俺になにか言うべきことはないのかという女子高生のようなメッセージを三日無視したら、電話が鳴った。
「折原は、ちゃんと向こうに戻る前に言ってくれたのに」
厭味ったらしい文句に、忙しかったんだよと言い訳しようとして、やめた。最近は面倒ごとがひとつ減ったおかげで時間にゆとりがある。
今日も二十一時を過ぎる前に家に戻れた。一時期のことを思えば、十分にありがたい。富原の恨み言を聞き流すだけの余裕はある。
「それに比べておまえときたら、本当に薄情だ」
「悪かったな、薄情で」
「俺は今の所属チームに決まったときも、真っ先におまえに伝えたのに」
「それとこれとは話が違うだろ」
「違わないだろう」
「違わないって」
「どちらも同じ、人生の重要な岐路だ」
真面目な顔で言っているのが想像できて言葉に詰まった。がりがりと無意味に頭を掻いてから、口を開く。
「好きだ、って言った」
「……」
「だから、その、まぁ、なんだ。付き合うというか……、おい、なんとか言えよ、おまえ」
自分から聞いておいて黙り込んだ富原に痺れを切らすと、「いや、悪い」と笑いを堪え切れていない声が返ってきた。
「なんというか、こう感慨深くてな」
「嘘吐け、笑ってただろ」
「いいじゃないか、めでたいことなんだから笑っても」
そういう笑い方でなかったと思うが、文句は呑み込んだ。受け止めてくれることがうれしくないわけではない。
「佐野」
変わった声の調子に、耳を傾ける。
「よかったじゃないか。蹴りがついて」
「……まぁ、うん。だな」
「どういう心境の変化だったんだ、前に電話したときから」
「悪かった、迷惑かけて」
「あぁ、あのときの電話か? まぁいい。おまえのどうしようもなさは、よくよく知っているからな」
返す言葉がなくて黙っていると、富原が小さく笑った。
「折原が多少面倒だったが。かわいい後輩のことだ、それもべつにいい」
「面倒って。あいつ、おまえに、そんなことしないし言わないだろ」
「佐野。いまさらだがひとつだけ言っていいか」
「なんだよ」
「あのな、折原は、たしかにおまえよりはよっぽど人間ができているとは思うが。誰の言うことでも聞くわけじゃないぞ。相手がおまえだから、おまえを立てているだけであって――、いや、まぁいいか、それは」
話を無理やり切り上げられた上に、溜息まで吐かれてしまった。
よくわからないが、富原のほうが折原との付き合いは長い。面倒な態度をとれる程度には富原に甘えているということかもしれない。
「どうせおまえは今のかたちに落ち着いても、折原からすればどうでもいいことで、うだうだと悩むんだろうが」
「悪かったな」
「悪いとは誰も言っていない」
あっさりと富原は否定した。
「ただ、悪いとは言わないし、悩むなとは言わんが、ちゃんと相談してやれよ」
ひとりで決めないでください。四年前、折原に乞われたことを覚えている。ふたりの問題ですよねと、そう。
「わかってる」
頷くと、ほっとしたように富原が笑った。あいかわらずのお人よしのお節介だ。そういうところが昔からずっと変わらない。とりとめもない話を少しして、電話を切る。
今度あいつが戻ってきたら、三人で飲もう。最後に富原はそんなふうに言った。同じ空間で酒を飲んだのは、四年前の飲み会が最初で最後だった。
子どもだったころと変わらないものもあるが、違う付き合い方もできるようになる。それが流れた時間のすべてだ。いつまでも子どものままではいられない。けれど、だからこそ選び取れるものも増える。
うだうだと悩むんだろうと富原は言ったが、否定する気も起きなかった。
この罪悪感は、一生胸のうちにあるのだと思う。けれど、湧き上がるたびに選び取った瞬間もきっと思い出す。
だから大丈夫だと思うことに決めた。
――後悔してますか。
しているとするなら、そんなことを言わせる態度をとったことだった。
先輩と呼ばれるべき人間は自分のはずだった。たった一才差とはいえ、年上なのも自分だった。それなのに、昔から折原のほうがずっとしっかりしていた。
なんとはなしに、手に持ったままだった携帯のアプリを起動する。未読メッセージがないことはわかっていたのに、文面を追う。どれも短いものばかりだ。
このメッセージアプリは海外にいても使えるんですよと言ったのは折原だった。
折原の家で過ごしたときの話だ。
随分と近くなるんだなと感心していると、物理的な距離は変わらないですけどねと笑う。
その横顔のラインを視線でなぞった。しばらく見れないと思うと、名残惜しかったのだ。
昔と同じ他愛ない調子だったメッセージに、近況が混ざるようになった。調整中だがそろそろ実戦に戻れそうだという話から、本当に日常の話まで。
試合に出るなら見てみたいとごく自然に思った変わり身に、苦笑いになる。海外サッカーも地上波のテレビで放映される代表戦も、高視聴率を叩き出すワールドカップも、かたくなに遠ざけていたのに。
昔と違って、同じようにとりとめもない返信をする。時差も覚えた。タイミングが合えば、スカイプで話す。
自分たちだけのために使える時間は、昔と比べればずっと少ない。だからこそ、そのなかでできることを大切にしたいと思えるようになった。
日常のなかに、ふたりでするなにかが落とし込まれていく。それがともに生きていくということなのだろうか。
「折原は、ちゃんと向こうに戻る前に言ってくれたのに」
厭味ったらしい文句に、忙しかったんだよと言い訳しようとして、やめた。最近は面倒ごとがひとつ減ったおかげで時間にゆとりがある。
今日も二十一時を過ぎる前に家に戻れた。一時期のことを思えば、十分にありがたい。富原の恨み言を聞き流すだけの余裕はある。
「それに比べておまえときたら、本当に薄情だ」
「悪かったな、薄情で」
「俺は今の所属チームに決まったときも、真っ先におまえに伝えたのに」
「それとこれとは話が違うだろ」
「違わないだろう」
「違わないって」
「どちらも同じ、人生の重要な岐路だ」
真面目な顔で言っているのが想像できて言葉に詰まった。がりがりと無意味に頭を掻いてから、口を開く。
「好きだ、って言った」
「……」
「だから、その、まぁ、なんだ。付き合うというか……、おい、なんとか言えよ、おまえ」
自分から聞いておいて黙り込んだ富原に痺れを切らすと、「いや、悪い」と笑いを堪え切れていない声が返ってきた。
「なんというか、こう感慨深くてな」
「嘘吐け、笑ってただろ」
「いいじゃないか、めでたいことなんだから笑っても」
そういう笑い方でなかったと思うが、文句は呑み込んだ。受け止めてくれることがうれしくないわけではない。
「佐野」
変わった声の調子に、耳を傾ける。
「よかったじゃないか。蹴りがついて」
「……まぁ、うん。だな」
「どういう心境の変化だったんだ、前に電話したときから」
「悪かった、迷惑かけて」
「あぁ、あのときの電話か? まぁいい。おまえのどうしようもなさは、よくよく知っているからな」
返す言葉がなくて黙っていると、富原が小さく笑った。
「折原が多少面倒だったが。かわいい後輩のことだ、それもべつにいい」
「面倒って。あいつ、おまえに、そんなことしないし言わないだろ」
「佐野。いまさらだがひとつだけ言っていいか」
「なんだよ」
「あのな、折原は、たしかにおまえよりはよっぽど人間ができているとは思うが。誰の言うことでも聞くわけじゃないぞ。相手がおまえだから、おまえを立てているだけであって――、いや、まぁいいか、それは」
話を無理やり切り上げられた上に、溜息まで吐かれてしまった。
よくわからないが、富原のほうが折原との付き合いは長い。面倒な態度をとれる程度には富原に甘えているということかもしれない。
「どうせおまえは今のかたちに落ち着いても、折原からすればどうでもいいことで、うだうだと悩むんだろうが」
「悪かったな」
「悪いとは誰も言っていない」
あっさりと富原は否定した。
「ただ、悪いとは言わないし、悩むなとは言わんが、ちゃんと相談してやれよ」
ひとりで決めないでください。四年前、折原に乞われたことを覚えている。ふたりの問題ですよねと、そう。
「わかってる」
頷くと、ほっとしたように富原が笑った。あいかわらずのお人よしのお節介だ。そういうところが昔からずっと変わらない。とりとめもない話を少しして、電話を切る。
今度あいつが戻ってきたら、三人で飲もう。最後に富原はそんなふうに言った。同じ空間で酒を飲んだのは、四年前の飲み会が最初で最後だった。
子どもだったころと変わらないものもあるが、違う付き合い方もできるようになる。それが流れた時間のすべてだ。いつまでも子どものままではいられない。けれど、だからこそ選び取れるものも増える。
うだうだと悩むんだろうと富原は言ったが、否定する気も起きなかった。
この罪悪感は、一生胸のうちにあるのだと思う。けれど、湧き上がるたびに選び取った瞬間もきっと思い出す。
だから大丈夫だと思うことに決めた。
――後悔してますか。
しているとするなら、そんなことを言わせる態度をとったことだった。
先輩と呼ばれるべき人間は自分のはずだった。たった一才差とはいえ、年上なのも自分だった。それなのに、昔から折原のほうがずっとしっかりしていた。
なんとはなしに、手に持ったままだった携帯のアプリを起動する。未読メッセージがないことはわかっていたのに、文面を追う。どれも短いものばかりだ。
このメッセージアプリは海外にいても使えるんですよと言ったのは折原だった。
折原の家で過ごしたときの話だ。
随分と近くなるんだなと感心していると、物理的な距離は変わらないですけどねと笑う。
その横顔のラインを視線でなぞった。しばらく見れないと思うと、名残惜しかったのだ。
昔と同じ他愛ない調子だったメッセージに、近況が混ざるようになった。調整中だがそろそろ実戦に戻れそうだという話から、本当に日常の話まで。
試合に出るなら見てみたいとごく自然に思った変わり身に、苦笑いになる。海外サッカーも地上波のテレビで放映される代表戦も、高視聴率を叩き出すワールドカップも、かたくなに遠ざけていたのに。
昔と違って、同じようにとりとめもない返信をする。時差も覚えた。タイミングが合えば、スカイプで話す。
自分たちだけのために使える時間は、昔と比べればずっと少ない。だからこそ、そのなかでできることを大切にしたいと思えるようになった。
日常のなかに、ふたりでするなにかが落とし込まれていく。それがともに生きていくということなのだろうか。



