「そうか。佐倉が」
部活が終わったあとの監督室だ。以前にも増してちょっと荒れてますねと、かいつまんで説明すると、おおまかに把握した様子で監督が渋面をつくった。
あのあとも部活に顔は出さなかったらしい。
――それはそれで、よかったかもしれないけど。
なにを考えているのかわからない顔でパイプ椅子に腰かけている折原を窺って、息を吐く。部外者が同席していい理由はないのだが、監督がよしとしている以上、文句は言えない。
「最近は少し落ち着いたように見えていたんだがな」
「その分だけ溜まってたのかもしれないですね、ストレスが」
おまけに補修だなんだと部活後も縛り付けていたから、こちらに対して思うところがあったのかもしれない。
「補修で自由な時間を奪い過ぎたかもしれません。佐倉の担任も言っていたんですが、やる気だけの問題で勉強の理解が追いついていないわけじゃないんです。担任ともう一度協議して、今後の方針を――」
「そこまで甘やかす必要って、あるんですか?」
突き放した声に、視線を動かす。俺ではなく監督を見つめたまま、折原が続けた。
「自律を重んじる深山の伝統もサッカー部も、俺は好きでしたけど。方針、変えたんですか?」
「折原」
監督に向かって言い過ぎだと諭す呼びかけを遮って、監督が首を振る。
「いい。そのとおりだ」
「でも」
「おまえも前に言ったじゃないか。自分がいた当時とは、生徒たちの空気も質も違うと」
「……まぁ、言いましたけど。それとこれとは」
「違わないさ。生徒たちも変わったし時代も変わったが、こっちの指導力も衰えた。あいつらの考えていることも、昔よりもわからなくなったように思えてな」
監督が苦笑する。
「そういう意味では、年齢の近い佐野が来てくれてよかったと思っていたんだが」
「はぁ。それで先輩が甘やかしてるわけですか」
「甘やかしてるわけじゃねぇよ」
棘のある言い方に、反論する。甘やかしているつもりはない。厳しく接して育てようなどという気概も持っていないが、教師として相応に学業面の指導をしているだけだ。
「じゃあ、まともに教師として見られてないんじゃないですか?」
喧嘩を売っているとしか思えない調子に、沈黙を選ぶ。監督が目を白黒させていたが、取り繕いようもない。
「だって、教師だと思ってたら、手は出さないでしょ」
「佐野?」
疑惑の視線から逃れるように折原を睨む。我関せずの横顔は、言わないほうが悪いと言っていた。
「本当にたいしたことじゃないんで、気にしないでください」
「そうは言ってもなぁ」
「気が立っていただけでしょうから。次はないように気をつけます」
広げるつもりのない話を切り上げようとした矢先に、また折原が口をはさんだ。
「気をつけるって、どう気をつけるんですか?」
「どうもなにも」
気をつけるって言ったら気をつけるんだよ、と。言い返さなかったのは最後の理性だが、受ける声に苛立ちは滲んだ。
大本の原因はこっちにあるかもしれないが、そこまで絡まれる謂われはない。流れる空気の険悪さに、監督も苦笑いを隠していない。
「おまえたち、その年になって喧嘩でもしとるのか」
「してません」
知らず被った返答に、監督が小さく肩をすくめて、開いていた部誌を閉じた。
「あいかわらずのようでなによりだ。折原も心配するなとは言わんが、少しくらい信用しても罰は当たらんと思うぞ。こっちも気をつけるから」
部員を宥めるような調子に毒気を抜かれたのか、ふっと折原の空気が和らぐ。
「わかりました」
応じる声も、ある意味では聞き慣れたものに戻っていた。
――俺の心配をしてたわけではないと思うけどな。
監督の人のいい解釈に首を捻りたくなったが、話が終わったのならそれでいい。いつもより少し遅くなったが、あとは寮に行って今日の分の課題をやらせたら業務終了だ。ついでに少しは部室でのことも話さないといけないかもしれないが。
どうするかなと考えていると、「先輩」といつもの声で折原が呼んだ。
「まだ仕事あるんですか? 送ってくださいよ」
「は?」
「そんな声出さなくても。ひどいな。このあいだも送ってくれたじゃないですか。そんなに遠くなかったでしょ」
「いや、でも、このあともうひと仕事あるんだよ」
好きでやりたいわけではないが。正当な理由で断れることはありがたかった。折原がなにを思って要請したのかは知らないが、俺はふたりきりの状況をつくりたくはない。
「仕事って?」
「言っただろ。部活のあとに勉強見てるって。週明けからどうするかはあいつの担任と相談だけど、とりあえず今日は行かないと」
「は?」
俺が口にしたときに「ひどい」と言ったやつは誰だと責めたくなる声だった。
「もともとその予定だったから。連絡もなしに休むわけにもいかないだろ」
言い訳がましくなったが事実だ。一向に喋らない折原に気を揉んでいると、監督が小さく笑った。
「佐野。佐倉のことは気にしなくていいから、たまには早く帰れ」
「そうは言っても」
「こっちから伝えるついでに、少し話しておく。一度時間をとりたいと思っていたから、ちょうどよかった」
だから、もう今日はこのままふたりで帰れと。学生時代のような言い方で促されてしまえば、頷く以外の道は残されていなかった。
部活が終わったあとの監督室だ。以前にも増してちょっと荒れてますねと、かいつまんで説明すると、おおまかに把握した様子で監督が渋面をつくった。
あのあとも部活に顔は出さなかったらしい。
――それはそれで、よかったかもしれないけど。
なにを考えているのかわからない顔でパイプ椅子に腰かけている折原を窺って、息を吐く。部外者が同席していい理由はないのだが、監督がよしとしている以上、文句は言えない。
「最近は少し落ち着いたように見えていたんだがな」
「その分だけ溜まってたのかもしれないですね、ストレスが」
おまけに補修だなんだと部活後も縛り付けていたから、こちらに対して思うところがあったのかもしれない。
「補修で自由な時間を奪い過ぎたかもしれません。佐倉の担任も言っていたんですが、やる気だけの問題で勉強の理解が追いついていないわけじゃないんです。担任ともう一度協議して、今後の方針を――」
「そこまで甘やかす必要って、あるんですか?」
突き放した声に、視線を動かす。俺ではなく監督を見つめたまま、折原が続けた。
「自律を重んじる深山の伝統もサッカー部も、俺は好きでしたけど。方針、変えたんですか?」
「折原」
監督に向かって言い過ぎだと諭す呼びかけを遮って、監督が首を振る。
「いい。そのとおりだ」
「でも」
「おまえも前に言ったじゃないか。自分がいた当時とは、生徒たちの空気も質も違うと」
「……まぁ、言いましたけど。それとこれとは」
「違わないさ。生徒たちも変わったし時代も変わったが、こっちの指導力も衰えた。あいつらの考えていることも、昔よりもわからなくなったように思えてな」
監督が苦笑する。
「そういう意味では、年齢の近い佐野が来てくれてよかったと思っていたんだが」
「はぁ。それで先輩が甘やかしてるわけですか」
「甘やかしてるわけじゃねぇよ」
棘のある言い方に、反論する。甘やかしているつもりはない。厳しく接して育てようなどという気概も持っていないが、教師として相応に学業面の指導をしているだけだ。
「じゃあ、まともに教師として見られてないんじゃないですか?」
喧嘩を売っているとしか思えない調子に、沈黙を選ぶ。監督が目を白黒させていたが、取り繕いようもない。
「だって、教師だと思ってたら、手は出さないでしょ」
「佐野?」
疑惑の視線から逃れるように折原を睨む。我関せずの横顔は、言わないほうが悪いと言っていた。
「本当にたいしたことじゃないんで、気にしないでください」
「そうは言ってもなぁ」
「気が立っていただけでしょうから。次はないように気をつけます」
広げるつもりのない話を切り上げようとした矢先に、また折原が口をはさんだ。
「気をつけるって、どう気をつけるんですか?」
「どうもなにも」
気をつけるって言ったら気をつけるんだよ、と。言い返さなかったのは最後の理性だが、受ける声に苛立ちは滲んだ。
大本の原因はこっちにあるかもしれないが、そこまで絡まれる謂われはない。流れる空気の険悪さに、監督も苦笑いを隠していない。
「おまえたち、その年になって喧嘩でもしとるのか」
「してません」
知らず被った返答に、監督が小さく肩をすくめて、開いていた部誌を閉じた。
「あいかわらずのようでなによりだ。折原も心配するなとは言わんが、少しくらい信用しても罰は当たらんと思うぞ。こっちも気をつけるから」
部員を宥めるような調子に毒気を抜かれたのか、ふっと折原の空気が和らぐ。
「わかりました」
応じる声も、ある意味では聞き慣れたものに戻っていた。
――俺の心配をしてたわけではないと思うけどな。
監督の人のいい解釈に首を捻りたくなったが、話が終わったのならそれでいい。いつもより少し遅くなったが、あとは寮に行って今日の分の課題をやらせたら業務終了だ。ついでに少しは部室でのことも話さないといけないかもしれないが。
どうするかなと考えていると、「先輩」といつもの声で折原が呼んだ。
「まだ仕事あるんですか? 送ってくださいよ」
「は?」
「そんな声出さなくても。ひどいな。このあいだも送ってくれたじゃないですか。そんなに遠くなかったでしょ」
「いや、でも、このあともうひと仕事あるんだよ」
好きでやりたいわけではないが。正当な理由で断れることはありがたかった。折原がなにを思って要請したのかは知らないが、俺はふたりきりの状況をつくりたくはない。
「仕事って?」
「言っただろ。部活のあとに勉強見てるって。週明けからどうするかはあいつの担任と相談だけど、とりあえず今日は行かないと」
「は?」
俺が口にしたときに「ひどい」と言ったやつは誰だと責めたくなる声だった。
「もともとその予定だったから。連絡もなしに休むわけにもいかないだろ」
言い訳がましくなったが事実だ。一向に喋らない折原に気を揉んでいると、監督が小さく笑った。
「佐野。佐倉のことは気にしなくていいから、たまには早く帰れ」
「そうは言っても」
「こっちから伝えるついでに、少し話しておく。一度時間をとりたいと思っていたから、ちょうどよかった」
だから、もう今日はこのままふたりで帰れと。学生時代のような言い方で促されてしまえば、頷く以外の道は残されていなかった。



