恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 なぜかわからないけれど、それからずっと桐生さんと私はふたりで話していた。

 私の前の席には誰もいないし左側は出入口で席はない。さっきは川本さんが強引に座ってきただけで、今は右側に桐生さんがいるだけだ。
 彼の向こう側では、みんな楽しそうに会話して盛り上がっている。
 私たちふたりだけ、まるで蚊帳の外……。

 不思議に思いながらも、少し小腹が空いてきた。
 少し離れたところにあるサラダを取ろうとして腰を浮かせる。

「俺が取るよ」

 さっとサラダボウルを引き寄せ、桐生さんが小皿に取り分けてくれた。

「はい」

 爽やかな笑顔とともに差し出されるサラダ。
 その無駄のない動きに目を奪われる。

 ……な、慣れてる?

「ありがとうございます」

 素直に受け取り、ぺこりと頭を下げる。
 彼はにこりと微笑んで、

「俺も食べようかな」

 自分の小皿にもサラダをよそい美味しそうに口に運んだ。

 私も一口、ぱくり。

「……おいしいっ」

 新鮮な野菜に、クリーミーなドレッシング。
 これは、いける。私好みの味だ。

「ね、おいしいよね。そういえば、ここの料理って結構評判いいんだよなあ」

 嬉しそうに話しかけてくる彼に私は小さく愛想笑いを返す。

 さっきからやけにフレンドリーだけど……。
 会社では、ほとんど話したことないよね?

 というか、こんな人だったんだ。もっと無口でクールなのかと思ってた。
 だって会社では、あまり笑顔を見せないし。

 女性社員に対しても冷静で、変に浮つくこともない。人気があってモテるのに、それにおごる様子もなかった。

 まあ、慣れてるってことなんだろうけど。

「あのさ、さっきの話なんだけど……」

 探るような視線を向けられて戸惑う。
 さっき? なんだっけ。

「彼氏いないって、本当?」

 なんだ、そのことか。

「はい、いませんよ。いけませんか?」

 さっきも思ったけど……なんでそんなに気にするんだろう。
 二十六歳の女性に彼氏がいないのってそんなにおかしい? それって、偏見だ。

「そっか……」

「なにか?」

 少し棘のある言い方になってしまった。
 すると、桐生さんが慌てたように首を振る。

「あ、いや。ごめん。変なこと聞いて」

 そう謝って、一呼吸おいてからまた口を開いた。

「えっと、望月さんっていつも就業後すぐ帰ってるけど、何かやってるの?
 趣味ってなに?」

 なんでこんなことばかり聞いてくるんだろう。
 私は訝しげに彼の顔を見つめた。

「あ……えーと、聞いてばかりで失礼だよね。
 そうだ。俺は動物が好きなんだ。犬を飼ってる」

 その言葉に思わず反応してしまう。

「犬、飼ってるんですか?」

 急に食いついた私を見て桐生さんがふっと頬を緩めた。

「まだ飼い始めて半年だけど。可愛いよ」

 にこりと笑ったその顔が意外にも幼く見えてドキッとする。
 イケメンって、笑うだけで破壊力がすごい。

 ……いや、それより。

「どんな子ですか?」

 前のめりになって聞いていた。
 なにを隠そう、私は大の動物好きだ。特に犬には目がない。

「トイプードルだよ」

 そう言って桐生さんはポケットからスマホを取り出し、犬の画像を見せてくれた。

「か、かわいい~」

 画面に釘付けになる。
 ふわふわの薄茶色の毛に包まれた、小さな子犬。まん丸な目がきらきら輝いていた。

 今すぐ、抱きしめたい。

「よかったら、今度見に来る?」

 さらりと自然な流れで言われた。

「え! いいんですか?」

 考えるより先に言葉が口から出ていた。
 けれど、ふと我に返る。
 ……待って。今のって、どういう意味?

 じっと見つめると、彼と目が合う。

「えっと……」

 桐生さんは視線を彷徨わせ、少し言葉に詰まる。

「あー! さっきから二人で何してるんですかあ?」

 背後から顔を覗かせたのは、私を合コンに誘った佐々木さんだった。

 頬をほんのり赤らめ、ジト目でこちらを見る。
 その目には見覚えがあった。

 ――しまった。
 桐生さんと話しすぎたかもしれない。

 佐々木さんは、桐生さんに向かって甘えるような声を出した。

「ね、桐生さん。今度は私とお話しましょうよ」

 そう言いながらそっと彼の腕を取って寄り添う。まるで恋人みたいに密着していた。

 うわっ、大胆……。
 私には一生無理だ。というか、そもそもそんなことをする相手がいない。

「え? ああ、そうだね」

 桐生さんは一度こちらに視線を向けた。
 けれど、すぐに佐々木さんの方へ顔を戻す。

 ほんの一瞬の表情の動き。
 それだけでわかってしまった。

 桐生さんは、私に「ごめんね」と言ったのだ。声にしなくても伝わる。

 私は昔から、人の気持ちを察するのが妙にうまかった。
 常に顔色ばかり伺ってきたせいで、そこだけ鋭くなってしまったみたいだ。いいのか悪いのか……。

 自嘲気味に笑いながら彼からそっと視線を外す。

 それにしても、桐生さんっていい人だな。
 私のことなんて気にしなくていいのに。さっきまで話してくれていたのも、きっと優しさからだ。ひとり取り残される私を気遣ってくれていた。

 そういう子を、放っておけない性分なんだろう。

 だって、あの桐生さんだよ。
 人気もあって、仕事もできて、非の打ちどころのない男性が。

 私なんかを相手にするわけがない。

 それに、どうやら佐々木さんが狙っているみたいだし。私は遠慮してひとりで過ごすとしよう。
 そう決めて、残りの時間は端の席で静かに食事に集中した。