赤羽駅から五分ほど離れた商店街の中にあるオフィスで電話が鳴り響いていた。カチカチとタイピング音があちらこちらで協奏曲を奏で、編集者たちが方々で情報交換と称した雑談に興じている。
想実はティーバッグの紅茶を自席で飲みながら、今しがた自分が書いた文章を読み直していた。バイトでこの職にありついたばかりのころは、文章が硬すぎると編集長に怒られてばかりだったが、少しは読者に寄り添える文章が書けるようになってきただろうか。というか、そう思いたい。
「涼木さーん、明日の取材の件、打ち合わせいい?」
「はい、古賀さん。王子神谷のインテリアのお店の斜向かいにあるラーメン屋でしたよね」
想実は手帳とペンを手に取ると、席を立つ。そして、先輩である古賀のいる会議スペースの方へと彼女は足早に向かっていく。
「そうなの。人気店だから、五回目の挑戦でどうにか取材の枠、捩じ込んでもらえてさ。ようやく、うちらの熱意が認められたっていうか。だから、明日、絶対、ポカとかしないでよね。そんなに時間も取ってもらえないし」
「は、はい……頑張ります……」
古賀の言葉にプレッシャーがずしんとのしかかる。人気店のラーメンが経費で食べられるのは純粋に嬉しいが、プレッシャーが胃もたれより重い。
「それはそうと、涼木さん、この仕事何ヶ月目だっけ? 慣れた?」
「三ヶ月目です。まだ不慣れなことも多いですけど、毎日現場で学ばせてもらっています」
想実があの決断をした日から、季節が二つ巡った。イオが書いた作品でのデビューは辞退したものの、今でも想実は休みの日に時間を見つけて文章を書き綴っていた。――あの日の寺瀬の言葉が道標のように、想実の心を照らしてくれていた。
正直、生活の百パーセントを執筆に注げていたころと比べて筆の進みは芳しくはない。それでも、せめて年に一度だけでもどこかの賞に作品を応募できればと思っていた。
諦めなければ、夢はきっと叶う。いつか自分に順番が巡ってくるのだと今の想実は思っている。――いつかそのときが来れば、自分はシンデレラのようにスターダムを駆け上がるのだと。
――想実がどれだけ努力していたか、ボクは知ってるよ
ふとしたときに、イオの言葉が思い出される。自分への想いを拗らせてしまいこそしたが、彼は確かに間近で自分のことを見てくれていた。高い壁に挑みかかるのを見守っていてくれた。
イオへと恥じないようにも、自分はどれだけ無様だとしても挑み続けよう。ふいに想実の口の端が上がる。古賀はそんな想実を怪訝そうに見ていた。
「涼木さーん、そろそろ今日の取材行くよー」
オフィスの入り口から男性編集員の声がかかる。壁の時計を見れば午前十一時五十分を指していた。失礼します、と想実は会釈をすると立ち上がり、その場を辞す。
「堀江さん、今日はどこの取材でしたっけ?」
「韓国料理屋さんだよ、このすぐ近所にある。焼肉にビビンバ、あとはなんか得体の知れない汁物までいろいろある」
「得体の知れない汁物って何ですか、参鶏湯《サムゲタン》とかじゃないんですか?」
ロッカーにかけたオフホワイトのコートを羽織りながら、想実はくすくす笑う。それがさあ、と堀江はスマホで調べたメニューを想実へと見せてくる。
「このナントカカントカってやつ、見たことも聞いたこともなくない?」
「確かに……なら、挑戦あるのみ、ですね!」
「涼木さんは勇気あるなあ。俺は普通にビビンバ食うわ」
えー、と想実は口を尖らせる。そして、二人はオフィスを出ると、下の商店街へと向かって階段を降りていった。
腕のスマートウォッチは午前十一時五十六分を指している。アーケード越しに差し込んでくる冬の日差しは透き通るように美しい。頬に触れる空気が冷たくて想実はコートのファーに顔を埋めた。
「堀江さん、ソルロンタンとかいうのいきましょうよ! わたし、デンジャンチゲにするので!」
「えええ……」
二人は商店街の出口の方角へと足を向けると、チェーン系の菓子屋と薬局の前を通り過ぎる。一歩一歩踏みしめるように、すべては夢の通過点だと言い聞かせながら。
商店街を行き交う人々は皆、どこかへと向かっている。自分もまた、目指すものを見失わずに歩んでいこう――そう思った。
想実はティーバッグの紅茶を自席で飲みながら、今しがた自分が書いた文章を読み直していた。バイトでこの職にありついたばかりのころは、文章が硬すぎると編集長に怒られてばかりだったが、少しは読者に寄り添える文章が書けるようになってきただろうか。というか、そう思いたい。
「涼木さーん、明日の取材の件、打ち合わせいい?」
「はい、古賀さん。王子神谷のインテリアのお店の斜向かいにあるラーメン屋でしたよね」
想実は手帳とペンを手に取ると、席を立つ。そして、先輩である古賀のいる会議スペースの方へと彼女は足早に向かっていく。
「そうなの。人気店だから、五回目の挑戦でどうにか取材の枠、捩じ込んでもらえてさ。ようやく、うちらの熱意が認められたっていうか。だから、明日、絶対、ポカとかしないでよね。そんなに時間も取ってもらえないし」
「は、はい……頑張ります……」
古賀の言葉にプレッシャーがずしんとのしかかる。人気店のラーメンが経費で食べられるのは純粋に嬉しいが、プレッシャーが胃もたれより重い。
「それはそうと、涼木さん、この仕事何ヶ月目だっけ? 慣れた?」
「三ヶ月目です。まだ不慣れなことも多いですけど、毎日現場で学ばせてもらっています」
想実があの決断をした日から、季節が二つ巡った。イオが書いた作品でのデビューは辞退したものの、今でも想実は休みの日に時間を見つけて文章を書き綴っていた。――あの日の寺瀬の言葉が道標のように、想実の心を照らしてくれていた。
正直、生活の百パーセントを執筆に注げていたころと比べて筆の進みは芳しくはない。それでも、せめて年に一度だけでもどこかの賞に作品を応募できればと思っていた。
諦めなければ、夢はきっと叶う。いつか自分に順番が巡ってくるのだと今の想実は思っている。――いつかそのときが来れば、自分はシンデレラのようにスターダムを駆け上がるのだと。
――想実がどれだけ努力していたか、ボクは知ってるよ
ふとしたときに、イオの言葉が思い出される。自分への想いを拗らせてしまいこそしたが、彼は確かに間近で自分のことを見てくれていた。高い壁に挑みかかるのを見守っていてくれた。
イオへと恥じないようにも、自分はどれだけ無様だとしても挑み続けよう。ふいに想実の口の端が上がる。古賀はそんな想実を怪訝そうに見ていた。
「涼木さーん、そろそろ今日の取材行くよー」
オフィスの入り口から男性編集員の声がかかる。壁の時計を見れば午前十一時五十分を指していた。失礼します、と想実は会釈をすると立ち上がり、その場を辞す。
「堀江さん、今日はどこの取材でしたっけ?」
「韓国料理屋さんだよ、このすぐ近所にある。焼肉にビビンバ、あとはなんか得体の知れない汁物までいろいろある」
「得体の知れない汁物って何ですか、参鶏湯《サムゲタン》とかじゃないんですか?」
ロッカーにかけたオフホワイトのコートを羽織りながら、想実はくすくす笑う。それがさあ、と堀江はスマホで調べたメニューを想実へと見せてくる。
「このナントカカントカってやつ、見たことも聞いたこともなくない?」
「確かに……なら、挑戦あるのみ、ですね!」
「涼木さんは勇気あるなあ。俺は普通にビビンバ食うわ」
えー、と想実は口を尖らせる。そして、二人はオフィスを出ると、下の商店街へと向かって階段を降りていった。
腕のスマートウォッチは午前十一時五十六分を指している。アーケード越しに差し込んでくる冬の日差しは透き通るように美しい。頬に触れる空気が冷たくて想実はコートのファーに顔を埋めた。
「堀江さん、ソルロンタンとかいうのいきましょうよ! わたし、デンジャンチゲにするので!」
「えええ……」
二人は商店街の出口の方角へと足を向けると、チェーン系の菓子屋と薬局の前を通り過ぎる。一歩一歩踏みしめるように、すべては夢の通過点だと言い聞かせながら。
商店街を行き交う人々は皆、どこかへと向かっている。自分もまた、目指すものを見失わずに歩んでいこう――そう思った。



