「たぶんだけど、お前は瞬間記憶能力がめちゃくちゃ優れてるんだと思う」
「しゅんかん……え、何それ……?」
「つまり、目から入った情報をそのままの状態で憶えることができる才能だな」
那須くんは項垂れていた背中をすっと起こして、いつもの冷静な声に戻っていた。
「それって……すごいの?」
「すごいよ。お前にはピンとこないかもだけど、普通はそんな速さで札を見分けられない。練習でどうにかなる類でもないから、まあ、生まれつきだな」
なんだか難しいことを言われている。
でも、つまり。勘違いじゃなければ──これ、オレってば、ものすごく褒められているのでは?
そう思った瞬間、じわじわと頬が熱くなってきた。才能なんて言葉、自分に向けられたのは生まれて初めてかもしれない。抑えようとしたけど無理だった。口元が勝手にゆるむ。
「ふへっ、ふへへへっ」
「うわっ。お前、また変な笑い方してるな……」
「だって、こんなに褒めてもらったの本当に久しぶりで。嬉しくてつい」
「変な奴」
那須くんはオレの奇妙な笑い声に呆れた顔をしつつも、畳に広げたままだった札を片付け始めた。あ、手伝わないと。オレも慌てて散らばった札を集めにかかる。
集めた札をまとめて那須くんに渡したとき、彼の目がまっすぐオレを捉えた。
「お前さ、なんで百人一首の札を半分までしか覚えてないの」
「え?」
「お前のその能力があれば、札さえ覚えればかなり強くなれるはずなのに」
「えっと……それは、那須くんも今日の勉強会でわかったと思うけど、オレ、ほんと暗記が苦手で。瞬間的に見たものを覚えるのは確かに得意だけど、すぐ忘れちゃうんだ。で、思い出せなくなる」
「そうか、そうだったな」
那須くんは受け取った札を箱に戻しながら、少し間を置いた。
「じゃあ質問を変えよう。お前、どうして百人一首を半分『も』暗記できたんだ」
その言い方に、一瞬どきっとした。
「それは……」
説明しようとして、言葉が詰まった。
ふと顔を上げると、教室がすっかり真っ赤に染まっていた。畳の上にも赤い夕日が差し込んで、もう教室にはオレと那須くんのふたりしかいない。
この色を、オレは知っている。
学校から帰って、黄昏時にばあちゃんと縁側に座って過ごした、あの時間の色だ。
「オレさ、さっきも言ったけど、誰かに褒められるのがすごく好きなんだ」
唐突に切り出したせいか、那須くんが少し戸惑ったような顔をする。でも彼はオレの向かい側に腰を下ろして、ちゃんとこっちを見てくれた。話を聞く姿勢だ。
オレはそれを見て安心して、続きを話し始める。
「だから、オレが百人一首を半分覚えられたのは、それを褒めてくれる人がいたからなんだ」
「へぇ。聞いてもいいなら、それって誰?」
「オレのばあちゃん」
言ってしまえば、自然と言葉が出てきた。
「オレ、小学校のときは両親共働きで、ずっとばあちゃん家にいたんだ。ばあちゃん、すごく優しくてさ。めっちゃ好きだった」
那須くんは何も言わずに聞いている。
「で、そのばあちゃんが趣味で百人一首の教室に通ってて。それについてったとき、札をいくつか覚えたらめちゃくちゃ褒めてもらえて。オレ、単純だからさ。ばあちゃんに褒めてもらおうとして、頑張って覚えたんだ」
「なら、なんで途中でやめた?」
那須くんの声が、ほんの少し慎重なものになる。
「ばあちゃん、二年前に亡くなっちゃって」
それを聞いた瞬間、那須くんの表情が少しだけ強張る。オレはそれを見て、わざと声を明るくして続けた。
「やっぱりオレ、単純だからさ。誰にも褒めてもらえなくなったら、ぱったり覚えられなくなっちゃった。だから、オレの記憶は半分までなの」
しばらく、沈黙が続いた。
「……悪い、変なこと聞いたな」
「ううん。久しぶりにばあちゃんの話ができて嬉しかった。ありがと、那須くん」
「なんでそこでお礼を言うんだ。つくづく変な奴だな」
那須くんが苦笑いしながら立ち上がった。
「しかし、話を聞く限り、お前って本当に褒められて伸びるタイプなんだな」
「ふへへっ、そう。でも、バカすぎてあんまりその機会がないんだけどね」
那須くんは腕を組んで、少しのあいだ何か考えていた。
そして。
「なら、俺が褒めてもお前はやる気出るのか?」
「へっ?」
「俺が褒めたら、お前、残りの下の句覚える気になるのかって聞いてるんだ」
那須くんに、褒められたら。
さっきの勉強会のことを思い出す。頑張ったんじゃないのか、って。あの声と、肩をぽんぽん叩いてくれた手。
──うん。めちゃくちゃ嬉しかったな、あれ。
「うん。たぶん那須くんに褒められても、オレ、やる気出ると思う」
「そうか」
那須くんは窓の外に目をやった。眼鏡のレンズに夕焼けが反射して、その奥の表情はよく見えなかった。けど、ほんの少し見えた彼の口元は、なぜかどこか嬉しそうに見えた。
「うん、なるほど」
その「なるほど」の意味を聞き返す間もなく、那須くんは立ち上がるとオレの鞄をぽいっと放ってきた。慌ててキャッチする。
「ほら、遅くなったからそろそろ帰るぞ」
「はぁい」
「あと、明日からも当然、勉強会は続けるからな」
「うっ……は、はぁい……」
やっぱり勉強会は継続なんだ。今日は1教科しかやってないから、赤点回避を考えたら当然だけど。
けれど、不思議だ。朝にはあれほど嫌だった「勉強会」という言葉が、今はそこまで重たく聞こえない。
オレは自分の心境変化に内心で首を傾げながらも、慌てて那須くんの背中を追いかけた。
「しゅんかん……え、何それ……?」
「つまり、目から入った情報をそのままの状態で憶えることができる才能だな」
那須くんは項垂れていた背中をすっと起こして、いつもの冷静な声に戻っていた。
「それって……すごいの?」
「すごいよ。お前にはピンとこないかもだけど、普通はそんな速さで札を見分けられない。練習でどうにかなる類でもないから、まあ、生まれつきだな」
なんだか難しいことを言われている。
でも、つまり。勘違いじゃなければ──これ、オレってば、ものすごく褒められているのでは?
そう思った瞬間、じわじわと頬が熱くなってきた。才能なんて言葉、自分に向けられたのは生まれて初めてかもしれない。抑えようとしたけど無理だった。口元が勝手にゆるむ。
「ふへっ、ふへへへっ」
「うわっ。お前、また変な笑い方してるな……」
「だって、こんなに褒めてもらったの本当に久しぶりで。嬉しくてつい」
「変な奴」
那須くんはオレの奇妙な笑い声に呆れた顔をしつつも、畳に広げたままだった札を片付け始めた。あ、手伝わないと。オレも慌てて散らばった札を集めにかかる。
集めた札をまとめて那須くんに渡したとき、彼の目がまっすぐオレを捉えた。
「お前さ、なんで百人一首の札を半分までしか覚えてないの」
「え?」
「お前のその能力があれば、札さえ覚えればかなり強くなれるはずなのに」
「えっと……それは、那須くんも今日の勉強会でわかったと思うけど、オレ、ほんと暗記が苦手で。瞬間的に見たものを覚えるのは確かに得意だけど、すぐ忘れちゃうんだ。で、思い出せなくなる」
「そうか、そうだったな」
那須くんは受け取った札を箱に戻しながら、少し間を置いた。
「じゃあ質問を変えよう。お前、どうして百人一首を半分『も』暗記できたんだ」
その言い方に、一瞬どきっとした。
「それは……」
説明しようとして、言葉が詰まった。
ふと顔を上げると、教室がすっかり真っ赤に染まっていた。畳の上にも赤い夕日が差し込んで、もう教室にはオレと那須くんのふたりしかいない。
この色を、オレは知っている。
学校から帰って、黄昏時にばあちゃんと縁側に座って過ごした、あの時間の色だ。
「オレさ、さっきも言ったけど、誰かに褒められるのがすごく好きなんだ」
唐突に切り出したせいか、那須くんが少し戸惑ったような顔をする。でも彼はオレの向かい側に腰を下ろして、ちゃんとこっちを見てくれた。話を聞く姿勢だ。
オレはそれを見て安心して、続きを話し始める。
「だから、オレが百人一首を半分覚えられたのは、それを褒めてくれる人がいたからなんだ」
「へぇ。聞いてもいいなら、それって誰?」
「オレのばあちゃん」
言ってしまえば、自然と言葉が出てきた。
「オレ、小学校のときは両親共働きで、ずっとばあちゃん家にいたんだ。ばあちゃん、すごく優しくてさ。めっちゃ好きだった」
那須くんは何も言わずに聞いている。
「で、そのばあちゃんが趣味で百人一首の教室に通ってて。それについてったとき、札をいくつか覚えたらめちゃくちゃ褒めてもらえて。オレ、単純だからさ。ばあちゃんに褒めてもらおうとして、頑張って覚えたんだ」
「なら、なんで途中でやめた?」
那須くんの声が、ほんの少し慎重なものになる。
「ばあちゃん、二年前に亡くなっちゃって」
それを聞いた瞬間、那須くんの表情が少しだけ強張る。オレはそれを見て、わざと声を明るくして続けた。
「やっぱりオレ、単純だからさ。誰にも褒めてもらえなくなったら、ぱったり覚えられなくなっちゃった。だから、オレの記憶は半分までなの」
しばらく、沈黙が続いた。
「……悪い、変なこと聞いたな」
「ううん。久しぶりにばあちゃんの話ができて嬉しかった。ありがと、那須くん」
「なんでそこでお礼を言うんだ。つくづく変な奴だな」
那須くんが苦笑いしながら立ち上がった。
「しかし、話を聞く限り、お前って本当に褒められて伸びるタイプなんだな」
「ふへへっ、そう。でも、バカすぎてあんまりその機会がないんだけどね」
那須くんは腕を組んで、少しのあいだ何か考えていた。
そして。
「なら、俺が褒めてもお前はやる気出るのか?」
「へっ?」
「俺が褒めたら、お前、残りの下の句覚える気になるのかって聞いてるんだ」
那須くんに、褒められたら。
さっきの勉強会のことを思い出す。頑張ったんじゃないのか、って。あの声と、肩をぽんぽん叩いてくれた手。
──うん。めちゃくちゃ嬉しかったな、あれ。
「うん。たぶん那須くんに褒められても、オレ、やる気出ると思う」
「そうか」
那須くんは窓の外に目をやった。眼鏡のレンズに夕焼けが反射して、その奥の表情はよく見えなかった。けど、ほんの少し見えた彼の口元は、なぜかどこか嬉しそうに見えた。
「うん、なるほど」
その「なるほど」の意味を聞き返す間もなく、那須くんは立ち上がるとオレの鞄をぽいっと放ってきた。慌ててキャッチする。
「ほら、遅くなったからそろそろ帰るぞ」
「はぁい」
「あと、明日からも当然、勉強会は続けるからな」
「うっ……は、はぁい……」
やっぱり勉強会は継続なんだ。今日は1教科しかやってないから、赤点回避を考えたら当然だけど。
けれど、不思議だ。朝にはあれほど嫌だった「勉強会」という言葉が、今はそこまで重たく聞こえない。
オレは自分の心境変化に内心で首を傾げながらも、慌てて那須くんの背中を追いかけた。

