部室にたどり着くと、そこにはもう何人かの部員がいた。
床の一部に敷かれた畳の上で、部員たちは百人一首の札を並べて模擬試合をしている。部室には札を読み上げる声と、札を払う音が小気味よく響いていた。
その音を聞くと、いつもなら胸がわくわくするのに、今日は気が重い。
「すみません間瀬先生。今日も、部室の端でこいつの勉強会やっていいっすか」
那須くんが、パイプ椅子に座って練習を眺めていた先生に声をかける。オレはその背中の後ろから、こっそり様子を伺っていた。
間瀬先生。この人は、うちのかるた部の顧問であり、オレたち二年の学年主任でもある。おまけに教える教科は数学で、勉強にはめちゃくちゃ厳しい。つまり、オレにとっては色んな意味で苦手な相手だ。
「おお、もちろんいいぞ」
間瀬先生は那須くんを見て、それからちょっと首をかしげた。
「しかし、お前こそいいのか? いくら成績がいいとはいえ、テスト期間中に他人の勉強まで見るのは大変だろう」
「いえ、これくらい平気です」
那須くんはやけにきっぱり言い切った。
「それより、こいつの赤点をなんとか回避させて、無理やりにでも次の団体戦に連れて行くつもりなので」
宣言されてしまった。オレの意思は完全に無視である。
那須くんは、部室の隅に邪魔にならないよう固めてあった机と椅子を、がたがたと引っ張り出してきた。そして「座れ」と顎で示す。
オレは処刑台に上がる気分で、その椅子に腰を下ろした。
ちらりと横目で部室を見る。畳の上で本格的に競技かるたの練習をしている上級生たちのすぐ隣で、下級生たちは散らし取りで普通に百人一首を楽しんでいた。
いいなぁ。オレもあっちに混ざりたい。
そんなことを考えていたら、こつん、と頭を小突かれた。那須くんが、丸めたノートでオレの頭をはたいたようだ。
「ほら。よそ見をしてる暇が、お前にあるのか?」
「うっ……」
「今度の中間テストで赤点をひとつでも取ったら、お前を団体戦に連れて行けないんだぞ」
オレは恨めしい気持ちで那須くんを見上げた。
「そもそもオレ、競技かるたの選手じゃないのに……」
そうなのである。
オレは確かに百人一首が好きだ。でも、札の内容は半分くらいしか暗記していないポンコツでもある。そんなオレが、競技かるたの選手として大会に出られるわけがない。出たところで、みんなの前で恥をさらすのが関の山だ。
「ごめんな。急にこんなことになって、お前を巻き込んじゃって」
隣からそんな声がする。振り返ると、声をかけてきたのは桧山先輩だった。
桧山先輩は、うちのかるた部の部長だ。誰にでも気さくに声をかけてくれる優しい人で、オレのひそかな憧れでもある。
そんな先輩が、先日とつぜんオレに競技かるたの団体戦に出ないかと誘ってきたのだ。
なんでも、団体戦のメンバーだった三年の先輩が、進路の都合で急に部を辞めてしまったらしい。地区大会はもう目前。そこで白羽の矢が立ったのが、どういうわけかオレだったようだ。
もちろん、先輩のために頑張りたい気持ちはある。でも、それと同じくらい、自分のバカさ加減もよくわかっている。次の大会までに、残り半分の札できるだけ覚えて、競技かるたの細かいルールまで頭に叩き込むなんて、できる気がしない。
というか、それ以前の問題だ。オレには、札を覚えるよりずっと高い、最初の関門が立ちはだかっているのだから。
「桧山先輩が、こいつに謝る必要なんて何もないですよ」
那須くんが、先輩に向かってそう言った。
「そもそも、大会に出る条件の『テストで赤点を取らない』なんて、普通の人間なら何も難しい問題じゃないんですから」
うっ。その「普通の人間」じゃないのが、ここに一人いるんですけど。
そう、この部活には、大会に出るための条件がある。それは『テストで赤点を取らないこと』だ。顧問の間瀬先生が学年主任なものだから、部活にのめり込んで勉強をおろそかにするな、という方針なのだ。
真っ当な話ではある。真っ当すぎて、オレには一番きつい。
「ほら、泣き言を言ってないで教科書を出す! 今日は漢字の暗記を重点的にやるからな!」
「ううっ、いやだぁ~!」
思わず机に突っ伏したオレの頭を、桧山先輩がぽんぽんと叩いてくれた。
「がんばれよ」
その一言で、オレの口から、つい「フヒヒッ」と変な声が漏れてしまった。
こうやって誰かに応援してもらえるのは、好きだ。オレはポンコツすぎて、めったにこんなふうに声をかけてもらえないから。
ところが、それを聞いた那須くんが、なんとも奇妙なものを見るような顔でオレを見ていた。そしてまた、ノートでこつんと頭を叩いてくる。
「ほら。変な声で笑ってないで、勉強するぞ」
「うぐぅぅぅ、はい……」
いよいよ逃げられないようだ。オレは観念して、鞄から端がよれよれになった教科書を取り出した。
床の一部に敷かれた畳の上で、部員たちは百人一首の札を並べて模擬試合をしている。部室には札を読み上げる声と、札を払う音が小気味よく響いていた。
その音を聞くと、いつもなら胸がわくわくするのに、今日は気が重い。
「すみません間瀬先生。今日も、部室の端でこいつの勉強会やっていいっすか」
那須くんが、パイプ椅子に座って練習を眺めていた先生に声をかける。オレはその背中の後ろから、こっそり様子を伺っていた。
間瀬先生。この人は、うちのかるた部の顧問であり、オレたち二年の学年主任でもある。おまけに教える教科は数学で、勉強にはめちゃくちゃ厳しい。つまり、オレにとっては色んな意味で苦手な相手だ。
「おお、もちろんいいぞ」
間瀬先生は那須くんを見て、それからちょっと首をかしげた。
「しかし、お前こそいいのか? いくら成績がいいとはいえ、テスト期間中に他人の勉強まで見るのは大変だろう」
「いえ、これくらい平気です」
那須くんはやけにきっぱり言い切った。
「それより、こいつの赤点をなんとか回避させて、無理やりにでも次の団体戦に連れて行くつもりなので」
宣言されてしまった。オレの意思は完全に無視である。
那須くんは、部室の隅に邪魔にならないよう固めてあった机と椅子を、がたがたと引っ張り出してきた。そして「座れ」と顎で示す。
オレは処刑台に上がる気分で、その椅子に腰を下ろした。
ちらりと横目で部室を見る。畳の上で本格的に競技かるたの練習をしている上級生たちのすぐ隣で、下級生たちは散らし取りで普通に百人一首を楽しんでいた。
いいなぁ。オレもあっちに混ざりたい。
そんなことを考えていたら、こつん、と頭を小突かれた。那須くんが、丸めたノートでオレの頭をはたいたようだ。
「ほら。よそ見をしてる暇が、お前にあるのか?」
「うっ……」
「今度の中間テストで赤点をひとつでも取ったら、お前を団体戦に連れて行けないんだぞ」
オレは恨めしい気持ちで那須くんを見上げた。
「そもそもオレ、競技かるたの選手じゃないのに……」
そうなのである。
オレは確かに百人一首が好きだ。でも、札の内容は半分くらいしか暗記していないポンコツでもある。そんなオレが、競技かるたの選手として大会に出られるわけがない。出たところで、みんなの前で恥をさらすのが関の山だ。
「ごめんな。急にこんなことになって、お前を巻き込んじゃって」
隣からそんな声がする。振り返ると、声をかけてきたのは桧山先輩だった。
桧山先輩は、うちのかるた部の部長だ。誰にでも気さくに声をかけてくれる優しい人で、オレのひそかな憧れでもある。
そんな先輩が、先日とつぜんオレに競技かるたの団体戦に出ないかと誘ってきたのだ。
なんでも、団体戦のメンバーだった三年の先輩が、進路の都合で急に部を辞めてしまったらしい。地区大会はもう目前。そこで白羽の矢が立ったのが、どういうわけかオレだったようだ。
もちろん、先輩のために頑張りたい気持ちはある。でも、それと同じくらい、自分のバカさ加減もよくわかっている。次の大会までに、残り半分の札できるだけ覚えて、競技かるたの細かいルールまで頭に叩き込むなんて、できる気がしない。
というか、それ以前の問題だ。オレには、札を覚えるよりずっと高い、最初の関門が立ちはだかっているのだから。
「桧山先輩が、こいつに謝る必要なんて何もないですよ」
那須くんが、先輩に向かってそう言った。
「そもそも、大会に出る条件の『テストで赤点を取らない』なんて、普通の人間なら何も難しい問題じゃないんですから」
うっ。その「普通の人間」じゃないのが、ここに一人いるんですけど。
そう、この部活には、大会に出るための条件がある。それは『テストで赤点を取らないこと』だ。顧問の間瀬先生が学年主任なものだから、部活にのめり込んで勉強をおろそかにするな、という方針なのだ。
真っ当な話ではある。真っ当すぎて、オレには一番きつい。
「ほら、泣き言を言ってないで教科書を出す! 今日は漢字の暗記を重点的にやるからな!」
「ううっ、いやだぁ~!」
思わず机に突っ伏したオレの頭を、桧山先輩がぽんぽんと叩いてくれた。
「がんばれよ」
その一言で、オレの口から、つい「フヒヒッ」と変な声が漏れてしまった。
こうやって誰かに応援してもらえるのは、好きだ。オレはポンコツすぎて、めったにこんなふうに声をかけてもらえないから。
ところが、それを聞いた那須くんが、なんとも奇妙なものを見るような顔でオレを見ていた。そしてまた、ノートでこつんと頭を叩いてくる。
「ほら。変な声で笑ってないで、勉強するぞ」
「うぐぅぅぅ、はい……」
いよいよ逃げられないようだ。オレは観念して、鞄から端がよれよれになった教科書を取り出した。

