夢の続きの話をしよう(下)【期間限定再録】

「クリスマスパーティー?」
 職員室に日誌を持ってきた女子生徒ふたりが、「そうなの」と頷く。期末テストも終わり終業式を残すのみとなった今、楽しい予定ばかりなのだろう。
 終業式後にクラス全員で集まるのだと笑っている。不在の担任の代わりに日誌を受け取って、形式的な注意を施す。
「わかってると思うけど、酒は飲むなよ」
 あと、煙草とか、クスリとか。そんなものに手を出す生徒はいないと思いたいのだが。わかっているのかいないのか、生徒たちは笑うだけだ。年配の教師陣が近くにいないからか、いかにも気楽そうだ。
「先生は来ない?」
「行くわけがない」
「デート?」
「仕事だ、仕事」
「大変なんだね、先生って」
 本当にそう思ってくれるのなら、呼び出しのかかる案件は起こさないでほしい。
「サッカー部って、クリスマスも活動あるんだっけ?」
「二十五日って平日だよな。だったらあるけど、なんで?」
「この子の好きな男子がサッカー部なの。それで、クリスマスパーティーに来てくれるか気にしてるの」 
「あ、誰かは言わないからね!」
 長居していると思えば、それを聞きたかったらしい。隠し切れない苦笑が漏れたが、頓着せずにじゃれあっている。
 ――負けたからなぁ。
 冬の選手権の地区予選だ。勝ち進んで本戦の出場が控えていたら、クリスマスどころではなかっただろうが。三年生は引退し、二年生中心の新体制への移行の真っ最中。
 クリスマスパーティーとやらも、参加したければ足を運ぶだろう。練習の終わったあとのことなら、こちらが口を出す話ではない。
「サッカー部といえば、先生、次はいつ折原さん来るの?」
「言うと思うか?」
「ってことは来る予定あるんだ! いいなぁ。会いたい、話したい」
「仮に来たとしても、サッカー部以外に顔は出さないからな」
 古い話を持ち出してきたなと思いながら、釘を刺す。
「でも、サッカー部には来てくれるんでしょ。いいなぁ。あたしも写真とか撮りたかったぁ」
「携帯電話の持ち込みは禁止されてるはずだけど」
「持ってきてない、持ってきてないからね」
 分が悪いと踏んだのか、勢いよく否定する。高い声を木霊させながら逃げていったふたりに若いなと半ば感心しながら日誌を開いた。十才近く離れているのだから当然かもしれないが、別次元の生き物に見えることがある。
 今の調子でこうだと、十年後はどうなっているのだろうか。
 監督は年が近いから相談相手になりやすい、なんて言ってくれていたが、期待に添えている自信はまったくない。ないならないで、工夫してやっていくしかないけれど。
 零れた溜息に、前の席で静観を決め込んでいた同僚が笑った。明らかにおもしろがっている。
「何年経ってもうちのスターはあの子なんだね」
「そのうち次が出てきますよ」
 どの分野からかは知らないが、そうして世代は移り変わっていく。そうかもねと、また笑ったあとに言葉が続く。
「卒業する前になって、やっと落ち着いたね。おたくの問題児」
「美作先生のところの、でもあるでしょう」
「あれでしょ。夏くらいに時枝と喧嘩してからだね。徐々に徐々にまるーくなったというか」
 傍から見ていたほうが、変化は明確だったかもしれない。独りよがりだったプレースタイルがチームのカラーに染まり出した。
 危ういところはいくらでもあるが、それでも格段に精神的に落ち着いた。冬の選手権も、ひさしぶりにベスト四の壁を破った。
「でも、あれはさすがに無理があるわ。ふたり揃って転びました、階段から落ちましたって。そんな目立つところに傷つくるなよって」
「なんだかんだ言って、擦れてないなとは思いましたけど」
「ずっとスポーツやってきた、根の真面目な子たちだからね。その分、拗れると面倒なんだろうけど」
 わかるような気はする。ひとつのことだけに打ち込んでいると、それが駄目になったときに、どうしていいかわからなくなる。自分の基盤が崩れていくような感覚は、できればもう二度と味わいたくはない。
「でも、本当わかんないもんだね。なんというか」
「はぁ、進路がですか」
「そう。進路がだよ。ほかからも誘いはあっただろうに、結局、時枝と佐倉、同じ大学だもんなぁ」
 しみじみとした声に、笑みが漏れる。時枝たちは時枝たちで「たまたま」、「条件がよかった」、「そこに行きたかっただけだから、誰が一緒だろうと関係ない」のオンパレードだったけれど。水倉によると、ふたりでなにやら話していたそうだから、相応の協議はあったらしい。
 ふたりでいると八割の確率で口喧嘩になってるけど。でも、時枝が喧嘩する相手って今までいなかったから、案外といいコンビなのかもなとも言っていた。
「卒業したら関係ないからいいんだけどね。あいつらがどこで大げんかしようが仲よくしようが」
「とかなんとか言って、気にかけてるじゃないですか」
「人生これから先が長いからねぇ。送り出す身としては、楽しんでくれることを祈るだけだよ」
 あっさりと言い放つ調子に、苦笑いで頷く。学生だったころは、今がずっと続いていくような果てしなさがあったが、大人になってからのほうがはるかに長い。
「それでいつか、良くも悪くもここで過ごした日々を思い出すこともあるんだろうし。帰りたかったら帰ってくるしねぇ、佐野ちゃんみたいに」
「はぁ」
「結局、サッカー部も本格的に引き受けることにしたみたいだし。逃げ切れなかったね。俺、逃げ切るほうに賭けてたんだけどなぁ」
「本当にろくでもないですね、美作先生」
 夏の終わりごろから監督に水を向けられていた話だった。誘いに頷く決心を固めたのは、選手権の地区予選敗退が決まったあとだ。
 この学園のサッカーを求めてやってくる子どもたちを迎え入れ、支援すること。それが育ててもらった恩返しでもあるのだろうし、サッカーと歩む生き方のひとつでもあるのだろう。
 監督から学ぶ日々だが、忙しさの増した日常は苦ではない。
 ――なんだ。やっとそっちにも本腰を入れる気になったのか。三年か。といっても、折原とのあれこれに要した時間を思えば早いのか。
 折原とのことを言わなかったときに気持ち悪く拗ねていたから、富原には電話で伝えた。返ってきたのがこれだ。天然なのか嫌味なのか、あいかわらずよくわからない。けれど。
 ――結局、おまえもサッカーから離れられないんだな。
 最後に笑った声が安心していたことは、間違いがなかった。
「顧問とOBがデキてるかどうかで賭けてる現役部員よりかわいいもんでしょ」
「まだやってたんですか、あいつら」
「子どもは案外よく見てるからねぇ」
 含んだ言い方に、日誌から顔を上げる。
「理屈じゃなくて直観的なものでわかるというか、感じ取るというか。不思議だけどね。大人が隠そうとすることに敏感なんだよね」
「そうかもしれないですね」
「だからどうというわけでもないけど。気をつけたいなら気をつけたほうがいいかもよ」
 大前提として、あいつがゲイだって知れ渡ってるからな。笑って、日誌にまた目を落とす。
 あんなことを言わなければ、おもしろおかしく噂されることはなかっただろうに。思う気持ちは変わらないが、あいつが公表しようと決めたことを、いまさら否定するつもりはない。
「年末年始はひさしぶりに帰ってくるらしくて」
「忙しいだろうにマメなことで。まぁ、年越しくらいは落ち着いて地元で過ごしたいか」
「そうなんじゃないですか。マメはマメですけどね」
「佐野ちゃんは真面目そうなふりして、案外とずぼらだけどね」
「否定はしないですけど」
 小さく笑って、付け加える。とりとめもない世間話の調子で。
「空港まで迎えに行く予定です」
「それは」
 言葉が一瞬途切れたかと思えば、苦笑が浮かぶ。 
「まぁ、お気をつけて」
「そうします」 
「人の口に戸は立てられないから、大変だね」
 取り立てて隠さない選択肢は、周囲を巻き込むだけなのかもしれない。そうも思う。けれど、できるだけ自然体でいたかった。
 ――あいつは、俺がそう考えてるほうが、まだ気が楽だろうから。
 昔から天真爛漫でおおらかなようでいて、誰よりも他者の機微に聡い男だった。自分の傷より他人の傷の心配ばかりで、自分の怪我は笑顔で覆い隠して、なかったことにしてしまう馬鹿だった。
 だからこそ、堂々ととなりにいてやりたいと思うようになった。
「そうですね」
 それでもと決めた道だった。折原がひとりで決めたわけでもなければ、俺がひとりで決めたわけでもない。ふたりで選択したもの。
 だから、なるようになるのだろう。十年近く経ってようやく、少し肩の力を抜いて考えることができるようになった。
 好きな相手と一緒にいたいと願う気持ちは、特別なことではなく普通のことなのだと。