恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 その日は、なんだかんだで桐生さんを避け続けた。
 できる限り距離を取り、視界に入らないように動く。フロアを歩くときも無意識に彼のいない方を選んでいた。

 とはいえ仕事は無視できない。
 業務の用件で話しかけられたときだけ、必要最低限の返事をして、すぐにその場を離れる。
 彼がこちらへ向かってくる気配を感じた瞬間には、理由をつけて背を向け、足を速めた。

 それの繰り返しだった。

 それでも桐生さんは優しかった。
 これだけあからさまに避けていれば、気づかないはずがないのに。無理に距離を詰めてくることはなかった。

 短気な人や気遣いのできない男性なら、強引に話しかけてくるだろう。
 でも彼は、そういうタイプじゃない。さすがだ。

 ただ時折、ふいに目が合うと――せつなそうな瞳でこちらを見てくることがあった。

 何度か声をかけようとする気配も感じた。そのたびに自然を装ってかわす。
 書類に視線を落としたり、別の用事を思い出したふりをして、その場を離れた。

 こういうの得意なんだよね。
 さりげなく人から距離を取ったり、存在感を薄くしたり。
 小さい頃から身についた癖みたいなものだった。

 でも、本当はわかっている。こんな関係のままじゃ駄目だって。

 わかっているのに、体が反応してしまう。
 彼と真正面から向き合うのに耐えられず、どう接すればいいのかわからなくて距離を取ってしまう。
 そんな日々が、静かに続いていった。


 * * *


 そして日曜日がやってきた。今日は土岐くんとの約束の日。

 天気は快晴だった。
 窓を開けると、爽やかな日差しとあたたかな風が部屋に流れ込んでくる。

「さて……と」

 そろそろ出掛ける準備を始めないと。

 軽く化粧を済ませ、クローゼットを開けた瞬間、私は動きを止めた。

 女の子らしい服が、ない。
 というか、男性と出掛けるための服なんて、そもそも持っていなかった。

 普段は一人で出掛けることばかりで、誰かと一緒に過ごすなんて滅多にない。
 ましてやデートなんてしたことが――

 ――って、違う。デートじゃない。
 ちょっと付き添うだけでしょ。妹さんのプレゼントを選ぶだけなんだから。

 そう、そうよ。落ち着け、私。

 しかたなく、いつもの服に手を伸ばす。

 少しダメージのあるジーンズに、真ん中に可愛いキャラクターが描かれた白いTシャツ。その上からカーディガンを羽織る。
 鏡に映る自分を見て、小さく「うーん」と唸った。

 こ、これでいいのか……よくわからない。
 でも、まあいいか。いつも通りで。

 だって、デートじゃないし。

 そう結論づけた私は、そのままの格好でバッグを掴み家を出た。



 待ち合わせは駅前だった。
 日曜日の午後ということもあって、広場は多くの人でにぎわっている。

 カップルに友達同士、親子連れの姿もちらほら。
 みんな笑い合っていて楽しそうな雰囲気に満ちていた。

 そんな空気に包まれていると、不思議とこちらまで気が緩み自然と頬がゆるんでしまう。

「土岐くんは……」

 周囲を見回してみたけれど、まだそれらしい姿は見当たらない。
 どうやらまだ来ていないらしい。

 春とはいえ、陽ざしの下に立っていると少し暑い。涼しさを求めて日陰を探し、木陰になったコンクリートの縁に腰を下ろした。

 ここで待っていよう。

 ぼんやりと人波を眺めていると、ふと、ある姿が脳裏に浮かんだ。
 トクン、と胸が小さく鳴った。

 ……桐生さん。

 まだ、きちんと向き合えていない。
 あんなに真っ直ぐに向かってきてくれる彼に対して、私は避けてばかりだ。

 ほんと、情けない。

 いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。このままだと、どんどん気まずくなっていくってわかっているのに。
 うーん、いったいどうしたらいいんだろう。

「望月さん」

 突然、名前を呼ばれビクッと肩が揺れた。
 振り返ると、そこには爽やかなイケメンが立っていた。

「え?」

 ……だ、誰?

 見覚えはない。それなのになぜか目を逸らせなかった。

 やわらかな髪が風に揺れ、大きな瞳がまっすぐこちらを見ている。
 透き通るような白い肌は陽ざしに映えて、現実味がないほど綺麗だった。

 天使みたい。

 少し大きめのシャツにニットベスト。足元は白いスニーカーで、腰には小さなショルダーバッグ。
 気取っていないのに、やけに様になっている。

 ……モデル? 芸能人?

 ぼんやり見つめていると、その男性が照れたように微笑んだ。

「望月さん、どうしたんですか? 僕、土岐です」

 その言葉に、私は固まった。

「えーーー!」

 目を剥くと、彼も驚いたようにこちらを見返してきた。

「え、え! 土岐くんなの?
 だって、全然ちがうじゃない」

「……ああ。いつもは、眼鏡してますもんね」

 彼は軽く笑ったけれど、そんな問題じゃない。

 普段の彼は、大人しくて、眼鏡をかけていて、少し俯きがちで、
 どこか影の薄い印象だった。服装も地味で、垢抜けた雰囲気はなかった。

 ……いや、それは失礼か。

 でも、やっぱりこれは、見違えるほどの変身だ。

「望月さんも、普段と印象が違いますね」

 そう言われ、私は自分の服装を見下ろした。

 しまった。
 もう少しお洒落してくるべきだったかも。
 まさか、彼がこんなに格好いいなんて思っていなかった。
 隣に並ぶの、ちょっと恥ずかしい。

「あ、その……ごめんなさい。
 お洒落とか、してこなくて……」

 申し訳なさが先に立って、ぺこりと頭を下げる。

「何言ってるんですか? そのままですごく可愛いですよ。望月さんって感じで」

 可愛い――その言葉は素直に嬉しい。
 いや、お世辞かもしれないけれど。

 でも、私らしいって……。

 ああ、そうか。質素な格好が、私らしいって意味ね。

 土岐くんは褒め上手だなあ。
 自嘲気味に笑っていると、彼が穏やかな声で言った。

「さ、行きましょう」

 歩き出すと、通りすがる女性たちがちらちらと彼を見つめていく。

 わかる。
 私も、さっきまで見惚れていたから。

 まさか、彼がこんなふうに変わるなんて思わなかった。
 ……なんで会社では、あんなに地味な姿をしているんだろう。