「なに不貞腐れてんだ」
土曜日にできなかった事務仕事の片付けで部活には顔を出せなかったが、補修用の時間はつくった。あの日に現れなかったのをこれ幸いと、佐倉のなかで補修が終了していたら、いないだろうが。
危ぶみながらやってきた寮の食堂に、問題児はいた。気持ち悪いほどしっかりと準備はできているものの、発散される空気はこれ見よがしに「不機嫌です」と言っている。
ガキかと思ったが、ガキだった。
「まぁ、やる気があるなら、べつになんでもいいけど」
それ以上の藪をつつく趣味もなかったので、佐倉の真向かいの椅子を引いて、座る。
「土曜に見せろって言ってた分、終わったか?」
「先生が監督に言うとは思わなかったな」
「部員の問題は報告するに決まってるだろうが」
問いかけとまったく関係のない返事に、溜息まじりに言い諭す。
「怒られて拗ねてんのか」
「べつに」
というわりには、口調も態度も不貞腐れている。
「詳しいことは知らないけど、折原が怒ってるくらいだから、おまえが相当なことやらかしたんじゃないのか、って」
普段が穏やかなだけに、あの態度だ。監督が気づかなかったわけがない。黙っていると、佐倉がひょいと肩をすくめた。
「今の生徒を信用する気なさすぎでしょ」
「信用してほしいなら、それ相応の態度を取れって前にも言っただろ」
「言ってたね」
おざなりに相槌を打ったかと思うと、話題が変わった。
「楽しかったの? 先生は、ここ」
「楽しいも楽しくないも、自分次第だろ。周りに自分が楽しいと思える環境をつくれっていう圧力をかけるのはどうかと思うぞ」
「誰もそんなこと言ってねぇし」
どことはなしにバツの悪い顔だった。自覚はあるらしい。
「それで、監督はなにをそんなに信用してるって? 成功してる教え子だから?」
「三年間見てきた人間性で、に決まってるだろ」
ひいき目がないとは言わないが、折原は昔から人間ができていた。少なくとも俺よりはよほど。
「おまえ、あいつになにか恨みでもあるのか」
あるわけもないだろうが、あまりにも態度がかたくなだ。いつだったか「損害」と言っていたときも、自分が被ったかのようだったことを思い出す。
「べつに」
「べつに?」
「ただ、……や、なんでもない。説教されるくらいなら勉強のほうがまだマシ」
「マシって、おまえな」
「でも、もういいよ、これ。面倒だし意味ないから」
それ以上を打ち切って、佐倉が言い放つ。
「心配しなくても、テストも真面目に受けるし」
本当かよとは教師として口にしなかったが、疑わしい。
「真面目に受けさえすれば赤点にならないって知ってるでしょ」
「だから余計に性質が悪いって心配されてんだぞ、おまえ」
「心配されてるうちが花だって言いたいんでしょ、知ってる」
はいはいと言わんばかりだ。イラっとしたが呑み込む。手が離れてくれるのなら、ありがたい話ではあるのだ。本当に言葉どおりの行動をとってくれるのなら。
「知ってるから、安心して」
ふいに変わったトーンに、怪訝な顔になる。
「結局、馬鹿になれないし、俺」
サッカーも嫌いになれないしと、言っているように聞こえた。
厄介な性格だなと呆れたが、周りがなにを言おうが最終的に決断するのは本人だ。続けるもやめるも。他人が口を出す権利はない。
おまえは周囲に恵まれているだろうと言うかわりに、赤点取るなよと繰り返す。
「出れなくなるぞ、最後のインターハイ」
「予選だけどね」
「予選に出ないと本戦もなにもないだろうが」
わかってるくせにと投げやりに笑って、佐倉が課していたプリントを滑らせる。一瞥して溜息が零れた。憎たらしいほど完璧だった。
やればできるなら、やれ。
「おまえ、そうやって人生舐めてると、いつか痛い目見るぞ」
「それ、教師の言葉?」
「じゃあ、OBからの注意だとでも思え」
おざなりに言い返して、採点を終えたプリントを返す。受け取るなり目も通さずに畳んで、笑う。
「先生って、妙なところで細かいわりに鈍いよね」
「なにが」
「だって、ここまで拗らせてる生徒がだよ。今まで一度も痛い目にあったことがないと思う?」
それもそうか。納得したあとに、痛い目とやらを聞くべきなのかとも思ったが、教科書を掴んで佐倉が立ち上がった。
――まぁ、いいか。
監督との話でなにか思うところがあったのかもしれない。少なくとも前回に課したものはしっかりとやっているのだし、授業も出ると言っている。教師なら信用するべきだろう。これでひとつ面倒ごとが終わった。
「先生、見えてる」
主語もなにもあったものではないが、言い方と視線でなにを指しているのかはわかった。見えているわけがない。どこぞの馬鹿が噛むから着る服に困ったのだ。
通り抜けざまに立ち止まった佐倉を見上げて、小さく息を吐く。
「同じこと女の先生に言ってみろ。おまえが生徒でもセクハラだからな」
「峰元先生くらいの反応のほうがかわいげあるよ」
「……おまえはもうちょっとくらい素直になったほうがかわいげが出るぞ」
「じゃあ、時枝はかわいい?」
「おまえよりはな」
「はは、素直」
どう考えても教師への台詞ではないが、補修もこれで終わりなのだと受け流した。そのまま帰るつもりだったのだが、食堂を出て階段を上っていく背中に思い立って声をかける。
「取るなよ、赤点」
最後のインターハイなのはおまえだけじゃないんだからなとは言わなかったが、伝わったはずだ。振り返ることもなく消えた後姿を見送って、寮を出る。建物を見上げることなく、そのまま歩き出す。誰の上にも時間は等しく過ぎていく。だからこそ大切にしなければならないのだろう。学生時代の一年なんて、本当にあっというまだ。
自分のことを棚上げにして、そんなふうに言いたくなってしまう瞬間がある。
拗らせると元に戻るのに十年かかるぞ、とはさすがに言えないが。あの子どもたちがここで過ごす時間は半年も残っていない。
――まぁ、俺がどうのこうのと言う話でもないけどな。
言ったところで聞きやしないだろうし。俺の話を素直に聞いたのなんて、あの後輩くらいのものだった。
土曜日にできなかった事務仕事の片付けで部活には顔を出せなかったが、補修用の時間はつくった。あの日に現れなかったのをこれ幸いと、佐倉のなかで補修が終了していたら、いないだろうが。
危ぶみながらやってきた寮の食堂に、問題児はいた。気持ち悪いほどしっかりと準備はできているものの、発散される空気はこれ見よがしに「不機嫌です」と言っている。
ガキかと思ったが、ガキだった。
「まぁ、やる気があるなら、べつになんでもいいけど」
それ以上の藪をつつく趣味もなかったので、佐倉の真向かいの椅子を引いて、座る。
「土曜に見せろって言ってた分、終わったか?」
「先生が監督に言うとは思わなかったな」
「部員の問題は報告するに決まってるだろうが」
問いかけとまったく関係のない返事に、溜息まじりに言い諭す。
「怒られて拗ねてんのか」
「べつに」
というわりには、口調も態度も不貞腐れている。
「詳しいことは知らないけど、折原が怒ってるくらいだから、おまえが相当なことやらかしたんじゃないのか、って」
普段が穏やかなだけに、あの態度だ。監督が気づかなかったわけがない。黙っていると、佐倉がひょいと肩をすくめた。
「今の生徒を信用する気なさすぎでしょ」
「信用してほしいなら、それ相応の態度を取れって前にも言っただろ」
「言ってたね」
おざなりに相槌を打ったかと思うと、話題が変わった。
「楽しかったの? 先生は、ここ」
「楽しいも楽しくないも、自分次第だろ。周りに自分が楽しいと思える環境をつくれっていう圧力をかけるのはどうかと思うぞ」
「誰もそんなこと言ってねぇし」
どことはなしにバツの悪い顔だった。自覚はあるらしい。
「それで、監督はなにをそんなに信用してるって? 成功してる教え子だから?」
「三年間見てきた人間性で、に決まってるだろ」
ひいき目がないとは言わないが、折原は昔から人間ができていた。少なくとも俺よりはよほど。
「おまえ、あいつになにか恨みでもあるのか」
あるわけもないだろうが、あまりにも態度がかたくなだ。いつだったか「損害」と言っていたときも、自分が被ったかのようだったことを思い出す。
「べつに」
「べつに?」
「ただ、……や、なんでもない。説教されるくらいなら勉強のほうがまだマシ」
「マシって、おまえな」
「でも、もういいよ、これ。面倒だし意味ないから」
それ以上を打ち切って、佐倉が言い放つ。
「心配しなくても、テストも真面目に受けるし」
本当かよとは教師として口にしなかったが、疑わしい。
「真面目に受けさえすれば赤点にならないって知ってるでしょ」
「だから余計に性質が悪いって心配されてんだぞ、おまえ」
「心配されてるうちが花だって言いたいんでしょ、知ってる」
はいはいと言わんばかりだ。イラっとしたが呑み込む。手が離れてくれるのなら、ありがたい話ではあるのだ。本当に言葉どおりの行動をとってくれるのなら。
「知ってるから、安心して」
ふいに変わったトーンに、怪訝な顔になる。
「結局、馬鹿になれないし、俺」
サッカーも嫌いになれないしと、言っているように聞こえた。
厄介な性格だなと呆れたが、周りがなにを言おうが最終的に決断するのは本人だ。続けるもやめるも。他人が口を出す権利はない。
おまえは周囲に恵まれているだろうと言うかわりに、赤点取るなよと繰り返す。
「出れなくなるぞ、最後のインターハイ」
「予選だけどね」
「予選に出ないと本戦もなにもないだろうが」
わかってるくせにと投げやりに笑って、佐倉が課していたプリントを滑らせる。一瞥して溜息が零れた。憎たらしいほど完璧だった。
やればできるなら、やれ。
「おまえ、そうやって人生舐めてると、いつか痛い目見るぞ」
「それ、教師の言葉?」
「じゃあ、OBからの注意だとでも思え」
おざなりに言い返して、採点を終えたプリントを返す。受け取るなり目も通さずに畳んで、笑う。
「先生って、妙なところで細かいわりに鈍いよね」
「なにが」
「だって、ここまで拗らせてる生徒がだよ。今まで一度も痛い目にあったことがないと思う?」
それもそうか。納得したあとに、痛い目とやらを聞くべきなのかとも思ったが、教科書を掴んで佐倉が立ち上がった。
――まぁ、いいか。
監督との話でなにか思うところがあったのかもしれない。少なくとも前回に課したものはしっかりとやっているのだし、授業も出ると言っている。教師なら信用するべきだろう。これでひとつ面倒ごとが終わった。
「先生、見えてる」
主語もなにもあったものではないが、言い方と視線でなにを指しているのかはわかった。見えているわけがない。どこぞの馬鹿が噛むから着る服に困ったのだ。
通り抜けざまに立ち止まった佐倉を見上げて、小さく息を吐く。
「同じこと女の先生に言ってみろ。おまえが生徒でもセクハラだからな」
「峰元先生くらいの反応のほうがかわいげあるよ」
「……おまえはもうちょっとくらい素直になったほうがかわいげが出るぞ」
「じゃあ、時枝はかわいい?」
「おまえよりはな」
「はは、素直」
どう考えても教師への台詞ではないが、補修もこれで終わりなのだと受け流した。そのまま帰るつもりだったのだが、食堂を出て階段を上っていく背中に思い立って声をかける。
「取るなよ、赤点」
最後のインターハイなのはおまえだけじゃないんだからなとは言わなかったが、伝わったはずだ。振り返ることもなく消えた後姿を見送って、寮を出る。建物を見上げることなく、そのまま歩き出す。誰の上にも時間は等しく過ぎていく。だからこそ大切にしなければならないのだろう。学生時代の一年なんて、本当にあっというまだ。
自分のことを棚上げにして、そんなふうに言いたくなってしまう瞬間がある。
拗らせると元に戻るのに十年かかるぞ、とはさすがに言えないが。あの子どもたちがここで過ごす時間は半年も残っていない。
――まぁ、俺がどうのこうのと言う話でもないけどな。
言ったところで聞きやしないだろうし。俺の話を素直に聞いたのなんて、あの後輩くらいのものだった。



