夢の続きの話をしよう(下)【期間限定再録】

「学生時代に全敗だったことを思うと、ちょっと気分はいいけど。三対〇か。それはまた大差がついたことで」
「いや、妥当。こういう言い方するとあれだけど」
 うんざりと応じて、酒に口をつける。一失点を喫してからはなし崩しだった。この数年の実力差を思うと、成美からすれば順当勝ちだろう。
 そう言うと、時代ってやつだなと庄司が笑った。
「俺たちが現役だったころから、もう八年経つんだもんな」
 笑う顔は昔と変わらない。大学生だったころと違うのは、派手だった見た目が年相応に落ち着いたことくらいだ。
「でも、ま。それだけ時間が経ったら変わるわな。俺らが教師になるくらいだ」
「まぁな」
「それにしても」
「ん?」
「こうしてふたりで飲むのもひさしぶりなのに、いきなり仕事の話ってところが佐野だよな」
 笑われて、悪いと素直に謝った。唐突な頼みごとだったろうに請け負ってくれた義理堅さには頭が下がる。
「それはべつに。たいした手間でもなかったし。あいかわらず誰かしらに振り回されてんだなとは思ったけど」
「振り回され……、顧問としてちょっと気になっただけで」
「サッカー部の顧問って、休日もなにもあったもんじゃねぇだろ。大変だな」
 その試合も見に行ってたんだろと水を向けられて、三対〇を思い返す。
 休日返上で公式戦についていくのはべつにいいのだが、あまりにも内容がひどかった。
「ムラのあるやつではあるんだけど、なかなかの荒れっぷりで」
「それが、うちに中学までいた子なんだよな」
「そう。悪いやつではないんだけど」
 溜息まじりに応じる。悪いやつではない。面倒なやつであることに変わりはないが。
 ――ただ、なぁ。
「ラフプレーは怖いだろ、普通に」
「おまえが言うと説得力がやばいな」
「いや、俺はラフプレーで駄目になったわけではないけど。したほうもやられたほうも取り返しのつかないダメージを受ける可能性があるわけで」
 悪意のあるなしは関係なしに、タイミングが悪ければ取り返しのつかない怪我を負う。その可能性は誰にでもある。
「そもそも競技スポーツとしてアウトな領域だろ」
「基本的におまえの言うことって正論なんだけどね。それを凌駕する感情ってのはあるでしょうよ、ロボットじゃないんだから。おまけに相手は思春期の子どもなんだし」
 首を傾げると、庄司が苦笑した。
「あぁ、いや。そういう荒れた行動が許されるって話じゃないよ、ちなみに」
「じゃあ、なんだよ」
「それはさておいてもさ。理性で感情を抑え込み過ぎる高校生も気持ち悪いと思うよ、俺。なんというか不健全というか。……おまえはそういうタイプだった感じはするけど」
「不健全」
「そう、不健全。それを全員に求めていいわけでもないしな」
「……なんか教師っぽいな、おまえ」
「教師だよ」
 笑って、庄司がグラスを傾けた。
「教師ついでに言うと、俺から見て大学生のおまえは不健全だったよ。どう言えばいいのかね。こう、不必要に自分を抑え込んでた感じ」
 大学生だった当時よりも大人びたまなざしで、過去と同じようなことを言う。
「そういうのって、いびつにさせるよ。本人だけじゃなく、周りもね」
「かもな」
「認められるだけ大人になったんだろうけど。おまえがなんだかんだ周囲に構われる原因ってそういうところだと思うよ。ひとりで放っておいて大丈夫そうなのに、妙なところで不安定そうというか、なんというか」
 随分な言われようだが、否定しづらいと思えるだけの覚えはあった。
「でも、その心配も杞憂に終わったってことでよかった?」
「は?」
「うちの栞さん、あいかわらず折原くんのこと大好きでね。ブラックな仕事の合間にニュースチェックにSNSチェックするのが日課らしくて」
「まだやってんのかよ」
「日々の癒しなんだってさ。癒しなんて俺に求めればいいのに」
 ツンデレってやつかねと笑って続ける。
「それで、少し前から日本に帰ってきてるやら、母校に凱旋してるやらって、うれしそうに言っててね。同じ空気を吸えてるだけでここは天国とまで言い出したから。かなり忙しさにやられてる」
 顔が浮かんで笑ってしまった。庄司も苦笑いのままだ。
「というわけで、その忙しさの脱却を狙ってプロポーズしたんだけど」
「変わりすぎだろ、話」
「まぁ、いいじゃん。おまえに連絡した本来の目的はそっちだったんだから」
 にまにまと笑う悪友に、目を瞬かせる。
「すんの、結婚」
「実は。とうとうオッケーもらっちゃいまして」
 冬の終わりに会ったときは、プロポーズを受けてもらえないと嘆いていたくせに。たったの半年で、変われば変わるらしい。
 ――それは俺も、か。
 その話を聞いていたころは、折原とまた関係を持つとは想像もしていなかった。
「来年の六月に結婚式やりたい、ジューンブライドだって盛り上がってて、栞が」
「らしいな」
「だろ? あいつ、乙女チックなんだよな、そのあたり。日本でジューンブライトとか湿度で苛立つだけじゃねって言ったら、めっちゃ拗ねられた」
 なんとなくそれも想像がついた。あいかわらず仲がよさそうで、気がなごむ。
「おまえ来るよな?」
 真面目に問われて、反応が少し遅れた。それをどう取ったのか、庄司が眉を下げる。
「真知ちゃんのことなら気にすんなよ、マジで。そもそもおまえが振ったわけでもないし。似たようなもんか。――いや、嘘だって。嘘でもないけど」
「どっちだよ」
「どっちにしろ昔の話だってこと。ほら、もうちゃんとした彼氏もいるしさ。俺は直に会ったことはないけど、何歳か年上で大手の会社にお勤めの、いわゆる優良物件らしいよ。それだけで選んだわけじゃないだろうけど、真知ちゃん、かっちりしてるからさ。お似合いだと思うよ」
「それはなによりだけど」
「おまえに未練があるってなら、話はべつだけど」
「いや」
「だよな。あるって言われても困ったけど。ないよな、おまえには」
 あっさりと納得するところから察するに、三年前の自分は相当薄情だったらしい。
「それでまた話が戻るんだけどさ」
「戻るのかよ」
「さすがにおまえが生徒に手ぇ出したとか、生徒の保護者と不倫したとか言い出したら、ちょっと待てとは思うけど」
「それこそちょっと待て、なんの話だ」
「だから、そうじゃないなら、誰と恋愛しようが自由だろって話だよ」
 先の台詞と同じくらいあっさりと言い切って、庄司が指を折る。
「あとはそうだな。披露宴会場で真知ちゃんに、そのあとうちの嫁に、いろいろと話を聞かれる覚悟はしとけよってことと」
「……まだあるのかよ」
「ある、ある。もとはと言えば、おまえがそういうことを話さないのが悪い」
 嬉々として話すことではないというのが偽らざる本音だ。でも、ありがたいことなんだろうな。それもわかるから、聞き流さずに頷く。
「まぁ、このくらいにしとくか。あ、おまえの頼まれごとを教えてやる条件ね、これ。あとは面倒くさがらずに俺らの結婚式にちゃんと来ること。ついでに真知ちゃんと二次会の幹事やってくれると、すげぇ助かるんだけどなぁ」
「今日、奢ってやろうかと思ったけど、やめた」
「それより幹事のほうが助かるからありがたいけど」
「誰がやるって言ったよ」
「だって、おまえ断らないもん。そういうところ律儀で、ついでに押しに弱いから」
 大学時代の四年間をともに過ごした友人は遠慮がない。学生だった当時の顔ばかりが浮かぶが、もうそういう年なのだ。人生の岐路を自分の力で選び取る年齢。
 責任を自分で負えるようになりたかったのだろうか、あのころの俺は。批判に晒されるところを見たくないと、かたくなに思っていたころだ。
 もう子どもじゃないから無理なんだと、いつだったか富原に言ったことがある。富原は困った顔で笑って、それ以上のなにも言わなかった。
 制限された自由のなかであれば許されると考えていた自分は、子どものままでいたかったのかもしれない。周りはみんな自分の足で歩き出しているのに、自分だけが立ち止まったままでいる。そんな感覚をずっと持て余していた。
 その俺に自分で選び取れと言ってくれたのは、折原だった。
「わかったよ、やる」
「やった。サンキュ。これで栞も真知ちゃんも喜ぶわ。報告しとく」
「なぁ、庄司」
 言葉どおり携帯にメッセージを打ち込んでいる友人の横顔を見つめながら、告げる。
「よかったな、おめでとう」
 幸せにな、なんて俺が言わなくても、勝手に自分たちでなるだろう。そういうものなのだと少しずつ思えるようになってきた。
 庄司が顔を上げて、おうと笑った。