恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 彼は散らばった資料を黙々と拾い集め、それを一緒に倉庫まで運んでくれた。
 作業を終えると、気遣うようにこちらを見てふわりと優しく笑いかけてくる。

「ね、ちょっと話さない?」

 その笑顔がやけにまぶしい。
 本当に土岐くんって、癒し系だよね。

 朝からいろいろあって疲れていたし、すぐにあの部署へ戻る気にもなれなかった。
 だから、少し迷ってからその誘いに頷いた。


 向かったのは会社の中に備えられている喫茶店だった。
 社内にそんな場所があるなんて、最初に知ったときは驚いた。

 私の勤めている会社はかなりの大手企業。
 資金にも余裕があるのだろう。社員のために、こんな立派な喫茶店まで用意し、きちんと経営しているのだから。

 喫茶店は社内の中間地点に位置している。五十階建ての高層ビルの、ちょうど真ん中の二十五階。誰でも立ち寄りやすいように、という配慮なのかもしれない。

 シックな店構えでカウンターの中には、マスターらしき人がひとり。ほかにも数人の店員さんがいて、社内とは思えないほど本格的な雰囲気だ。

 コーヒーが美味しいと評判の店で、私も何度か飲んだことがある。
 たしかに、評判どおりだった。でも、けっこうなお値段がするから、普段はなかなか手が出ないけど。

 店に入ると、ふわりとコーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐった。

「僕が奢るよ」

 さらっと言われて断る間もなく、彼は注文を済ませてしまう。

 コーヒーを手に、ふたりで窓際の席に腰を下ろした。

「ありがとう。いただきます」

 そう言うと、土岐くんはいつものようにやわらかな笑みを返してくれた。

 なんでだろう。土岐くんってほんとに不思議。
 一緒にいると、力が抜けて、自然体でいられる。

 こうして奢ってもらうことだって、普段の私ならどうにか理由をつけて断っているはずなのに。
 彼の好意だと思うとすんなり受け入れてしまう。

 これも、土岐くんが(まと)っている癒しオーラのせいなのかもしれない。
 そっとコーヒーを口に含むと、あたたかな液体が喉を通りほっと息がつけた。
 さっきまで抱えていたもやもやも、少しずつ薄れていく気がする。

 カップを置いたところで、土岐くんが口を開いた。

「さっきの怪我、大丈夫だった? もう痛くない?」

 心配そうに眉をひそめている。

「……ええ。もう平気。ありがとう」

 本当に優しい人だな、と思う。考えてみれば、今日もまた助けてもらっている。

「ごめんね、いつも。情けないとこばかりで」

 ほんと、こんなのばっか。
 自嘲気味に笑うと、土岐くんが少し前のめりになった。

「そんなことない! 望月さんはすごいよ。
 あんなことをされても、なにも言わず、やり返したりもしない。
 いつも耐えて、それでも笑ってる。
 それって、本当に強くて、優しい人にしかできないことだと思う」

 ふわりと浮かべた彼の笑顔がまぶしくて、胸が小さく跳ねた。

 か、可愛い……相変わらず。

 今は会社での格好だから、地味で目立たない。眼鏡をかけているせいで分かりにくいけど、ふとした仕草がいちいちずるいんだよね。

 眼鏡の奥の眼差しも澄んでいて、とても綺麗で――。

「望月さん?」

 ぼんやり見惚れていると、彼が不思議そうに首をかしげた。

「あ、ごめん! そ、それで話って?」

 ああ、恥ずかしい。じっと見過ぎた。
 視線を泳がせながら、慌てて話題を戻す。

 さっき、彼は話があるようだった。いったいどんな話なんだろう。

 そっと視線を戻すと、土岐くんは目を伏せ、どこか言い出しにくそうにしていた。
 探るような視線を向けながら、ぽつりと訊いてきた。

「あの……桐生さんとは、うまくいったんだよね?」

 その言葉に、はっとする。

 そうだ。まだ土岐くんにちゃんと報告していなかった。
 桐生さんの誤解を解いてくれたのは、彼なのに。

「うん、そうなの。
 土岐くんのおかげで、桐生さんの誤解が解けたんだ。ありがとう。
 ……それに、彼と両思いになれて」

 言い終えた途端、頬が熱くなる。やっぱり口に出すと恥ずかしい。

 でも、どうしても伝えておきたかった。
 土岐くんのおかげで、桐生さんと想いが通じ合えたんだから。

 少しのあいだ、沈黙が落ちる。

 あれ? 黙り込んでしまった彼が気になり、そっと様子をうかがった。

 うつむいたままで、表情がよく見えない。

「……そっか。よかった。おめでとう」

 そう言って土岐くんは、いつもの笑顔を浮かべた。
 気のせいだろうか。ほんの一瞬、影が差したように見えたけど。

「ぜんぶ土岐くんのおかげだよ。本当にありがとう。
 なんだか、いつも助けられてばっかりで。どうやってお礼をすればいいか……」

「お礼なんていらないよ。
 望月さんが幸せなら、それでいいんだ」

「え?」

 思わず目を見開く。

 それってどういう意味?
 いや、深い意味なんてない。土岐くんは、ただ優しいだけ。

「でも、気を付けた方がいいかも」

 急に、彼の視線が鋭さを帯びた。静かに念を押すような口調に背筋が伸びる。

「桐生さん、すごく女性から人気があるから。
 もし付き合ってることが(おおやけ)になったら、嫌がらせを受けるかもしれない」

 言われて、自然と頷いた。

 ……そう。わかってる。
 今日の出来事も無関係じゃないだろう。

 あの女性たちの態度も、全部つながっている気がする。

 考え込んでいると、土岐くんが少しだけ声をひそめた。

「気づいてるかもしれないけど……
 今日、女性たちから、その、いろいろされたでしょ?」

「う、うん」

 それは、間違いなく。されまくった。

 彼は一度視線を泳がせてから、意を決したように告げる。

「噂になってる。……昨日、ふたりがキスしてたって」