君への恋は しのぶれど

 中に入ると、まず玄関の広さに面食らった。

 オレの自室ぐらいあるんじゃないだろうか、この玄関。靴を脱いで廊下を進むが、その廊下がまた長い。外から見た古めかしい塀の印象とは違って、室内は適度にリフォームされているらしく、照明も壁紙もずいぶん現代的だ。

 あまりに物珍しくて、ついきょろきょろと周りを見てしまう。

「ほら、俺の部屋はこっち」

 苦笑しながら那須くんが案内してくれた部屋は、意外にも和室ではなくフローリングの今時な部屋だった。ベッドと学習机があって、部屋の中央にはローテーブルと白黒のおしゃれなカーペットが敷かれている。

「荷物、適当にその辺置いていいぞ」

 言われるままにローテーブルの近くにリュックを下ろす。那須くんらしい部屋だなとは思ったけど、なんだかちょっと落ち着かない。

 そのタイミングで、コンコンとドアがノックされた。

「なんだよ」

 那須くんがちょっと不機嫌そうに答えると、ドアの向こうから明るい声が返ってきた。

「飲み物持ってきたの、開けてぇ」

 那須くんがやれやれといった様子でドアを開けると、お盆にコップを二つとお菓子を載せたエプロン姿の女の人が立っていた。年齢的に、那須くんのお母さんだろう。

「こんにちは、こんな遠いところまでわざわざ来てもらってありがとうね」

 それを見て、オレははたと気づいた。あ、そうだ。今日はお泊まりさせてもらうのだ。ちゃんと挨拶しなきゃ。

「あ、あの、今日はその、お世話になります。よろしくお願いします」

 精一杯かしこまって頭を下げると、お母さんは「あらやだ」と笑った。

「孝行が珍しく友達を連れてくるっていうから、どんな子かと思ったけど。ずいぶん可愛い子じゃない」
「え、可愛い……?」

 誰が? オレが? 

「おい母さん、こいつにあんま余計なこと言うなって」
「ああ、はいはい。じゃあ夕飯の時間になったらまた呼びに来るからね」

 そう言って、お母さんはニコニコ手を振りながら出て行った。

 那須くんのお母さん、那須くんとずいぶん雰囲気が違うんだな。そんなことを考えてボーッとしていたら、那須くんがオレを軽く小突いてきた。

「ほら、休憩したらとっとと練習に移るぞ」
「う、うん」

 慌てて、いただいた飲み物のストローに口をつける。そして飲み物を飲みながら、オレはついじーっと那須くんの顔を眺めてしまう。視線に気づいた那須くんが、飲み物を飲む手を止めて苦笑した。

「なんだよ、何か聞きたいことあるのか」
「えっと……うん。那須くんって、どうしてあんまり家に友達呼ばないのかなって。お母さん、珍しいって言ってたから」
「……お前って、わりと直球でそういうこと聞いてくるところあるよな」
「えっ、ごめん。聞いちゃいけないことだった?」
「いや、別にいいよ。お前は俺の家の噂を知らないみたいだし、説明はしとかなきゃなって思ってたから」

 那須くんはそう言って、ストローで飲み物を数回かき回した。氷がからからと小さく鳴る。

「なあ、お前、この家についてどう思った?」

 ずいぶんとざっくりした質問だ。オレは思ったままに答える。

「えっ、ええと……お金持ちの家みたいだなぁ、と」

 那須くんは軽く笑って、でも「まあ、間違いではないな」と続けた。

 そこで飲み物をかき回す手が止まった。コップの中の氷が小さくカランと音を立てて、部屋に短い沈黙が落ちる。

「実は、俺の祖父──じいさん、元ヤクザなんだ」
「ふえっ?」

 一瞬、何を言われたのかよくわからなくて、マヌケな声が出た。

「つまり……悪い人?」
「さっきからお前の語彙力、小学生みたいだぞ」

 那須くんは苦笑してから、改めて話し始めた。

「俺のじいさん、この辺りじゃそこそこ有名な暴力団の幹部だったんだ。この家は、そのじいさんから引き継いだもんだ。だからこんなに無駄に広いんだよ」

 そこで言葉を切ると、テーブルの上のお菓子を二つ取って、一つをぽんとオレに投げてきた。反射的にキャッチする。こういう時だけ反射神経は働くんだよな、オレ。

「じいさんは母方の祖父だけど──お前も見ただろ、母さんはあの通りごく普通の主婦だ。俺たち家族は、じいさんの稼業とは全く関わりがない」

 那須くんはお菓子の袋を開けながら、淡々と続ける。

「でも、世間はそう見ないんだ。特にこんな目立つ家に住んでることもあって、近所からはずっと陰口を叩かれてた。少し離れたあの高校に通うようになってからはだいぶマシにはなったんだけど、それでも俺の家のことを悪く言う奴は結構いる」

 那須くんの声は淡々としていた。ただ事実を並べているような、淡々とした声。

 その瞬間、オレの頭の中に、あの昼休みの光景がよみがえった。クラスメイトが声をひそめて、耳元で言いかけた言葉。あいつとは関わらないほうがいい。あの忠告は、この噂のことだったのか。

「ひどい」

 気づいたら、口からこぼれていた。

 那須くんは肩をすくめた。

「酷いって、俺がそのこと隠してお前をこの家に呼んだことか?」
「違うよ」

 オレはまっすぐ那須くんを見た。

「那須くんのこと、よく知りもしないで関わるなって言ってた、クラスメイトのことに──ひどいって言ったの」

 那須くんが少し目を見開いた。オレはもらったお菓子の袋を開けて、一口かじりながら続ける。

「むしろ、ありがとう。オレを那須くんの家に呼んでくれて」

 何気なく言ったつもりだった。思ったことをそのまま口にしただけだ。

 でも那須くんは、それを聞いて急に片手で顔を押さえて、そっぽを向いてしまった。

「あれ、どうしたの那須くん?」
「……いや、お前さ。ほんと無自覚に直球でそういうこと言う奴だよな」
「何のこと?」
「ああ、もう──」

 そう言い、那須くんは勢いよく立ち上がった。

「それ食べたら、とっとと練習に移るぞ!」
「は、はいっ」

 いつもの命令口調で言われ、オレは慌ててお菓子を口の中に放り込む。

 那須くんはそんなオレをただじっと見ていた。遅いと言われるかと思ったけど、彼の視線はなぜか、言葉に反してなんとなく嬉しそうに見えた。