――電話、
――電話が鳴っている。
――電話が……どこから?
ぽかりと水に浮くように目が覚めた。
ふと、枕元の時計を見ると午前3時半。
(まだ夜じゃないか……)
もう一度寝直そう、と体勢を変えたとき、透は気がついた。
(あれ……?電話が鳴っていたような……)
携帯電話の着信音とは違う音だった。たしかに聞き覚えがある、あれはなんだったのか。
(なんだっけ……)
そう思いながらも眠りについた。
2001年6月18日。カレンダーの日付にはそう記してある。几帳面な父親が毎朝カレンダーの日付に✕マークをつけていくので、一目でわかるのだ。
白石 透(しらいし とおる)はその朝もカレンダーを見て、テレビで天気予報をチェックしていた。
「今日も一日雨マークかあ」
傘を持ち歩かなくてはならないのが億劫だ。雨の日はお気に入りのスニーカーも履けない。髪の毛もちょっとふにゃふにゃする。梅雨時は仕方がないとはいえ、やる気が出ない。
「ユーウツだ……」
「そろそろ出かけないと遅刻するぞ。1年生の授業は早いんだろ」
リビングでゴロゴロしていると、兄がそう言って慌ただしく出かけていく。その背中に「ほーい」と気の抜けた返事をして、透は通学用のリュックを背負って立ち上がった。
透の通う私立大学は、山手線の外側、都心から西側に30分ほど離れた場所にある。透の住む世田谷区から通うのにちょっと時間がかかる。
その朝も電車のドアにもたれて揺られながら、車窓からの景色をぼんやりと眺めていた。
(まだ眠いなぁ)
昨夜少しだが起きてしまったせいか眠気が残っている。立ちながら眠るのはさすがにマズイ、と思いながらもうとうとしそうになる。
そのときだった。派手なブレーキ音がした、と思った次の瞬間だ。
ドンッ
どこかで鈍い音がして、電車が急停止した。
「えっ……!?」
思わずドアにすがりつくような格好になったまま、透は驚きに固まった。
1秒、2秒、静まり返った車内が、急激にざわつき出す。
――なんだ?事故?ちょっとどうなんのこれ
周囲の乗客が騒々しくなってきたタイミングで車内放送が流れる。
『ただいま踏み切り内で事故が起きたため、緊急停車させていただきました。お客様にはご迷惑をおかけして……』
ざわざわざわざわ
「……事故?」
呆然と立ち尽くす透の周りで、喧騒がますます高まっていく。
目の前の車窓の外側を、透明な雨粒がいくつもいくつも流れていくのを、透はぼうっと眺めていた。
パラパラパラパラ
透明なビニール傘の外側に雨の雫が当たっては流れ落ちていく。それを見るともなく眺めながら、透は一昨日の踏み切り事故を思い出していた。
急ブレーキ。鈍い衝撃音。車窓を流れ落ちる雨。
あれはつい一昨日のことだ。それなのに、日常に埋もれて現実感が薄れていく。
(……人が亡くなったのにな)
あの日、駅で遅延証明書を貰う列に並んだことを透はちゃんと覚えている。
その前の記憶がどうにも曖昧だが。
(俺はけっこうショックだったのかな)
その割には今日までいつもどおりの生活を送っている。
(あの日、電車を降りた後に、俺は車体を見ないようにしていた)
そのことに、いまさっき気がついた。気がついて、ふと足を止めたのだ。
ビニール傘越しに見上げた空は、重く雲が垂れこめていて、なんだかさらに憂鬱になりそうだ。
「透、どうした」
ぬっと現れた人影に透は一瞬驚き、それからホッとした。
「岳」
「おう」
うなづいた相手は同じ1年生の相良 岳(さがら がく)だ。大柄で気配が少ないので、近づかれるとたまに驚いてしまう。
「こんなところでなにやってんだ」
黒い大きな傘を肩にかけるように差した岳は透に尋ねる。
こんなところ、と言われて透は辺りを見廻した。
「あっ、あれ?」
いつの間にか旧部室棟の玄関前に来ていた。透と岳が所属する軽音楽部は新しい方の部室棟だ。
透は目前の旧部室棟を見上げた。外壁のあちらこちらにヒビが入って、所々剥がれ落ちている旧部室棟は、雨に濡れてますます黒っぽく古く見える。まだ現役で使われているということが信じられないくらいだ。
「……俺、なんでここに来たんだっけ?」
「お前、大丈夫か?」
熱でもあんのか、と透の顔をのぞきこむ岳は、見た目がやや強面だが気づかいができるタイプだ。
「ないない。俺は元気」
片手をふって笑う透を少し心配そうな顔で見つめた後に、岳はぽつりとつぶやいた。
「……お前はある意味危なっかしいからな」
「へ?」
「なんでもねえよ。行くぞ。1年が先に掃除してねーと先輩が怒るからな」
「あ、うん」
慌てて新部室棟へと歩き出す。
透の背後で旧部室棟玄関の蛍光灯が一度、二度、明滅した。
「おそいぞー1年生たち!」
部室に入るなり覚えのある匂いがした。2年生の女子が豪快にカップ麺を食べているのだ。
「ちっす!すみれちゃん先輩!」
「あざっす!」
すみれちゃん先輩と呼ばれた女子は、挨拶する1年生たちに箸を持った方の手を振りながら咀嚼している。透はすみれちゃん先輩の着ているタイダイ染めのTシャツにカップ麺の汁が飛んでいるのを見つけたが、よくあることなのでなにも言わなかった。
「おはよー。雨やんだ?」
「ぜんぜんです。……先輩、何味ですかそれ?なんか変わった色のスープ……」
「麦茶を沸かしてカップ麺に入れたてみたら意外とおいしい」
「え、えっと、そうですか……」
それはおいしいのかな……と困惑する透の横では、岳がすみれちゃん先輩にデレデレしている。こいつは基本的に女性に弱いのだ。弱すぎて相手が子持ちのおばちゃんだろうが、見知らぬおばあさんだろうが親切にする。
地下一階にある軽音楽部の部室は雑然としている。壁の本棚には、音楽雑誌や楽譜がぎっしりと詰まっている。壁にはいつからあるのかもわからないくらい色褪せた、ブリティッシュロックスターのポスター。たくさんのCD、MD、カセットテープが段ボールからあふれている。
棚の上の大きな缶は半ばペン立てと化していて、誰のものかわからないボールペンや定規などの文房具と一緒に、なぜかリコーダーが刺さっている。棚の上にはその他にも、メトロノーム、タンバリン、カスタネット、トライアングル、名前のわからない打楽器。いずれもいつからある物なのか誰も知らない。
部室の奥に年季の入ったドラムセットとキーボード。その端に立てかけてある、ケース入りのギターやベースや、なにか良くわからない弦楽器。
アンプやスピーカーなどの機材は最小限しか置いていないので、まだこの有様で済んでいる。学園祭のステージでは、学生会館の倉庫から場所をとる機材を運ぶらしい。
透たちはまだ経験がないが、とにかく重労働なので筋力をつけておけよ。とは幹事長直々のお達しだ。
「1年生くんたちにお使いのミッションがあります」
カップ麺の麦茶汁を飲み終えたすみれちゃん先輩は厳かにそう告げた。透は自分を指さして
「お使い、ですか?」
と小首を傾げた。
「旧部室棟にこのケーブル類を運んでほしいの」
示されたそれはやたら頑丈そうなプラスチックの箱に、なにか黒いケーブル類がぎっしりと収められている。箱だけでも大きくて重そうだ。
「なるほど、これは男の仕事ですね」
うなづいた岳が試しに持ち上げて、「おっ」と軽い唸り声を上げた。見た目通りに重いらしい。
「そうそう男子二人なら運べるかなって」
「旧部室棟……あそこのどこですか?」
「一階奥の倉庫。半地下になってる部屋があるからそこね」
わかんなかったら誰かに聞いてね〜とのんびり手をふるすみれちゃん先輩に送り出されて、透と岳は部室棟を出た。
外は相変わらずの雨模様だ。ビニールで覆ったケーブル箱を、二人は半分ずつ持って運んだ。片手で持ち手を持って、もう片方の手で傘を持つ。これが微妙に重労働で、透は旧部室棟までのわずかな距離で手が痛くなってしまった。
旧部室棟は玄関の造りも古めかしい。出入り口の階段を登って小さなロビーのような場所に箱を置くと、二人は傘を閉じた。
傘の先から雨水が滴り落ちる。
「さてと、一番奥の半地下の倉庫だっけ」
「ここ、案内図とかないのかな」
ぐるりと見渡したロビーには、壁際に古ぼけた自動販売機とごみ箱と消火器くらいしかない。
「なさそうだな」
「とりあえず奥の方行くか」
よっこいせ、とふたたび箱を持ち上げてロビーを通り過ぎる。そのとき、透は気がついた。
(あれ……?公衆電話?)
ロビーの片隅、蛍光灯が切れているのだろう、薄暗い場所にぽつんと公衆電話が置かれていた。ピンク色のひどく古めかしいデザインのものだ。
(……なんだろう?)
「おい、どうした」
一瞬、足を止めた透に岳が声をかける。
「なんでもない」
そう言って軽く首をふると、透は歩き出した。
ジリリリリリン
――電話、
ジリリリリリン
――電話が鳴っている。
ジリリリリリン
――電話が……どこから?
ジリリリリリン
――電話だ……出なきゃ
(電話?)
パチリと目が覚めた。
透は目に入った天井を見つめたまま、3秒ほどぼんやりしていた。見慣れない天井。
それから部屋の中を見渡して、隣の布団に寝ている大きな背中を見つけた。岳だ。
(あれ……俺、岳の部屋に泊まったんだっけ?)
なんでだっけ?寝起きでぼんやりとした頭で思い出そうとする。昨日は授業のあと夜まで部室でギターの練習をして、その後解散したはずだ。
なにがどうして岳の部屋にいるのか。
(酒を飲んだりした記憶はないなあ……)
そもそも透は酒豪なので、いくら飲んでも記憶を無くすことはないはずなのだが。
身体を起こすと寝ている岳がよく見えた。子供のように無防備に眠っている。
185cmの大きな身体を丸めるようにして、抱き枕にしがみついて寝ている姿はなんだか見覚えがあるような。
「……大型犬みたいだな」
わしわしと頭を撫でてみたい。俺は猫派だけど。そう思ったとき、目覚まし時計が鳴りだした。
「覚えてねえの?」
「なんも」
インスタント味噌汁を飲む透に、岳は呆れた様子でため息をついた。
二人は簡単な朝食を食べていた。納豆玉子かけご飯とインスタントの味噌汁。
「……お前、昨夜ちょっと様子がおかしかったんだぞ。いきなり傘をほっぽり出してフラフラどっか歩いていこうとするから、周りのやつらで止めたんだ」
「そうだっけ?」
「そうなんだよ」
あぶねーから、一番家が近いおれんちに泊めたんだ。そう言うと岳は納豆玉子かけご飯をかきこんだ。健康な食欲だ。
(身体がデカい奴ってたくさん食べるよなあ)
ぼんやりとそれを見ていた透は、ふとなにかひっかかるような気がして、部屋の中を見まわした。
簡素な、いかにも男の一人暮らしという部屋。
「なあ、この部屋、電話はある?」
「でんわ?」
もぐもぐと咀嚼する岳が不思議そうな顔をする。
「うん。なんつーか、昔ながらのジリジリ鳴るタイプの電話」
「携帯電話しかないぞ。だいたい今どきどこで買うんだよ、そんなダイアル式みたいな電話」
「ダイアル式?」
「ダイアル式だろ。ジリジリ鳴るやつって」
「…………」
「透?どうした?」
訝しげな顔で見つめる岳に、しかし透はうまく返事ができない。
(ダイアル式……ダイアル式の電話?)
(どこで見たんだっけ?)
虚空を見つめて考え込む透を岳が現実に引き戻した。
「おい、」
トン、と肩を軽くたたかれて、透ははっとした。岳が心配そうな目で透を見ている。
「とりあえず冷めないうちに食っちまえ」
「あ、うん」
透は箸をとって食べ始めた。
自宅に電話をすると案の定、無断外泊を母親から叱られた透はちょっと拗ねていた。心配してくれるのはいいのだが、面倒臭い。もう19歳だというのに、友だちの部屋に泊まるのにいちいち親の許可が必要になるなんて。
(女子じゃあるまいし、そうそう危ない目には遭わないだろ)
とりあえず岳の部屋でシャワーを借りて、身支度をした。Tシャツを岳から借りたからブカブカだ。パンツはコンビニで買った。
「ありがとな、岳。今度なにかおごる」
「おう。期待してるぜ」
軽口を叩き合いながら登校して、本校舎のロビーで別れた。
「岳がモテるのわかるなあ」
面倒見いいし。でかいし。格好いいし。
大教室の後ろの方に座った透はリュックからルーズリーフとペンを取り出した。英文学概論の授業はとりあえず板書していればいい。眠気との闘いだが。
なんとか午前の授業を終えて、昼休みに学食へ向かう。透は食事にこだわりがないので適当に素うどんでも食べるかな、と食券の列に並んだ。
「よお」
「うぃっす」
偶然同じクラスの赤坂が後ろに並んだので、適当な挨拶をする。
「白石はなに食べる?」
「うどん」
「いっつもうどんかパンじゃん」
「そうだっけ?」
「そーだよ」
トロトロと進む列に並ぶのも退屈なので、話しながら小銭入れを出したりしまったりする。そのままなんとなく流れで向かい合った席に座って食べ始める。
「なー、英文学概論のレポートどうする?アメリカ作家かイギリス作家か選んで感想文書けってやつ」
「うーん、まだ考えてる。赤坂はどうすんの?」
生姜焼き定食をもりもり食べながら話しかけてくる赤坂に、透は答えた。
「とりあえずシェイクスピアかな。あれなら近所の図書館でも借りられるし。すぐ読み終わるし」
「あっそうか。そういう手があるか」
「白石も早めに借りておかないと図書館から読みやすそうな本が無くなるぞ」
「そうだなあ……どうすっかなあ。英語圏の作家ならなんでもいいんだっけ」
「そう。日本語訳でもいいからとにかく読めって。純文学以外でも可だと」
「逆に悩む」
「だよな」
もう半分は食べ進んでいる赤坂に比べて、透のうどんはまだほとんど残っている。昼はあまりたくさん食べない方なのだ。いつも伸びたうどんを食べているわけだが、学食のうどんはやや固めなので、これくらいがちょうど良い。
汁に浮いた葱を箸でつまみ上げた透は、ふと思いついて赤坂に尋ねる。
「な、旧部室棟ってさ、なんか怖い噂があんの?」
「え、なにいきなり」
「いやー、だってあそこ不気味じゃん。昨日入ったときも古くて薄暗くて、なんか雰囲気あるなーってさ」
「ああ、まあな」
苦笑する赤坂は実際に旧部室棟を使っている側なのだ。
「赤坂は部活なんだっけ?」
「TRPG研究会。マイナーなオタク向けの集まりだな」
「てぃーあーるぴーじー?」
「卓上ゲームをするんだよ。サイコロふって、出た目でダメージとか決まる遊び」
複雑なごっこ遊びだな。と赤坂は笑う。
「で、本当に怖い噂があんの?あそこの部室棟」
少し声をひそめてテーブルに乗りだした透に、赤坂も同じような姿勢で顔を寄せる。
「あるぞ。定番の怪談ばっかりだけど」
「……マジ?」
「マジに。階段が一段増えるとか、深夜なのに人の声が聞こえるとか。そういうの」
ええ〜。と怖がるふりをしてみせる透は、さらに尋ねる。
「あそこに出入りしてて怖くないか?」
「慣れたら平気だ。そもそも深夜に人の声が聞こえる噂って、うちの研究会が元だからな」
「えっ?」
「TRPGって、シナリオによっては長い時間プレイするからさ、白熱すると深夜までかかるんだ。で、警備員さんに叱られる。そのへんの話がいつからか怪談化したってわけ」
「へええ……」
そんな事情があったのか。感心した透は、ついでに思いついたことを尋ねてみた。
「じゃあ、あそこのロビーにある公衆電話も、なにか怪談になってんの?」
「公衆電話?」
「そう。隅っこにあるピンク色のやつ」
「ピンク色の公衆電話……?」
赤坂はちょっと考え込むような仕草をした後に、
「あそこのロビーに公衆電話なんてないぞ」
と不思議そうな顔で答えた。
ジリリリリリン
――電話、
ジリリリリリン
――電話が鳴っている。
ジリリリリリン
――電話が……どこから?
ジリリリリリン
――電話だ……電話……。
「もしもし、」
目の前の受話器をとって耳に当てる。ピンク色の公衆電話だ。古ぼけたダイアルの数字は掠れていて読めない。
「もしもし……」
透は受話器に話しかける。
なにか聞こえる。話しかけられていることはわかるが、相手がなにを言っているのかわからない。
「もしもし、」
なにか言わなきゃ。言葉を探していると、ガクン、と身体が揺れた。
目の前に岳がいた。
「……あ、あれ?」
ぱちぱちと瞬きをする間に、岳の眉間にシワができる。
「やっと正気に返ったか」
「え?え?岳?」
キョロキョロと辺りを見回す。透はいつの間にか旧部室棟のロビーにいた。ぴちゃん、と水が滴る音がする。
「なんか冷たい」
「濡れてるからな」
ペチン、と軽く頭をはたかれて、透は気がついた。髪が湿っている。髪だけではない、体中が濡れていた。雨の匂いがする。
「俺、どうしたの?」
「どうしたじゃねえよ。いつの間にか外に出てふらふら歩いてたんだよ。この雨の中、傘もささずに」
「ええ〜……」
そんな夢遊病みたいなことが。と驚きながらも、透は身体を探って点検する。どこか痛いだとか、そんなことはない。
「お前、話しかけてもぼんやりしてるし、ようやく喋ったと思ったら『電話が鳴ってる』しか言わねえし」
なにがあったんだ。と訝しく尋ねる岳に、透は首をふることしか出来ない。
「俺にもなにがなんだかわからない。最近、電話が鳴ってる夢を見てて……」
「夢?」
「そう、公衆電話が鳴る夢で、」
ジリリリリリン ジリリリリリン
突然鳴り響く電話のベル。
ジリリリリリン ジリリリリリン
「え……あ……」
思わず一歩後ずさる透。その肩をぽん、と軽く叩いて岳は音の発生源を見る。
ロビーの片隅に、ピンク色の古ぼけた公衆電話がある。
ジリリリリリン ジリリリリリン
鳴り続ける電話のベル。
「これか」
そうつぶやいた岳は、公衆電話へと近寄る。そうして、
「ふんっ!」
と一息で公衆電話を投げ飛ばした。
「えっ……」
透は目を見開いてそれを眺めていた。
宙を舞うピンク色の公衆電話。
ガシャァァァン!!派手な音をたてて電話が床に転がる。公衆電話はしばらくジリジリとなっていたが、やがて「……チン」と音を立てたのを最後に沈黙した。
静かになったロビーで、透は立ち尽くしていた。
「……これ、いいのか?」
「いいだろ。物理で解決出来るなら」
「お、おう」
よくわからないけど解決したならいいのか……?と困惑する透。床に転がった公衆電話は、引きちぎれたコードをむき出しにしている。
「……学校から怒られないかな」
ふとこぼした透の声に、岳はゆっくりと首を振った。
「怒られねえよ。この電話、異様に軽かったからな」
「え?」
「ふつうの電話じゃねえんだろ」
「そ、それって……」
誰かがいたずらで置いたのか?と問いそうになった透の声を遮るように、岳はきっぱりと言い切った。
「気にすんな。これはそういうんじゃない」
そうして、混乱する透の肩を押して「行くぞ」と歩き出した。
雨の中、岳の黒い傘の下を並んで歩く。
どこか後ろの方から電話のベルが鳴った気がしたが、透はふり返らなかった。
その後、大学から公衆電話が壊されたという告知はなく、旧部室棟もなんら変わりなく使われている。
終わり
