ツンデレ彼氏のお誘い

「おい、平井(ひらい)。今から出かけるぞ」

 キッチンでえびコロを作っていると、佐伯(さえき)が後ろから声をかけてきた。手元で成形していたコロッケがぽとりとバットに落ちる。

「えっ? い、い、今、佐伯の好きなえびコロ作ってるんだけど……」

「いいから。冷蔵庫に突っ込んどけ。早く支度するぞ」

「ええーっ!」

 平井は佐伯に腕を引かれて寝室へと向かった。同棲して随分と長くなるのに、こうやって佐伯に触れられるだけで、いまだにドキドキしてしまう。

 佐伯がクローゼットの中を見渡して、ああでもない、こうでもないとコーディネートを考えている。芸能人である佐伯は普段からかっこよくてセンスがいい。

「ほら、これに着替えろ」

 佐伯が服を平井に渡してきた。佐伯は自分の服を選んでいるんじゃなかったのか……。

「えっ? 俺? 別に着替えなくても……」

「だめだ。お前はちゃんとした格好をすると、もっとまともに見える。だから、さっさと着替えろ」

 すっと目線を下にやる。チェックのシャツにジーンズ。いつもの格好だ。これが一番しっくりくるのだが、佐伯が着替えろというなら、着替えるしかない。

 渡されたのは黒い細身の光沢のあるシャツと黒のストレートジーンズ。平井がこれを着て、さまになるのか不安だ。

 着替えが済むと「早く」と佐伯から腕を引かれて、家を出た。



 向かったのは渋谷だった。渋谷という街は人が多くて苦手だ。平井がめったに足を踏み入れないこの街を、佐伯は当たり前のようにすたすたと歩いていく。平井は佐伯について行くので必死だった。

 うつむきながら佐伯の後を歩く。すると佐伯がふと足を止めた。

 顔をあげると、佐伯は行列の最後に並んでいた。

「こ、こ、ここ……」

「カフェだけど」

「わかるん……だけど」

 伏し目がちに周りを見ると、女性ばかりが目に入り、男同士の客は見当たらない。

「お前が飲みたいって言ってたフラペチーノ飲むんだぞ」

「えっ? 覚えてくれてたの?」

「当たり前じゃねえか。空き時間が今しかねえんだよ」

 佐伯は顔を赤らめながら目をそらした。耳の端まで真っ赤だ。最近は撮影が立て込んでいて、本当に空き時間が少ない。一緒に暮らしていてもすれ違いの日々だった。

 平井のことを考えてくれていただけで胸が熱くなる。できることなら今すぐ抱きしめたいが、人前ではそうもいかない。しかも佐伯は芸能人で、どこで誰に見られているかわからない。帽子とマスクで変装し、白いシャツにジーンズというシンプルな格好なのに、妙にオーラがある。きっと誰が見ても、芸能人だとバレてしまうに違いない。

 そんな後ろめたい気持ちを抱えながら順番待ちしていると、ようやく平井たちは店内に入ることができた。

 佐伯は平井が飲みたいと言ったフラペチーノをひとつだけ頼んだ。

「あれ? 佐伯のは?」

「俺はいい」

「なんで?」

「減量中だ」

「え? 言ってくれないと、俺、今日、えびコロ作っちゃったんだけど……」

「それはいい。お前のえびコロを食べた分は、ちゃんとカロリー計算するから」

 店内の奥まった、空いているテーブルに向かい合って座った。

「じゃあ、い、い、いただきます」

 恐る恐るストローに口をつけて、思いっきり吸い込む。ビターなチョコレートの香ばしい匂いとエスプレッソの苦味が口いっぱいに広がった。甘みが少なめだったので、シロップをカスタマイズしてもよかったかもしれない。

「俺にもひと口くれ」

 佐伯が平井の手からカップを奪い取った。ストローを咥えてちゅうっと吸い上げる。その唇の美しさにうっとりしてしまう。

「うまいな。甘さがちょうどいい」

 満足げに口もとを緩める佐伯の顔を見るだけで、平井もうれしくなる。

 お互いの仕事が忙しくて、最近はデートする時間が作れなかった。急なデートだったが、忙しい佐伯が平井のことを考えてくれたというだけで胸がいっぱいになる。

 やっぱり佐伯のことが大好きだ。

 カフェを後にして、駅まで歩いているとき、佐伯を横目で盗み見た。佐伯の口もとが弧を描いていた。短い時間だったが、佐伯が楽しんでくれたということがわかった。

 スクランブル交差点で信号待ちをしていると、爽やかな風が吹き抜けた。

 今度は自分が幸せな時間を作ろう。

 オレンジ色の光が、隣を歩く佐伯の横顔をより一層美しく照らしていた。