。学生だったころは、よくからかわれていた。
 そういうところは、いわゆる体育会系の「先輩」らしくもあった。自分に絶対的に懐いている後輩で遊ぶところ。
 先輩はさも俺に振り回されていたような言い方をすることがあるが、絶対に逆だったはずだ。
 ほんの少しだけ仕返しのつもりで、キスを降らせる。
 上位に立ちたいと思ったことはないが、対等な場所にいたいとはずっと思っていた。
 くすぐったそうな微笑を浮かべた瞳が近づいてくる。返ってきたキスに愛おしさが込み上がった。もっと触れたいと思う欲求を呑み込んで、宣言する。
「我慢します」
 やらなきゃいけないこともあるんでと言うと、頭が傾ぐ。
「なに?」
「掃除」
 あぁ、と一拍置いて続く。
「この時期だったら大掃除だな」
 旧年の汚れを落として、新年に備える。この人と一緒に過ごす時間のための準備。
 あっさりと頷いた先輩が、窓辺に寄ってカーテンを引く。換気のためか窓も最大限まで開けられてしまった。吹き込む冬の風が冷たい。
 やると決めたら行動が早い。昔からそうだったなぁと思いながら、荷物の上にコートを置く。一息もなにもあったものじゃないが、自分が言い出したのだからしかたがない。
 顔を上げると、光に照らされた横顔が見えた。なにか気になるものでもあったのか、窓辺に立ったまま外を見ている。その顔が、なぜかひどくきれいに見えた。