恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 そのあとも合コンは続いた。

 桐生さんは佐々木さんに捕まっていて、私と話すことはもうなかった。
 もちろんほかの誰からも声はかからない。まあ、これは予想通りだ。

 だいたい桐生さんが変なんだよ。あんなふうに話しかけてくるなんて、想定外だった。

 そういえば……川本さんも少しおかしかった。
 私のことを可愛いとか、なんとか。酔っていただけだと思うけど。
 最初はベタベタしてきて驚いたけどそれきり近寄ってこなかった。正気に戻れば私なんて眼中にない、そういうものだ。

 にぎやかな声を横目に私はひとり静かに食事を味わっていた。
 結局その後も何事もなく、合コンはお開きになった。


 店の前で簡単に挨拶を済ませ、私はさっさと背を向ける。
 視界の端では、佐々木さんが桐生さんに話しかけていた。少しだけ気になるけれど私には関係ない。

 料理は美味しかったし、満足だ。
 それに……桐生さんの意外な一面も見られた。それだけで収穫だった。

 なんでかな。ほんの少しだけ、嬉しい。

 彼の顔がふっと浮かび胸がトクンと鳴る。
 あれ? なに、これ。

 違和感を覚えながら一歩踏み出す。
 もうすっかり夜だ。店の灯りのおかげでこの辺りは明るいけれど、少し歩けば薄暗い道もある。
 早く帰ろう。

 雑踏の中、駅へ向かって足早に歩く。
 飲み会帰りらしいほろ酔いの人たちや、寄り添う恋人たちとすれ違いながら進んでいった。

 数十メートルほど歩いたところで、後ろから声がした。

「待って!」

 ん?
 この声は。

 振り返る。駆け寄ってくる人影が目に入った瞬間、目を見開いた。

「き、桐生さん!?」

 なんで、彼がここに。

 目の前で足を止めた桐生さんは軽く息を整え、ちらりと私を見てから視線を逸らす。

「えーと……駅まで、一緒にいい?」

 その表情は、どこか照れているように見えた。



 そして、なぜか私は桐生さんと肩を並べ、夜の街を歩いていた。
 横に視線を向ければ、すぐそこに彼がいる。

 なんで?
 疑問が次々と浮かぶ。
 さっき別れたばかりだよね。佐々木さんに誘われていたはずなのに。どうして桐生さんはここにいるんだろう。

 歩きながら考え込んでいると、彼がぽつりと口にした。

「さっきは、ごめん」

 突然の謝罪に、足取りが一瞬鈍る。
 驚きと戸惑いが入り混じったまま、彼を見上げた。

「え? な、何がですか?」

 謝られるような心当たりはない。

「いや、途中で佐々木さんと話すことになってしまってさ。
 その後もずっと、君を一人にしてしまったから」

 ばつが悪そうに眉をひそめる桐生さんに、ああ、そのことかと気づいた。

 たいしたことじゃないのに、謝らなくてもいいのに。
 やっぱり優しい人だ。

 それに、なんだか不思議な人。

「ぜんぜん平気です。
 それに、誰と話そうが自由ですし。佐々木さんは綺麗ですから」

 口にしてから少しだけ後悔した。
 声の調子が、ほんのり嫌味っぽかったかもしれない。

「そうかなあ。俺はどっちかと言えば、望月さんのほうが好みだけど」

 思わず足が止まる。彼も同じように足を止め、視線がぶつかった。

 そのまましばらく見つめ合う。

 いま、なんて? なにか聞こえた気がする。
 でも落ち着け。これはきっと、社交辞令みたいなものだ。

 そう思い直し、前を向いて歩き出す。

「はは、冗談ばっかり。誰にでも同じようなこと言ってるんですか?
 桐生さんって口がうまいなあ」

 笑い飛ばすように言うと、彼もまた肩を並べてきた。

「ちがうよ。本当に望月さんのこと素敵だなと思って。
 いつも仕事まじめに頑張ってるし、周りのこともちゃんと見てる。それに、とても優しいしね」

 足は止めなかったけれど、瞬きを繰り返す。喉の奥が少しだけ詰まった。

 なにを言いたいんだろう。
 私を褒めて、何か得があるのかな。

 ああ、もしかして仕事だ。頼みたいことがあって、気分を良くさせようとしているのかもしれない。

 そう結論づけた私は軽く頷いた。

「そういうことですか。仕事の話ですね、了解です。
 何か頼みがあるなら、また職場で聞きます。私にできることなら何でもしますから」

 にこりと微笑み返す。

「え……いや、そうじゃなくて」

 桐生さんが何か言いかけたけれど、私は言葉を重ねた。

「あ、駅が見えました。急いでるので、これで!」

 軽く会釈をして、そのまま駆け出す。

 ヒールの低い靴で助かった。
 もともとハイヒールなんて履いたことはないけど、こういう時は本当にありがたい。

 雑踏を縫うように走り、駅へ駆け込む。
 振り向かずに改札を抜けると、ちょうど電車がもうすぐ到着するというアナウンスが流れた。
 私は急いでホームへ下りた。
 焦っていたせいか、途中で何度か人にぶつかりそうになりながらも、なんとかすり抜けて進む。

 間もなく電車が到着し、そのまま飛び乗った。


 車内で、ほっと息を吐く。
 夜の冷え込みで冷えた体に、車内のあたたかさがじんわりと染みていった。

 窓の外、流れていく街の灯りを見つめていると、ふと桐生さんの顔が浮かんだ。

 ちょっと失礼だったかな。あんな去り方。
 明日も会社で会うのに、気まずいなあ。

 でも、あのまま桐生さんと二人でいることが、どうしてもできなかった。
 理由はよくわからない。ただ、無性に逃げたくなった。

 なぜ彼があんなに褒めてくれたのかはわからない。
 でも私は、ああいう台詞に免疫がなかった。好意があるようなことを言われるのは反則だ。

 そういうことに慣れている女性ならともかく、私はだめだ。すぐに本気にしてしまう。

 桐生さんみたいなモテる男性にとっては、よくあることなのかもしれない。軽い挨拶のようなものなのかも。

 でも、私にはそうじゃない。

 昔、何気ない一言を真に受けて、痛い目を見たことがあった。
 相手は深い意味なんてなかったのに、私だけが期待してしまった。

 いつもそうだ。期待しても、苦しくなるだけ。
 だから私は、その前に予防線を張るようになった。どんな言葉を向けられても、優しくされても、きっと違うと自分に言い聞かせる。鵜呑みにしない。

 それでいい。それがいい。
 もう、あんな思いはしたくなかった。

 きっと桐生さんだって、本気で私のことをいいなんて思っていない。少し持ち上げてくれただけ。
 彼は優しい。
 ああいう言葉を、さらりと言える人なんだ。

 そう思うのに、胸がドキドキして落ち着かない。
 桐生さんのことが頭から離れなかった。

 やめて、心を乱さないで。
 また勝手に期待して、同じことになるだけだ。

 忘れよう、今日のことは。きっと私の思い違いだから。

 呪文のように心の中で唱えながら、私はその日、眠りについた。