かるたの練習は那須くんの部屋ではなく、別の場所でやるらしい。
案内に従って廊下を進む。しばらく進んで、那須くんが「この部屋でいいか」と言いながら、おもむろに障子を開けた。
「うわぁ……」
そこは、広々とした畳の和室だった。
中学のときに泊まった旅館の大部屋くらいの広さがある。外に面した縁側からは、よく手入れされた庭が見えた。緑がきらきらしていて、思わず見とれてしまう。
「じゃあ、ここで練習始めるぞ」
那須くんは持ってきた百人一首の札を畳の上に裏返しで広げ始めた。オレも慌てて向かいに座り、一緒に札を混ぜる。
そこから二十五枚ずつ札を取って、互いの陣に並べていく。競技かるたは百首のうち五十枚しか使わない。それを半分ずつ自分の陣地に配置して戦うゲームだ。
札を並べながら、那須くんが静かに尋ねてくる。
「お前、たぶん覚えてる札って一字決まりと二字決まりの札なんだろ」
「そうだよ、よくわかったね」
「お前が反応する札の内容見てれば自然と気づく」
さらっと言うけど、それって相当すごいことなのでは。
決まり字というのは、競技かるたにおいてかなり重要な要素だ。簡単に言うと、上の句が何文字目まで読まれれば下の句が確定するか、ということ。一字決まりなら一文字聞いた瞬間に札がわかるし、二字決まりなら二文字目で札が確定する。
「ばあちゃんが、お前は色々考えて動くのは苦手だろうから、まず決まり字が少ない札から覚えろって」
「お前のばあちゃんは、お前のことよく分かってたんだな」
那須くんが笑った。ばあちゃんを褒められると、なんだか自分のことよりずっと嬉しい。
札を並べ終えると、十五分間の暗記時間に入る。それが過ぎたら試合開始だ。今は二人しかいないから、読み手はスマホアプリで代用する。
競技かるたの試合中は、札の音を聞き逃さないためにとても静かになる。だからこそ、札を払うときの音がよく響く。
ぱんっ。
相変わらず那須くんは速い。札を払うとき一切の迷いがないし、勢いもある。
試合の途中、ちらりと彼をのぞき見た。真剣な目で札を見据え、背筋をぴんと伸ばして座っているその姿は──男のオレから見ても、かっこよかった。
そしてそれをじっと見ているうちに、なぜか鼓動が速くなっていく。
どっ、どっ、どっ。
部屋が静かなぶん、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
あれ。……どうしてオレ、こんなに心臓が高鳴ってるんだ?
「おい間宮!」
「ひえっ、は、はいっ!」
那須くんがスマホアプリの再生を止め、ギロリとこっちを睨む。
「お前、さっき読まれた札、お前が知ってるはずの二字決まりだったのに全然反応してなかったな?」
「ご、ごめん。ちょっと那須くんの顔を見てて」
「はぁ?」
那須くんが珍しく、ぽかんとした顔でその場で固まった。
「見てたって、何それ」
「えっと、言葉のまんま。かるたしてる那須くん、かっこいいからちょっと見ちゃってた」
那須くんは俺の言葉を聞いて、やや間を開けてから呟いた。
「……お前さ、それ、本気で言ってんの?」
「本気って、何が?」
「だから、その……かっこいいとか、そういうの。普通あんま友達相手には面と向かって言わないだろ」
「そうかな。かっこよかったら別に友達相手でもオレは言うよ?」
「そう、か。……まあ、ならいいけど」
それは、那須くんにしてはどことなく歯切れの悪い言い方だった。
「とにかく、試合に集中してくれ。ほら、続き再生するぞ」
そう言って、那須くんはアプリの再生ボタンを押す。また、札が読まれ始めた。
オレは慌てて那須くんから視線を外し、意識をかるたのほうへと戻した。
◇
連続で二試合した後、ふと外を見ると縁側から差し込む光がだいぶ暗くなり始めていた。時計を見るともう五時過ぎだ。夏が近いとはいえ、さすがに陽が傾いてきている。
「そろそろ休憩するか」
那須くんが立ち上がる。オレもついて行こうとしたら、「そこで待ってろ」と止められてしまった。
那須くんが出ていった後の和室はやたらと広くて、ひとりでいると少し心もとない。畳に寝転がって天井を見上げる。木目の天井が高い。ばあちゃんの家を思い出す。
しばらくして戻ってきた那須くんの手には、二本の棒付きアイスが握られていた。なるほど、あれを取りに行ってくれてたのか。
「ほら」
手渡されたアイスを受け取る。那須くんは縁側に出て、置かれた椅子に腰を下ろした。それからオレを見て、顎で向かいの椅子を示す。座れ、ということだろう。
那須くんの向かいに座る。アイスの袋を開けながら、ちらりと彼を見た。傾きかけた日の光を横顔に受けて、いつもにましてかっこよく見える。でも、さっき友達には面と向かって言わないとか言われたから、黙っておく。
「なぁ、お前さ」
那須くんが、ぽつりと切り出した。
「今さらだけど、競技かるたの団体戦に誘ったこと……迷惑だったか?」
どこか神妙な顔つきだ。珍しい。どうしたんだろう。
オレは静かに首を振った。
「迷惑じゃないよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、お前、大変だろ。札の暗記もして、試合の練習もして、今なんてこうして、休みに泊まりがけで練習までしてる」
那須くんは、アイスに目を落としたまま続ける。
「お前、本当は無理してたんじゃないかと思って」
「無理なんてしてないよ。確かに大変なのはそうだけど、こうして那須くんと試合の練習するのは楽しいし」
「俺に勝てなくても?」
「勝てなくても、楽しいよ。そりゃあ勝てたらもっと楽しいだろうけど、オレの実力じゃまだまだだし」
開き直って告げると、那須くんは苦笑した。
「ほんと、お前ってかるたが好きなんだな」
それからふっと、那須くんの目がじっとオレを見つめてきた。その視線に、訳もなく胸が詰まる。
「実はさ」
那須くんの声はいつもより低く、静かだった。
「桧山先輩は、お前じゃなくて別の奴を団体戦に出そうって言ってたんだ。でも、俺が──試合に出すならお前がいいって、先輩に強く推薦した」
「えっ……?」
「だからお前が試合に出ることになったのは、主に俺のせいなんだ」
「な、なんで? 前に言ってた、瞬間記憶能力? みたいなのがオレにあるから?」
「それも確かに理由の一つだけど、実際にはその能力だけじゃ競技かるたでは優位に立ちづらい。競技かるたには十五分の暗記時間があるからな」
「じゃあ、どうして……」
尋ねると、那須くんがふっと表情を崩した。
今まで見たことのない顔だった。
厳しくもなく、呆れてもなく、苦笑いでもなく。ただ、やわらかい。眼鏡の奥の目がまっすぐオレを見ていて、傾いた夕日がその輪郭をぼんやりと照らしている。
知らず、心臓がどくん、と鳴った。
「白状すると」
那須くんが、アイスの棒をくるりと指で回した。
「俺が、お前と競技かるたがやりたかったんだ」
案内に従って廊下を進む。しばらく進んで、那須くんが「この部屋でいいか」と言いながら、おもむろに障子を開けた。
「うわぁ……」
そこは、広々とした畳の和室だった。
中学のときに泊まった旅館の大部屋くらいの広さがある。外に面した縁側からは、よく手入れされた庭が見えた。緑がきらきらしていて、思わず見とれてしまう。
「じゃあ、ここで練習始めるぞ」
那須くんは持ってきた百人一首の札を畳の上に裏返しで広げ始めた。オレも慌てて向かいに座り、一緒に札を混ぜる。
そこから二十五枚ずつ札を取って、互いの陣に並べていく。競技かるたは百首のうち五十枚しか使わない。それを半分ずつ自分の陣地に配置して戦うゲームだ。
札を並べながら、那須くんが静かに尋ねてくる。
「お前、たぶん覚えてる札って一字決まりと二字決まりの札なんだろ」
「そうだよ、よくわかったね」
「お前が反応する札の内容見てれば自然と気づく」
さらっと言うけど、それって相当すごいことなのでは。
決まり字というのは、競技かるたにおいてかなり重要な要素だ。簡単に言うと、上の句が何文字目まで読まれれば下の句が確定するか、ということ。一字決まりなら一文字聞いた瞬間に札がわかるし、二字決まりなら二文字目で札が確定する。
「ばあちゃんが、お前は色々考えて動くのは苦手だろうから、まず決まり字が少ない札から覚えろって」
「お前のばあちゃんは、お前のことよく分かってたんだな」
那須くんが笑った。ばあちゃんを褒められると、なんだか自分のことよりずっと嬉しい。
札を並べ終えると、十五分間の暗記時間に入る。それが過ぎたら試合開始だ。今は二人しかいないから、読み手はスマホアプリで代用する。
競技かるたの試合中は、札の音を聞き逃さないためにとても静かになる。だからこそ、札を払うときの音がよく響く。
ぱんっ。
相変わらず那須くんは速い。札を払うとき一切の迷いがないし、勢いもある。
試合の途中、ちらりと彼をのぞき見た。真剣な目で札を見据え、背筋をぴんと伸ばして座っているその姿は──男のオレから見ても、かっこよかった。
そしてそれをじっと見ているうちに、なぜか鼓動が速くなっていく。
どっ、どっ、どっ。
部屋が静かなぶん、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
あれ。……どうしてオレ、こんなに心臓が高鳴ってるんだ?
「おい間宮!」
「ひえっ、は、はいっ!」
那須くんがスマホアプリの再生を止め、ギロリとこっちを睨む。
「お前、さっき読まれた札、お前が知ってるはずの二字決まりだったのに全然反応してなかったな?」
「ご、ごめん。ちょっと那須くんの顔を見てて」
「はぁ?」
那須くんが珍しく、ぽかんとした顔でその場で固まった。
「見てたって、何それ」
「えっと、言葉のまんま。かるたしてる那須くん、かっこいいからちょっと見ちゃってた」
那須くんは俺の言葉を聞いて、やや間を開けてから呟いた。
「……お前さ、それ、本気で言ってんの?」
「本気って、何が?」
「だから、その……かっこいいとか、そういうの。普通あんま友達相手には面と向かって言わないだろ」
「そうかな。かっこよかったら別に友達相手でもオレは言うよ?」
「そう、か。……まあ、ならいいけど」
それは、那須くんにしてはどことなく歯切れの悪い言い方だった。
「とにかく、試合に集中してくれ。ほら、続き再生するぞ」
そう言って、那須くんはアプリの再生ボタンを押す。また、札が読まれ始めた。
オレは慌てて那須くんから視線を外し、意識をかるたのほうへと戻した。
◇
連続で二試合した後、ふと外を見ると縁側から差し込む光がだいぶ暗くなり始めていた。時計を見るともう五時過ぎだ。夏が近いとはいえ、さすがに陽が傾いてきている。
「そろそろ休憩するか」
那須くんが立ち上がる。オレもついて行こうとしたら、「そこで待ってろ」と止められてしまった。
那須くんが出ていった後の和室はやたらと広くて、ひとりでいると少し心もとない。畳に寝転がって天井を見上げる。木目の天井が高い。ばあちゃんの家を思い出す。
しばらくして戻ってきた那須くんの手には、二本の棒付きアイスが握られていた。なるほど、あれを取りに行ってくれてたのか。
「ほら」
手渡されたアイスを受け取る。那須くんは縁側に出て、置かれた椅子に腰を下ろした。それからオレを見て、顎で向かいの椅子を示す。座れ、ということだろう。
那須くんの向かいに座る。アイスの袋を開けながら、ちらりと彼を見た。傾きかけた日の光を横顔に受けて、いつもにましてかっこよく見える。でも、さっき友達には面と向かって言わないとか言われたから、黙っておく。
「なぁ、お前さ」
那須くんが、ぽつりと切り出した。
「今さらだけど、競技かるたの団体戦に誘ったこと……迷惑だったか?」
どこか神妙な顔つきだ。珍しい。どうしたんだろう。
オレは静かに首を振った。
「迷惑じゃないよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、お前、大変だろ。札の暗記もして、試合の練習もして、今なんてこうして、休みに泊まりがけで練習までしてる」
那須くんは、アイスに目を落としたまま続ける。
「お前、本当は無理してたんじゃないかと思って」
「無理なんてしてないよ。確かに大変なのはそうだけど、こうして那須くんと試合の練習するのは楽しいし」
「俺に勝てなくても?」
「勝てなくても、楽しいよ。そりゃあ勝てたらもっと楽しいだろうけど、オレの実力じゃまだまだだし」
開き直って告げると、那須くんは苦笑した。
「ほんと、お前ってかるたが好きなんだな」
それからふっと、那須くんの目がじっとオレを見つめてきた。その視線に、訳もなく胸が詰まる。
「実はさ」
那須くんの声はいつもより低く、静かだった。
「桧山先輩は、お前じゃなくて別の奴を団体戦に出そうって言ってたんだ。でも、俺が──試合に出すならお前がいいって、先輩に強く推薦した」
「えっ……?」
「だからお前が試合に出ることになったのは、主に俺のせいなんだ」
「な、なんで? 前に言ってた、瞬間記憶能力? みたいなのがオレにあるから?」
「それも確かに理由の一つだけど、実際にはその能力だけじゃ競技かるたでは優位に立ちづらい。競技かるたには十五分の暗記時間があるからな」
「じゃあ、どうして……」
尋ねると、那須くんがふっと表情を崩した。
今まで見たことのない顔だった。
厳しくもなく、呆れてもなく、苦笑いでもなく。ただ、やわらかい。眼鏡の奥の目がまっすぐオレを見ていて、傾いた夕日がその輪郭をぼんやりと照らしている。
知らず、心臓がどくん、と鳴った。
「白状すると」
那須くんが、アイスの棒をくるりと指で回した。
「俺が、お前と競技かるたがやりたかったんだ」

