足りない僕らの埋め合わせ

春のふんわりとした気温が心地いい。
グラウンドからほのかに草の香りがする。
空いた窓から風が勢いよく吹いて、カーテンがひらひらと宙を舞う。
校庭の隅にある一本の桜の木は今年も新年度を歓迎するように、たくさん花を咲かせている。
窓の外から教室の黒板へと視線を移す。
担任が何か言っている。
俺はそれをぼーっと眺めながら、頭の中でさっきの桜の木を思い起こす。
今年であの桜を見るのは最後だろう。
うちの学校の桜は4月にならないと咲かないから、卒業式の頃はきっと蕾もないはずだ。
あと一年、何かやり残したことがあるとすれば…いや、そんなことにエネルギーを注ぐ暇があったら勉強する方が100倍マシだ。
勉強は好きだ。やったことが身についているかは、テストでわかるし努力すれば結果につながる。
俺にとって勉強は、一種の生きがいのようなものになっている。
他に生きがいはない。

※※※

「晴日(はるひ)〜、数学の宿題見せて!」
「自分でやれよ〜、俺はお手伝いロボットじゃないんだからさ。」
へらへらと笑いながら答えると、相手は「そんなこと言うなよ〜、友達だろ?お願い!」と手を合わせてくる。
俺は押しに弱い。
机の横にかかったリュックの中から、渋々ノートを取り出す。
俺の手からさっとノートが攫われる。
「ちょっと…」
「ありがと!授業までに返すから!」
そう言って友達(仮)は去る。
もしかしたら、彼は友達ではないのかもしれない。
なんとなく笑っておけばクラスの中心にいることはできる。中学の時みたいにバカにされるのはごめんだ。
俺は机の上に置いた教科書を持って、教室のドアの外で待つ友達(仮)の集団に飛び込んだ。

※※※

春なのに気温はどんどん上がり、教室も蒸し暑い。
クーラーは点検が終わらないと使えないとかで、あるのに仕事をしていない。
3年の1学期初のLHR(ロングホームルーム)であるこの時間に、今年一年の委員会を決めるらしい。
人気なのは仕事がほとんどない環境委員や、活動期間が短い選挙管理委員とかだ。
俺はどれにもこれと言って興味はない。
落ち着いた人が多い委員会ないかな〜、なんて黒板に担任が走り書きした文字を眺める。
学級長はすんなりと決まり、人気の委員会は予想した通り、じゃんけん大会が開かれている。
残っているのは体育委員、保健委員、交通委員、進路委員…仕事が面倒なものばかりだ。
ふと、1番端に視線を向ける。図書委員が残っている。
今の俺にうってつけではないか。
図書委員会は昼休みと放課後の当番以外に仕事はない。みんな放課後に当番が入るのを避けるために選ばないが、月一回、回ってくるかこないかの当番だ。放課後も完全下校までの時間、静かな図書室のカウンターを使うことができる。
受験生にとっては実に最高の学習環境だ。
「図書委員、だれか2人立候補してくれないか?」
担任がじゃんけん大会に参加していない人を見回して言う。
俺は即座に手を挙げた。
俺と同じタイミングで手を挙げた人がいたらしい。話し合いの必要もなく、あっさり2人決まった。
黒板に出席番号と名前が書かれる。
俺と…もう一人は出席番号1番の天宮。
あまり関わったことないな。
いつもクラスの隅で本を読んでるし、休み時間は教室からいなくなる。
一体どんな人物なのか、全く掴めない。
見てるだけじゃわからないから、あとで話しかけに行ってみよう。
クラスメイトがじゃんけんで一喜一憂しているのを横目に、俺は机上に問題集を広げた。

委員会決めが終わり、教室はいつにも増して騒がしかった。
「最後、田中に負けるとか悔しすぎー」
「そういや、保健委員だれだよ?男女で一人ずつじゃん。羨ましい…。」
「女子が藍沢で、男子は野中だってー」
「うわ…野中ラッキーやん。」
「おまえら休日の藍沢見たことないだろ…ガチ可愛いからな。」
「良いじゃん、どーせ夏期合宿で私服見れるし。」
うちの学校の慣習で、夏休みには学習に特化した合宿がある。もちろん、学校で。クーラーのついた青嶺館(せいれいかん)、通称学習館と呼ばれる施設がある。そこに5日間寝泊まりして、ひたすら勉強する。
参加は任意だが、出席率は100%。意識は高いらしい。
「晴日は?委員会どれになった?」
不意に俺に質問が投げかけられる。
「…あ、えっと図書委員。」
「え?図書委員って忙しいんじゃない?」
「まあ放課後の当番も月一回、回ってくるかどうかだし。勉強できる場所に良いかなって。」
「ったく、真面目だよなー、晴日は。」
呆れたような雰囲気だが、なんだかんだで今一緒にいる人たちは要領よくなんでもこなす天才も多い。
「ペアは?図書委員って二人だったよな。」
そう聞いてくる彼は、高校2年から同じクラスで多分俺が知っている人の中で1番頭が良い、戸田岳斗(とだ やまと)だ。
「あー、たしか1番の天宮じゃないっけ?」
「1番前の端の席の?」
「うん。そうだよね?晴日。」
「俺もあんま良く知らないけど、多分1番の天宮だと思う。」
「学年に他に天宮って苗字いるんだっけ?」
さっきから'1番の'天宮と誰もが口を揃えていうから横で話を聞いていた小川(おがわ)が入ってくる。
俺もすぐには思いつかない。
「あ!雨の方の字で、雨宮がいる。文系クラスに。」
流石だ。頭の回転が速い岳斗の答えに皆、納得する。
「去年、文理混合クラスがあってさー、そんときの1番が理系の天宮優(あまみや ゆう)だったんだよな。」
「なるほどー。」
小川は納得したらしい。頷いている。
「天宮優ってどんな感じ?」
俺が尋ねると、皆黙ってしまう。
「ま、まあ話しかけてみると良いと思う。」
「同じ中学だった人とか…」
いないらしい。首を横に振っている。
そもそもどこからどうやって学校に来ているのかわからない。
学校の門が開くのは6時半から。天宮は俺がどれだけ早く着いても必ず居る。何時に着いているのだろう。
とにかく聞きたいことが多すぎる。
明日、図書委員会は放課後に集まりがある。
その時に絶対聞いてやる、と心の中で密かに決意をした。

※※※

委員会決めの翌日の放課後、俺は天宮の隣でなんとなく座っている。
ここ、図書室は教室よりも椅子の座り心地が良い。快適でまどろんでしまう。
先生から簡単な仕事を説明され、配られたプリントに書き加える。
ぼーっとしていると委員長や副委員長、会計、書記などの役職決めがすでに終わっていた。
委員長は隣のクラスの渡貫(わたぬき)になった。去年同じクラスだったこと以外に渡貫と俺に共通点はないし、関わりも少なかった気がする。
隣に座っている天宮はスケジュール帳のようなものに真剣にメモをしている。
委員会が始まる前に話しかけてみようと思ったが、勇気が出なかった。こうゆう時の話題が思いつかないのだ。
先生の話が終盤に差しかかる。
「じゃあ、とりあえず今配った紙に自己紹介書いて明日の朝までに提出な〜。俺は完全下校まで学校にいるから早めに仕上げて渡しても構わない。委員長から何かあるか?」
委員長に話を振る。
渡貫は「それでは1年間よろしくお願いします。今日はこれで解散です。ありがとうございました。」と上手いことまとめた。
下級生がゾロゾロと帰っていく。
俺は天宮に話しかけるなら今だ!と思い、とっさに口を開く。
「…あ、天宮。えっと…あの…」
なぜか言葉がうまく出てこない。
天宮は表情を一ミリも変えずに黙ってこちらを見ている。
「す、好きな本…ある?」
必死に考えた結果、それしか思いつかなかった。
しかし天宮は少しも動揺せず、少し考えてから
「推理小説。」
と答えた。
この感じだと、みんなが言うほど悪い印象じゃないけどな…。
「そっか〜、俺も小説よく読む。今の時期だと桜をモチーフにした恋愛味のある推理小説とかも面白いし…」
俺は調子に乗って語ってしまった自分を反省した。ついつい人に話したくなってしまう。
「そっか。」
そんな俺に天宮はあっさりしている。
みんなに天宮のことを聞いた時に微妙な反応をされたのは、これを冷たいと感じたからだろうか。
「そ、そういや天宮ってどこから来てるの?」
「…赤崎市。」
「遠っ!ここから電車で2時間かかるじゃん!朝何時起き?」
「3時半。」
「早い…。」
何時に寝たらそんなに早起きできるんだろう。
そもそも睡眠時間足りてるのかな。
気になることがどんどん増えていく。
どれから質問して良いか考えていると、天宮が席を立つ。
「じゃ、俺先帰るから。また明日。」
「…そ、そうだよね。気をつけて。」
なんとなく寂しい気がした。でもこれじゃあ俺が一人で舞い上がってただけみたいだ。
どうせなら知りたいことをもっと聞いてみても良いのかもしれない。
「天宮!」
俺は自分でも驚くほどの声の大きさで呼び止める。
天宮はびっくりしてこちらを振り返り、急いで俺の手を引いて図書室を後にする。

廊下に出ると、天宮は呆れたような怒ったような顔で俺を見下ろす。
俺より少しだけ身長が高いらしい。今知ったことだけど。
「バカか!」
開口一番怒鳴られる。
「…はぁ。今日は委員会があったから勉強してる人も少なかったけど、あんま大きい声出すと使用禁止処分下るから気をつけた方がいい。」
何かと思えば、めちゃくちゃ真面目じゃん!
しかも、使用禁止されるのは知らなかった。気をつけないと。
「ありがとう。」
お礼を言うと、天宮は丁寧に「どういたしまして」と返してきた。
「それで、俺を呼び止めた理由は?」
「あ…えっと…なんで、赤崎市にも同じくらいのレベルの高校があるのに、青葉東高校に来たのかなって。」
「そんなこと…まあ、確かにわざわざこっちに来る人も少ないしな。俺の場合は単純に、妹が青葉市の私立に行きたいって言ったから。」
単純なのか…?妹となんの関係があるんだろう。
「あー、妹の進学の関係と俺が絡んでるのは、親が忙しいから俺が代わりに面倒見てて。何かあったら俺が動かないといけないし、近い方が色々便利だからな。」
俺の考えてることを全部読み取って話してくれたけど、これは聞いていい話なのだろうか。
「そうなんだ…なんか、ごめん。」
「いや、そんなに謝らなくても…てか、俺の話聞いてて面白い?」
「うん。もっと聞きたいことがあるし!」
「じゃあ、一緒に帰る?」
「いいの!?…でも、電車の方向どっちだっけ?」
「途中まで一緒だと思うけど?緑ヶ丘東駅なら同じ線。」
「俺の乗り換えの駅知ってるんだ…。」
「たまに見かけてたし。さっき赤崎市がとおいとかいって遠いとか言ってたけど、そっちも遠いじゃん。」
「最寄りまでが遠いだけで電車だったら40分だから天宮と比べると全然近い。」
「電車あと5分で来るから、荷物とって来い。俺先に玄関に向かってる。」
「5分!?わ、わかった!玄関で落ち合お!」
俺は慌てて荷物を拾い上げ、図書室を出る。
廊下を高速で歩いていたら、たまたま委員会の先生に出会って、さっき書いた自己紹介カードを渡す。
今日は、なんだかラッキーだ。
玄関にいる天宮が見えて、俺は上履きを靴に履き替える。
「ごめん!遅くなった!」
「あと3分でいけるよな?」
学校は駅近だが、普通の人は3分じゃ多分着かない。
「走るぞ。」
天宮はそう言うと、颯爽と走っていく。
俺も追いつこうと必死に足を動かすが、追いつけない。
いつもクラスの隅で本ばっか読んでるし、勉強してるところしか見たことなかったけど、天宮普通に足速いし、下手したら運動部も負けてしまいそうだ。

「はぁ…あまみやぁ〜…はやいって。」
駅に着くとすぐに電車がホームに入ってくる。
俺はあたふたと改札を通過して、電車に飛び乗る。
「はぁ…はぁ…はやかった。」
「ごめん。電車間に合わないかもって思って。」
「いや、全然良いんだけど、むしろありがたいし。天宮が速すぎてびっくりしてる。運動やってるの?」
「…やってた、が正しいかな。」
「そっか。」
あまり深掘りしない方がいいかもしれない。俺はそっと頭の片隅からよぎった疑問を消した。
「あれ?そういや、妹さんは迎えに行かなくていいの?」
「うん。今日は小学校休みだから。学期初めは割と休みが多くて。高校と全然スケジュール合わない。」
天宮はそう言いながら苦笑する。
俺なんて自分のことでいっぱいいっぱいだから他の人の予定まで把握できないだろう。
しばらく沈黙が降りる。
電車の快活なリズムがその静けさを心地の良いものにしている。
窓の外はさっきまでビルが立ち並んだ都会だったが、今は辺り一面田園が広がっている。
俺の通っている青葉東(あおばひがし)高校は県立高校だが、数年前に改革が行われ、現在は進学校として有名らしい。
隣の市にある赤崎花見ヶ丘(あかさきはなみがおか)高校も同じくらい有名な進学校である。
何かと比べられがちだが、通っている生徒同士は競争しようという意識がある人は少なく、大体は一緒に助け合う友達のような認識だ。
実際、お互いの高校の中間地点にある県立図書館では勉強会が開かれていることも多々ある。
そういや、天宮って普段どこで勉強してるんだろう。平日は教室に居るが、休日は出会ったことがない。
「あ、あのさ…天宮って休日は何してるの?」
まだ質問するのはぎこちない。
けれど、最初よりはだいぶ話しやすい雰囲気になっている気がする。
天宮もあっさりしているだけで、そこまで気にならない。
教室で俺の周りにいる人達は、いわゆる陽キャというやつで騒がしい方が好きだと言っていたのを聞いたことがある。
「うーん…。地元の図書館かな。県立じゃなくて市立の。」
「そっか〜。」
「うん。青葉市にはない?」
「あるけど、俺は市営の自習室行っちゃうかも。青葉東が新しくなった時に市が作ってくれたらしくて。家から丁度いい距離だし。」
「いいな。家だとやっぱ集中できないよな。」
「うんうん。俺兄ちゃんいるんだけど、家だと電話かかってきて面倒だから。」
兄は大学四年で、ここ青葉市からは新幹線と飛行機を使わないと辿り着けないところにある国立大に通っている。
一応薬学部らしいが、あんなに高校時代遊んでいた兄ちゃんがなぜ受かったのかは、今でもわからない。
「お兄さんがいるんだ。確かに、言われてみればそんな感じする。」
「そうかな?天宮は妹さんだっけ?」
「うん。小学四年生の妹が一人。家で勉強してると妹はもれなくちょっかいかけてくるから、休日は一緒に図書館に行ってる。」
ここまで天宮と話した感じ、すごく妹思いのいいお兄さんってところだ。
表情が変わりにくいのは触れてはいけない一線がある気がして、変に詮索するのはやめておくことにしよう。

『次は緑ヶ丘〜…緑ヶ丘です。緑ヶ丘線はお乗り換えです。』

車内アナウンスが流れる。
どうやらもう乗り換えの駅に着くらしい。
いつもの30分よりも早く感じたのは、天宮と話していたからかもしれない。
初めてのことはなんでも新鮮で、好奇心に溢れているものだ。
「天宮、わざわざ一緒に帰ってくれてありがとう。また明日。」
電車のドアが開くのと同時に手を振り、俺は降りる。
電車がホームから去る時、ほんの一瞬だったが、窓から天宮が少し微笑んで手を振り返していたように見えた。
笑顔だったら普通にイケメンじゃん。
俺は少しショックのような、でもどこか嬉しい気持ちで電車を見送った。