君への恋は しのぶれど

 競技かるたは、何よりもスピードがものをいう競技だ。

 詠まれた上の句を聞いて、対応する下の句の札を取る。やること自体は普通の百人一首と一緒だ。でも、そのスピードが桁違いに速い。

 対応する札を覚えているのは、もう当然の前提。その上で選手たちは、上の句が読まれたその一文字目から素早く思考を巡らせて、瞬時に判断することを要求される。頭の回転と、反射神経。どっちも速くないと成り立たない競技なのだ。

 というわけで、札の暗記が半分しかできていないオレにとって、目下の最重要課題は当然、残りの札の暗記ということになる。

 厳しい那須くんの指導のもと、手作りの暗記カードを片手に必死で対応する札を覚えていく。それと同時に、試合の進め方にも慣れていかなきゃいけない。だから、暗記に平行して模擬試合もやっていくことになった。

 基本的なルールはいちおう把握している。もともとばあちゃんに教えてもらったことがあるし、二年生になってからは部活でも何度か試合をしたことがあったからだ。

 でも、札の暗記が不十分なオレは、当然、他の選手と対戦すればボロ負けしてしまう。

 手加減という言葉を知らない那須くんに至っては、容赦ない攻め手でなんと二十枚差をつけてきた。もはや公開処刑レベルの惨事だ。

 ところが。その結果を見て、なぜか那須くんは嬉しそうだった。

「半分しか覚えてない状態で、俺から五枚『も』取れるのか。いい意味で予想外だな」

 オレからすればとんでもなく恥ずかしいボロ負けなのに、那須くんはそれでも悪くないと思っているらしい。

 そもそも、あらかじめ桧山先輩からは、試合に対してあんまり気負いすぎないでほしいとは言われているのだ。

「もちろん、出るからにはちゃんと準備して挑んでほしいけど」

 桧山先輩は、苦笑いしながらそう言った。

「うちの部、競技かるた始めてまだ日が浅い弱小部だからさ。経験者なんて俺と那須くらいで、あとはみんな高校から始めた組だろ。正直、間宮が出ても出なくても、今年の地区大会で勝ち上がるのは難しいと思うんだ」

 だから、そんなにプレッシャーを感じなくていいからね、と桧山先輩は付け加える。その話を聞いて、オレはちょっと肩の荷が下りてホッとした。

 でも──那須くんは違った。オレと模擬試合をしたことで、なぜかボロ負けのオレに対して、妙な期待感を持ったらしい。

「せっかくなら、もっとみっちりお前を鍛えたい」

 そんなことを言われた。

 人からそんなふうに期待を向けられたのは、今までにない経験だった。なんだか胸のあたりがそわそわして、ちょっとだけドキドキした。だからオレも、つい勢いで「うん」と頷いてしまった。

 でも、現実は厳しい。地区大会まで、もう三週間もない。

 放課後の部活では、模擬試合を一戦やるのが精一杯。おまけに暗記も同時にやらなきゃいけないから、とにかく時間が足りなかった。

 そんな中、那須くんはこう提案してきた。

「お前さえよければ、今度の休み──俺の家で、泊まり込みで練習しないか?」

 ◇

 ううっ、迷ったかも……。

 スマホを片手に、同じ道をぐるぐる歩くこと十五分。地図アプリでは「目的地はすぐ近くです」と表示されているのに、那須くんの家らしい建物が一向に見当たらない。

 立ち止まって、ぐるりと周囲を見渡す。

 閑静な住宅街だ。六月に入ったばかりだけど、日差しはもう初夏を思わせる強さで、アスファルトの照り返しが顔に当たってちょっと熱い。額の汗を手の甲で拭って、オレは目元を手で覆いながらもう一度スマホの画面を確認した。

 電話をかけようか迷う。でも「駅から降りたらすぐわかる」と事前に言われている手前、迷いましたなんて言ったら確実に呆れられる。それだけは避けたい。

「おい、間宮!」
「ひええっ!」

 突然背後から名前を呼ばれて、俺は文字通りその場で飛び上がった。

 振り返ると、そこには私服姿の那須くんが立っていた。

 黒のすらっとしたパンツに、無地のTシャツ。シンプルなのに妙に様になっている。制服のときとはまた違う雰囲気で、なんかちょっとおしゃれなのが悔しい。オレなんて無難すぎる半袖シャツにジーンズだ。格差がすごい。

「お前、約束の時間になっても来ないから気になって外見たら、ずっと家の塀の外周ぐるぐるしてるのお前の姿が見えて。だから迎えに来た」

 迷っているの見られてたのか。恥ずかしさで顔が熱い。

「お前、たぶん気づいてないだろうけど、俺の家ここだぞ」
「ここ?」

 那須くんが指さした方を見て、首をかしげた。そこにあるのはずっと続いている高い塀だ。何かの建物の敷地だとは思うけど、門らしきものが見当たらない。

「入り口はこっちだ」

 那須くんがオレの前を歩き出す。慌ててついて行くと、しばらく歩いたところで塀が直角に折れた。その角を曲がって、さらに歩くと──現れたのは、お寺の門みたいな立派な入り口だった。

 門柱には表札がかかっていて、達筆な字で「那須」と書いてある。

「えっ……まさか、ここの塀の中ぜんぶが那須くんの家……?」
「そう。古い家だけど」

 那須くんは、なんでもないことのように門に手をかける。

「畳の部屋は死ぬほどあるから。かるたの練習するには、もってこいだろ」

 そう言い残して、那須くんはスタスタと中へ入っていってしまった。

 オレは目を白黒させながら、その背中を慌てて追いかけた。