血の花

 これを育てるのに水は要らないんだと、先輩は言った。
 必要なものはヒトの血液なのだ、と。

 先輩は自分の人差し指にぷすりと針を突き刺す。
 シャーレに置かれた白い種の上に、赤い血が一滴、ぽとりと落ちる。
 殻の表面から音もなく血がすうっと吸い込まれ、何事もなかったかのように種はすぐ元の色に戻っていく。

 水不足でも育つ品種を研究、開発する中で、偶然誕生した新たな植物。
 その第一号となる種を先輩は創造主としての義務と純粋なる好奇心から、甲斐甲斐しく世話をしていた。

「吸血植物というのも、何だかおどろおどろしいな。とりあえずは『血の花』とでも呼ぼうか」

 どんな花が咲くんでしょうかと僕は問うたけれど、「分からない。育ってからのお楽しみだね」と先輩は笑った。

 植物が成長するにつれ、必要とする血の量は二滴、三滴と増えていく。
 血液を与え始めてからおよそ二週間後、白い鉢を手にした先輩が嬉しそうな顔で僕に近付き、言った。

「見てごらん、芽が出てきたんだ。どうやらこれは単子葉類に属するらしい」

 見ると、土の中からにょっきりと一本の芽が顔を出している。
 赤い血を養分にしているのに芽は瑞々しいまでの薄い緑色で、なんだかクリスマスみたいだと僕は思った。

 その後、別の案件と重なり頻繁に研究室へ行くことが難しくなった僕のために、先輩は成長記録を作ってくれた。

『もう少しで蕾がつきそうなんだ。どんな花が咲くのか早く知りたいな』

 植物の育ちと比例するように、先輩の顔はどんどん青白くなっていった。
 肌から潤いが消え、唇はいつもかさかさとしている。ぼんやりとする時間が増え、デスクに突っ伏したまま動けなくなる日が増えた。

「血を与え過ぎているのではないですか」
「いっぱい食べていっぱい寝てるから大丈夫」

 先輩がそう言って微笑んだので、僕はそれ以上何も言えなかった。

 一か月後、先輩は干からびるようにして死んだ。
 その姿を最初に見付けたのは僕だった。
 先輩のそばには文字通り心血を注いで育てた植物の鉢が置かれ、重さを感じさせる丸く大きな蕾がひとつ、ついていた。

 もう咲きそうだったのに、さぞ無念だろうな。

 先輩の気持ちを想像しながら、ひとまず鉢を移動させようとしたその時、ぶるりと蕾が震えた。折りたたまれていた花びらのようなものが順に開いたかと思うと一気にしおれ、腐り、土の上に散っていく。

 そうして残ったのは、ヒトの眼球に似た何かだった。
 黒目の部分がぎょろぎょろと、上下左右にせわしなく動いている。

 あぁ、これは先輩の目だ。

 確信に近い気持ちで、なぜか僕はそう思った。
 ようやく咲いた花の姿を知りたいと、探しているのだ。

 先輩。
 あなたがその花だったんですよ。

 目だけになった先輩が『見せてくれ』と僕に訴える。
 僕は植物をじっと観察する。
 先輩の目が咲いている斜め下の辺りに、膨らみかけの蕾があった。
 この位置ならば、先輩の目が下を向けば見えるのではないか。

 僕は鉢を自宅へ持ち帰り、世話をすることにした。

 包丁で手のひらを大きく傷付ける。
 焼けるような痛みとともに、ぼたぼたと血が植物に注がれていく。
 葉の上、茎の周り、蕾の周囲が赤く染まる。

 先輩の見たかった花。
 先輩が見ることの叶わなかった花。

 つつましかった蕾は僕の血を吸い、わずかに大きくなった。

 先輩、待っていてください。
 あなたがこんな姿になってまで見たいと願った花を、僕が必ず咲かせてあげますからね。